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第41話【昏い光を纏う兄妹】

黒いハンカチを手に握りしめたまま、私はソファに腰を下ろしている二人の男女へと近づいた。美しい女性とその隣に佇む険しい表情の男性。声を掛けようとした時、二人は私に気付いたのか一斉に此方に視線を向ける。その瞬間、ロビーを包んでいた穏やかな空気が、目に見えない程の緊張感に張り詰めた様に感じた。

女性は、好奇心と警戒の色を混ぜ合わせた様に目を丸くしている。一方、その隣に腕を組んで静かに腰を下ろしている男性は常に何かを警戒しているかの様な険しさを漂わせていた。彼の瞳は、私の全身をじっくりと観察している様にも思えた。


「あの…」


張り詰めた空気を払拭しようと、私は精一杯穏やかな声を出そうと努める。心臓が少し早鐘を打っているのを感じながら、手に握られたハンカチを二人にそっと差し出して見せた。


「これ…落とされましたか?」


私の言葉が終わるか否かのうちに、女性の表情ははっと変わった。憂いを帯びた瞳は一瞬、信じられないものを見るかの如く大きく見開かれ、微かに潤んだ光を増した。


「…まぁ!これだわ!」


女性は声を弾ませてそのハンカチを受け取ると、途端に顔が花開いた。瞳には喜びの光が溢れ、受け取ったハンカチを両手で大切そうに包み込むと安堵の吐息が漏れた。

隣の男性は、先程まで物憂げだった女性の表情が明るく変わったのをちらりと見下ろした。その顔には、呆れとも微笑ましいとも取れる複雑な感情が浮かんでいる。すぐにその視線を私の方へと移すと、何かを決意した様にソファから立ち上がった。先程まで纏っていた鋭く張り詰めた警戒の色を和らげ、ごく僅かに丁寧に頭を下げた。


「ご親切に、感謝する。」


その声はロビーの静けさによく響く、低く落ち着いたものだった。しかし、言葉とは裏腹にその奥には人を寄せ付けない壁の様な独特の隔たりが感じられた。女性も優雅な仕草でソファから立ち上がり、改めて此方に顔を向けると柔らかな微笑みを湛えて言った。


