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妄想を愛せ  作者: 大山ヒカル


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2/10

それは俺じゃない

 体が重い。

 暗い空間の中で、横たわったままの体をなんとか起こそうとする。

 両手を床につき、ゆっくりと上半身を起こすと、目の前に足があった。


 見上げると、そこには女が立っていた。

 恐ろしいほど冷たい瞳で見つめている。その表情からは感情を伺うことが出来ない。

 女の冷たい瞳を見つめると、自然と口から言葉が漏れる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 そんな縋るような言葉にも女は冷たい瞳で見つめるだけだった。


「ごめんなさい、おかあさん。ごめんなさい」


 それでも女は無表情のまま見つめる。

 気が付くと薄暗かった周囲の闇は、その濃さを増していた。

 そして暗闇はどんどんと迫ってくる。


「ごめんなさい……」


 そう呟いた瞬間、全身を突風が襲った。

 そして一瞬の浮遊感があったかと思うと、体に大きな衝撃を受けた。




「痛たたた……」

 ベッドから転げ落ちた衝撃で結生は目を覚ました。

 胸から落ちたせいか、息が止まるような衝撃が残っている。

 そのおかげか覚醒は早かった。

 胸を擦りながら起き上がると、そのままベッドに腰を下ろした。


「はぁ……」


 無意識にため息が出てしまう。

 どうやら昨日からの脱力感はまだ残ったままのようだ。

 昨日のあの不思議な経験は何だったのかと思い返す。

 それは結生にとってこの上ない幸福な時間であったのは確かだった。

 母親が居て、美少女までもが居た。思い返すだけで少し心が嬉しくなる。


 しかし、現実はあまりにも残酷だった。


 あの現象を生み出したのは、もしかすると現実への絶望そのものではないか。

 人は、耐えきれない現実に晒され続けると、脳が防衛本能として自ら幸福を作り出すのかもしれない。

 そうやって、なんとか心の均衡を保とうとするのだろう。

 結生は、そう考えることでしか自分を納得させる術がなかった。


 ベッドから立ち上がり、窓の外に目をやる。

 そこには、自分の心を映したかのようなどんよりとした曇り空が広がっていた。


 家を出る頃には、空からぽつり、ぽつりと雨が落ち始めていた。




 妄想する気分になどなれず、結生は他の学生たちと同じように無言で登校していた。

 そんな結生の肩を、突然ぽんと叩く手があった。


 振り向くと、そこには曇り空とは対照的な、眩しい笑顔の桐井が立っていた。


「杉田くん、おはよう」

「ああ……おはよう」


 その笑顔の明るさに、一瞬戸惑いながらも挨拶を返す。

 けれど、その沈んだ表情を桐井は見逃さなかった。

 心配そうに、結生の顔を覗き込む。


「大丈夫?具合でも悪い?」

「いや、まあ……」

「無理そうだったら、家まで送ろうか?」


 その言葉に、結生は驚いて言葉を失った。

 あまりにまっすぐな善意に、どう反応していいか分からない。


 固まる結生の様子に、桐井はさらに眉をひそめる。


「本当に大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫だから……学校に急ごうか」

「うん」



 朝のホームルームで、結生にとって一つの朗報が届いた。

 もちろん、それは桐井のためのものだったが、結生にとっても喜ばしい知らせといえた。


 教師が桐井の教科書を用意してくれたおかげで、ようやく一つの教科書を共有する日々から解放されたのだ。

 ほんの小さなことではあったが、今の結生にとっては、それだけでも心が少し軽くなる思いだった。


 普段なら、「これで自由に妄想できる」と喜ぶところだろう。

 けれど今の結生は、ただ沈んだ心を静かに癒やしたいだけだった。


 桐井のことが嫌いなわけではない。

 むしろ、今朝のように自分へ挨拶してくれる人など、これまで一人もいなかった。

 驚きはしたが、それを煩わしいとは感じなかった。


 それでも、一人でいる気楽さのほうが勝っていた。

 だからだろう。

 善意と分かっていても、つい距離を取ってしまうのだ。



「杉田くん、お昼、一緒に食べようよ」


 教室を出ようとした結生を、桐井が笑顔で呼び止めた。


「いや、他の人たちと食べたほうがいいよ」

「え、なんで?」


 純粋な瞳で問い返され、結生は少し言葉に詰まる。


「友達は、多いほうがいいと思うよ」

「だから、一緒に食べようよ」


 どうやら、言いたいことが伝わっていないらしい。

 結生は少し困ったように息を吐いた。


「俺はいつも一人だから。結局、俺で打ち止めってこと」

「……?」

「それに、誰かに誘われてるんだろ? そっちを優先してあげて」

「……うん」


 桐井の返事を聞きながらも、結生は振り向かなかった。

 そのまま教室を出て、足早に屋上へ向かう。

 廊下を歩く足音が、やけに大きく聞こえた気がした。



 いつものようにベンチに寝転がると、先ほどの出来事が頭をよぎった。

 結生の胸の中には、わずかな罪悪感が残っていた。

 それを紛らわすように、独り言をつぶやく。


「きっと、隣の席のよしみで誘ってくれたんだろう。

 俺も仲間に入れて、みんなで食べれば楽しいとか思ったのかもしれない。

 それでも……人には向き不向きがあるんだ」


 ――集団の中の孤独よりも、一人で感じる孤独のほうがマシ。

 確か著名な人類学者の言葉だっけ?


