第七章 品質は工程で作り込む
治具を作り始めて、三日が経った。
最初は、柄のサイズを確認するための簡単な「ゲージ」だった。だが、正義とエルザは、そこで止まらなかった。
「次は、これだ」
正義は、鍛冶場の炉の前に立っていた。手には、奇妙な形の木枠が握られている。
「これは?」
エルザが、覗き込んだ。
「鋤の刃の『曲げ治具』だ」
正義は、木枠を作業台に置いた。
「鋤の刃は、先端が少し曲がっている。その角度が一定でないと、土に刺さりにくくなる」
「それは、わかる。私も、いつも苦労してる」
「今まで、どうやって角度を合わせてた?」
「目で見て……勘で」
「それだ」
正義は、木枠を指さした。
「この木枠に、熱した鋤の刃を押し当てる。そうすれば、いつも同じ角度に曲がる」
エルザは、木枠をじっと見つめた。
「……つまり、私の『勘』を、この木枠に移したってことか」
「そうだ。これが、『形式知化』だ」
「ケイシキチカ?」
「頭の中にある『感覚』を、形のあるものに変えること。そうすれば、お前がいなくても、同じことができるようになる」
エルザは、複雑な表情を浮かべた。
「……それって、私がいらなくなるってことじゃないのか」
正義は、首を振った。
「逆だ」
「逆?」
「お前の頭の中にあった『勘』は、お前だけのものだった。だが、今は——」
木枠を持ち上げた。
「この工房の『財産』になった。お前がいなくても、この工房は同じ品質のものを作れる。だが——」
エルザを見た。
「お前がいれば、もっと良いものが作れる」
エルザは、しばらく黙っていた。
そして——
「……あんた、口がうまいな」
「事実を言っただけだ」
正義は、木枠を作業台に戻した。
「さあ、試してみよう。この治具が、本当に使えるかどうか」
炉に火が入った。
エルザは、鋤の刃の素材を炉に入れ、赤くなるまで加熱した。正義は、その横で、じっと見守っていた。
「よし、出す」
エルザがトングで刃を取り出し、木枠の上に置いた。そして——
「ここを、押す……」
刃の先端を、木枠の溝に押し当てた。
ジュッという音がした。木が焦げる匂いが広がる。
「……どうだ?」
エルザが、刃を持ち上げた。
正義は、刃の角度を確認した。そして——
「完璧だ」
エルザの目が、輝いた。
「本当か!?」
「ああ。前にお前が作った刃と、角度がぴったり同じだ」
エルザは、自分の作った刃を見つめた。
「……こんなに、簡単に」
「簡単じゃない」
正義は、訂正した。
「この治具を作るのに、三日かかった。その三日間は、普通の仕事をする時間を犠牲にした」
「それは……」
「だが——」
正義は、微笑んだ。
「これからは、この治具を使えば、誰でも一発で正しい角度が出せる。三日間の投資が、これからの何百時間を節約する」
エルザは、治具を見つめた。
「……これが、『カイゼン』か」
「その一つだ」
正義は、頷いた。
「カイゼンには終わりがない。今日より明日、明日より明後日。少しずつ、だが確実に、良くなっていく」
その時——
工房の入り口から、声がした。
「すまない、誰かいるか」
エルザと正義は、振り返った。
入り口に立っていたのは、見慣れない男だった。旅装束を纏い、背中には大きな荷物を背負っている。
「ここが、ハンマーシュタイン工房か?」
「ああ、そうだ」
エルザが、前に出た。
「何の用だ」
男は、ほっとしたように息を吐いた。
「噂を聞いてな。腕のいい技術者がいると。俺の道具を、見てもらいたいんだ」
男は、背中の荷物を下ろした。そして、中から——
巨大な鎖が現れた。
「これは……」
正義が、鎖に近づいた。
太い鉄の輪が、いくつも連なっている。だが、その一部が——歪んでいた。
「俺は、東の鉱山で働いている。これは、坑道で使う巻き上げ機の鎖だ」
男の顔に、疲労の色が浮かんでいた。
「先週、鎖が切れて、同僚が怪我をした。修理しようにも、近くの鍛冶屋では手に負えないと言われて……」
