第57話【欠片と月姫】
壱月が告げた『死に至る運命』という言葉が、まるで冷たい刃物の様に私の心臓を凍らせていた。全身から血の気が引いていくのを感じる。
他の誰もがその非情な事実に打ちのめされ、押し黙っていた。壱月は相変わらず感情を映さない完璧な執事の顔つきで立っている。彼の口から発せられる言葉だけがこの重苦しい空気を切り裂く。
「何故、お子様が女の子である必要が御座いますのかと申しますと…」
淡々とした声で壱月は説明を始めた。その声には、私たちの動揺や悲しみに対する共感は一切含まれていない。只、月光家の『定め』という事実だけが事務的に、しかし有無を言わせぬ響きで語られていく。
「月光の血筋に生まれた女性であっても、代々受け継がれてきた月の力を宿す事が出来るのはごく稀な存在で御座います。月の力を宿せなかった月光家の女性達は『欠片』と呼ばれておりますが、彼女達は子を成すか否かに関わらず、二十五歳となるまでにその命が尽きるという宿命を背負っております。」
壱月はそこで一度言葉を区切ると、静かに付け加えた。
「羽闇様のお母様である月羽様もまた、力を宿せなかった欠片でいらっしゃいました。そして、羽闇様をお産みになられてから五年後…二十五歳でその命を終えられました。」
その言葉に、私の肺から空気が全て押し出された様な息苦しさを覚える。知っていた筈の母の最期が、壱月によって改めて冷たい現実として蘇った。
「しかし、月の力を宿した者…即ち『月姫様』となった女性は、二十五歳となるまでに次代となりうる女の子をお産みになれば…その死の運命を回避する事が可能となります。」
『欠片』は力を宿せなかったというだけで、どれだけ願っても、女の子を産んだとしても、二十五歳で死ぬ。でも『月姫』だけは、女の子を産めば死なずに済む可能性がある。その違いが、私と力を宿さずに生まれた他の月光家の女性達の間に引かれた残酷な線だった。
私の血に流れる力が、次代の女の子にしか継がれない。しかも女の子が生まれたとしても、その子が力を宿すかどうかまでは分からない。そして、私が二十五歳という短い猶予の中で次代となりうる後継者である女の子を産まなければ、例え月姫とはいえ役目を果たせなかったと見なされて死ぬだけ――。
その事実を改めて聞かされ、私は体の奥底から震えが込み上げてくる。私の体は只、次代の力を生み出すための『器』でしかない様な感覚に陥り、胸が締め付けられる。
壱月は一度言葉を区切ると部屋を見回す。その視線は、私達一人一人の顔を捉えている様にも見えた。
「そして、今回の夜啼艶による襲撃も御座いました様に羽闇様は月姫様としての特別な力をお持ちであるが故に今後は益々、様々な組織や存在から狙われる立場となられる事でしょう。」
その言葉に夜空君が心配そうに私に視線を向けた。華弦と鳳鞠君は拳をぎゅっと握り締め、碓氷さんは眉間の皺を深くする。皆の顔には、新たな危機感と私を案じる気持ちが同時に浮かんでいるのが見て取れた。
「だからこそ…その増大する危険から身を守り、月の力を正しく継承する為にも、羽闇様には月姫としてその力を上手くコントロール出来る様、より一層強くなって頂かなくてはなりません。」
壱月は私の『強くなる事』を強調した。それは、襲い来る脅威に対抗する為の唯一の手段だと言われている様で私の肩に重くのしかかる。
「勿論、羽闇様だけでは御座いません。婚約者候補でいらっしゃいます皆様方も、月姫様である羽闇様をあらゆる危険からお守り頂く義務と責任が発生致します。」
「…義務、か。」
碓氷さんがポツリと呟くと、彼は真っ直ぐに壱月を見据えている。その瞳には、先程まで安全を優先しようと提案していた彼らの納得いかないという気持ちが宿っていた。
「だからって!敵の襲撃の可能性がある以上、安易に危ない橋を渡るのは良くない!羽闇を守るという目的の為にも、より安全な策を講じるべきだ!」
鳳鞠君が少し荒げた声で壱月に問い掛けた。彼の心からの心配が焦りとなって声に滲んでいる。
華弦もベッドの上で僅かに身動ぎしたのが分かった。悔しさと壱月に対する怒りが、彼の身体中から伝わってくる。
しかし、壱月は彼らの問いや感情的な反応に動じることなく、淡々とした口調を崩さない。
「皆様のお気持ちは理解致します。しかし、これは私個人の判断では御座いません。私は月光家の執事として、定められた務めを月光家の意思に従い、遂行しているに過ぎないのです。」
壱月は『務め』という言葉に力を込めた。それは、彼の行動原理が個人的な感情や安全への配慮よりも、月光家という一族の『定め』に絶対的に従うものである事を示していた。
「重ねて申し上げますが…この定めは月光家の繁栄、ひいては存続に関わる何よりも優先されるべき絶対の掟に御座います。皆様方には、既に月光家にお迎えした際にその重みをご理解頂いております通り、この状況下でも変わる事は御座いません。」
壱月がそう告げた瞬間、私達の誰もが初めて月光邸の門を潜った日の事を思い出していた。大旦那様の威厳ある声で聞かされた、月姫に課せられた厳しく非情な運命。それは、私達をこの場所に縛り付ける逃れられない鎖なのだと改めてその重みを痛感した。
此処にいる者は皆、その時既に、この定めを受け入れる以外に道はないのだと知っていたのだ。
安全を優先したい。これ以上、怖い思いをさせたくない。誰にも傷ついてほしくない。その願いはあまりにも脆く、私達の命そのものに関わる定めの前では無力だった。彼らは皆、月光邸の門を潜る際に聞かされた定めを今、目の前の現実を目の当たりにし、言葉を失っている。
皆の表情から反論の言葉が消え失せたのが分かった。夜空君の優しい瞳に諦めが宿り、鳳鞠君は項垂れ、碓氷さんは静かに目を閉じた。ベッドの上で華弦が、小さく舌打ちをしたのが聞こえた。その音は悔しさや怒り、そしてどうする事も出来ない状況への苛立ちが混じり合っている様に思えた。彼もまた、この運命に抗おうとしながら今は無力である事を思い知らされているのだ。
彼らは月光家の『定め』と私の『運命』に、否応なく従うしかないのだ。私の存在が、彼らを危険な場所に繋ぎ止めている。その事実に罪悪感がとてつもなく押し寄せてきた。
「故に――」
壱月の声が、再び静寂を破る。
「羽闇様には、今後も婚約者候補でいらっしゃる皆様との親睦を深める機会を継続してお持ち頂きます。そして、月姫様としての力をお高めになる為の特訓も着実に続けて頂きます。」
壱月のその言葉は、私達の間に選択肢などない事を突きつける最終通告だった。安全よりも定められた未来。そこには、恐怖も危険も関係ない。只、月光家が…私の運命が定めた道を進む事だけが要求されている。
医務室に再び重苦しい沈黙が訪れた。窓の外からは穏やかな午後の日差しが差し込んでいるのに、部屋の中は世界の重さを一身に背負っているみたいだった。これが、私の現実。そして、この定めからはもう誰一人として逃れる道はないのだと…私は改めて思い知らされた。
第57話お読み頂きありがとう御座います!
羽闇の過酷な運命を突きつけられた婚約者候補達。彼等の葛藤や羽闇への想いが、少しでも伝わって頂けていれば幸いです。
次回もお楽しみに!