 そんなことを思い出しながら、結生はゆっくりと目を閉じた。


 瞼の上から、太陽の光がじんわりと差し込む。

 その光がふと遮られた瞬間、違和感に気づく。


 顔の上に影が落ちている。

 誰かが、自分の真上に立っている。


 目を開こうとした、そのときだった。


 影を作っていた人物が、結生の名前を呼んだ。


「ちょっと、結生ぃ〜!」

「うわっ!」


 突然の声に驚いて上半身を起こした瞬間、ゴツンと何かがぶつかった。


「いっててて……」

「いたた……!」


 どうやら、相手と頭が思い切りぶつかったらしい。

 お互いに額を押さえながら、反射的に睨み合う。


「いきなり危ないじゃないの!」

「それはこっちのセリフだ!」


 愛は涙目でおでこを擦りながら、抗議の声を上げた。

「頭突きすることないじゃない……うぅ……」

「お前が急に驚かせたからだろ」

「もう……せっかくお弁当届けてあげたのに」


「弁当?」


 ふてくされた顔のまま、愛は弁当の包みを突き出した。

 片手はまだおでこを押さえたまま。相当痛かったようだ。


「はい、お弁当」


 包みを受け取ると、ほんのり温かい。

 中の湯気がまだ残っているように感じる。


「結生が忘れたから、おばさんが学校まで届けてくれたんだよ」

「まじで?」

「まじで」


 そのやり取りのあと、結生は思わず頭をかいた。

「……悪いことしたな」


 愛は結生の隣に、ちょこんと腰を下ろした。

 その姿を見た結生は、彼女が手ぶらであることに気づく。


「愛の弁当は?」

「そこに一緒に入ってるって言ってたよ」

「なんだ、愛も忘れたんじゃないか」

「しょうがないでしょ」

「なら、一緒に食べるか」


 結生は弁当の包みを開き、ふと空を見上げた。


 ――空が高い。

 この心地よさと温かい弁当、最高の昼休みだな。


 結生は弁当を一口頬張る、その美味しさに笑みが溢れた。

 だが、その笑みは一瞬で凍りついた。


 ――いや、俺はいま妄想していないぞ。


 結生は立ち上がり、慌てて辺りを見回した。


「どういうことだ……なんだこれは?またか?」


 焦る結生に気づき、愛が立ち上がる。

 心配そうに近づきながら、首を傾げた。


「どうしたの、結生?」


 結生は目の前の愛をじっと見つめる。

 彼女もまた、不思議そうに結生の目を見返していた。


「お前……いったい……」


 ゆっくりと歩み寄り、結生は愛の頬に触れた。


 ――感触がある。温かい。これは……生きている人間の体温だ。


 不意に頬へ触れられた愛は、驚きつつも顔を赤らめた。


「ちょ、ちょっと……急に何なの、結生……」


 結生は手を離し、落ち着かない様子で屋上を歩き回る。

 何度も空を見上げ、呟いた。


「……これは、現実なのか?」


 そして、ふと立ち止まる。

 空を見つめる彼の瞳に、ある違和感が映った。


「……いや、どういうことだ。なんで雨が降ってない……?」


 今朝から降り続いていたはずの雨は、いつの間にか止んでいた。

 見上げた空には雲ひとつなく、青がどこまでも広がっている。


 確認するように足元へ視線を落とす。


「……濡れた跡もない」


 結生は駆け出し、屋上の端まで走ると、身を乗り出して下を覗いた。

 校舎の中からは、いつも通りの生徒たちの声が聞こえてくる。


「どうなってる……?これは、本当に現実なのか……」


 呆然と立ち尽くす結生。

 それを見ていた愛の表情には恐怖の色が浮かぶ。


「ねえ、結生……本当に大丈夫なの?」


 愛の声を無視して、結生は屋上の扉へと駆けだした。

 その走っている感覚が、これは現実なのだと結生に理解させる。

 その理解はすぐに恐怖となって結生を襲った。

 

