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第40話【月の花咲く夜の始まり】

黒塗りの高級車がフルール・ド・リュンヌの門構えの前に停車した。夕闇が迫る中、オレンジ色の街灯がまるで私達を温かく迎え入れる様にぼんやりと光っている。運転席の壱月が素早く降り、私と華弦の乗る後部座席のドアを開けてくれた。


「羽闇様、藤鷹様…ご到着致しました。」


まずは華弦が優雅な身のこなしで車から降り立った。そして、ドアのそばで先に降りた華弦が振り返り、私に手を差し伸べてくれる。


「お手をどうぞ、羽闇ちゃん。足元に気をつけて。」


その優しい言葉に導かれ、私はドレスの繊細なレースの裾をそっと持ち上げ、彼の差し伸べられた温かい手に自分の手を重ねた。

ゆっくりと車から降り立った私の目に映ったのは、夕闇に静かに佇むフルール・ド・リュンヌの荘厳な姿だった。外壁を飾る繊細な装飾、磨き上げられた窓から漏れる温かな光はこの場所が特別な空間であることを静かに物語っている。


「さぁ…お姫様。今宵は君を夢よりも甘美な夜へと誘おう。」


華弦は囁く様な甘い声でそう言うと、私の手を握るその指にほんの少し力を込め、自身の腕へと私を誘うように差し出した。彼の瞳の奥には熱を帯びた光が宿っており、その視線に触れる度に私の心臓は高鳴りを隠せない。それでも私は彼の腕にそっと自分の手を添えた。

その時、車の脇で控えめに佇んでいた壱月が大切な何かを確認する様に静かで落ち着いた声で私の背後から声を掛けた。


「羽闇様、月のペンダントは肌身離さずお持ちでいらっしゃいますね。」


壱月の言葉に、私は手に提げた夜色のビーズが煌めく小ぶりなクラッチバッグの口元を無意識のうちに指先でそっと撫でた。

私にとって、紫石の…月のペンダントは単なる装飾品ではない。月姫としての力を宿し、必要とあらばその姿を変えるための鍵。そして何よりも、亡き母から受け継いだ大切な形見なのだ。


「うん、大丈夫。ちゃんと此処にあるよ。」


短く答えた私の言葉に壱月は深く頷いた。その静かなやり取りを、華弦は興味深そうに穏やかな眼差しで見守っていた。


「そろそろ、夢の世界へ足を踏み入れようか。」


華弦は穏やかな声で促すと、私の手が添えられている彼の腕にもう片方の手をそっと重ねた。

私は彼の隣に並び、ゆっくりとレストランの重厚な扉へと向かった。扉が開かれると同時に、上品な物腰の、しかし何処か人を惹きつける温かい笑顔を浮かべた男性が私達を出迎える様に歩み寄ってきた。その立ち居振る舞いからは長年に渡り、この場所を切り盛りしてきたという自信と風格が滲み出ている。


「ようこそいらっしゃいました、華弦お坊ちゃま。お待ちしておりました。」


深々と頭を下げるその男性に、華弦は親しみを込めた笑顔で応えた。


「やぁ、オーナー。今夜は宜しく頼むよ。それと…此方は僕の大切な人、月光羽闇ちゃん。」


華弦の紹介にオーナーは再びにこやかに私へと向き直り、先ほどよりもさらに丁寧に頭を下げた。その丁寧な物腰に私は思わず背筋が伸びる。


「月光羽闇様、今宵は藤鷹グループが誇るこの『フルール・ド・リュンヌ』へようこそいらっしゃいました。どうぞごゆっくりと、そして特別なひとときをお過ごし下さいませ。」


「え、あ…ありがとう御座います。」


私はその予想以上の歓迎に少し戸惑いながらも、ドレスの胸元をそっと握りしめ、緊張した面持ちで小さくお礼を言った。

それよりも今、オーナーは何と言った?華弦があの巨大な藤鷹グループの…?驚きが静かに私の心の中で波紋を広げていく。彼が只の魅力的な男性というだけでなく、想像を遥かに超える家柄の持ち主だという事実に私は言葉を失いかけていた。


「ご予約のお時間にはまだ少し余裕が御座いますので、もし宜しければロビーのソファでお待ち頂けますでしょうか。お二人にとって最高の席を、只今ご準備させて頂きます。」


オーナーは腕に嵌められた、控えめながらも上質な輝きを放つ金の時計を一瞥し、私たちに優しい声で提案した。


「そうさせて貰おうかな♪素敵な夜の始まりに少しばかりの余韻もまた一興だろう?」


華弦は快諾すると、オーナーに向かって意味深な笑みを浮かべる。その表情には単なる同意以上の、何か含みのあるものが感じられた。オーナーは再び丁寧に頭を下げ、私たちを奥へと案内しようと歩き出した。その背中を見送りながら、私はまだ華弦が藤鷹家の御曹司であるという事実に心の何処かで現実感を持てずにいた。まさか、こんなにも近くに想像もしていなかった世界が広がっていたなんて。

