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第29話【意地と素直の狭間】

※このエピソードには、性的なニュアンスを含むと捉えられる可能性のある描写が含まれています(R15程度)。

直接的な性的描写は御座いませんが、苦手な方はご注意下さい。

目を覚ますと、私は自室のベッドに横たわっていた。全身の痛みはまだ残っているものの、先程よりは幾分か楽になった気がする。


「羽闇様、お目覚めになられましたか。お加減は如何ですか?」


「壱月…。」


ベッドの縁には壱月が静かに佇んでいた。端正な顔が僅かに傾げられ、気遣わしげな眼差しが私の顔を見つめている。私は、その眼差しにそっと微笑み返した。


「…うん、大分楽になったよ。身体も少しは動けるみたいだし。」


「それは良かったです。ですが、まだお体が万全とは言えません。本日はお部屋でゆっくりとお過ごし下さい。」


壱月の肩が僅かに上下する。表情は冷静そのものだけれど、その微かな動きは彼が胸を撫で下ろしている事を確かに示唆していた。


「…んーと。でも、少し身体がベタベタして気持ち悪いからお風呂に入りたいかな。」


私の身体は、今朝の特訓によって酷く汚れてしまっていた。汗と埃が肌に纏わりつき、じっとしているだけでも不快感が募る。壱月は私がそう言うだろうと予想していたらしく僅かに目を細めたが、私の願いを無下にする事も出来ないという葛藤がその表情から見て取れる。そして、何かを決意した様に微かに顎を引いた。


「承知致しました。ですが、まだお一人で入浴されるのは少々難しいかと…。恐縮では御座いますが、私が()()()()致しましょう。」


壱月の言葉に、私は思わず顔を赤らめてしまう。まさかそんな事を言われるとは思ってもみなかった。心臓が激しく鼓動し、全身が熱を帯びる。


「え、それってどういう…!?」


「ですから、私がお身体を洗うのをお手伝い致します。」


動揺を隠せないまま、私は思わず聞き返してしまった。壱月は落ち着いた口調で淀みなく言葉を重ねる。その様子からは、彼にとって当然の事を述べているという雰囲気が感じられた。


「えっ、い、いや、それは…その、遠慮しておくよ!自分で出来るから大丈夫。」


「しかし、羽闇様はまだ完全に回復されたとは言い難い状態です。万が一、湯船で転倒でもされたら…」


「だから大丈夫だって!それに、壱月に裸を見られるなんて恥ずかしすぎて無理!」


私は顔を赤くして、壱月を睨みつける。いくら壱月とはいえ、裸を晒すのには抵抗がある。それに、まだ年頃の私は壱月に触れられる事に必要以上に意識してしまうのだ。


「…私は、羽闇様の安全を考慮して申し上げているのです。」


壱月は淀みなくそう告げる。その声は、普段と変わらず穏やかだけれど、その奥には僅かな苛立ちが滲み出ていた。


「私が恥ずかしいって言ってるだけでしょ!それに…壱月だって、男の人なんだから少しは遠慮してくれてもいいんじゃないの!?」


私は壱月の立場を理解していても、彼が異性であるという事実をやはり強く意識してしまう。壱月に対する信頼とはまた別の、割り切れない感情が胸を締め付ける。


「…私は羽闇様の従者です。主の安全を守る事は、私の義務です。」


「きゃっ!駄目だってば!触らないで…!」


壱月の手が肩に触れかけた刹那、私は反射的にそれを払い除け、自分の身を守るように服を抱きしめた。目の前には冷静な表情を保とうとしながらも僅かに眉間に皺を寄せた壱月の顔。その様子にどうしていいか分からず、私は只ひたすらに服を強く握りしめる事しか出来なかった。


「…ハァ。羽闇様、いい加減にして下さい。いつまで子供の様な我儘を…」


「我儘じゃなくて!これは乙女心なの!壱月には到底分からないかもしれないけど!」


私は涙目で壱月を睨みつけた。乙女心。それは私自身もまだよく理解出来ていないものだけれど、壱月に触れられる事への戸惑いや抵抗感は確かに私の胸の中に存在している。それを言葉にしようとするとどうしても子供っぽく、我儘に聞こえてしまう。


