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妄想を愛せ  作者: 大山ヒカル


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3/10

夢遊

 あれから結生の頭の中では、疑問が浮かんでは沈み、考えては霧散するという思考の循環が続いていた。

 いくら考えても答えは出ず、ただ「違和感」だけが残る。

 その違和感がまた新たな疑問を生み、再び思考を促す。

 そうして疑問と違和感が互いを餌にしながら、終わりのない円を描いていく。


 皮肉なことに、その無限の思考ループこそが、結生の意識を静かに停滞させていた。

 考えているはずなのに、何も考えていない。

 頭の奥に溜まった白い靄は、いっこうに晴れることがなかった。


 目覚まし時計を止め、重たい頭をなんとか持ち上げて洗面所へ向かう。

 ドアノブに手をかけ、ぼんやりとしたまま扉を開けた。


 次の瞬間――


 シャワーから上がったばかりの愛が、湯気の中に立っていた。

 濡れた髪が肩にかかり、水滴が肌を滑り落ちていく。

 結生の視線はその場に釘付けになり、手はドアノブを握ったまま固まっていた。


「きゃああ!ちょっと結生!」


 愛は顔を真っ赤にして叫ぶと、慌てて結生の胸を押してドアの外へ追い出した。

 扉がバタンと閉まる音が響き、結生はしばらく呆然と立ち尽くした。

 顔を洗う気にもなれず、そのままリビングへ向かう。


 ドアを開けた瞬間、

 香ばしいコーヒーの匂いと、笑い声がふわりと流れてきた。


 テーブルには父親がコーヒーカップを片手に座り、

 台所の母親に向かって何かを話している。

 母親はフライパンを揺らしながら、楽しそうに笑っていた。

 そんな二人が入口に立つ結生に気が付く。


「結生、あんた朝から何かやらかしたでしょ! 愛ちゃんにちゃんと謝りなさいよ!」


 母親が振り向きざまに言う。


「なんだ、また愛ちゃんと喧嘩でもしたのか?」


 父親は笑いながらカップを口に運ぶ。

 その穏やかな日常のやり取りを、結生は無言のまま見つめていた。

 どこか自分が夢の中に居るような感覚だった。


 着慣れた制服に袖を通し、いつもの鞄を手に取る。

 自室で身支度を済ませると、階段を降りた。

 靴を履き、玄関の扉に手をかけた時、母親に呼び止められる。


「結生!あんたまた忘れてるじゃない」


 母親の声に振り返ると、手に弁当を持った母が立っていた。

 それを受け取ると、階段の方から愛が降りてくる。


「はい、こっちは愛ちゃんのお弁当ね」


「ありがとうございます、えへへ」


「今日は愛ちゃんの好きなアレ、入れてあるから」


「へえ、なんだろう」


「お昼のお楽しみね」


「やったー」


 愛は嬉しそうに弁当を抱きしめ、母と笑い合う。

 そのやり取りを見ていると、結生の口元も自然と緩んだ。


 玄関を出ると、朝の空気が頬を撫でた。

 愛は元気よく振り返り、母親に手を振る。


「それじゃあ行ってきまーす」


「二人とも気をつけるのよ」


 そして愛と結生は二人並んで歩き出す。

 愛は楽しそうに微笑みながら結生を見上げた。


「ねえ、今日の家庭科の実習、楽しみだね」


 その表情につられて、結生も優しく頷く。

 他愛もない会話が続き、時間がゆっくりと流れていく。


 二人揃って教室に入ると、すぐに男子生徒の一人が声を上げた。


「おお、また仲良く夫婦そろって登場か?」

 そんな男子生徒に対し、愛は顔を膨らませて反論した。

「違っがーうよ!夫婦とかじゃないから!」

 そこに女子生徒たちも加わり始めた。

「やめなさいよ。愛ちゃん、あんな奴の言う事気にしなくて良いんだからね」


「そうそう。それに結生くんも、何か言ってあげなよ」