「ありがとう御座います、本当に助かりましたわ。もし宜しかったら、ささやかでは御座いますが何かお礼をさせて頂けないでしょうか?」


彼女の丁寧な言葉遣いと相手を気遣う物腰に、私は恐縮してしまい慌てて小さく首を横に振った。


「いえいえ、そんな…!お気になさらないで下さい。たまたまそこに落ちているのが目に入っただけですので。」


すると、女性はその大きな瞳を潤ませて残念そうな表情を浮かべる。その瞳を見ていると、小さな子犬が上目遣いで見つめてくる様な気持ちになった。


「あら、そうですか…それは少し残念ですわ。でしたら、せめてお名前だけでも教えて頂けますかしら?」


その女性の声は、先程までの礼儀正しいものに幾らか親しみを込めた、おしとやかな響きが加わっていた。


「はい、月光羽闇と申します。」


私はその控えめながらも真摯なお願いに素直に頷き、はっきりと自分の名前を告げた。私の言葉に女性はぱっと表情を明るくし、その美しい顔に満面の笑みを浮かべる。


「まぁ!素敵なお名前ですわね、月光様。」


彼女の雰囲気は、控えめなものから一転して、まるで春の陽だまりの様に温かいものに変わった。


「申し遅れました。私は昏冥宮(こんめいきゅう) 妖蝶姫(ようき)と申しますの。どうぞ、妖蝶姫とお呼び下さいませ。」


そう言って彼女は私の手を両手でそっと包み込もうとしたが、寸前で思い出した様にはにかみながら手を引っ込めた。その仕草は何処か無邪気で可愛らしい。

隣に立つ男性は、妖蝶姫さんの態度の変化にほんの僅かに眉をひそめたもののすぐに私の方へ向き直り、少し柔らかな表情で丁寧に頭を下げた。


「…妹が少々馴れ馴れしい物言いをしてしまい、申し訳ない。私は昏冥宮(こんめいきゅう) 埜唖(のあ)と申します。」


どちらの名前も神秘的ながら、その印象は異なる。彼の落ち着いた雰囲気と丁寧な言葉遣いは、妖蝶姫さんの持つ華やかさとは対照的に静かで深い印象を与えた。


「妖蝶姫さんと埜唖さん。お二人共、大変美しく素敵なお名前でいらっしゃいますね。」


私は二人の名前に心を込めてそう言った。この二人の品の良い整った顔立ちや妙に人を惹きつける様な雰囲気に共通する何かを感じる。兄妹だからだろうか?しかし、それが具体的に何なのかまだはっきりとは分からなかった。

丁度その時、少し心配そうな表情を浮かべた華弦が私のそばに歩み寄ってきた。彼の瞳は、私と見知らぬ男女が言葉を交わしている様子を僅かな訝しみを込めて見つめている。


「羽闇ちゃん、時間だよ。オーナーが最高の席を用意して待ってるって。」


「あ…待たせてごめんね、華弦。」


彼の声は優しく、私を気遣う響きを含んでいた。その後ろからオーナーがにこやかな笑顔で近づいてくると、丁寧な言葉で私達を促した。


「お寛ぎのところ失礼致します。華弦お坊ちゃま、月光様。窓際の特別なお席が整っております、今宵は特に夜景が美しくご覧頂けるかと存じます。どうぞ、此方へ。」


埜唖さんは近づいてきたオーナーに事実を伝える様に、淡々とした口調で言った。


「オーナー。このご令嬢が、先程妹が失くした大切なハンカチを見つけて下さった。重ねて、お礼申し上げる。」


その言葉を聞いたオーナーは表情を明るくし、胸に手を当てて深々と頭を下げた。


「それはそれは。月光様、ありがとう御座います。お客様の大切なお品物が無事に見つかり、私も心から嬉しく存じます。お客様には、さぞご心配をおかけした事でしょう。」


オーナーの顔には、張り詰めていたものがふっと緩んだ、深い安堵の色が広がった。その表情の奥には私への感謝の念と共に、この小さな騒動がようやく幕を閉じた事への静かな喜びが感じられた。


「では、我々はそろそろ失礼させて頂くとしよう。いくぞ、妖蝶姫。」


埜唖さんが落ち着いた声でそう言うと、妖蝶姫さんの瞳に一抹の寂しさが宿った。その美しい唇の端が僅かに下がり、別れを惜しむ心情を静かに物語る。そして、少し名残惜しそうな表情で私に微笑みかけると優雅に頭を下げた。


「この度は本当にありがとう御座いました、月光様。お兄様、参りましょう。」


妖蝶姫さんはそう言うと、埜唖さんと共に静かにレストランの出入り口へと歩き出した。私は彼女の去り際に見た、あの儚げな微笑みを心に焼き付けながら小さく頷いた。


「羽闇ちゃん、僕達も行こうか。」


「うん。」


私は華弦に優しく手を引かれ、オーナーに促されるまま夜景が見える窓際の席へと向かった。

視線の端で入り口付近に立つ埜唖さんの姿が一瞬捉えられたが、彼がまだあそこにいるという程度の認識だった。彼の表情がどう変わったのか何か言葉を発していたのか、その時の私には全く分からなかった。まさか彼の口元では冷酷な言葉が静かに紡がれ、表情が穏やかさとはかけ離れたものへと変わっていたなどとは想像すらしていなかった。


()()…この程度の警戒心か。美しい顔に似合わず愚かだな。まあ、いい。お前自身を手に入れるまでだ。」

第41話をお読み頂きありがとう御座います!

今回のエピソード、如何でしたでしょうか?

黒いハンカチが繋いだ、新たな出会い。埜唖の最後の言葉に何か意味深なものを感じて貰えたら嬉しいです。

次回もお楽しみに!

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