 扉を開こうとドアノブも回すが、扉は動かずビクリともしない。

 押しても、引いても扉は微動だにしなかった。


「おい、なんだよこれ……どうなってるんだよ……!」


 パニックに駆られた結生は、全身の力を込めて扉に体当たりした。

 しかし、扉は開く素振りもない。代わりに肩に鈍痛が広がった。

 その痛みが現実感を増していく。


「痛てぇよ……なんだよ、これ……」


 結生はその場に崩れ落ち、扉の前でへたり込んだ。

 そんな彼のもとへ、愛が心配そうに歩み寄る。


「結生……大丈夫?」


 結生は涙をこらえるように顔を上げ、愛を見上げた。

 その瞳には混乱と恐怖が入り混じっていた。


「俺を元に戻せよ!」


 声が震え、叫びが空気を震わせる。


「何言ってるの?どうしたの、結生……」


 愛の戸惑いを無視して、結生は扉に拳を叩きつけた。

 乾いた音が屋上に響く。


「クソ!どうなってるんだっ!」


 その叫びが途切れた瞬間、空気が変わった。

 静寂を切り裂くように、どこからか声が響く。


「――その疑問、俺が答えてやろう!」


 結生には聞き覚えのある声だった。

 音の方向をたどるように、ゆっくりと顔を上げる。


 出入り口の屋根の上。

 そこに一人の男が立っていた。


 逆光に照らされ、表情は影に沈んでいる。

 だが、その声だけは間違いなく覚えていた。


「……お前……なんで……?」


 そこには、両手を腰に当てて笑顔で結生を見下ろしている桐井がいた。

 彼は晴れ渡った空を背に、まるで舞台にでも立つような堂々とした姿勢で言った。


「――とうっ!」


 今にも飛び降りそうな掛け声だったが、桐井は慎重に、備え付けられた梯子をゆっくりと降りてきた。

 足が地面に着くと、ズボンの汚れを払いながら結生に歩み寄る。


「よう、結生」

「桐井……?」

「そうだ、俺だ。待たせたな!」


 結生はただ茫然と桐井を見つめることしかできなかった。

 そんな混乱する結生に向かって桐井は話し始めた。


「なあ結生。

 自分の妄想なのに、自分で制御できなくなる――そんなこと、あると思うか?」


「ちょっと待て、なんで桐井が……」


 結生の言葉を遮るように、桐井は続ける。


「人間誰しも夢を思い描いて、妄想した経験があるものだ。

 だけどこの状況はどうだ?何もかもが独り歩きして言うことも聞きやしない」


「あ、ああ……」


 結生は混乱したまま、かろうじて相槌を打つ。


 桐井は一歩、結生の方へ踏み出した。


「なあ結生。これは……現実だと思うか?」


「……分からない」


 俯いたままの結生の後ろから、そっと愛が手を伸ばした。

 怯えながらも、縋るように彼の手を両手で包み込む。


「……結生?」


 その声には震えが混じっていた。

 きっと、この状況が理解できていないのだろう。

 助けを求めるように見上げるが、結生の目にも同じ困惑が宿っていた。


 そんな見つめ合う二人の間に、突き刺すような声が響く。


「ならば一つ、真実から言おう」

 桐井の不自然なほど落ち着いた声。

 そして演説が始まる。


「この俺は、杉田結生の親友であり――相棒である」


「……は?」


 結生が思わず顔を上げる。


 桐井はゆっくりと笑い、続けた。


「結生は昔から妄想をすると現実に戻れなくなることが多々あった。

 その度に俺は結生を現実へと連れ戻していた。俺にはその能力があるんだ」


「何言ってんだよ……」

 結生は眉をひそめて、桐井を見据える。

「お前と知り合ったのは、つい最近のはずだが」


 結生の言葉に、桐井はニヤリと笑みを浮かべる。

「それなっ!」

 そして指先を結生に突きつけた。

「そのせいで今回は遅れてしまったというわけだ!」

 ポーズを決めた桐井に結生は首を傾げる。


「今回の妄想はかなり手こずった。何故なら、もう一人の俺が現れてしまったからな」

 