「乙女心、ですか…。」


壱月の口から、予想外の言葉への戸惑いが滲む。普段はあまり感情の起伏を見せない彼が、僅かに言葉を失っている。その様子に私は少しだけ優越感を覚えたが、すぐに彼はいつもの落ち着きを取り戻し、穏やかな声音で言葉を紡ぎ始める。


「…承知致しました。では、せめて浴室に入られるまでお供させて頂けませんか?そこで転倒されないよう、見守るだけでも―…」


「それも駄目!絶対に嫌!!」


彼の提案は私にとっては到底受け入れられるものではなく、只安全を理由に付き添おうとする彼に私は心の底から反発した。


「…そこまで仰るのなら、もう何も言いません。ですが、もし何かあったらすぐに私を呼んで下さい。」


壱月は眉間に寄せられていた皺を更に深くしながらそう言うと、静かに部屋を後にした。彼の背中を見送りながら、私は小さく呟く。


「…ふん、一人で出来るんだから。壱月の馬鹿。」


そう呟いて、私は部屋に残された。彼のいない部屋はいつもより広く感じられる。けれど、心の中にはほんの少しだけ罪悪感が残っていた。彼の気遣いを無下にしてしまった事への後悔、そして私の気持ちが届かなかった寂しさ。自分の未熟さを痛感しながらも、彼に分かって欲しいと願わずにはいられなかった。私はぎゅっと胸を押さえ、一人静かに溜め息をついた。


「(…でも、少し言い過ぎたかな。)」


そう思いながら、私はおぼつかない足で脱衣場に入った。扉を閉めると、脱衣場のひんやりとした空気が少しだけ熱を持った頬を冷ました。ゆっくりと服を脱ぎ、何とか浴室へと向かおうとしたが、特訓で力を使い果たした身体は思うように動かず、壁に手をつきながら一歩ずつ慎重に進む。普段なら何でもない脱衣場が今日は酷く広く感じられた。ようやく浴室の入り口へと辿り着き、これで一安心だとほっと息をついたのも束の間。油断した足元がふらつき、浴室に入る直前でバランスを崩してしまった。


「きゃっ…!」


私は思わず声を上げ、近くの手すりにしがみついた。もう少しで転んでしまうところだった。そして全身から力が抜け、床に崩れ落ちるように座り込んだ。


「…やっぱり、一人じゃ無理だったかも。」


思わず壱月を呼ぼうとしたけれど、先程あんなに意地を張ってしまった手前、なかなか素直に声を出す事が出来ない。今更助けを求めるなんてプライドが許さなかったが、もう限界だった。情けない。そう思うけれど、素直になれない。心臓が煩い程に鳴り響き、冷や汗が背中を伝う。


「…壱月。」


私は小さな声で壱月の名前を呼んだ。けれど脱衣所に壱月の姿はなく、シンとした静けさだけが私を包み込む。返事はない。只、脱衣所の時計の針が時を刻む音がやけに大きく響く。


「壱月…!助けて…!」


私は今にも泣き出しそうな声を必死に抑えながら、もう一度壱月の名前を呼んだ。震える声は、自分でも分かる程に弱々しかった。その時、脱衣所の扉が開いた。


「羽闇様!大丈夫ですか!?」


壱月は私の姿を見るとすぐに駆け寄り、私を支える。その表情にはいつもの冷静さはなく、焦りと心配の色が濃く浮かんでいた。私はそんな壱月の姿を見てほっと息をついたと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「…ごめんね、壱月。やっぱり、一人じゃ無理だったみたい。」


「…謝る必要など御座いません。やはり、今日のところは私がお手伝いさせて頂きます。」


震える声で素直に謝罪すると、壱月はいつもの冷静な口調に戻り、安心させる様に囁いた。そして私を優しく抱き上げると慎重に浴室へと運んでくれた。

29話お読み頂きありがとう御座います!ここから【第4章】に突入です!

今回は、羽闇の乙女心と壱月の従者としての義務がぶつかり合う回でした。

結局、壱月を頼ってしまう羽闇がまた可愛いです。何だかんだ言って壱月が必要なんですよね(笑)

次回もお楽しみに!

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