「無理だって。結生は愛ちゃんに頭が上がらないもんな」


「それ分かる〜!」


 笑いの渦が広がり、教室はいつもより明るく感じられた。

 しかし結生は、どこかその光景を外側から眺めているような気分だった。


 チャイムが鳴る。

 教師が教室に入ってくると、ざわめきが少しずつ収まっていった。


「ほらー、席につけー。出席とるぞー」


「はーい」

 教師の声に、集まっていた生徒たちは各々の席に戻っていった。


 昼休みになると、結生たちは昼食を持って屋上へ向かった。

 レジャーシートの上に数人の男女が輪になって座り、

 風に揺れる声と笑いが空に溶けていく。


「わあ、おばさんありがとう」


 愛は弁当を開けるなり、嬉しそうに声を上げた。

 保冷剤で冷やされたタッパの中には、色鮮やかなフルーツがぎっしりと詰まっている。

 苺、キウイ、オレンジ。小さな宝石のように光って見えた。


 そんな愛の弁当を覗き込んでいた女子生徒の一人が、

 にやりと笑って結生の肩を軽く突く。


「あれ、結生くんのお弁当にはフルーツ無いの?」


 結生の視線も、自然と愛の弁当に引き寄せられていた。

 愛の好物だと知った母が、わざわざ買ってきたものだ。


 そんな結生の視線に気がついたのか、愛はフォークに刺した苺を結生の口元に突き出した。


「しょうがないな、結生にもあげる」

 少し戸惑いながらも、そのまま苺を頬張る。

「わー仲良しさんだ」

「俺達は何を見せつけられてるんだ……」


 友人たちはその光景に沸き立ち騒ぎ出した。

 こうして和気あいあいとした楽しくも穏やかな時間が過ぎていった。


 放課後、結生が帰り支度を整えて立ち上がろうとしたとき、背後から声がした。


「結生、ちょっと待って」


 振り返ると、愛が立っていた。

 振り返ると後ろ手にもじもじと下を向く愛が立っていた。


「今日の家庭科の実習覚えてる?」


 そう言うと、愛は後ろに隠していたものを差し出した。

 結生の机の上に、可愛らしくラッピングされた小さな袋が置かれる。


「私が作ったクッキーなんだけど……結生にあげる」


 包を開けて中を見ると綺麗に焼かれたクッキーが入っていた。

 それを一つ摘んで食べてみる。

 塩っぱい、なんていうことも無く、甘くてサクサクとした食感に結生の頬が緩んだ。

 そんな結生を見て愛は満面の笑みを浮かべた。


 帰り道。

 クッキーのお礼にと、結生は愛にクレープを奢った。

 二人は肩を並べ、夕暮れの商店街を歩く。

 甘い香り、通りを照らす橙色の光、すれ違う人々の笑い声。


 いくつかの店を見て回り、日がすっかり落ちかけたころ、二人は家路についた。

 家ではみんなで夕食を囲む。

 風呂を済ませ、自室に戻ると、結生はベッドに身を沈めた。


 暗く静かな部屋で一人、ベッドの中で結生は今日の出来事を思い返していた。

 充実した日常、これが自分の日常。

 自分自身にこれが現実なのかと問いかけると疑問が浮かぶ。

 このフィクションのような世界には、常に疑問がついて回っていた。

 これはずっと自分が望んでいた世界だと断言出来るが、今見えている、触れているもの全てがフィクションのように感じる。

 全てがリアルなのに何故か否定している。


「桐井は……どこに行った?」


 口を衝いて出た疑問に、自分でも戸惑う。

 あの屋上で消えた彼は、一体どこへ消えたのか。


「桐井は消えた。……いや、そもそも桐井はどうやって現れた?」


 現実の辻褄が崩れた、あの瞬間。

 頭上から響いたあの声が脳裏をかすめる。


『その疑問、俺が答えてやろう!』


 まるで、記憶の奥に杭を打たれたように、その言葉が離れない。

「あいつが……俺の妄想だったとしても――」

 結生は呟く。

「……あいつは、俺の知りたいことを知っている気がする」


 そう口にした途端、胸の奥で何かが弾けた。

