第四章 最初の一品
工房の大掃除には、三日を要した。
床に積もった金属くずと埃を掃き出し、壁についた煤を拭き取り、天井の蜘蛛の巣を払った。道具は使用可能なものと不能なものに分類し、不能なものは裏手の空き地に仮置きした。
「……見違えたな」
三日目の夕方、正義は工房の中央に立ち、周囲を見回した。
床は土がむき出しになり、壁のレンガ肌が見えるようになった。道具棚には、選別されたハンマーやトングが整然と並んでいる。炉の周辺も、不要なものが片付けられ、作業スペースが確保されていた。
「こんなに広かったのか、この工房」
エルザが、呆然と呟いた。
「物があると狭く見える。片付けると広くなる。当たり前のことだ」
「当たり前、か……」
エルザは、道具棚を見つめた。
「親父が生きてた頃は、もっとごちゃごちゃしてた気がする。でも、親父はどこに何があるか、全部わかってたんだ。私には、さっぱりだったけど」
「属人化だな」
「ぞくじんか?」
「特定の人間にしかわからない状態のことだ。その人間がいなくなると、システムが崩壊する」
正義は、道具棚に近づいた。
「俺がやったのは、『見える化』だ。誰が見ても、どこに何があるかわかるようにする。お前の親父さんの頭の中にあった地図を、現実の空間に写し取った」
エルザは、複雑な表情を浮かべた。
「……親父は、それができなかったのか」
「違う」
正義は、首を振った。
「お前の親父さんは、たぶん『職人』だったんだろう。自分の腕で、すべてをこなせる人間だ。そういう人間は、往々にして『教える』のが苦手だ」
「……確かに、そうだった」
エルザの声が、少し和らいだ。
「背中を見て覚えろ、って。それしか言わなかった」
「俺の師匠も、同じだったよ」
正義は、小さく笑った。
「だから俺は、『見える化』にこだわるようになった。言葉にできないことを、形にする。そうすれば、誰でも同じことができるようになる」
エルザは、しばらく黙っていた。そして——
「なあ、マサヨシ」
「なんだ」
「あんた、本当に何者なんだ」
「言っただろう。通りすがりの技術屋だ」
「嘘だ」
エルザの目が、真剣だった。
「普通の技術屋は、こんなことを知らない。私だって、鍛冶屋の娘として二十年生きてきたけど、『見える化』なんて言葉は聞いたことがない」
正義は、言葉を探した。
異世界から来た、とは言えない。信じてもらえるはずがない。だが、嘘をつくのも——
「……遠い国から来た」
結局、半分だけ本当のことを言った。
「そこでは、モノづくりの方法が体系化されていた。俺は、その知識を持っている」
「遠い国……」
エルザは、疑わしそうに眉を寄せた。だが、それ以上は追及しなかった。
「まあいい。結果が出てるのは、事実だ」
「ああ。そしてこれからが、本番だ」
正義は、炉に近づいた。
「明日、火を入れる。何か、作ってみよう」
翌朝、工房には一人の老人が訪れていた。
「エルザ、いるか」
しわがれた声とともに、工房の入り口に姿を現したのは、杖をついた白髪の男だった。背は曲がり、歩みは遅いが、目だけは鋭く光っていた。
「ゴルドさん」
エルザが、慌てて出迎えた。
「どうしたんです、こんな朝早くに」
「いや、なに。噂を聞いてな」
ゴルドと呼ばれた老人は、工房の中を見回した。
「ほう……随分と片付いたじゃないか」
「ええ、まあ……」
「それで、あの『よそ者』とやらは、どこにいる」
エルザが、正義を振り返った。正義は、炉の前で火おこしの準備をしていた。
「……あの人です」
ゴルドは、杖を突きながら正義に近づいた。正義は手を止め、立ち上がった。
「初めまして。桐生正義と申します」
「ふん。妙な名前だな」
ゴルドは、正義を値踏みするように見た。
「お前が、エルザを手伝っているという男か」
「ええ。居候させてもらっている身なので」
「村長として、一つ聞いておく」
ゴルドの目が、さらに鋭くなった。
「お前は、何者だ。どこから来た」
正義は、老人の目をまっすぐに見返した。
「遠い国から来ました。記憶が曖昧な部分もありますが……モノづくりの技術は持っています」
「モノづくり、か」
ゴルドは、工房を見回した。
「確かに、この工房は見違えた。だが、掃除ができれば職人というわけでもあるまい」
「ごもっともです」
「ならば、証明してみせろ」
ゴルドは、懐から何かを取り出した。
金属の塊だった。手のひらに乗るほどの大きさで、歪んだ円筒形をしている。
「これは、うちの畑で使っている鋤の軸受けだ。三日前に壊れてな。このままでは、春の種蒔きに間に合わん」
正義は、その金属塊を受け取った。指先で表面をなぞる。
「……これは、軸受けというより……スリーブ、ですか。回転する軸を支える部品」
「そうだ。わかるのか」
「ええ」
正義は、部品を光にかざした。
内径が歪んでいる。摩耗というより、元々の加工精度が低かったのだろう。それに、表面に深い傷がある。潤滑が不十分なまま使い続けた痕跡だった。
「同じものを作ればいいのですか」
「できるのか」
正義は、部品をエルザに手渡した。
「エルザ、この部品と同じ大きさの素材はあるか」
