第二章 鍛冶と工匠の守護者
最初に感じたのは、浮遊感だった。
体の重さがない。上も下もわからない。ただ、どこまでも続く白い空間の中に、正義は漂っていた。
『目覚めたか、桐生正義』
声が響いた。男とも女ともつかない、不思議な声だった。耳で聞いているのか、頭の中で直接響いているのか、それすらもわからなかった。
「……ここは」
『お前たちの言葉で言えば、「狭間」とでも呼ぶべき場所だ』
視界の奥で、光が集まった。やがてそれは、人の形を取った。ローブを纏った、性別のない姿。顔立ちは曖昧で、見る角度によって若者にも老人にも見えた。
『我は、この世界の創造に関わりし者の一柱。「鍛冶と工匠の守護者」と呼ばれている』
正義は、自分の手を見下ろした。半透明に光る、輪郭の曖昧な手。
「俺は……死んだのか」
『そうだ。お前の肉体は、あの世界では機能を停止した』
その言葉は、不思議と恐怖を呼び起こさなかった。ただ、事実として受け止められた。
「あの世界では、ということは——」
『察しがいいな』
守護者の顔に、微かな笑みが浮かんだように見えた。
『我には、お前に頼みたいことがある』
「頼みたいこと?」
『お前が今まで生きてきた世界とは異なる、別の世界がある。そこでは、魔力という力が存在し、剣と魔法が日常となっている。だが——』
守護者の声が、わずかに沈んだ。
『その世界のモノづくりは、危機に瀕している』
「モノづくり?」
『そうだ。かつて、あの世界にも優れた職人がいた。彼らは魔力を込めた金属を鍛え、精密な機構を組み上げ、人々の暮らしを支えていた。だが、百年前の大戦で、その技術の大半は失われた』
守護者は、虚空に手をかざした。すると、空間に映像が浮かび上がった。
荒廃した工房。錆びついた道具。途方に暮れる若い職人たち。
『今、あの世界では、一国だけが強大な「魔導兵器」を独占している。その技術格差が、世界のバランスを歪めている。弱き国は従属を強いられ、民は希望を失いつつある』
「だから、俺に……」
『そうだ。お前の持つ「生産技術」の知識。工程を設計し、品質を管理し、人を育てる力。それは、あの世界では「失われた古代の叡智」に等しい』
正義は、守護者の言葉を噛みしめた。
「俺に、その世界のモノづくりを立て直せと?」
『立て直すだけではない。お前には、世界を変える力がある』
「……買いかぶりすぎだ」
正義は、思わず苦笑した。
「俺はただの町工場上がりの技術屋だ。世界を変えるなんて——」
『では、聞こう』
守護者の声が、静かに響いた。
『お前は、自分の仕事に誇りを持っていたか?』
その問いに、正義の心臓が——あるいは、魂が——跳ねた。
「……持っていた」
声が震えた。
「俺は、自分の作った治具で、後輩が精度を出せるようになるのが嬉しかった。俺が設計した工程で、不良がゼロになるのが誇りだった。俺の……」
言葉が詰まった。
「俺の仕事が、誰かの役に立っていると……そう思えることだけが、俺の生きがいだった」
『ならば、それを証明する機会を与えよう』
守護者が、一歩近づいた。
『お前のその想いを、別の世界で試してみるがいい。お前の「当たり前」が、どれほどの価値を持つか。お前の技術が、どれだけの人間を救えるか』
「……チートは、もらえないのか」
正義は、半ば冗談で聞いた。娘が読んでいた小説に、そんな設定があった気がする。
『チート?』
「魔法が使えるとか、無限の魔力があるとか、そういう……」
『それはない』
守護者は、きっぱりと言った。
『お前に与えられるのは、お前が生きてきた四十二年間の記憶と経験だけだ。それ以上でも、それ以下でもない』
「……つまり、素手で行けと」
『違う』
守護者の声に、初めて熱がこもった。
『お前の手には、すでに最強の武器がある。十五年間、現場で培ってきた「技」と「知恵」だ。それは、どんな魔法よりも強い』
正義は、自分の手を見つめた。半透明の手。だが、その手のひらには、タコの感触が残っているような気がした。
「……わかった」
声が、自然と出た。
「やってやろうじゃないか」
守護者が、初めて明確に微笑んだ。
『その言葉を待っていた』
白い空間が、ゆっくりと渦を巻き始めた。
『最後に一つだけ、忠告しておこう』
守護者の声が、遠くなっていく。
『お前が転生する先は、カルダニア王国という小国の、寂れた鍛冶工房だ。そこには、一人の若い娘がいる。工房を継いだばかりで、技術も経験もない。だが、その娘には——』
声が、かすれていく。
『——お前と同じ、「炎」がある』
「炎?」
問い返す間もなく、正義の意識は光の渦に飲み込まれた。




