第八章 三人目の仲間
徴税官との約束まで、あと三日。
工房の生産性は、確かに上がっていた。治具の導入で、作業時間は半分以下に短縮された。依頼も増え、収入は着実に伸びていた。
だが——
「足りない」
正義は、夜中の工房で、収支の計算をしていた。
現時点での収入は、銀貨三十五枚相当。あと十五枚、足りない。
「三日で、十五枚……」
不可能ではない。だが、このままのペースでは、ギリギリだ。
「……何か、手を打つ必要がある」
正義は、立ち上がった。
翌朝、正義は村を歩いていた。
新しい仕事を探すため……ではなかった。正義が探していたのは、もう一つの『資源』だった。
『人材だ』
治具を作っても、使う人間がいなければ意味がない。エルザ一人では、限界がある。
「誰か、いないか……」
村の広場を通り過ぎようとした時——
「おい、てめえ!」
怒声が聞こえた。
正義は、足を止めた。広場の隅で、何かが起きていた。
近づくと——
三人の男が、一人の男を取り囲んでいた。
「また、お前か。この役立たずが!」
「仕事もできねえくせに、飯だけは食いやがって!」
囲まれている男は、地面に座り込んでいた。年齢は三十代半ばか。体格は良いが、顔は憔悴している。そして——
左腕が、なかった。
「待て」
正義が、声をかけた。
三人の男が、振り返った。
「なんだ、お前は」
「通りすがりの者だ。何をしている」
「何って——こいつに説教してるんだよ。元軍人のくせに、何の役にも立たねえ穀潰しにな」
男たちが、下卑た笑い声を上げた。
正義は、座り込んでいる男を見た。
男の目には、光がなかった。ただ、虚ろに地面を見つめている。
「……その人、名前は」
「こいつ? グレンだよ。元・王国軍の整備兵だったらしいが——」
男の一人が、グレンの肩を蹴った。
「戦場で腕を失くして、除隊されたんだと。今は、村の厄介者だ」
正義は、グレンに近づいた。
「グレン、だったか」
グレンは、顔を上げなかった。
「……何の用だ。俺に構うな」
「一つ、聞きたいことがある」
正義は、しゃがみ込んだ。
「お前、整備兵だったというのは本当か」
グレンの肩が、わずかに震えた。
「……昔の話だ」
「魔導兵器の整備か?」
「……ああ」
「なら、機械の構造がわかるな。金属の扱いも」
グレンは、ようやく顔を上げた。
「……だから、何だ」
その目には、かすかな光が戻っていた。だが、すぐに消えた。
「腕が片方しかない人間に、何ができる。俺はもう、役立たずだ」
「そうか」
正義は、立ち上がった。
「俺の工房に来い」
グレンの目が、見開かれた。
「……何?」
「俺の工房では、腕が一本でも働ける。というか、お前のような人間が必要だ」
周囲の男たちが、ざわめいた。
「おい、何を言ってる。こいつは——」
「うるさい」
正義は、男たちを一瞥した。
「俺は、この人と話している」
男たちが、たじろいだ。
正義は、再びグレンを見た。
「どうする。来るか、来ないか」
グレンは、しばらく正義を見つめていた。
そして——
「……なぜ、俺なんだ」
「お前が必要だからだ」
「腕が一本しかない人間が?」
「ああ」
正義は、手を差し出した。
「俺の工房では、『人』を最も大切にする。腕の数じゃない。頭と、心があれば、十分だ」
グレンは、差し出された手を見つめた。
その目に——涙が浮かんでいた。
「……本当に、俺でいいのか」
「ああ」
グレンは、震える手を伸ばした。
そして——正義の手を、握った。
工房に戻ると、エルザが驚いた顔で出迎えた。
「マサヨシ、その人は……」
「新しい仲間だ。グレンという」
「仲間?」
エルザは、グレンを見た。そして、その空っぽの左袖に気づいた。
「……腕が」
「ああ、ない」
正義は、あっさりと答えた。
「だが、それがどうした」
「どうしたって……」
「エルザ、お前に聞く。俺が作った治具、使うのに両腕が必要か?」
エルザは、はっとした。
「……いや、片手でも使える」
「だろう?」
正義は、工房を見回した。
「俺たちが作ってきた『仕組み』は、誰でも使える。それが、治具の意味だ」
グレンは、工房を見回していた。
整然と並んだ道具。壁に掛けられた治具。床に引かれた白線。
「……これは、何だ」
「5S、だな」
正義は、答えた。
「整理、整頓、清掃、清潔、躾。工場の基本だ」
「工場……」
グレンの目に、光が戻り始めていた。
「俺がいた部隊にも、似たような決まりがあった。だが、ここまで徹底しているのは……」
「徹底しないと、意味がない」
正義は、グレンの肩を叩いた。
「明日から、お前には品質管理を任せる」
「品質管理?」
「完成した製品を検査し、記録する仕事だ。目と、頭と、片手があれば十分できる」
グレンは、しばらく黙っていた。
そして——
「……わかった。やってみる」
その声には、久しぶりの力があった。
翌日から、グレンの訓練が始まった。
「まず、検査の基本を教える」
正義は、マイクロメーターをグレンに見せた。
「これは、寸法を測る道具だ。0.01mmまで、正確に測れる」
「0.01……ミリ、メートル?」
「長さの単位だ。俺の故郷では、こういう単位を使う」
グレンは、マイクロメーターを手に取った。
「……すごい精度だな」
「ああ。この精度で、すべての製品をチェックする」
「すべて?」
「そうだ。一つでも基準を外れたものは、出荷しない」
グレンの目が、大きくなった。
「……俺がいた軍でも、そこまではやっていなかった」
「それが、問題なんだ」
正義は、静かに言った。
「品質管理は、最後の砦だ。ここで見逃したら、お客さんの手に不良品が届く。それは——」
グレンを見た。
「お客さんの信頼を、裏切ることになる」
グレンの表情が、引き締まった。
「……わかった。絶対に、見逃さない」
「頼むぞ」
正義は、グレンの肩を叩いた。
残り二日。
グレンの加入で、工房の効率はさらに上がった。エルザが作り、グレンが検査し、正義が全体を管理する。三人体制が、ようやく機能し始めた。
「今日の出荷分、すべて検査完了した」
夕方、グレンが報告に来た。
「不良は?」
「ゼロだ。すべて、基準内」
正義は、頷いた。
「よし。明日で最後だ。ラストスパートをかけるぞ」
「ああ」
グレンは、工房を見回した。
「……マサヨシ」
「なんだ」
「俺は、ここに来て良かった」
正義は、グレンを見た。
「……そうか」
「腕を失くしてから、俺は死んでいた。生きてはいたが、心は死んでいた」
グレンは、自分の右手を見た。
「だが、ここでは——俺にも、できることがある」
「当たり前だ」
正義は、静かに言った。
「人の価値は、体の一部で決まるものじゃない。何を考え、何をするか。それが、全てだ」
グレンは、しばらく黙っていた。
そして——
「……ありがとう」
正義は、首を振った。
「礼を言うのは、俺の方だ。お前がいなければ、この工房は回らない」
グレンの目に、涙が浮かんだ。だが、その涙は——悲しみではなく、喜びの涙だった。