 疑問ではなく、確信に近い衝動。


「桐井に会えば、この違和感の理由が分かるかもしれない」


 そう決意すると、結生は立ち上がった。

 冷たい床の感触が足裏に伝わる。

 制服の襟を整え、上着を羽織り、身支度を済ませると家を飛び出した。




 昼間の面影などまるでない。

 巨大な校舎は夜の闇の中で、まるで生き物のように沈黙していた。

 深夜の学校に足を踏み入れるのは、結生にとってこれが初めてだった。

 その異様な静けさと、見えない圧力のような空気に飲まれそうになる。


 それでも足は止まらなかった。


 校舎の裏手へ回り込み、窓という窓を確かめていく。

 いくつも試すうちに、ひとつだけ、トイレの窓がわずかに開いているのを見つけた。

 結生は息を潜め、手を伸ばす。

 軋む音を立てて窓を押し広げると、冷たい金属の感触が掌に残った。


 自分の体格と窓の幅をざっと見積もる。

 そして両手で縁を掴み、一気に身を滑り込ませた。


 中は完全な闇だった。

 静まり返った廊下に、結生の靴音だけが響く。

 その音が自分を追いかけてくるようで、背中に冷たい汗が滲んだ。


 昼間なら、笑い声と話し声が満ちているはずの校舎。

 今はただ、息をするたびに埃の匂いが肺に染み込むだけだった。

 見慣れたはずの廊下や教室が、今はどこか歪んで見える。


 それでも結生の足取りに迷いはない。

 桐井と最後にいた場所。


 階段を上りきると、薄明かりの差す屋上の扉が見えた。

 結生はドアノブに手を掛け、ゆっくりと回す。


 ガチャリ、と鈍い音が響くだけで、扉は動かなかった。


「くそ……やっぱり駄目か」


 予想はしていたが、やはり扉は施錠されていた。

 小さく息を吐くと、結生は踵を返して階段を下り、ひとつ下の三階の教室へと向かう。

 窓の外には、狭いながらもベランダが突き出していた。

 窓から顔を出して足場を確認し、慎重にそこへ降り立つ。


 見上げれば、目指す屋上の縁が暗闇の中に沈んでいる。

 壁沿いに手探りで進むと、屋上から下へ伸びる太い管を見つけた。

 おそらく貯水槽へ繋がる配管だ。


 結生はその管に手をかけ、そっと体重をかけてみる。

 金属がわずかに軋む音が夜気の中に響く。

 ――いける。

 そう確信すると、両手でしっかりと掴み、体を引き上げた。


 ゆっくりと、慎重に。

 一歩、また一歩と、壁を蹴りながら上を目指す。


 想像以上に風が強かった。

 校舎の周囲にある木々よりも高い位置に達しているせいか、風は遮られることなく全身に叩きつけてくる。

 結生は無意識に限界まで握力を込め、指先が白くなっていた。

 喉が渇く。生唾を飲み込み、ただ上だけを見る。


 徐々に屋上が近づく。

 ようやく柵に手が届き、両腕を伸ばして掴むと、全身の力を振り絞って引き上げた。

 屋上の柵に胸を乗せた瞬間、全身が震える。

 あとは乗り越えるだけだ。


――俺もやればできるじゃないか。


 そう思った、瞬間だった。

 今まで感じたことのないほどの突風が、結生の全身を襲った。

 空気が裂けるような音が鳴る。

 突風の衝撃に耐えられず、結生の体が一瞬浮遊した。


――やばい、落ちる。


 そう理解するよりも早く、両手が柵から離れた。

 足元の感覚が消える。


 そして、その刹那――


「掴んだ!」


 その声が聞こえたと同時に、結生の両腕が掴まれた。

 掴まれた両腕に確かな熱を感じる。


 視界の先には、必死さと嬉しさの混在したような表情の桐井が映る。

「うぉおおりゃああっ!」


 力強い叫びとともに、結生の身体は一気に引き上げられる。

 重力が反転したような感覚のあと、全身が屋上のコンクリートに叩きつけられた。


「っ……!」

 肺の奥から息が漏れる。

 うつ伏せのまま両手で床を触り、確かめる。

