第5話 殿、何もしていない。だが噂は走る
鷺山城では、その日も平和だった。
――静かすぎるほどに。
「……暇だな」
土岐頼芸は、縁側で鷹を描いていた。
さらさら。
「殿」
左近が控えめに声をかける。
「下の村の件ですが」
「うむ」
頼芸は絵から目を離さない。
「水回りが整い、田の出来が良いと」
「そうか」
さらさら。
「村人が、殿のお力だと」
「そう言うなら、そうであろう」
(訂正しない)
「ですが……」
左近は言いにくそうに続ける。
「近隣の地侍どもが、妙な噂を」
「噂?」
「はい。“鷺山の殿は、何か企んでいる”と」
頼芸の筆が、ぴたりと止まった。
「……何もしておらぬが」
「それが問題なのです」
(問題なのか)
「水を直し、村が静かになり、年貢が安定した」
「良いことではないか」
「はい。ですが――」
左近は声を落とす。
「“裏で何か動いているに違いない”と」
「ほう」
頼芸は、ちょっと楽しそうだった。
「つまり、わしは“動かぬことで動いている”と?」
「そう解釈されています」
「器用だな」
(感心するところではない)
そこへ、使者が駆け込んできた。
「失礼! 殿!」
「何だ」
「美濃の隣村より書状が!」
左近が受け取り、目を通す。
「……“最近、鷺山が不気味だ”」
「不気味」
「“兵を動かさず、内を固めている”」
頼芸は首を傾げた。
「兵は動かしておらぬ」
「はい」
「内も固めておらぬ」
「はい」
「……では、なぜそう思われる」
「村が静かだからです」
「静かなのは良いことだろう」
「戦国では、逆です」
(悲しい常識)
「さらに」
左近は続ける。
「“謎の童が水を操る”とも」
「惣一か」
「はい」
「……あやつ、元気か」
「はっ。今日も勝手に用水を直していると」
「良いことだ」
(殿の基準が一貫している)
「殿」
左近は、意を決したように言った。
「このままでは、“何もしていない殿”という評価が」
「どうなる」
「“何か恐ろしいことを考えている殿”になります」
頼芸は、しばらく黙った。
そして。
「それは」
さらさら、と筆を動かしながら。
「面倒だな」
「はい」
「対策はあるか」
「……兵を動かす?」
「却下」
「城を改修する?」
「高くならぬだろ」
「……」
(正論だ)
「では、どうする」
左近が困り果てていると。
「何もしなければよい」
頼芸は、きっぱり言った。
「今まで通りだ」
「殿……!」
「噂は、勝手に生まれ、勝手に消える」
「ですが――」
「それより」
頼芸は、惣一のいない方向を見た。
「米が取れ、村が静かなら」
少しだけ、真面目な声で。
「それでよい」
左近は、深く頭を下げた。
(この殿……本当に分かっているのか、いないのか)
その頃――。
隣村。
「聞いたか」
「鷺山だろ」
「殿が何もしていないらしい」
「それが一番怖い」
「だよな」
また別の村。
「最近、兵が動かぬ」
「嵐の前だ」
さらに遠く。
「土岐頼芸、沈黙」
「何を企んでいる」
噂は、勝手に育っていった。
一方、鷺山城。
「……羽、やはり歪むな」
頼芸は、今日も鷹を描いていた。
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