表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の婚約者〜私の運命の相手は誰?〜  作者: 紫桜みなと
4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/96

第60話【乖離する真実-藤鷹華弦Side-】

ドアが静かに閉まる音が、医務室の空気に吸い込まれていった。少しだけ寂しそうに「また明日も来るから」と言った羽闇ちゃんの声がまだ耳に残っている。ついさっきまで、現実の重さなんて一瞬だけ忘れさせてくれる様な軽くて甘い時間が流れていた。さっきまで彼女をからかっていたのが嘘みたいにすとん、と急に現実の冷たさが戻ってくる。

今この部屋には僕と一葉君だけが残されている。再び訪れた静寂の中、白い天井を見上げながら小さく息を吐いた。

彼女の気配が完全に消えた瞬間、またあの『定め』と『運命』が心臓にへばりついてくるのを感じた。全身に巻かれた包帯が、あの夜の激しい痛みと彼女を守る為に負った傷の重さを嫌という程に教えてくる。

ベッドの傍らでは、一葉君が静かに腰掛けている。彼の纏う空気は変わらず清澄で、微かに漂う消毒液の匂いとは異質だ。彼が羽闇ちゃんに席を外して欲しいと促した時、『大事な話』があると言っていた。きっと、今からそれが始まるのだろう。


「…とまぁ、こうして羽闇嬢には席を外して頂いたわけですが。」


一葉君が穏やかな声で口を開く。彼の瞳にはいつもの冷静な光が宿っているけれど、今は何処か奥底に鋭さが潜んでいるのが分かった。


「うん。羽闇ちゃんに聞かせられない『大事な話』があるってね♪…んで、どうしたの?」


努めて口角を上げたまま、声のトーンを明るく保った。だが、張り詰めた糸の様な緊張が僕の内心を深く締め付けている。


「まず最初に…今回の襲撃の件。先程、此方に向かう前に夜空達から詳しい話は聞きました。」


一葉君は言葉を続ける。その声にはいつもの感情の起伏はあまりない。


「概ねの顛末は把握しています。…まさか、君が毒を受けるとは予想外でしたが。」


「アハハ…まあね。」


僕は少しだけ苦笑いを浮かべる。怪我をしたのは事実だし、あの毒は思っていたより厄介だった。

身体の自由を奪われ、力を削がれるあの感覚を思い出すだけでぞっとする。


「羽闇嬢が月姫に選ばれ、僕達も彼女の婚約者候補として選ばれた以上…この様な襲撃はいつか起こるだろうとは僕も思っていました。夜空がいい例でしたからね。」


一葉君の予想は、僕と全く同じだった。月光の血筋、そして月姫。特別な力を持つ彼女が外敵に狙われるのは分かりきっていた未来だ。遅かれ早かれ、必ず敵は姿を現す。それは避けられない事態だと誰もが予感していた。


「…だよねぇ〜。でも、あのタイミングで来るとはね。少し油断しちゃったかな♪」


僕は窓の外に視線を移す。そして、夕日を見つめながらあの夜の光景を思い出していた。襲撃の瞬間、羽闇ちゃんを守らなくちゃという一心で放った力の反動が今も身体中に重くのし掛かっている。


「羽闇ちゃんがよぞらんとのデート中に襲われたのは勿論知ってるよ。けど…ほまりんの時は何ともなかったみたいだから、てっきり奴らが次に動き出すのはもう少し先かなって思ってたよ。」


「…ふむ、そうでしょうか?」


一葉君は淡々と言う。感情を窺わせないその声音に、僅かな疑問の色が宿っていた。


「以前、夜空が羽闇嬢と水族館へ出掛けた際も敵に襲撃されたのは紛れも無い事実。そう考えると、昨夜の襲撃は必ずしも予期出来ない事態ではなかったと言えるのでは?それに…鳳鞠に関しては、我々を油断させる為に敢えて襲撃をしてこなかったという可能性もある。」


「んー…まあ、言われてみればその可能性もなくはないかも。」


一葉君の指摘に思わず頷いた。確かに僕の考えは少し甘かったかもしれない。

基本羽闇ちゃんの外出は、執事の萱君を含めた月光家の使用人の警備を必要としている。しかし、僕ら婚約者候補とのデートとなるとそれはない。羽闇ちゃんが複数の警備も無しで外に出ている…つまり無防備な状態になるってのは奴らにとっても格好の機会なのかもしれない。僕達が彼女を守る壁となる筈が、かえって隙を生んでしまったという事か。

