第六章 治具という概念
「まず、現状を把握する」
翌朝、正義は工房の真ん中に立ち、宣言した。
「今の工房で、一日にどれだけの仕事ができるか。それを数字で出す」
「数字?」
エルザが、首を傾げた。
「なんとなく、じゃダメなのか」
「ダメだ。『なんとなく三倍にしよう』では、何も変わらない。まず、今が『1』だと確認する。そうすれば、『3』にするために何をすべきかが見える」
正義は、壁に掛かっていた木の板を下ろした。
「これを、ホワイトボード代わりに使う。今日一日、普通に仕事をしてくれ。俺は、それを観察して記録する」
「……わかった」
エルザは、釈然としない顔で頷いた。
その日、工房には農具の修理依頼が三件入った。
鎌の柄の交換。鋤の刃の研ぎ直し。そして、鍬の金具の取り付け。どれも、村ではよくある依頼だった。
エルザは、いつも通りの手順で作業を進めた。正義は、その横で、じっと観察を続けた。
「……なあ、マサヨシ」
作業の途中、エルザが声をかけた。
「そうやって見られてると、やりにくいんだが」
「我慢してくれ。これが終われば、楽になる」
「本当か?」
「本当だ」
正義の目は、エルザの手元を離れなかった。
『鎌の柄の交換。作業時間、約四十分。そのうち——』
正義は、脳内でタイムスタディを行っていた。前世で何度もやった、作業分析。
『柄を外すのに五分。新しい柄を選ぶのに……十分?』
そこで、正義の目が細まった。
エルザは、柄の在庫置き場で、長い時間を費やしていた。何本もの柄を手に取っては戻し、を繰り返している。
『在庫の管理ができていない。どれがどのサイズか、一目でわからない』
さらに——
『新しい柄を差し込むのに、十分以上かかっている。なぜだ?』
正義は、エルザの手元を観察した。
柄を差し込む穴と、柄のサイズが微妙に合っていなかった。エルザは、ナイフで柄を削り、少しずつサイズを調整していた。
『これだ』
正義は、確信した。
日が暮れた頃、正義は木の板に書いた記録をエルザに見せた。
「今日の作業時間の内訳だ」
板には、こう書かれていた。
『鎌の柄交換:40分』 『 うち、付加価値時間:15分』 『 うち、探索時間:10分』 『 うち、調整時間:15分』
「付加価値時間?」
エルザが、聞き慣れない言葉に眉をひそめた。
「実際に『価値を生んでいる』時間だ。お客さんの農具を直している時間、と言い換えてもいい」
「ああ……」
「今日の作業で、『付加価値時間』は全体の四割以下だ。残りの六割は——」
正義は、板を指さした。
「『探す時間』と『調整する時間』に消えている」
エルザの目が、見開かれた。
「六割も……」
「そうだ。つまり、この二つを減らせば、同じ時間で倍以上の仕事ができる」
正義は、立ち上がった。
「明日から、二つのことをやる」
「二つ?」
「一つ目。在庫の整理だ。どのサイズの柄がどこにあるか、一目でわかるようにする」
「それは、わかる」
「二つ目」
正義は、作業台に近づいた。
「『治具』を作る」
「ジグ?」
エルザは、首を傾げた。聞いたことのない言葉だった。
「治具というのは——」
正義は、手近にあった木片を手に取った。
「作業を補助するための道具だ。例えば——」
木片に、ナイフで穴を開けた。
「この穴のサイズを、鎌の柄穴と同じにする。そうすれば、新しい柄を、この穴に差し込んでみればいい」
「それで?」
「差し込めれば、サイズは合っている。差し込めなければ、削る。こうすれば、実際の農具で何度も試す必要がなくなる」
エルザの目が、ゆっくりと大きくなった。
「……なるほど」
「これが、『治具』だ。専用の道具を一つ作ることで、その後の作業が何十倍も楽になる」
正義は、木片を作業台に置いた。
「明日、これを本格的に作る。そうすれば——」
エルザを見た。
「お前の調整時間は、ほぼゼロになる」
エルザは、しばらく木片を見つめていた。
そして——
「……あんた、本当に変な奴だな」
「どういう意味だ」
「こんなこと、誰も教えてくれなかった。親父も、他の鍛冶屋も。みんな、自分の腕で全部やってた」
「それは——」
正義は、少し言葉を選んだ。
「『職人』と『技術者』の違いだな」
「違い?」
「職人は、自分の腕で全てをこなす。だが、技術者は——」
正義は、自分の頭を指さした。
「『誰でもできる仕組み』を作る。そうすれば、一人の名人がいなくても、同じ品質のものが量産できる」
エルザは、複雑な表情を浮かべた。
「……それって、職人の技を否定してることにならないか」
「いや、違う」
正義は、首を振った。
「職人の技は、尊い。だが、それだけでは——」
工房を見回した。
「この工房は、救えない」
エルザの顔が、こわばった。
「お前一人で、全ての仕事をこなすことはできない。だから、『仕組み』を作る。そうすれば、お前の技術は——」
エルザの目を、まっすぐに見た。
「百人分の力になる」
エルザは、しばらく黙っていた。
そして——
「……わかった」
小さく、だが、確かな声だった。
「あんたのやり方を、信じる。だから——」
拳を、握りしめた。
「教えてくれ。その『治具』ってやつの、作り方を」
正義は、微笑んだ。
「ああ。一緒に作ろう」




