第五章 炎の洗礼
ゴルドの軸受けを納品してから、一週間が経った。
その間に、ハンマーシュタイン工房の評判は、少しずつ村に広まっていった。「あの荒れ果てた工房に、腕のいい技術者が来た」という噂が、口から口へと伝わっていった。
小さな依頼が、ぽつぽつと入り始めた。農具の修理、蝶番の交換、鍋の取っ手の付け替え。どれも大した仕事ではなかったが、正義は一つ一つを丁寧にこなした。
そして、その度に——エルザに実技を教わり、エルザに理論を教えた。
「なあ、マサヨシ」
その日の夕方、エルザは鍛冶場の床に座り込み、疲れた顔で言った。
「なんであんた、そんなに細かいことにこだわるんだ」
正義は、道具棚の整理をしながら答えた。
「細かいこと?」
「寸法とか、角度とか。農具の修理なのに、なんでそこまで測るんだ」
「測らなければ、わからないからだ」
正義は、手元のノギスを見た。前世から持ち越した、数少ない道具の一つ。
「『品質は工程で作り込む』という言葉がある」
「また、変な言葉か」
「いい言葉だ」
正義は、エルザの隣に座った。
「品質というのは、最後に検査して『良い・悪い』を判断するものじゃない。作っている最中に、一つ一つの工程で、確実に作り込んでいくものなんだ」
「……よくわからん」
「例えば、さっき作った鋤の刃。あれを、最後に検査して『曲がってる』と気づいても、もう遅い。直すには、最初からやり直しだ」
「まあ、そうだな」
「だから、途中で測る。一工程終わるごとに、寸法を確認する。そうすれば、問題があればすぐに気づける」
エルザは、顎に手を当てて考え込んだ。
「……なるほど。だから、あんたはいつも途中で止まって、チェックしてるのか」
「そうだ。面倒に見えるかもしれないが——」
「面倒だ」
「だが、結果的には、これが一番早い」
正義は、立ち上がった。
「明日から、お前にもこの習慣を身につけてもらう」
「えー……」
エルザが、露骨に嫌そうな顔をした。その時——
工房の入り口が、乱暴に開かれた。
「おい、ここがハンマーシュタイン工房か」
立っていたのは、見慣れない男たちだった。
三人組。全員が、黒い革のジャケットを着ている。先頭の男は、脂ぎった顔に、嫌な笑みを浮かべていた。
エルザの顔が、こわばった。
「……帝国の徴税官」
「ほう、覚えていてくれたか」
先頭の男が、工房の中に足を踏み入れた。
「半年ぶりだな、小娘。親父が死んでから、一度も顔を出さなかったが……今日は、ご挨拶に来たのさ」
正義は、静かに男たちを観察した。
徴税官。つまり、税金を取り立てる役人。だが、その目つきは——官吏というより、ならず者に近かった。
「ご挨拶、というと?」
正義が口を開くと、男の目がこちらに向いた。
「なんだ、お前は」
「この工房で働いている者です」
「ふん。新入りか」
男は、正義を値踏みするように見た。そして、興味を失ったように視線を外した。
「まあいい。本題に入ろう」
男は、懐から羊皮紙を取り出した。
「ハンマーシュタイン工房。今期の税額は、銀貨五十枚だ」
エルザの顔が、青ざめた。
「五十……? そんな、前回は二十枚だったはずだ」
「物価が上がったんだよ。帝国の決定だ。文句があるなら、帝都まで行って訴えてみるか?」
男たちが、下卑た笑い声を上げた。
「払えないなら——」
男が、工房の中を見回した。
「この工房を差し押さえることになる。まあ、こんなボロ屋に価値があるとは思えんがな」
エルザの拳が、震えていた。
正義は、静かに前に出た。
「少し、お話ししてもよろしいですか」
男の目が、再びこちらを向いた。
「なんだ」
「銀貨五十枚。それは、いつまでに払えばいいのですか」
「今月の末だ。あと十日」
「十日、ですか」
正義は、頷いた。
「それだけあれば、なんとかなるかもしれません」
男の眉が、つり上がった。
「なんだと? この工房に、そんな金があるのか」
「今はありません。ですが——」
正義は、鍛冶場を指さした。
「これから、稼ぎます」
男たちが、一瞬、呆気にとられた。そして——爆笑した。
「はっ、こいつ、正気か! 十日で銀貨五十枚だぞ!」
「この村の年間収入でも、そんなに稼げないだろうよ!」
正義は、笑い声が収まるのを待った。そして、静かに言った。
「賭けませんか」
笑い声が、ぴたりと止まった。
「……賭け、だと?」
「ええ。十日後までに、銀貨五十枚を用意できたら、今期の税額を半分にしてもらう。できなければ——倍額を払います」
エルザが、息を飲んだ。
「マサヨシ、何を——」
「黙ってろ」
正義は、エルザを制した。目は、徴税官から離さない。
男は、しばらく正義を見つめていた。その目に、貪欲な光が宿った。
「……面白い。乗ってやろう」
「マサヨシ!」
エルザが叫んだ。だが、男はもう踵を返していた。
「十日後、また来る。楽しみにしてるぜ」
下卑た笑い声とともに、男たちは去っていった。
残されたエルザが、正義に詰め寄った。
「何を考えてるんだ! 十日で銀貨五十枚なんて、絶対に無理だ!」
「無理じゃない」
正義は、静かに答えた。
「俺には、計画がある」
「計画?」
「ああ。この十日間で、この工房の生産性を——三倍にする」
エルザは、言葉を失った。
正義は、工房を見回した。
「いいか、エルザ。今までのやり方では、確かに無理だ。だが——」
目を閉じ、深く息を吸った。
「俺は、こういうことのために生きてきた」
目を開けた。その目には、前世で何度も味わった、あの『勝負の前の高揚感』があった。
「『カイゼン』だ。すべての無駄を省き、すべての工程を最適化する。そうすれば——不可能は、可能になる」
エルザは、しばらく正義を見つめていた。
その目に、いつもの反抗心はなかった。代わりに——信頼の光があった。
「……わかった」
エルザは、拳を握りしめた。
「やってやろうじゃないか。あんたの『カイゼン』とやらを、見せてもらうぞ」
正義は、微笑んだ。
「ああ。見せてやる」
そして、二人の長い十日間が始まった。




