運命だな
結生は一度大きく息を吐くと目の前で手を叩いた。
そして場の空気を一旦落ち着かせようと黒髪の少女に話しかけた。
「とりあえず初対面だし、まずは自己紹介から始めませんか?」
結生はそう提案すると黒髪の少女の様子を伺う。一瞬悲しそうな表情を見せるが、すぐに凛とした顔つきに戻った。
「そうだな……」
黒髪の少女はそう呟くと、一拍置いて言葉を続けた。
「わたしはお前たちの一学年先輩の羽村優喜という」
「やっぱり先輩だったか」
結生が相槌を打つと、優喜は何も言わず小さく頷いた。
沈黙が落ちる。
どうやら羽村優喜は結生達の紹介を待っているようで、両手を膝に置いて待ちの姿勢を取っている。
それに気付いて結生もまた自己紹介を始めた。
「俺は杉田結生、羽村先輩と同じ音の名前ですね」
「ああ、同じだ。運命を感じるな」
「た、たしかに。本当に凄い偶然だ」
そして、視線を桐井へと送る。
促された桐井は腕を組み、少しぶっきらぼうに言った。
「俺は結生と同じクラスの桐井だ」
それを聞いた羽村優喜は、満足げに小さく頷いた。
「ふむ、そうか。ではデートの件は了承したということで違いないな」
羽村優喜はブレなかった。
そんな優喜に慣れたのか、流石に桐井もツッコミは入れてこなかった。
仕方がなく結生は止めに入る。
「ちょっと落ち着いて、羽村先輩――」
結生の言葉は優喜の一喝で中断される。
「結生!」
その勢いに、思わず体がのけ反る。
優喜はそのまま身を乗り出し、結生の至近まで顔を寄せた。
黒髪がさらりと揺れ、彼の視界を覆う。
「頼む、名前で呼んでくれないだろうか」
「な、名前で……?」
間近に迫る瞳にたじろぎながら、結生は曖昧に返す。
優喜はその反応を逃さず、さらに一歩踏み込んだ。
「駄目か?」
その瞳の奥に、どこか切実な光が宿っていた。
あまりにも真剣すぎて、拒む言葉が出てこない。
「い、いや……同じ“ユキ”だし、ちょっと呼びづらいけど……。
“優喜先輩”って呼ぶのはどうかな?」
「ふむ、それでいい」
結生の答えを聞くと、姿勢を正してオレンジジュースを飲む。
どうやら満足したようだった。
そこに先程から黙っていた桐井が口を開いた。
「それで、羽村先輩は――」
「桐井!」
またも鋭い一喝が飛ぶ。
桐井の言葉が途中で止まり、空気が一瞬張り詰める。
「お前も名前で呼んでくれないか?」
「俺もかよ……」
桐井は喉を鳴らして足を組む。
そして、やたらと名前の長い甘ったるい飲み物を一口啜ると、改めて優喜に問いかけた。
「――で、優喜先輩は何なんだ。なんで突然、結生にちょっかいを出してきた?」
「ふむ。何のことだ?」
優喜はストローを咥えたまま、まるで他人事のように答える。
「悪いけど結生には、もう可愛い彼女がいるんだ。略奪愛なら他を当たってくれないか?」
「ほお、結生には既に彼女が居ると」
優喜の声がわずかに低くなる。
その視線が、ゆっくりと結生へと向けられた。
同時に、桐井の視線も結生を射抜く。
――視線が痛い。
結生は苦笑いを浮かべた。
桐井が言っている“彼女”とはもちろん、柚原愛のことだ。
だが、その名前を口にするだけで、胸が締めつけられる。
自分の欲望で生み出した存在。
自分を愛するよう“設定”された女の子。
それでも、彼女には笑い方があり、怒る顔があり、心がある。
そんな彼女を「虚構」だと言い切れるだろうか。
――いいや、言えない。
だからこそ、彼は罪悪感に縛られていた。
無理やり人の心を弄んで気持ちよくなるなんて本当自分には出来るのか?