「……あ、ああ。たぶん」
エルザは、素材置き場に走った。しばらくして、鉄の棒材を持って戻ってきた。
「これでどうだ」
正義は、棒材を受け取り、手の中で転がした。
「いい材料だ。硬すぎず、柔らかすぎない。加工しやすい」
「親父が、昔、仕入れたものだ。使い道がなくて、放置してた」
「よし。これで作ろう」
正義は、炉に向き直った。
「エルザ、火を入れるぞ。鞴を頼む」
炉に火が入った。
最初は細々とした炎が、徐々に勢いを増していく。鞴から送り込まれる空気が、炭を赤く染め上げていった。
正義は、炎の色を見つめていた。
『温度管理が、すべての基本だ』
前世で、何度も聞いた言葉。熱処理の師匠が、口癖のように繰り返していた。
「マサヨシ、温度は——」
「まだだ」
正義は、手をかざした。炎の熱が、肌を焼く。だが、まだ足りない。
「もう少し、風を強く」
エルザが、鞴を強く押した。炎が、一段と明るくなる。
「……今だ」
正義は、トングで鉄棒を掴み、炉の中に入れた。
しばらくすると、鉄が赤く輝き始めた。正義は、その色の変化を見逃さなかった。
暗赤色から、桜色へ。桜色から、橙色へ。
「よし」
正義は、鉄棒を引き抜き、アンビルの上に置いた。
そして——ハンマーを振り下ろした。
カン、という澄んだ音が響いた。鉄が、わずかに変形する。
正義は、リズムを刻むようにハンマーを振るった。前世では、プレス機がやっていた仕事だ。だが、原理は同じ。鉄は、熱いうちに叩けば形を変える。
「……すごい」
エルザが、呆然と呟いた。
正義のハンマーは、無駄がなかった。一打ごとに、鉄棒は正確に変形していく。まるで、最初から完成形が見えているかのように。
だが、正義自身は、苦戦していた。
『これは……思ったより、難しいな』
前世の知識は、あくまで「工学」の知識だ。材料力学、熱処理、加工原理。頭では理解している。
だが、実際に鉄を叩くのは——別の技術だった。
ハンマーの重心、振り下ろす角度、鉄に当たる瞬間の腕の角度。すべてが、経験則の世界だった。
それでも——
『基本は、同じだ』
正義は、自分に言い聞かせた。
『目で見て、手で感じて、結果を確認する。そして、修正する。その繰り返しだ』
鉄が冷めてきた。正義は、再び炉に入れ、加熱した。そして、叩く。
繰り返すこと、十数回。
「……できた」
正義は、完成した部品を水に浸けた。ジュッという音とともに、蒸気が上がる。
冷えた部品を取り出し、布で拭いた。
「見てくれ」
ゴルドに手渡す。老人は、部品を手に取り、しげしげと眺めた。
「……ほう」
その声には、驚きが滲んでいた。
「内径が、ぴったりだ。どうやって測った」
「測っていません」
正義は、元の部品を指さした。
「あれを見ながら、同じ大きさになるように叩きました」
「目分量で?」
「いえ、『感覚』で」
正義は、自分の指先を見た。
「鉄は嘘をつきません。叩けば、どれだけ変形したかがわかる。その積み重ねで、寸法を合わせました」
ゴルドは、無言で部品を見つめていた。
そして——新しい部品と、古い部品を並べた。
「……同じだ。いや、こちらの方が、滑らかだ」
「内面を、少しだけ削りました。ここに、油が溜まるようにしてあります」
「油溜まり、だと?」
「こうすれば、潤滑が長持ちします。摩耗も減る」
ゴルドの目が、大きく見開かれた。
「お前……本当に、何者だ」
「ただの技術屋です」
正義は、静かに答えた。
「ただ、ちょっとだけ、コツを知っているだけです」
ゴルドは、しばらく正義を見つめていた。その目には、疑念と、そして——敬意が、入り混じっていた。
「……わかった」
老人は、杖を突いて立ち上がった。
「お前のことは、認めよう。この村で働くことを、許可する」
「ありがとうございます」
「だが——」
ゴルドは、正義を指さした。
「お前が何者かは、いずれ明らかにしてもらう。この村には、秘密を持った人間を置いておく余裕はない」
「……承知しました」
ゴルドは、部品を懐にしまい、工房を出て行った。
残されたエルザが、正義を見た。
「……マサヨシ」
「なんだ」
「あんた、本当にすごいな」
正義は、苦笑した。
「すごくない。今のは、ギリギリだった」
「ギリギリ?」
「鍛冶は、俺の専門じゃない。見よう見まねで、なんとかごまかしただけだ」
エルザは、目を丸くした。
「あれで、見よう見まね……」
「だから——」
正義は、エルザを見た。
「お前に、教えてもらいたい。鍛冶の基本を」
エルザは、しばらく固まっていた。そして——
「……馬鹿か、あんた」
呆れたような、だが、どこか嬉しそうな声だった。
「私が教えることなんて、何もないよ。私だって、まだ半人前なんだから」
「それでいい」
正義は、頷いた。
「半人前同士で、一緒に学べばいい。俺は、モノづくりの考え方を教える。お前は、鍛冶の実技を教えてくれ」
エルザは、しばらく正義を見つめていた。
その目に、かすかな光が宿った。
「……わかった。やってやろうじゃないか」
正義は、微笑んだ。
「『段取り八分』だ。まずは、基本からだ」




