第46話【美刃繚乱、無心の凶鎌】
「…誰!?」
恐る恐る問い掛けると、女性は微かに口角を上げた。その表情は冷静で大人びた雰囲気を漂わせている。
「初めまして、月光羽闇。私の名は夜啼 艶。…これより貴方を捕らえ、藤鷹華弦を排除する。」
「なっ…!?」
その言葉は淡々としていながらも、 冷たい決意を秘めていた。
私を捕らえて、華弦を殺す。華弦は艶の言葉に鋭く反応し、私を背に庇う様に艶に立ちはだかる。その表情は警戒の色をより一層深めている。彼は激情を抑えた、冷たい響きを持つ声でそう言った。
「その大鎌…以前、羽闇ちゃんを襲撃した女の子と同じ種類の鎌だね?君もその子の仲間なのかな?」
水族館に訪れたあの日、私を捕らえる事を目的に突然現れた宵闇麗夢。彼女が持っていた赤錆色をした異様な大鎌の記憶が鮮明に蘇る。艶の持つ、色こそ違えど酷似した鎌は危険な予感と強い警戒感を同時に呼び覚ます。
「ええ…麗夢は仲間よ、表向きは。」
艶の肯定は私達の警戒を更に高めた。表向きは仲間、という言葉の裏に隠された意味を推し量ろうとするが容易には掴めない。
「表向き、ねぇ…。」
華弦は艶が発した言葉を反芻する様に繰り返した。その薄い笑みは研ぎ澄まされた氷の刃の冷ややかさを帯びている。彼の目は、艶のあらゆる動きを見逃さない。
「随分と意味深な言い方をするじゃないか…夜啼艶ちゃん、だっけ?…つまり、君達は仲が悪いってわけ?それとも何か深い事情があるとか?」
華弦の言葉は空気に緊張を生み出す。私も二人のやり取りに呼吸を止めた。すると、艶は大鎌を静かに構え直した。若紫色の刃は外灯の光を妖しく反射し、周囲に危険な気配を漂わせる。
「貴方に話す義理はない。私の目的は、先程申し上げた通り。月光羽闇の捕獲、そして…藤鷹華弦の排除。それが私に与えられた絶対的な命令。」
その言葉は淡々としていながらも、冷たい決意をはっきりと示していた。彼女の瞳には迷いや感情は一切感じられず、揺るぎない鉄の意志だけが宿っている。
この敵は私を捕らえようとしているだけでなく、華弦の命をも狙っている。
「ふーん…君達の組織には随分と物騒なルールがあるんだねぇ。こんな組織を束ねるボスってのは、さぞかし恐ろしい人物なんだろうね。」
華弦の口調には、隠された怒りと危険な感情が渦巻いているのが分かる。
「残念だけど、それは天地がひっくり返ってもありえない筋書きだよ?僕にとって羽闇ちゃんは月に咲く一輪の幻の花…その美しさは僕だけの秘密なんだもん。そんな特別な花を君みたいなよく分からない奴に、はいどうぞって渡せるわけないじゃん?ましてや、彼女の婚約者に相応しいとされるこの僕を消しちゃうなんて…そんなの月夜の夢でも見ないよ?」
彼の平静の仮面が剥がれ落ち、本当の強さが目に見える圧力となって周囲を包み込む。
艶はその圧力に顔色を変えることなく、冷たい瞳で華弦を見ている。彼女からも静かな殺気が放たれているのがわかる。
「抵抗しても意味はない。何故なら、私には容赦という概念が存在しないから。」
次の瞬間、艶は微動だにしなかった体勢から信じられない速さで動き出した。若紫色の大鎌が空気を切り裂き、光を反射しながら動物の牙の様に華弦へと襲いかかる。
襲い来る鎌の刃。華弦は身を翻し、体勢を低くし、時には跳躍しながら迫り来る刃を辛うじて避けている。それでも時折、彼の髪や服を掠める音が聞こえ、私の心臓は跳ね上がった。
「(そうだ、月のペンダント…!)」
私は先程の衝撃で飛ばされていたクラッチバッグの方に目を向けるが、それは少し離れた場所に落ちており、今の状況で取りに行くのは余りにも危険だ。
「(アレがないと何も出来ない…どうしよう、このままじゃ華弦が!そんなの嫌…!)」
華弦は今も必死にあの大鎌を避けているけれど、その動きは徐々に緊迫になっていく。掠る音も増えてきている。あの鎌が当たったら、夜空君の時みたいに只では済まない筈だ。
月の力を宿していても、ペンダントを持っていないと私は只の傍観者に過ぎない。無力な自分がもどかしくなる。早くあのペンダントを拾い上げなければ。しかし華弦へと迫る動きと同時に艶の鋭い視線は目に見えない鎖の様に私を捉えており、一瞬たりとも揺るがない。迂闊に動けば、たちまちあの恐ろしい鎌が襲いかかってくるだろう。身動きが取れないまま時間だけが過ぎていく。
その膠着状態の中、華弦の動きが一瞬、ほんの僅かに止まった。彼の顔には明らかな苦痛と深い嫌悪の色が浮かび上がる。そして、ゆっくりと何かを覚悟したかの様に懐へと手を伸ばした。現れたのは、小さな桜色の石。その石は花をそのまま閉じ込めたみたいに繊細で、触れればすぐに壊れてしまいそうな儚い形をしている。こんなにも緊迫した状況だというのに、私はその信じられない程の美しさに息を呑んだ。
「正直、コレはあまり使いたくなかったんだけど仕方ないか…。」
華弦は小さく呟いた。その声には、明らかな躊躇いと諦めにも似た諦念が混じり合っている。彼は小さな花を象った石を大切そうに、しかし同時にもう後には引けないという強い決意を込める様に強く握りしめた。次の瞬間、華弦の手の中であの小さな石が内側から静かに輝き始めた。最初は微かな光だったものが、脈打つ様にその強さを増していく。
ピンク色の光は静かに脈打ち、温かく、眩しく、華弦の手のひらを優しく包み込んだ。そしてその光が完全に収まった時、そこに現れたのは先程まで彼の手に握られていた可愛らしい花型の石とは全く異なる存在感を放った一振りの細身の剣だった。
その剣身は丁寧に磨き上げられた最高級のクリスタルの様に透明で、その内部には先程の石と同じ桜色の光が湛えられている。驚くべき事にその剣の周囲にはピンクや真紅、白の花弁が優雅に舞い始めた。同時に何処からともなく甘く、優しい香りが夜の冷たい空気に溶け出した。
華弦はその生まれたばかりの美しい剣を長年連れ添った自分の体の一部であるかの様にごく自然に、淀みなく構えた。彼の瞳の奥には、静かで揺るぎない強い光が宿っている。
「さて…艶ちゃん。君に容赦がないのなら、僕だってもう遠慮はしないよ?…美しい花の香りは人を惹きつけ、逃れられなくする。この剣が纏う甘美な空気に酔いしれるといいよ。」
華弦の声はいつもの余裕のある、軽い調子とは明らかに違っていた。痺れる程の色香と危険な響きを孕んだその声は、一言一言に確かな決意が込められている。
彼の持つその美しい剣は、そこに存在するだけで言葉を超えた秘めたる強さを周囲に感じさせた。
第46話お読み頂きありがとうございます!
今回は華弦の力が明らかになった回となりましたが、如何でしたでしょうか!?細剣の美しさや香り、そして秘められた彼の覚悟を感じ取って頂けたら嬉しいです。
次回は二人の激しい戦いが始まる予感…!?華弦は艶にどう立ち向かっていくのか!?是非ご期待下さい!