そう自問していた。
結生は目を泳がせながら、ぎこちなく答えた。
「……いやぁ、恋人とか、そういうんじゃなくて……」
その言葉を聞いた優喜は、静かに桐井へ向き直る。
「結生は、そう言っておるが?」
「おい、結生!」
桐井が机に手をついて立ち上がる。
「いや、だってな……」
結生の声は弱く、言葉にならなかった。
柚原愛――。
彼女は本当に優しく、常に誰かを思いやっていた。
その“優しさ”は、言葉で表せば単純だが、実際にそれを続けられる人間など滅多にいない。
それを彼女は、当たり前のようにやってのける。
――だからこそ、余計に苦しい。
自分の身勝手で、そんな彼女を“創ってしまった”。
そして、自分を愛するよう“仕組まれた彼女。
それはまるで、他人の心を作り替えて快楽を得るようなものだ。
愛を好きになればなるほど、結生の胸の奥には罪のような痛みが積もっていく。
そんな煮え切らない顔を見て、桐井が眉をひそめた。
そして短くため息を吐くと、椅子を引いて立ち上がる。
「……トイレ、行ってくる」
その一言に、結生は顔を上げる。
優喜は無表情のまま、わずかに顎を引いて答えた。
「ふむ、そうか」
桐井は一歩進みかけて、立ち止まる。
そして、固まったまま動けずにいる結生を横目で見下ろした。
「――おい、結生。お前もそろそろトイレ行きたいだろ。行くぞ」
「え? いや、俺は別に――」
桐井の目が細くなる。
その視線に押されて、結生は思わず背筋を伸ばした。
「行くぞ」
「あ、はい……」
桐井が店の奥へ歩き出す。
結生はとぼとぼと、その背中を追った。
トイレには、運よく誰もいなかった。
冷たい蛍光灯の光の下、鏡に映るのは結生と桐井の二人だけ。
桐井は洗面台に両手をつき、頭を垂れたまま長い溜息を吐いた。
結生がぼそりと呟く。
「大も小も出ないぞ」
桐井は振り返らずに答えた。
「俺もだよ」
「じゃあ何なんだ?」
「それはこっちの台詞だ。愛とデートする計画があるだろう」
「そ、そうだな……」
「……あの意味不明な女のせいで、全部めちゃくちゃになるぞ」
桐井の声には焦りと苛立ちが混じっていた。
結生は何も言えず、ただ鏡越しに自分の顔を見つめる。
罪悪感が、再び重く胸にのしかかる。
――悪い、桐井。
それ以前に、俺はもう自分の気持ちに負けてるんだ。
桐井が結生を振り向き、鋭く睨んだ。
「ちゃんと断れよ」
「ああ……」
二人は無言のままドアへ向かう。
結生はふと足を止めて、桐井を呼び止めた。
「なあ、桐井」
「ん、どうした?」
結生は迷いながらも、あの瞬間に感じた違和感を口にした。
「最初に優喜先輩と会った時、『あんたを知らない』とか言ってたよな」
「うん?ああ、結生も優喜先輩のことは知らなかっただろ?」
「ああ、そうだな」
あの時、結生は桐井の言葉から別の意味を感じた気がしていた。
しかし、桐井の返事を聞く限り、特に含みも無いただの会話だったようだ。
「――さっさと断りに戻るぞ」
桐井がドアノブに手をかける。
結生は短く息を吐き、頷いた。
席に戻ると優喜が顎に指を当てて結生と桐井を見る。
「遅かったな。大か、それとも長い小か。はたまた――」
「いや、もういいから」
そんな風に返事をする結生とは対照的に、桐井は黙って席に座る。
結生も席に戻ると、正面から無言の圧力を感じる。
――分かってるさ、そんな目で俺を見るな。
結生は小さく息を吐くと、正面の優喜に向き直った。
「その……優喜先輩。デートの話なんだけど」
「ふむ」
「今日初めて会って、いきなりデートっていうのは、ちょっと……」
言い終えると、優喜は一瞬だけ目を伏せ、軽く頷いた。
「ふむ、確かに事を急ぎすぎたか。いきなりデートというのは少々不躾な願いだったのかもしれん」
どうやら優喜は変わった人ではあるが、話せば分かる人物のようだった。
これで結生の肩の荷がひとつ下りた。
「ならば、こうしよう」
優喜は姿勢を正すと、真っ直ぐに結生を見つめた。
「明日の昼食を共にするのはどうだ?」
「……ああ、飯を食うくらいなら」
「おお、そうか。良かった」
優喜の顔にふわりと笑みが浮かぶ。
結生は、自分の返事が正しかったのかどうか不安になり、桐井を見た。
桐井はグラスを置き、短く息を吐いて口を開いた。
「いいんじゃないか。飯くらいなら問題ない」
そして小さく呟く。
「――まあ、簡単にはいかないことぐらい、覚悟はしてるさ」