「……もう一人の、桐井?」


「そう、結生が創ったもう一人の俺。

 あの転校生の桐井だよ。なんだあの爽やかで気持ち悪い俺は、勘弁してくれよ」


「いや、そう言われても」


 結生が困惑していると、桐井は小さく笑い、視線を横へ向けた。


「そうだったな。これは制御不能の妄想世界だったな。そして――」


 桐井は愛を指差した。


「彼女もまた、妄想世界の住人だということだ」


 結生はゆっくりと振り向いた。

 握った手のぬくもりを感じる。

 確かに、そこに“生きた人間”がいる。

 これが現実じゃないとは到底思えなかった。


「いや、目の前にこうやって生きているのに……」


 結生はそのまま、手を握ったまま愛を見つめ続けた。

 愛もまた、不安そうにしながらも彼を見返す。

 少しの沈黙の後、愛は勇気を出して疑問を口に出した。


「ねえ、結生…」

「うん?」

「さっきから独り言をずっと呟いてるけど。大丈夫?」


「え……?」


 愛の言葉に振り返ると、そこにいたはずの桐井の姿がなかった。


「桐井?」


 そう呼びかける結生の声に重なるように、どこかから同じ声が響いた。

 『桐井?』――それは確かに女性の声だった。


 風が吹く。

 屋上のフェンスがかすかに鳴り、結生は周囲を見回した。

 だが、どこにも桐井の姿はない。


 胸の奥がざわつく。

 呼吸が浅くなり、鼓動の音だけがやけに大きく響いていた。


 そのとき、背後からそっと腕が回された。

 柔らかな体温が背中を包む。


「……結生」


 愛だった。

 彼女は怯えたように、それでも優しく結生を抱きしめる。

 そして背中越しに、幼い子をあやすような声で語りかけた。


「大丈夫だよ、結生。私がここにいるから……」


 その声はかすかに震えていた。

 愛は抱きしめる腕に力をこめ、泣き出しそうな声で言葉を継いだ。


「おばさんから聞いてるから。私がそばにいるからね」


「……母さんから?」


「うん。桐井くんが事故に遭ってから、結生がショックで塞ぎ込んでたって」


「桐井が……?」


「私は桐井くんの代わりにはなれないと思う。

 でもね、ずっと側にいるから」


 愛の体温が、結生の背中からゆっくりと伝わってくる。

 それは単なるぬくもりではなく、心そのものが包まれるような感覚だった。

 優しく、あたたかく、それでいてどこか遠い――そんな安らぎ。


 その感覚が、結生の意識を少しずつ鈍らせていく。


 ――桐井が事故に遭った。

 俺は、その事実を受け入れられずに……桐井の幻を創り出してしまったのか。


「結生、もう戻ろう」


 愛は結生の手を握り、屋上の扉を開けた。

 結生はその手に導かれるように歩き出す。

 頭の中は靄がかかったようにぼんやりとしていて、

 感じ取れるのは、ただ手の温もりだけだった。


 教室へ戻るまで、愛は結生の歩調に合わせながら、

 壊れものを扱うように優しくリードしてくれた。


 席に着くと、愛は隣の席に腰を下ろした。

 その瞬間、ようやく結生の意識が少しずつ戻ってくる。