 全身が地面に触れている。その事実が、ようやく現実感を与えてくれた。


 結生を引き上げた桐井は、尻餅をついたまま天を仰いでいた。

 額に滲む汗、肩で荒く息をしながら、それでも笑っている。

 その笑みは、安堵と誇らしさが入り混じったものだった。


「……今回こそ、俺の勝ちだ」


 そう言って桐井は笑い、結生の肩を軽く拳で叩いた。

「はあ……死ぬかと思った……」

「まったくだ、無茶しすぎだ」


 桐井は息を整えながらゆっくり立ち上がると、結生に手を差し出した。


「まあ――その無茶のおかげで、こうしてまた会えたんだけどな」


 結生はその手を掴み、力を借りて立ち上がる。

 掌の感触が伝わるたびに、胸の奥で何かが波打つ。


「……やっぱり、生きてたんだな、桐井」


 その言葉に、桐井は少しだけ目を細め、静かに笑った。




 二人は屋上のベンチに並んで腰を下ろした。

 結生の荒い呼吸がようやく落ち着いたのを見届けると、桐井が静かに口を開いた。


「結生、もう気づいているだろう。ここは現実じゃない」


「ああ……なんとなくな。俺の夢の中、みたいなところだろ」


 桐井はゆっくりと足を組み、横目で結生を見る。

「当たっているが微妙に異なる、一般的に言う寝ている時に見る夢とはまた違う」


「じゃあ、何なんだよ」


 桐井はわずかに息を吐き、真っ直ぐ前を見据えた。

「過度な妄想は妄想を加速させる。お前は現実よりも“創り出した世界”を優先するようになってしまった。

 そしてそのまま、深い眠りに落ちていったんだ」


 結生は目を瞬かせる。桐井の声は淡々としているのに、不思議と心に直接響いてきた。


「……眠り?」


「ああ。お前は今、現実では意識を失っている。長期の昏睡だ。

 肉体は衰弱の限界に近く、自分の意志だけではもう目を覚ますことができない。

 そこで外部からのアプローチで、覚醒を試みている」


「外部から……?お前が?」


 桐井は小さく頷いた。

「そうだ。俺は現実側から、お前の脳に直接干渉してここに入り込んでいる。お前を連れ戻すためにな」


 結生は頭を抱え、うんざりしたように息を吐いた。

「俺も妄想が好きだが、お前の設定も相当だぞ」


 桐井は笑わなかった。代わりに、静かに言葉を継ぐ。

「実際そうなんだから仕方がないだろう。

 ただ、普通の人間の夢であれば俺が介入する必要も無いのだが、

 結生の場合はその妄想が大きな問題になる」


 桐井は背もたれに体を預け、夜空を見上げた。

「お前の妄想は人格を生み出し、この世界を徐々に構築してしまっている。

 それが積み重なればここから救い出すのは困難になっていく」


 風が吹き抜けた。

 結生は顔を上げたが、桐井の横顔はどこか遠くを見ているように見える。


「偽物の俺が登場したことで、結生の中の“桐井”が確定してしまった。

 そのせいで、俺が入り込む余地がどんどん狭まっていったんだ」


「……あいつも、俺が作り出した人格ってことか?」


「いや、あれは人格というより――舞台装置に近い存在だな」

 そう言いながら桐井は、軽くベンチをポンポンと叩いてみせた。


「人格はない。ただ“その場に必要だから存在している”だけのものだ。

 お前が作るこの世界が、自然に流れるように整えるための“仕組み”だよ。

 でもな、俺の居場所に偽物の俺が座っていたら、俺は入り込めない。

 結生がそいつを本物だと認識すればするほど、俺は排除されていった」


「……なんか、悪いな」


「気にするな。所詮は偽物だ。なんとかして結生に俺を認知して貰えたおかげで、こうしてまた話せてるんだからな」

 桐井は穏やかに笑ったが、その目にはかすかな疲れが見えた。


 そして一呼吸置いて、言葉を続ける。

「あの柚原愛は想像以上に結生の中で大きな存在になっていたみたいだ。

