深紅の女王
人々は口を揃えてソフィアのことをこう呼んだ——「深紅の女王」と。
ネオンが霧に滲み、暗闇に彩りを落とす。途絶えることのない人の波と欲望が渦巻く街、ヴェルミリオン。
夜の街と聞けば、知らぬ者はいないだろう。
この場所は男たちの薬園であり、女たちの憧れの地である。
その中でも異彩を放つ場所がある。
どの芸術作品にも劣らぬ堂々たる佇まいで、怪しさと美しさを纏うその場所――それがヴェルミリオン随一の名を誇る「Nocturne」。
そして、その最高峰に君臨するのが、深紅の女王、ソフィアである。
暗がりの中に灯る無数のシャンデリアの光は、まるで星々のささやきのように空間を満たす。
ベルベットのカーテンが揺れ、香水と煙草の甘く重い香りが混ざり合う空気。
そこに足を踏み入れた瞬間、誰もが日常の重力から解き放たれ、夢と現の狭間へと誘われる。
ソフィアはその舞台の中央に立ち、ゆるやかに体を揺らす。
彼女の動きは音楽に溶け込み、光の波となって観客を包み込んでいく。
目を閉じると、彼女の呼吸と心拍がまるでこの夜の鼓動そのもののように感じられた。
「深紅の女王」という名にふさわしい、妖艶さと威厳が共存するその姿は、誰もが抗えぬ魔力に満ちていた。
スポットライトを浴びた彼女の姿に、群衆は息を呑んだ。
歓声と拍手は一体となり、胸の奥から湧き上がる熱に震えた。
「わたしも彼女の様になりたいわ」
「彼女はただの人間じゃない――この街の甘い毒を孕んだ、夜そのものだ」
誰もが彼女に魅せられ、そして、堕ちていく。
まるでこの街が、彼女を通して息づいているかのように。
皆が甘美な陶酔と夜の残響に身を委ねていた。
彼女の美は、人の劣情を映す鏡にして、同じ舞台に立つ女たちには、抗い難き悦びと痛みの象徴であった。
その光に触れれば触れるほど、胸の底に沈む嫉妬や焦燥が、毒のように静かに滲み出す。
甘い酒のごとくそれは胸を灼き、彼女の完璧は、まるで夜の月のように、他を寄せつけぬ孤高さを帯びていた。
それでも、誰ひとりとして、その月から目を逸らすことはできなかった。
常に彼女の周囲には、羨望も憎悪も慕情も――あらゆる欲念が、静かに渦巻いていた。
シャンデリアの光が揺れる花園。女たちのささやきや吐息が絡み合い、嫉妬と軽蔑、虚栄と陰湿な競争心が、静かに、しかし蠢くように充満していた。誰もが己の劣情を忘れられず、誰かを貶めることでしか心の安寧を得られないように見えた。
舞台を降り、暗い廊下を、ソフィアはひとり歩く。それでもなお、深紅の女王は輝き続ける。
カツ、カツ、とヒールの音だけが、夜の静寂をかすかに裂いてゆく。
扉を開けると、甘い香水とタバコの煙が混ざった空気が迎え入れた。中には、すでに舞台を終えた女たちが数人、鏡の前で化粧を直したり、煙草を燻らせたりしている。
女たちの視線は、蠢く嫉妬と羨望をそのまま映す鏡のように、ソフィアを追い詰める。ささやきは毒のように耳を刺し、吐息のひとつひとつが胸に重くのしかかる。虚栄と皮肉、競争心と焦燥――あらゆる劣情が静かに、しかし確実に空気を満たし、互いの胸を灼いていた。
それでもソフィアは微笑みを崩さず、冷ややかな光をたたえた瞳で女たちの小さな蠢きごときに動じることなく、鏡台へと歩みを進める。椅子に腰を下ろし、背もたれにゆっくりと体を預ける。鏡の中の自分は、舞台の上と変わらぬ微笑みを浮かべていた――その完璧さは、女たちの嫉妬を一層濃く、夜のように深い影に沈めるだけだった。
鏡の中のそれが“ソフィア”なのか、深紅の女王”なのか、もはや自分でも分からない。




