第72話【柔らかな陽光、紡がれる縁】
正午を少し回った頃。昼食を終え、私は華弦の部屋で彼と二人きりで午後の穏やかな一時を過ごしていた。メイドのダリアが淹れてくれた温かい紅茶の入ったティーカップを両手で包み込む。ダリアは紅茶を淹れ終えると、すぐに気を利かせて部屋を辞去してくれていた。窓から差し込む柔らかな陽光が部屋全体を金色に染め上げ、夢見心地な雰囲気を醸し出している。華弦の部屋には今回初めて入ったわけだが、華やかながらも落ち着いた色合いの調度品で統一されていた。高い天井から吊り下げられたシャンデリアがキラキラと光を反射し、壁には繊細な植物画が飾られている。アールグレイの香りがふわりと広がり、私の心を穏やかに解きほぐしていく。
「うぅ…壱月の淹れてくれた紅茶も格別だけど、やっぱりダリアの紅茶も負けてないね。特訓の疲れがじんわり癒される気がするよ〜…!」
私は大きく息を吐きながらカップの縁越しに華弦を見上げた。厳しい特訓で凝り固まった身体はまだ鉛の様に重かったけれど、この温かい紅茶と華弦と穏やかな時間を過ごしていると不思議と心が軽くなる。
「ハハッ、ダリアちゃんの紅茶美味しいよね〜♪僕はいつも彼女にお茶の用意をお願いしてるんだ。それよりも…羽闇ちゃん、無理はしていないかい?楽夢音ちゃんの特訓はさぞかし厳しいだろうからね。」
華弦は繊細な花の絵柄が施されたティーカップをゆっくりと持ち上げ、優雅な仕草で紅茶を一口飲む。その白い指がカップの持ち手をそっと包み込み、その動きの一つ一つが洗練されていてつい見惚れてしまう。
「うん、大丈夫。まだ身体はちょっと重いけど、でも確実に自分の歌にキレが増してきたのが分かるんだ。」
そう答えると、華弦は優しい眼差しで私を見つめた。その瞳には私の成長を見守っている様な温かさがあった。
「へぇ、それは素晴らしい事だね♪羽闇ちゃんの努力がきちんと実を結んでいる証拠だ。」
努力を認められた事が何よりも嬉しくて、私は少し照れくさくなった。すると、ふと朝の出来事を思い出した私は少しばかり緊張しながらも話を切り出した。
「そういえばさ、華弦。今朝の事なんだけど、一葉さんが部屋に来てくれたんだ。」
「おやおや、それは珍しいね。一葉君が羽闇ちゃんの部屋に自ら足を運ぶなんて。何か用事があったのかい?」
彼はいつもの様に楽しそうな笑みを浮かべている。その楽しげな声は、私の胸のざわつきを鎮めてくれる様に感じられた。
「実はこの前デートを約束してたんだけど。それが来週に決まったんだ。」
「それは朗報だね、羽闇ちゃん。まぁ確かに殆どの婚約者候補とのデートが終わった今、そろそろ一葉君の番がくると思ってはいたけど。…んで、他にも詳しい事は決まったのかい?」
華弦の問い掛けに、私は少しだけ高揚した気持ちを抑えきれずに答えた。
「来週の土曜日の午前十時だって。だけど、場所までは教えて貰えなかったのよ。当日のお楽しみって言われちゃって…」
私は少しだけ頬を膨らませてみせた。別に怒っているわけではない。只、少しだけ困惑していたのだ。どんな服装で行けばいいのかも何を持っていけばいいのかも分からず、『普段通りで充分』としか言われなかった為、正直どうしたらいいか分からなかった。
すると、華弦は面白そうにクスクスと笑った。
「アハハ!彼らしいねぇ♪…一葉君は昔からそういうサプライズみたいな事をするのが好きなんだ。だからそんなに気にしなくてもいいんだよ、羽闇ちゃん。」
「そうなの?華弦は一葉さんの事よく知ってるんだね。昔からの知り合いとか?」
「まぁね♪昔から親しくして貰っているよ、僕が一番心を許せる相手かもしれないな。」
「そうなんだ。うーん…私だけかもしれないけど、一葉さんっていつも謎めいた雰囲気で何を考えてるか正直よく分からない人だなって思うんだよね。」
私の正直な感想に華弦はカップをソーサーに戻しながら、小さく肩をすくめた。その仕草には何処か納得している、あるいは懐かしい様な感情が滲んでいた。
「…君がそう感じるのも無理はないかな、何せ僕も最初はそう思っていたからね。彼の言葉の裏にはいつも何か隠された意味がある様に感じていたよ。だけど、時間を掛けて色々と話していくうちに彼がどれだけ繊細で心優しい人かを知ったんだ。僕はこう見えても人を見抜くのは得意でね♪」
私は少し驚いた。まさか華弦も最初は私と同じ印象を彼に抱いていたとは。それは、私の思っていた一葉さんに対する印象が決して的外れなものではない事を示している様だった。そして同時に、華弦がそこから一葉さんの本当の顔を知るに至った過程にふと興味が湧いた。
彼の口から語られる一葉さんの別の顔は、私にとって全くの予想外だったからだ。
「二人が親しげなのは知っていたけど、まさかそこまで深い繋がりがあったなんて…。」
華弦はカップをソーサーに置くと、少しだけ身を乗り出す。すると、優しい笑みを浮かべたまま語り始めた。
「藤鷹家と一葉家は、遥か昔からの付き合いなんだ。血筋で受け継がれてきた特殊な能力を持つ…つまり『能力者の一族』として、互いにその存在を認め合ってきたんだよ。」
「能力者の一族…?」
聞き慣れない言葉に思わず呟いた。私の知らなかった世界が今、目の前に広がっていく。
「前にも話したと思うけど、僕の持っている『華の力』も藤鷹家に代々伝わる特殊な能力の一つなんだ。ほっしーの『星の力』もまた、星宮家に代々伝わる能力だ。そして、一葉家も類稀なる能力を持つ一族なんだよ。僕達二人はそれぞれの一族の最も力ある者として、幼い頃から顔を合わせる機会が多くてね。家と家の繋がりの中で自然と互いを知り、いつの間にかこうして仲良くなったんだ。因みに、ほまりんやみこ君も能力者の一族の一人だよ♪」
「えっ、そうなの!?」
私を巡る婚約者候補達は只の有力者であるだけでなく、それぞれが特殊な能力を持つ一族の一員だった。その事実に、私は驚きと同時に月姫としての自分の立場が如何に特別であるかを改めて痛感した。
「じゃあ、月光家と藤鷹家も昔からの仲なの…?」
私の問いに華弦は誇らしげな表情でこくりと頷いた。
「勿論さ。というか、月光家は特殊能力を使う一族の中でもずば抜けて強い力を宿す『月姫』という存在が生まれ出る事で高い地位を誇る。言ってみれば、トップ中のトップ。他の一族より力無き者はかなり多いみたいだけど、それでも束になっても敵わない位の絶大な力を秘めているのが月姫。つまり君なんだよ、羽闇ちゃん♪」
「わ、私…!?」
その言葉に私はおどけながら息を呑む。私が持つ力が凄い事は戦いや特訓を経て感じていたけれど、『トップ中のトップ』とまで言われるとは。私の知らないところで月光家がどれ程の存在感を放ってきたのか、その片鱗を垣間見た気がした。