第34話【言えぬ疑念、募る独占心】
※このエピソードには、性的なニュアンスを含むと捉えられる可能性のある描写が含まれています(R15程度)。
直接的な性的描写は御座いませんが、苦手な方はご注意下さい。
暫くして、二人は私の部屋に戻ってきた。二人の表情はいつもと変わらず、先程の張り詰めた空気は感じられない。しかし、私は二人の間に流れる微妙な緊張感を敏感に感じ取っていた。まるで静かに火花を散らしている様な、そんな危うい雰囲気が私の心臓をチクリと刺す。
「只今、羽闇ちゃん♪待たせちゃってごめんね。」
華弦はそう言いながら柔和な笑みを浮かべるが、その笑顔は何処かぎこちなく、私の心をざわつかせた。
「只今戻りました、羽闇様。」
壱月は静かに私のそばに立った。その顔は能面のように無表情だったが、奥の瞳にはほんの僅かに安堵の色が見えた気がした。張り詰めていた何かがふっと緩んだような、そんな感情が一瞬だけ確かにそこに現れた。
「お帰りなさい、二人共。…随分遅かったけど何処に行ってたの?」
私は二人にそう声を掛けた。けれどその声には意図せず私の戸惑いが滲み出てしまい、平静を装う努力も虚しかった。
「んー?ちょっと僕の部屋にね♪そんな事よりさ、羽闇ちゃんにも大事な話があるんだ。」
「話…?」
華弦が私のそばへと近づきながら、改まった口調でそう言ったので私は不思議に思った。一体彼は何を話そうとしているんだろう?先程とは違う彼の雰囲気に私は首を傾げる。
そんな私の様子を気にも留めず、壱月はいつもと変わらぬ声音で告げた。
「羽闇様、私は仕事が御座いますので一旦此処で失礼致します。何か御座いましたら遠慮なくベルでお呼び下さい。」
「う、うん。分かった。」
壱月は深々と頭を下げると、音もなく私の傍から離れていく。彼の姿が遠ざかるにつれて、見送る私の胸には言い様のない寂しさが広がった。
「萱君。さっきの話…胸にしまっておいてよね♪」
華弦は壱月の背中に向かって、軽快な調子でそう言った。その明るい声は冗談めかしていたが、何故か私には彼が壱月に何か念を押している気がした。
「…承知致しました。」
そして、振り返る事なく小さくはっきりとそう答えた壱月はそのまま部屋を出て行った。
「(壱月…?)」
扉の向こうへと消えていく壱月の背中を見送った私は大切な何かが遠ざかる寂寥感に襲われた。
「ねぇ、華弦。壱月と何を話していたの?私には言えない事なの?」
先程の壱月の様子が引っ掛かり、私は華弦に何があったのか問い詰めた。彼の真意を探ろうとするけれど、その美しい顔は静かに微笑んでいるだけで何も読み取れない。
「萱君との話かい?それはね…」
私の耳元に熱い息を吹きかけながら華弦が甘く囁いてくる。その吐息が耳にかかり、ぞくっとする。
「…内緒♪」
「…え?内緒って…。」
「男の子同士のちょっとした相談さ。可愛い羽闇ちゃんにはまだ刺激が強すぎるかな?」
華弦は私の髪を指先で弄びながら意味深な笑みを浮かべた。その瞳はまるで私を試しているかの様に深く見つめてくる。
「…そっか。なら、聞かない方が良さそうね。」
それ以上は何も聞けず、私は華弦から視線を逸らした。すると、華弦の表情が一瞬冷たくなったと感じた。
「(…気のせい、だよね…?)」
「ねぇ、羽闇ちゃん。」
華弦の低い声が私の鼓膜を震わせた。華弦は私の手をそっと握り、その熱を帯びた瞳を覗き込んでくる。
「…な、何よ?」
華弦の急な真剣な雰囲気に戸惑いつつも彼の存在を強く意識してしまい、声が少し上ずりながらも問い返した。
「…僕も、羽闇ちゃんのお世話をしたいな。」
「お世話…?」
予想外の言葉に私は思わず目を丸くした。彼の意図が読めず、混乱が頭の中を渦巻く。
「だって、萱君ばかりずるいじゃないか。」
少し不満そうに、華弦はさりげなく下唇を尖らせる。その様子は普段の冷静な彼からは想像出来ない程子供っぽく、ふと見せるこの可愛らしい一面。
そのアンバランスさが私の胸の奥を優しくくすぐり、何とも言えない心地よさを感じさせた。
「…もう、何を言い出すのかと思ったら…!」
「次は僕が羽闇ちゃんの入浴と着替えを手伝いたい。…何なら一緒に入りたいな♪」
私が言葉を続けようとした瞬間、華弦は私の言葉を遮る。そして甘く、それでいて有無を言わせぬ声で言った。
「なっ…!ば、馬鹿なこと言わないでよ!華弦のえっち!」
顔がみるみると熱くなるのを感じながら、華弦の手を慌てて振り払った。
彼の指先が離れても、掌にはまださっきまでの温もりがじんわりと残っていて心臓が少し早くなった。
「アハハッ、冗談さ♪正直なところ、半分本気でもあるんだけどね。」
「…もう、意地悪!」
華弦は喉の奥からくすくすと楽しそうな笑い声を立てる。余裕綽々なその笑みは私の慌てぶりを見て、完全に面白がっていた。私が頬を膨らませて睨み付けても、彼の笑みは深まるばかりで楽しそうな笑い声は止む事がない。
「ごめんごめん♪でも本当に心配なんだよ…君がいつも萱君ばかり頼っているのがさ。」
私の肩に手を置いた華弦の手は、逃がしてくれないと訴えているかの様にほんの少し力が込められており、その小さな力が今の華弦の真剣さを雄弁に物語っていた。
「そんな事言ったって…壱月は私の執事なんだから頼るのは当然でしょう?」
「当然、ねぇ?まるで、それが君にとって疑う余地のない真実であるかの様に言うんだね。…もしかしたら、いつも君にそう吹き込んでいる優秀な執事様の影響かな?でもね、候補とはいえ僕は君の婚約者だ。未来のお嫁さんになるかもしれない女の子の身体を、候補でもない他の男が目に焼き付けるなんて断じて許される事じゃないんだよ。…ましてやそれが君の絶対的な当然を支える、底の見えない執事の萱君だったとしてもね。」
華弦のその言葉が私の胸に小さな波紋を広げる。
私の考えを否定した、少し冷たい響き。『優秀な執事様』という言い方もそうだ。
華弦はいつも壱月の事をそんな風に呼んでいただろうか?彼は一体何を言いたいんだろう?それが何なのか、まだ何も理解出来ていない私は只々戸惑うばかりだった。
34話お読み頂きありがとう御座います!
今回のエピソードで、彼らの間に流れる空気や言葉の裏に隠された感情を少しでも感じて頂けたら嬉しいです。
華弦と壱月、そして羽闇の間に漂う特別な空気感は私自身も書いていて引き込まれるものがありました。彼らの関係性が今後どう紡がれていくのか?
次回もお楽しみに!