オーナーに導かれるまま、私たちは静かで落ち着いた雰囲気のロビーへと足を踏み入れた。豪華なシャンデリアの柔らかな光がアンティーク調の家具や美しい絵画を優しく照らし出している。すると、ふと床に目をやると一際美しい黒いハンカチが落ちている事に気付いた。深い黒色のシルクは微かな光沢を放ち、繊細なレースが縁を飾っている。それはまるでロビーの華やかさを吸い込んだ一点の闇の様に強い印象を残した。


「あれ…?」


思わず声を上げ、屈みそうになった私の動きに気付いた華弦が優しい眼差しで私を見下ろした。


「どうしたんだい、羽闇ちゃん?」


「あ、あの…ハンカチが落ちてて…」


そう言いかけた時だった。ロビーの一角にある、豪華なソファに座る二人の男女の姿が私の目に飛び込んできた。その女性は息を呑む程に美しい。

光沢のある卯の花色の腰まで伸びた長い髪が、肩にかかってゆるやかな波をなしている。ふわりと下ろされた前髪の生え際には漆黒のカチューシャが淡い髪色と鮮やかなコントラストを描きながら飾られている。

その髪の陰から覗く暗黒色の瞳は潤んで不安げに揺れ、見る者の心を捉えて離さない。彼女が身に纏うのは深い群青色のベルベットのロングドレスだ。シンプルながらも身体のラインを美しく見せるそのドレスは肩や鎖骨を露出し、彼女の華奢な印象を際立たせている。胸元には控えめながらも確かな存在感を放つビジューが、憂いを帯びた表情に一筋の光を添えている。


一方、その隣に腰を下ろしている男性は彫刻の様な整った顔立ちに僅かな険しさが漂っていた。女性と同じである卯の花色の髪は襟足にかかる程度の長さに整えられ、無造作なハーフアップが近寄りがたい雰囲気を強めている。暗黒色の瞳は女性の方を一瞥した際にほんの一瞬、何かを訝しむように細められる。深く刻まれた眉間の皺は彼の生来の厳しさを感じさせた。大きな溜め息をつくことはないが、時折、口元が微かに引き締まる態度は内心の不快感を滲ませる。

彼は上質なダークネイビーのジャケットを羽織っており、その仕立ての良さは彼の育ちの良さを感じさせる。しかし、袖口にわずかな皺が寄っているのは彼が常に冷静沈着というわけではない事を示唆していた。内側のシャツはきちんと留められているものの、襟元は僅かに開いており、ネクタイは外されている。同じ濃い色のスラックスを穿き、表面上は落ち着いてはいるもののその視線は周囲を容易に受け入れない鋭い光を宿す。アクセサリーは身につけておらず、その潔さが彼の持つ警戒心や内に秘めた強さを際立たせる。

彼は美しい女性とは対照的に、焦燥感を隠そうともしていない。


華弦もその二人の存在に気付いたらしく、案内してくれていたオーナーに気になった様子で問い掛けた。


「オーナー、あちらのお二方は何かあったのかい?」


オーナーは華弦の視線の先を追いかけると、少し困った表情を浮かべた。


「ええ、どうやらお客様が大切な落とし物をされたとかで…。落とされたのは女性の方の様で、スタッフ一同で探しているのですが中々…。」


落とし物…その言葉を聞いた瞬間、私の手の中に握られている先程拾った美しいハンカチの感触が頭をよぎった。もしかして、あのハンカチは困っている女性の落とし物なのではないだろうか?

私は華弦とオーナーに小さく会釈すると、そっとその場を離れ、手に持ったハンカチを握りしめながらあの憂いを帯びた女性の方へと一歩、また一歩と近づいていく。

私の胸の奥には小さな期待とほんの少しの緊張が入り混じった、不思議な感情が湧き上がっていた。

第40話をお読み頂きありがとう御座います!

遂にフルール・ド・リュンヌに到着した羽闇と華弦。

華弦の優雅なエスコートに胸が高鳴った方も多いのではないでしょうか。今回は彼の意外な家柄が明かされましたね!

そしてロビーで出会った謎めいた二人組。物語はここから更に深まっていく予感です。

次回もお楽しみに!

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