第52話【看病と秘密の始まり】
華弦が医務室で目覚めてから数時間が経った。
ベッドの上に身を起こせるまで回復した華弦は、顔色もすっかり良くなっており、あの苦しげな表情は微塵もない。只、身体中に巻かれた厚い包帯だけが昨夜の激戦を物語っている。
私はベッドサイドの椅子に座り、傍の小さなテーブルに置かれた、先程剥いたばかりの林檎が乗った皿にそっと視線を落とす。華弦が無事だった事への安堵とまだ完全に回復していない事への僅かな心配が胸の中で混ざり合っていた。
穏やかな静寂が数分続いた後、華弦がふいに私の方に顔を向けた。その深紅の瞳が私を捉え、柔らかな光を宿す。
「ね、羽闇ちゃん。」
いつもの彼らしい甘い響きを含んだ声が、静かな室内に響く。その声色だけで彼が何かおねだりしようとしているのが分かった。
「早く林檎食べたいな〜♪あーん、してくれない?」
怪我をしているのをいい事に、ベッドの上で華弦は僅かに身を乗り出して期待に満ちた視線を向けてくる。その言葉に私の顔が一気に熱くなるのを感じた。まさか、この状況で『あーん』なんて頼まれるなんて!
「えっ…あ、あーん…?私が?華弦に?」
思わず間の抜けた声が出てしまう。私の慌てた様子を見て、華弦は楽しそうに口元を緩めた。
「そ♪ だって僕、まだ力入らないからさ。腕とか動かすのも大変で。」
華弦はそう言って、包帯で巻かれた右腕を辛そうに持ち上げて見せた。少し大袈裟にも見えるけれど、それも彼なりの甘え方なのだろう。その様子が何だか少し可愛らしい。
「怪我してるんだから、羽闇ちゃんにうーんと甘えたい気分なの。それに、君が食べさせてくれたら、きっとすぐに治る気がするんだよね〜。愛のパワー♪」
彼は首を傾げ、上目遣いで私を見つめる。その仕草が余りにも無防備で、少しだけ寂しそうにも見えて…。私はどうしようもなく押しに弱い自分を内心で呪いながら、傍にあったフォークを手に取った。顔を少し背けつつ、小さく切った林檎をフォークで刺すと彼の口元にそっと運ぶ。
「…ほ、ほら。あーん…」
「あーん♪」
華弦は満足そうに微笑むと、私が差し出した林檎をパクッと食べた。彼の指先が私の手に触れそうになり、ドキリとする。
「ん〜、美味しい! 羽闇ちゃんが食べさせてくれる林檎は世界一美味しいね♪ 甘くて、羽闇ちゃんの優しい味がする。」
その屈託のない笑顔と恥ずかしい褒め言葉に、私の顔は更に赤くなる。耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。でも、華弦が林檎を美味しそうに食べているのを見て私は少し安心した。
彼の食べ終わったのを確認すると、ふと彼の身体に巻かれた包帯に再び視線が向かう。毒は解毒できたものの、あの艶との戦いで負った深い傷はまだ残っているんだ。
「あのね、華弦。」
「ん?」
私は意を決して、少しだけ真剣な声で呼びかけた。華弦が私の方を見る。
「…傷口、まだ痛むでしょ?えっとね、月姫の…私の月の力…傷を癒せるみたいなんだ。前に…その、夜空君にも一度使った事があって。」
言葉を選びながら、私は提案してみた。月姫の力なんてまだ全然使いこなせていないけれど、傷を癒す効果があるなら華弦の為に使いたい。彼が少しでも早く、この包帯や痛みから解放されるなら…。
「良かったら試してみない…? 少し楽になるかもしれないし、回復も早くなるかもしれないよ。」
私の提案を聞いて、華弦は一瞬目を見開いた。そして、何か考え込むような表情になったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「ん〜? せっかくの羽闇ちゃんの力だけど、今回は遠慮しておこうかな。ごめんね?」
華弦はベッドに寝転がったまま、いつもの飄々とした調子で答えた。彼の返事に私は少しだけ拍子抜けしてしまう。せっかく治してあげようと思ったのに。
「ど、どうして?そりゃあ私の力なんてまだまだかもしれないけど―」
「だって、羽闇ちゃん。」
華弦は悪戯っぽく目を細める。
「治しちゃったら、もう羽闇ちゃんにこうやって甘えさせて貰えなくなるかもしれないでしょ?『もう元気になったんでしょ?』って言われて、林檎もあーんして貰えなくなるし、手を繋いでってお願いしても断られちゃうかもしれない。それは寂しいな〜♪」
彼はわざとらしく肩をすくめると、私に甘えるような視線を送る。私はその子供っぽい、でも華弦らしい理由に思わず力が抜けてしまった。この人ってば、こんな時にまで変な事考えてるんだから…!
「もー、何言ってるのよ!」
私は少しむっとしながらも、その華弦の様子が可笑しくて小さく噴き出した。
「それにね、羽闇ちゃん。」
華弦はそれまでの冗談めかした調子から一転し、少しだけ真面目な、影のある声になった。その声の変化に私の表情も引き締まる。
「傷口を治して貰ったところで、僕の華の力を使った事による副作用までは治せない筈だよ。」
華弦はそう言って、自分の右手に視線を落とした。その急な雰囲気の華弦の変化に私はごくりと唾を呑み込み、彼の次の言葉を待った。彼の瞳の奥に、私がまだ知らない何かがあるのを感じたからだ。
「いい機会だ、羽闇ちゃん。僕の力の話だけど…君には話しておかなくちゃね。」
華弦は白いシーツの上で組んだ自身の指先を眺めながら、ゆっくりと話し始めた。
「僕の家…藤鷹一族にはね、代々伝わる特別な力があるんだ。それが『華の力』。」
「華の力…?」
私は思わず首を傾げる。華弦の家系にそんな力があるなんて、初めて聞いた。
「うん。僕達は自然の生命力、特に植物が持つ強いエネルギーを操る事が出来るんだ。癒したり、成長させたり、形を変えたり…色々な事がね。中でも戦闘に使う力はいくつか種類があってね。昨夜、羽闇ちゃんに近くで見られちゃったから、もう全部知ってるかな?」
華弦はそう言って少し照れた様な、困っている様な笑みを浮かべた。私は小さく頷く。昨夜、あの緊迫した状況で華弦が見せてくれた現実離れした力。あれが、彼の『華の力』だったんだ。
第52話お読み頂きありがとう御座います!お楽しみ頂けましたでしょうか?
今回は、甘々?な看病がメインでした!特に『あーん』のシーンは、一番の見どころです!
そして、遂に明かされ始める華弦の『華の力』。彼の力の秘密が、少しずつ紐解かれていきます。
次回もお楽しみに!