「わかった」
正義は、鎖を手に取った。
「見せてくれ」
鎖の輪を、一つ一つ確認した。
「……これは」
正義の目が、細まった。
「どうした、マサヨシ」
「この鎖、溶接部分に亀裂が入っている。しかも、複数箇所」
「亀裂……」
男の顔が、青ざめた。
「それは、直せるのか」
正義は、鎖を下ろした。
「直せる。だが——」
男を見た。
「根本的な問題は、別にある」
「根本的な問題?」
「この鎖、いつ頃から使っている?」
「三年……いや、四年か」
「点検は?」
「点検?」
男は、首を傾げた。
「鎖の点検なんて、したことがない」
正義は、深くため息をついた。
「それが、問題だ」
鎖を持ち上げた。
「鎖は、使っているうちに少しずつ摩耗する。溶接部分は、特に弱い。定期的に点検して、亀裂を見つけたら早めに修理する。そうしないと——」
「切れる、か」
「そうだ。今回は、運良く怪我だけで済んだ。だが、次は——」
言葉を切った。
男の顔が、さらに青くなった。
「……俺たちは、何も知らなかった。ただ、壊れたら直す、それだけだった」
「多くの人が、そうだ」
正義は、鎖を作業台に置いた。
「だが、本当に大切なのは——」
エルザを見た。
「『壊れる前に、防ぐ』ことだ。これを、『予防保全』という」
エルザは、メモを取っていた。
「ヨボウホゼン……」
「品質は、最後に検査して守るものじゃない。最初から、工程の中で作り込むものだ」
正義は、男に向き直った。
「鎖の修理は引き受ける。だが、一つ条件がある」
「条件?」
「修理した後、点検の方法を教える。それを、鉱山の仲間にも伝えてくれ」
男は、しばらく正義を見つめていた。そして——
「……わかった。約束する」
正義は、頷いた。
「よし。では、始めよう」
鎖の修理には、二日かかった。
亀裂の入った輪を取り外し、新しい輪を鍛造して接合する。単純な作業だが、鎖の強度を保つためには、細心の注意が必要だった。
「……できた」
最後の溶接を終え、正義は鎖を持ち上げた。
「エルザ、テストを頼む」
「ああ」
エルザは、鎖の両端を鍛冶場の柱に固定し、中央に重りを吊るした。
鎖が、ピンと張った。
「……大丈夫みたいだ」
「よし」
正義は、鎖を男に手渡した。
「これで、当面は持つ。だが——」
「わかってる」
男は、真剣な目で頷いた。
「定期的に点検する。亀裂を見つけたら、すぐに修理する」
「それと——」
正義は、一枚の紙を渡した。
「これは、点検のチェックリストだ。どこを見ればいいか、書いてある」
男は、紙を受け取った。そして——
「……ありがとう。この恩は、忘れない」
正義は、首を振った。
「恩じゃない。これが、『モノづくり』だ」
男は、しばらく正義を見つめていた。
そして、深々と頭を下げ、工房を出て行った。
残されたエルザが、正義を見た。
「……マサヨシ」
「なんだ」
「あんた、変わったことをするな」
「変わったこと?」
「修理だけじゃなくて、点検の方法まで教えた。普通の鍛冶屋なら、そんなことはしない」
「なぜだ?」
「そりゃ……次に壊れた時、また仕事が来るから」
正義は、苦笑した。
「確かに、そういう考え方もある。だが——」
工房を見回した。
「俺がやりたいのは、金儲けじゃない」
「じゃあ、何だ」
「この世界の『モノづくり』を、変えることだ」
エルザは、目を丸くした。
「……大きく出たな」
「ああ、大きい。だが——」
正義は、微笑んだ。
「まずは、この工房から。一歩ずつ、だ」
エルザは、しばらく正義を見つめていた。
そして——
「……あんたに付いていくのは、疲れそうだな」
「だろうな」
「でも——」
エルザは、拳を握った。
「悪くない気分だ」
正義は、頷いた。
「さあ、次の仕事だ。徴税官が来るまで、あと四日」
「ああ。やってやろう」
二人は、再び作業に戻った。