難しい顔をしながら昼食の了承をする桐井。
“簡単にはいかないこと”――それは、結生を現実に戻すことだろう。
そう気が付いた結生は、自分のために頑張ってくれている桐井に向かって申し訳なさそうに謝る。
「……悪い、桐井」
苦笑混じりに呟く結生を気遣って、桐井は肩をすくめて笑みを返す。
「まあいいさ。俺にも考える余地が出てきたのも事実だしな」
その口調は軽かったが、桐井に視線は優喜に向いていた。
そんな視線には気づいていないようで、優喜はオレンジジュースを飲み干していた。
「それでは結生、明日を楽しみにしていてくれ」
「ああ」
優喜はトレイを持ち立ち上がると結生に微笑む。
「わたしはこれから準備があるので、これにて失礼する。ではまた明日」
そう言うと優喜は早々に店を後にした。
しばしの沈黙。
桐井がグラスの氷を転がしながら呟く。
「……俺も、色々と練り直す必要がありそうだ」
桐井もまたそう言い残すと、早々に店を立ち去った。
残された結生は、空になったグラスを見つめながら小さく息を吐いた。
店内に流れるBGMが、やけに遠く聞こえる。
残された結生は特に用事も無く、寂しく店を出た。
朝の穏やかな時間。
結生はリビングでコーヒーを飲みながら、なんとなく流れているニュース番組を眺めていた。
母親も愛も、それぞれに別のことをしながら、ただ画面の音を聞いている。
キャスターは抑揚のない声で、どこにでもありそうな出来事を読み上げていた。
――このニュース、実際に起きてるわけじゃない。
“ニュースとはこういうものだ”という概念が形を取って流れてるだけだ。
結生はコーヒーを口に含みながら、ぼんやりとそんなことを考える。
この世界のあらゆる現象は、自分の記憶と知識が組み合わせて作り出した“設定”にすぎない。
ニュースキャスターは淡々と当たり障りのない話題を話している。
これもこの世界の進行の邪魔にならない舞台装置ということなのだろう。
――無意識に得た情報まで、脳のどこかに蓄積されてるって聞いたことがあったな。
もしそうなら、この世界の“現実味”も、全部そのせいか。
そんな思考を巡らせていると、明るい声が響いた。
「結生、学校行こ!」
はっとして時計を見る。もう出る時間だ。
「ああ、行こうか」
愛を連れて玄関の扉を開くと、そこには見覚えのある人物が結生の視界に入ってきた。
「奇遇だな結生、おはよう」
「優喜先輩?」
両手を腰に当てた優喜が家の前に立っていた。
「奇遇って、偶然通りかかったとでも?」
「そうだ、運命だな」
――実に面白い人だ。
そんな会話をしている結生に愛が視線を送る。
「ああ、この人は羽村優喜先輩。昨日知り合ったんだ」
「ふむ、よろしく頼む」
紹介しようとした矢先、愛は自ら歩み出た。
「私は柚原愛、よろしくね。先輩は結生と同じ名前なのね」
「ああ!優喜先輩と呼んでくれて構わない」
「そうなんだ、優喜先輩よろしくね」
「紹介も済んだし、行こうか」
結生が先に歩き出すと、愛がその隣に寄ってくる。
「ちょっと待って」
そう言うと、愛は自然な動作で結生の手を取った。
指先が触れた瞬間、柔らかく温かい感触が掌に広がる。
驚いて横を見ると、愛はいつも通りの笑みを浮かべていた。
日に日に距離の近さが限界突破しそうだった。
「ちょっと待てええい!」
背後から鋭い声が飛んできた。
振り向くと、少し離れた場所で優喜が仁王立ちしている。
「優喜先輩?」
次の瞬間、優喜は勢いよく駆け出した。
愛が結生の右手を握っているのを確認すると、
彼女はその反対側へ突進し――見事に結生の左腕に体当たりした。
「ちょっと優喜先輩!?」
「すまない、間違えた……」
照れ笑いをしながら、優喜もまた結生の手を握った。
「よし!」
優喜は満足そうな笑顔で歩き出す。
女の子二人に挟まれて結生は登校していた。
傍から見たらこれほど羨ましいと思える光景も、
結生本人からしたら自分の欲望が彼女たちに無理やりやらせているのだという罪悪感に苦しんでいた。
しかし、両手に伝わる温もり。
そして左右から寄り添う二人の体温に、鼓動が早まる。
こんな美少女が自分に寄り添っているという状況に、結生は自然とニヤけてしまっていた。
そんな嬉しさと、急に襲ってくる罪悪感。
天国と地獄を行き来しながら教室にたどり着いた。
天国と地獄から解放された結生は、真っ先に桐井を探した。
