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軍艦モノ

護衛駆逐艦計画、却下される

作者: 仲村千夏

 一月五日、霞ヶ浦は透き通るような青空だった。

 東京湾を抜けた北風が、横須賀の街と軍港に鋭く吹き付ける。


 ――戦争は、勝ち続けている。


 南方作戦は順調に進み、英軍は香港を失い、米軍もフィリピンでの抵抗に苦しんでいた。新聞の見出しは「神州無敵」「皇軍快進撃」の言葉で溢れ、国民は正月気分もそのままに、新年の戦勝ムードに酔いしれていた。


 そんな浮かれた空気の中、横須賀海軍工廠の技術部屋にて、一人の男が資料をまとめていた。


「……また却下されるかもしれんな」


 海軍技術本部所属・大佐、峯村達郎。艦政本部出身の造船技術者である。彼がこの数日取り組んでいたのは、**「対潜水艦用の新型護衛駆逐艦」**の設計と、その導入提案だった。


 図面は簡素で、構造は直線的。兵装は主砲1門、爆雷投射機と聴音機、短距離レーダーのみ。速度は28ノットと、駆逐艦にしては遅い。だがそのぶん、建造は簡単で、燃料消費も少ない。限られた資源と造船能力の中で、必要最低限を守る船――。


 この艦こそ、護衛戦に特化した駆逐艦だった。


「派手さはないが、こういう船こそ必要なんだ」


 彼の視線の先にあるのは、先月末の輸送船被害報告だった。南シナ海で船団が米潜水艦の攻撃を受け、陸兵を乗せた輸送船が三隻沈没。護衛艦は駆逐艦一隻のみで、爆雷も尽き、手が出なかった。


「このままでは、兵も弾も届かん」


 戦いは勝っている。しかし、兵站は綱渡りだ。派手な勝利の陰で、無数の輸送船が沈んでいる。その損耗は、戦局を数ヶ月後から静かに蝕んでゆく。


 峯村は、その未来を恐れていた。


 そして今日、ついにその設計案を海軍省軍務局に提出する日が来た。



「――うん。面白い資料ではあるね」


 軍務局局付の将官、宮田少将が軽く頷く。彼もまた現場出身の人間で、峯村とは旧知の仲だった。


「現場の声としては、非常に理解できる。特に船団護衛の不足は、我々も把握している。しかしな……今は戦争の初期段階だ。主力艦の整備と空母の増勢が最優先だ」


「その空母や戦艦に、弾薬を届ける輸送船が沈んでいるのです」


「わかっている。しかし、予算にもドックにも限りがある。我々は今、短期決戦を前提にして動いているのだ。こんな護衛艦を優先するとなると、他にしわ寄せがくる。何より……」


 宮田はふっと視線を逸らした。


「世論が求めていない。今は勝っているんだ。国民は大艦巨砲、空母の連戦連勝に酔っている。今ここで、『地味な護衛艦を作ります』といっても、誰も耳を貸さない」


「戦争は、見栄えで勝つものではありません。勝ち続けるために、現場の補給を維持しなければ――」


「わかっている! ……が、政治もまた作戦の一部だ。君の案は現実的だ。しかし、それは……今ではない」


 宮田の声音が、どこか痛みを含んでいた。


 峯村は、その言葉を飲み込みながら頭を下げた。


「失礼いたしました。資料は、預けておきます」


 書類を渡し、部屋を出る。廊下には、正月飾りの名残がまだ吊るされていた。



 その夜、峯村は一杯の燗酒を手にしていた。宿舎の窓からは、軍港が静かに見渡せる。


 遠くに、出撃準備中の空母「翔鶴」のシルエットが見えた。整然とした格納庫の灯が、夜霧の中に浮かんでいる。


「……あれが、戦局を支える主力か」


 その空母に、物資と兵を届けるのが誰なのか。誰が南の海で沈んでいるのか。峯村は知っている。


 彼の護衛駆逐艦は、まだ図面の中にある。机の中に仕舞われ、誰にも知られず、やがて忘れ去られていくかもしれない。


 だが、彼はあきらめなかった。


「戦争は、これからだ。勝っている今だからこそ、備えねばならん」


 そうつぶやき、もう一度、燗酒を喉に流し込んだ。苦く、重い味がした。



 その半年後、ミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻を喪失する。

 それから後、日本は敗戦まで輸送船の損耗に苦しみ続けることになる。


 峯村の護衛駆逐艦計画が正式採用されたのは、1943年の春――。


 だが、それはあまりに遅すぎた。

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