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第62話【平和な日常?目覚めた悪戯心①-無邪気な策略-】

ディナーデートの襲撃から、もう三日が経っていた。

あの日、デートの終わりを告げるかの様に突如現れた敵。華弦が私を守るために傷つき、瀕死の状態に陥った事。そして九死に一生を得て、今は静かに彼の回復を待っている。

それらの出来事はまるで現実感がなく、再び壮大な物語を見せられたかの様だった。それでも、全身に巻かれた華弦の包帯や時折胸の奥でチクリと痛む感謝とほんの少しの罪悪感こそが、()()()()なのだと思い知らせる。しかし、時間はどんな劇的な出来事があってもその歩みを止めたりはしない。私の生活も強制的に、けれど緩やかにいつものレールの上に戻りつつあった。朝になれば目が覚め、学校へ行き、授業を受け、学校から帰宅して月姫としての特訓を受ける。そして夜になれば、このだだっ広い一室で眠りにつく。

最初の頃は月姫の特訓の全てが目新しく、自分の身体がこんな風に動くのか、こんな力が出せるのかと驚きの連続だった。けれど数週間も経てば、それも日常の一部となり、身体も少しずつ慣れてきた。

今も尚、特訓の講師を続けている有栖川さんは優しく、けれど厳しく私を指導してくれている。

今回の襲撃の知らせを聞いた彼女は険しい顔で私を呼び止め、「大丈夫だったの!?怪我はない!?」と、それはもう心配してくれた。その姿に改めて私がどれだけ危ない目に遭ったのかを突きつけられた気がしたが、「はい、私は全然大丈夫です!」と、明るく応える事しか出来なかった。

華弦はというと…本当に驚異的な回復力だった。あれだけの怪我を負ったのに、二日も経てば随分と自分で動けるようになったらしい。華弦曰く、「羽闇ちゃんの愛のパワー♪」なんて言っていたけど…。今はまだ安静にと月光家お抱えの医師が厳しく言いつけているので自室にて療養しているとの事だが、時折聞こえてくる彼の明るい声やちょっとした冗談を聞くと、心底安心する。

月光邸に迎え入れられてから、色々な事があまりにも凝縮された日々だった。張り詰めた緊張と一瞬訪れる安堵を繰り返す。命の危険を感じ、そして誰かの優しさに救われる…。ジェットコースターの様な感情の起伏に、私の心は正直疲弊していた。

全ての予定を終え、私はそんな漠然とした思いを抱えながら月光邸の長い廊下を歩いていた。磨き上げられた床は光を反射し、壁には高価そうな絵画が飾られている。静かで広々とした空間。この広大な屋敷の何処かにきっと私の知らない、心を揺さぶる様な、あるいは単純に私をわくわくさせる出来事が、誰にも気付かれずにひっそりと息づいているに違いない。そんな事を考えながら何気なく角を曲がった、その時だった。

視界の隅に鮮やかな青色が飛び込んできた。廊下の壁際にぽつんと置かれた青いバケツ。底の方に僅かに水が溜まっているのが見える。周りには誰もいない。恐らく清掃中の使用人が一時的に此処に置いたまま他の場所の掃除に行ってしまい、うっかり忘れてしまったのだろう。

そのバケツを見た瞬間―私の心臓がドクン!と大きく跳ねた。まるで長い眠りから目覚めたかの様に、血が全身を駆け巡る。忘れかけていた…でも心の奥に大切に仕舞い込んでいた懐かしくて、甘くて、刺激的な感覚がじわじわと胸いっぱいに広がっていく。


「(……この感じ、久しぶりだなあ…!)」


記憶の底に沈んでいた、幼い頃の光景が鮮やかに蘇る。そうだ、私は…。

ここ最近…私はずっと『月姫になる女の子』として、気を張って過ごしてきた。新しい環境に慣れる事、月姫としての責任、次々と起こる予想外の出来事。沢山の新しい情報や感情に圧倒されて、自分の本来の姿を無意識のうちに奥深くに封じ込めていたのかもしれない。

――私は、昔からかなりの()()()()だったのだ。

周囲をびっくりさせたり、困らせたりするのが大好きでそれはもう色々な悪戯を仕掛けてきた。特に私の兄代わりとして、いつも私の事を気に掛けてくれていた青空にぃには散々悪戯を仕掛けてはその度に叱られていたっけ。


『こら、羽闇!またお兄ちゃんに絵の具を塗りたくったのか!』


『ふっふーん♪だって、青空にぃの寝顔が面白かったんだもーん!きゃはは!』


『全く、お前までこんなに汚れて…!分かったから、ほら…コレに着替えてこい。もう!』


青空にぃの呆れている様で何処か嬉しそうな顔を思い出す。彼の優しさが、幼い私には当たり前だった。

そんな悪戯好きだった()()()()を、すっかり忘れてしまっていたなんて。

目の前に佇む青いバケツが只の清掃道具ではなく、私の中の『悪戯好きだった私』を呼び覚ますスイッチのように見えた。それが「さあ、思い出してごらん。自分は本当はこうだっただろう?退屈なんてしてる場合じゃないぞ?」と、私の奥に眠っていた悪戯心に囁きかけている様に感じられた。ニヤリと自分でもわかる位、悪い顔で口角が上がっていく。指先が僅かに震えるのは恐怖ではない、純粋な抑えきれない高揚感からだ。

そう、これだ…!この、誰かをちょっとだけびっくりさせる予測不可能な面白さ。私の悪戯心がマグマの様に熱く、ふつふつと音を立てて疼き出した。


「(えへへっ!せっかくだし、良い意味でこの退屈な日常にちょっとしたスパイスを加えてみようかな…♪)」


この静かでひとときの平和が訪れた月光邸という舞台を使って、サプライズを仕掛けてみよう!

どんな悪戯にしようかな?あのバケツを放置していたうっかりさんの使用人はどんな顔をするだろう?いつも冷静で無表情な壱月はどんな反応をするかな?明るく元気なダリアは、思いっきり騒いでくれるだろうか?

あれこれ想像しているだけで胸が高鳴り、心が躍り出す。日常という名の少し色褪せて見えていた平和な画布に、刺激的で鮮やかな色の絵の具を思いっきり、大胆に垂らす様な。

そんな私にしか出来ない、とびきりの悪戯を仕掛けよう。


「よーし!そうと決まれば、早速準備に取り掛からなきゃ!」


廊下の隅に佇む青いバケツを見つめながら、私は密かに、楽しげに、様々な悪戯を企み始めたのだった。そして今―私の心は久々に自分らしさを取り戻した様な、自由で、危険な香りのする喜びに満たされていた。

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