自分の席に座っていた桐井を見つけると、すぐさま駆け寄って腕を掴む。
「よう結生、おはよ――」
挨拶を言い終える前に桐井はそのまま引きずられ、気づけば校舎裏。
ようやく腕を放されると、乱れた息のまま眉をひそめた。
「なんだよいきなり。どうした?」
問いかける桐井の前で、結生は肩を落としてしゃがみ込む。
顔を上げたその表情には、深い後悔の色が浮かんでいた。
「桐井……俺はもう駄目かもしれない……」
「どうした、何があった?」
結生はその場でしゃがみ込むと天を仰いだ。
「俺はきっとこの先も、無垢な女の子を生み出しては、俺を好きになるように洗脳して……
ハーレムを作るような最悪なことをし続けるんだ……」
桐井はポケットに手を入れると結生を見下ろす。
「本当にどうしたんだ……」
「お願いだ、桐井。俺を罵倒してくれないか?」
「はあ?何だ急に。気持ち悪い」
「そうだ!もっとだ!俺は気持ち悪い人間なんだぁ」
結生は突然桐井の足にしがみつく。
「おい、やめろ。まじで」
「俺は最悪の人間だぁ~」
「落ち着け、手を離せ」
桐井は足を振って抵抗するが、結生の腕は絡まり外れる気配がない。
「離したらもっと罵倒してくれるか?」
「もう、いい加減にしろ」
桐井は無理やり結生の腕を外し、息を吐いた。
「あのな、前から思ってたんだが。結生は繊細すぎるぞ」
「繊細?」
「別にいいじゃないか、相手は結生のことが好きなんだ。その気持ちが“作られた”ものかなんて、関係無い」
「関係、無い?」
「好きな人と一緒にいると相手も嬉しい。それでいいじゃないか」
言葉は真っ直ぐで、どこか大人びていた。
結生は黙って聞いていたが、眉を寄せて小さく呟く。
「うん、桐井の言いたいことは分かるけど……」
「別に結生は相手を傷つけたいとか思ってるわけじゃないだろ?」
「思ってない」
「自分で創った以上、俺がお前を幸せにする。責任は全部俺が取る!くらいの気概を出せ」
その言葉に、結生は思わず見上げる。
逆光の中の桐井が、妙に頼もしく見えた。
「お前、かっこいいな……」
桐井は頭を掻き、ため息をつく。
「そんな弱気になるな」
「うん、でも……」
「なんだ、まだあるのか?」
「だって、愛の次は優喜先輩でだろ?この先どんどん増えたらもう無理だよ……」
結生の言葉に、桐井は難しい顔をして黙り込んだ。
「ねえ桐井?」
「……」
「ねえってば!」
結生のウザ絡みにも何の反応を示さない。
しばらく考え込んだ後、桐井はようやく口を開いた。
「なあ、結生」
「なに?」
「お前さ……急に、愛以外の女の子とも仲良くなりたいって思ったか?」
「え?」
思いもしない質問に結生は驚き固まる。
「羽村優喜。彼女の急な登場には、腑に落ちない点が多すぎるんだ」
「どういうこと?」
桐井はその場でしゃがむと、顎に手を当てる。
「結生が愛をデートに誘うのに乗り気じゃないのは知っていた。
それで柚原愛の代役として羽村優喜が急遽生み出されてしまったのかと最初は考えたんだ」
「急遽?」
「そうだ、何故なら俺は羽村優喜なんて人格を、把握していなかったからだ」
その言葉に、結生の頭の中で“あの時”の会話が蘇る。
――『俺はあんたを知らない』。
その言葉の意味を、ようやく理解した。
「でも、”最初は考えていた”っていうのはどういうことだ?」
「人格っていうのは魔法みたいに一瞬で生まれるようなものじゃないんだ」
「でも愛は急に出てきたじゃないか」
「結生にはそう見えていたのかもしれないが、人格を形成するっていうのはそれなりに時間がかかるものだなんだ」
桐井は眉をひそめて唇を噛んだ。
「舞台装置とは違うんだ。独自に考え、行動するような能力を持った人格となれは尚更だ」
「優喜先輩もそうなんじゃないか?」
「でも俺は知らなかった」
いまいち要領を得ない桐井に結生は首を傾げる。
「ごめん、何が言いたいのか分からん」
「つまり、羽村優喜はほんの数日で生まれたってことになる。もしくは――」
なにかに気が付いたように、桐井の目が見開かれる。
「いや、でもさっき時間がかかるって……」
そんな結生の言葉は桐井に届いていない。
今まで見たことがない焦りの表情をしていた。
親指の爪を噛み、苛立ってもいる。
そしてぶつぶつと呟き始めた。
「…あのクソ女、ふざけやがって…」
こんな桐井を見るのは初めてだった。