 少しでも結生の俺への認知が揺らげば、世界はスムーズに流れやすい方へとシフトしてしまい、俺が死んだ世界へと変わってしまった」


「なんか悪い……」


 結生は申し訳なさそうに桐井を見つめた。


「まあ、こうやってまた会えたんだ。そんなに気にするなよ」

 桐井はそう言って、どこか安心したように微笑んだ。


「……それじゃあ、愛って一体なんなんだ?」


 結生の問いに、桐井の表情が静かに引き締まる。


 そして空を仰ぎながら、静かに答えた。


「結生が生み出した“人格”だよ。

 彼女はちゃんと考えるし、喜びも悲しみも感じている。

 現実に肉体がなくても、存在そのものは人間と何も変わらない」


 結生は息を呑む。

 桐井の言葉は淡々としているのに、どこか優しい響きを帯びていた。


「俺はな、意識こそが“人間を人間たらしめる”ものだと思ってる。

 そしてそれは“心”だ。

 人と人が触れ合ったとき、ほんの少しでも動く。その揺らぎが“心”なんだ」


 その言葉が胸の奥で何度も反響した。

 結生は目を閉じ、愛の笑顔、照れた顔、怒った顔……すべての表情を思い出す。

 自然と腕を組み、顎に手を当てながら呟いた。


「……たしかに、愛には感情がある。生きてるって、そう思うよ」


 桐井は黙って頷くと、両手を太腿に当ててゆっくりと立ち上がった。

 夜風が髪を揺らす。

 そして大きく振り返り、結生をまっすぐに見つめる。


「ならデートしろ」

「はぁ?」


 突然の桐井の発言に、結生は口を開けたまま固まった。


「現実に帰るためにはそれしか道はないということだ」

「どういうことだよ、脈絡どうなってるんだ」


 桐井は頭を掻きながら困ったように話す。


「実はな、ここからとても言いにくい話なんだが」

「なんだよ」

「原因の一つは彼女なんだ」

「原因?」


 桐井は頷く。


「生まれた人格には存在理由がある、つまりは目的だ。

 それを叶えてしまえば彼女の存在理由は無くなり、そしてこの世界そのものも存在理由が無くなる。」


「それはつまり、愛の存在を消すってことなのか?」


 桐井は言葉をつまらせて結生に背を向けた。そして力強く答えた。

「そうだ」


 その一言に、結生は思わず立ち上がった。

「ちょっと待て、それはあまりにも酷くないか。俺の身勝手で生み出して、俺の身勝手で殺すのか?

 愛は何も悪くないのに、ただ生まれて消されるってことか?」


「落ち着け」


 桐井はゆっくりと振り返る。その顔は穏やかで、どこか悲しげでもあった。


「なんか勘違いしているだろう。人格は消えても死ぬということでは無い」


「でも、お前さっき言ってただろ。愛には人間と同じ心があるって」


「確かに、意識とはそういうものだ。だが、生み出した結生の中に戻るという解釈が正しい」


「俺の中に戻る?」


「別れていた意識がまた一つに戻るということだ。彼女は死なない」


 桐井は優しく結生の肩を叩いた。

「――ただな」


 急に表情を引き締めた桐井を見て、結生は思わず身構える。

「なんだよ、まだ何かあるのか?」


 桐井は少し考え込むように眉間へ手を当て、そして小さく笑った。

「いや、日も昇り始めた。……とりあえず、場所を変えよう」


 気づけば、東の空が淡い橙色に染まり始めていた。

 夜の名残が少しずつ退き、風が柔らかくなる。

 桐井はゆっくりと歩き出し、屋上の扉に手をかけた。


「あれ……その扉、確か鍵がかかってたはずじゃ……?」


 結生が驚いて言うと、桐井は肩越しに笑みを返した。

「なるほどな。この世界は“スムーズに流れるように”、俺たちに味方し始めたってことだ」


 扉が軋む音とともに、眩しい光が差し込む。

 二人の影が、ゆっくりと階段の先へ伸びていった。

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