 まだ握られたままの手に気づき、彼女に微笑みかけた。


「もう大丈夫だ、ありがとう……」


 結生は、まだ繋がれたままの手を見つめた。

 そのぬくもりを確かめるように指を動かしながら、

 これが本当に現実なのだと自分に言い聞かせようとする。


 ふと顔を上げ、隣の愛を見た。

 頭の中にかかっていた靄を振り払うように、

 口が自然に動く。


「なあ、ちょっと訊いてもいいかな」


「ふっふ〜ん、なに?」


 愛は机の上に腕を組み、そこに頬を乗せて結生を見上げた。

 笑みを浮かべたまま、どこか嬉しそうに首をかしげる。


「愛は……なんで俺の家に引っ越してきたんだ?」


「ええーっ!」


 突然の質問に、愛は勢いよく上体を起こした。

 机に手をついて、頬をぷくっと膨らませる。


「いまさらそんなこと訊くの?」


 結生の質問に、愛は一瞬目を瞬かせた。

 組んでいた腕をほどき、上体を起こすと、頬をぷくっと膨らませて言う。


「今さらそんな質問するのー?」


「なんだか最近、ぼーっとしててな。教えてくれないか」


 苦笑する結生に、愛は「しょうがないなあ」というように微笑んだ。

「それはね、まず私の両親が海外に転勤することになったのがはじまりなんだ」

 そして人差し指を立てて得意げに話しはじめた。


「でも私、どうしても海外には行きたくなかったの。

 ここでの生活を続けたいって頼み込んだんだけど、

 娘を一人日本に残すなんて絶対に無理だって言われちゃってね。

 それで――お父さんとお母さんの親友だった、結生のお母さんに白羽の矢が刺さったんだよ」


「……なるほど。母さんを刺さないでくれ」


 軽くツッコミながらも、結生はどこか引っかかるものを感じていた。

 愛の説明がよくある安易な設定のように思える。


「一人で残りたいほど、海外が嫌だったのか?」


「違うよ」


 愛はふっと微笑むと、柔らかい声で続けた。


「私には夢があるの。ここじゃないと、それは叶えられないんだ」


「夢?」


「そう、夢。……でも、それは結生には教えられないけどね」


「そうなんだ」


 いろいろと考えようとするものの、結生の頭の靄は一向に晴れなかった。

 その様子に気づかないのか、愛はニヤリと笑うと、身を乗り出して顔を近づけてくる。


「あれあれ?もしかして知りたいのかな?でもダメだよ、結生には言えない。

 だって恥ずかしいし……私からっていうのもアリだけど、でもやっぱり結生から言ってほしいなぁ。

 そうしたら、もう嬉しすぎて泣いちゃうかもしれない。いや、絶対泣く。泣く自信あるかも」


 愛は一人でテンションを上げ、頬を赤らめながらくるくると表情を変える。

 その様子を、結生はただ無言で見つめていた。


 愛の明るい声が教室に響く中、結生の思考だけがどこか遠くへ離れていく。

 よくある安易な設定、既視感。そんな言葉が浮かんでもモヤが消えることはない。


 目の前の()()が現実感を薄れさせるような奇妙な感覚だった。

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