月光邸の外は、例え僕らの目があったとしても完全に安全とは限らない。今回の僕の様に…。

萱君―考えるだけで虫唾が走る様な忌々しい相手だけど、もしあの時に彼が来てくれなかったらと想像するだけで背筋が凍る。艶ちゃん相手に、毒で力が抜けていく中で満身創痍の僕一人で持ち堪えられなかっただろう。結局、とどめを刺される寸前だったのだ。そして悔しい事に、皮肉な事に、あの絶妙なタイミングで来てくれたのは萱君だった。彼が助けてくれたからこそ、僕と羽闇ちゃんは九死に一生を得た。認めたくはないけど…僕の命を救ってくれたのは他でもない彼のおかげだ。この事実だけは、どんなに癪に障っても否定出来ない。

そんな事実を反芻していると、傍らで静かにしていた一葉君が口を開いた。


「…それと、萱の事ですが。君達が襲撃に遭っていた頃、彼は一体何をしていたのですか?」


彼の声は穏やかだったが、その響きには次に続く言葉への静かな準備の様なものが感じられる。


「萱君?さあね。僕らは彼が迎えに来るのを待ってたところを襲撃されたわけだし。嗚呼、そういえば駆けつけて来た時に『渋滞に巻き込まれた』とか言ってたかもね。」


萱君が駆けつけた際、彼が僕達に告げていた理由を一葉君にそっけなく伝える。すると、彼は僕の言葉を聞いてその単語を静かに反芻するように呟いた。


「…渋滞、ですか。」


その声音には、僅かな疑問の色が宿っていた。そして、静かに耳にぴたりと張り付く様な声で続けた。


「…それは、少し妙だと僕は思うのですが。」


「妙…?どうして?」


僕は怪我のせいで上手く動かせない身体のまま、一葉君の顔を見上げた。僕はてっきり普通の渋滞だと思っていたけれど、一葉君は言葉の裏に何か違うと感じている様子だ。この時点では、僕の中に萱君への明確な疑念は生まれていない。只、妙だと言う一葉君の理由に強い興味を惹かれた。


「…華弦。君が羽闇嬢とのディナーに訪れた場所は、隣街にある『フルール・ド・リュンヌ』でしたね。…そこで一つ、お伺いしたい。」


一葉君は言葉を選びながら、ゆっくりと問い掛けてくる。その間が、僕の好奇心と同時に彼が何を言おうとしているのかという緊張感を掻き立てる。


「そのレストランに向かう際、つまり行きですね。萱の運転していた車は、どのルートを通っていたか分かりますか?出来れば事前に、萱に迎えを頼んでいた時間帯も教えて頂きたいのですが。」


「…えぇ?うーん、確か行きは…海沿いを走ってた気がするけど。綺麗だったから少し覚えてるんだ。帰りは二十時にレストランに迎えに来る様に頼んでおいたかな。」


僕は夕暮れの道をぼんやり眺めていた記憶を辿る。これから始まるディナーという期待感であまり注意して景色を見ていたわけじゃないが、あのオレンジ色に染まる海は少しだけ印象に残っていた。

僕の返事を聞いた一葉君は、やはり…というように静かに頷いた。そして、彼の次の言葉は僕の中にあった漠然とした違和感を一気に掻き立てた。


「成る程。もし君達を迎えに行く際も、萱がその海を通るルートを選んだのだとすれば…それはおかしな話です。華弦。」


「…おかしな話って、どういう事だい?」


一葉君の意図が掴めず、思わず聞き返す。

おかしな話?単に渋滞があったから遅れたんじゃないのか?しかし彼の冷静な声には、明確な矛盾を指摘する様な響きが含まれている。その()()に、僕の以前からの()がざわつき始めた。

一葉君は僕の困惑を静かに見つめ返すと、事実だけを淡々と告げる。そこに微かな感情の揺れすらなく、その言葉は一層重く、鋭く突き刺さってきた。


「…そのルートは、以前より一葉家の者が定期的に巡回している道です。昨夜のその時間帯…渋滞は勿論、交通量が極めて少ない事は確認済みです。」

第60話お読み頂きありがとう御座います!

今回は華弦と一葉の会話を通して、真実の乖離と壱月に対する新たな疑念が生まれた回でした。華弦の『勘』がこれから何を見つけ出すのか。

次回もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