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第28話【静かなる対話 -壱月萱side-】

陽光が最も明るさを増す頃―月光邸の一室。大旦那様の書斎にはいつもの静寂が満ちていた。重厚な書棚が並び、古びた書物が静かに佇むこの場所で大旦那様は静かに目を閉じていた。


「壱月、来たか。」


低く、しかしよく響く声が静寂を破る。私はいつもの様に冷静な口調で答えた。


「はい、大旦那様。お呼びでしょうか。」


「羽闇の特訓は如何であろうか。」


私は大旦那様の声に意識を集中させながら、羽闇様の特訓の光景を脳裏に浮かべた。月の力を制御しようと懸命に集中する彼女の姿…瞳の奥には拭いきれない不安が揺らめいていた。私はその不安の正体を確かめる様にゆっくりと呼吸を整える。そして、心の奥底に封じ込めた感情を決して表面に出さない様、細心の注意を払いながら言葉を紡ぎ始めた。


「はい。羽闇様は日々の鍛錬を重ね、月姫様の力を扱う腕前も着実に上達されております。ですが、力を完全に意のままに使いこなすにはまだ至っておりません。」


「成る程な。だが、彼女は過去の月姫達とは異なる何かを持っている様に感じる。」


大旦那様の言葉には、期待と僅かな懸念が滲んでいた。その視線は、隠された真実を暴き出す様に私の奥底に突き刺さる。


「私もそう感じております。羽闇様は困難な状況でも決して諦めず、常に前向きな姿勢を崩しません。その強い意志は歴代の月姫様方の記録には見られなかったものです。」


「月の力が彼女をどう変えていくのか、見守る必要がある。過去の月姫の中にはその強大な力に心を蝕まれ、悲劇的な運命を辿った者もいたからな。」


私は静かに頷いた。過去の記録を紐解けば、月姫の力がもたらした悲劇は数え切れない程あった。強大な力は時に人の心を狂わせ、破滅へと導く。


「羽闇様であれば、その様な悲劇を繰り返される事はないと私は確信しております。彼女は、大切な方々をお守りするという強い意志をお持ちでいらっしゃいますから。」


「うむ、ならば良いのだが…。月光家の未来は、彼女にかかっているのかもしれないな。」


大旦那様の言葉には、重い責任感が込められていた。月光家の未来。その重責が、これから大きく成長するであろう少女の肩に託されようとしている。


「月光家は古より月姫様の力を守り、その誕生を願ってきました。しかし、特別な力であるが故に近年は悪用される危険性も高まっている。羽闇様が完全に覚醒し、正しく使われる事で月光家は再び人々の心の支えとなるでしょう。」


「期待しておるぞ、壱月。羽闇を支え、正しく導くのもまたお前の役目だ。」


「御意。」


私は深く頭を下げた。その表情は変わらず静謐だったが、内心では別の思惑が渦巻いていた。


「他に報告事項は?」


「はい。例の件について、新たな情報が入りました。」


私は懐に忍ばせていた一枚の紙を取り出し、大旦那様に差し出した。その紙には、細かな文字がびっしりと書き込まれている。


「…そうか。やはり、動き出したか。」


大旦那様は紙に目を落とし、その内容をじっくりと読み始めた。その表情は徐々に険しさを増していく。書斎には静寂だけが満ち、時折大旦那様の微かな息遣いが聞こえるのみだった。


「羽闇にはまだ知らせる必要はないだろう。」


「そうですね。彼女には、特訓に専念して頂くのが最善かと。」


私は大旦那様の言葉に感情を排した声で答える。羽闇様の事を思っても、私の胸に感情の揺らぎはない。今はまだ彼女に真実を告げる時ではない。


「うむ。頼んだぞ、壱月。」


「御意。そしてもう一つ…羽闇様の婚約者候補様の件についてですが、今のところ最有力と思われるのは星宮夜空様です。」


私は頭を下げたまま静かに状況を報告する。婚約者候補の選定は、羽闇様の将来を大きく左右する重要な事柄。そして星宮家に関する情報は、私も既に把握済みだ。


「…ほう、星宮か。」


「はい。星宮夜空様は、羽闇様との親睦を他の婚約者候補の皆様よりも最も深められており、周囲からの評判も大変に高いと伺っております。加えて、羽闇様ご自身も以前から星宮様に好意をお寄せでいらっしゃるご様子。月姫様の力を持つ羽闇様と、カリスマ性と星の力を兼ね備えられた星宮様の組み合わせは月光家にとりまして誠に好ましい影響をもたらすものと存じます。」


「成る程な、確かに彼は魅力的だ。だが油断は出来ん、本当に羽闇に相応しいのか見極める必要があろう。」


腕を組みながら深く頷いた大旦那様の表情は、まだ完全に納得したわけではない事を示していた。私は、彼のその言葉に静かに頷き返した。


「私も引き続き婚約者候補様方の動向を注視し、羽闇様に最も相応しいお相手を見極めて参ります。」


「…ところで、壱月。お前はどうだ?」


突然の問い掛けに私は息を呑んだ。予想外の言葉に思考が一時停止したかの様に感じたが、すぐに冷静さを取り戻し、その言葉の意図を理解しようと努める。


「…私、でしょうか?」


「そうだ。お前は羽闇の側で常に彼女を見守り、その成長を支えている。お前程、羽闇の事を理解している者はいないだろう。お前も羽闇の婚約者候補になるのはどうだ?」


私は大旦那様の言葉に動揺を隠せなかった。まさか、自分がその候補に挙げられるとは予想もしていなかったが、内心では冷静に状況を分析していた。


「大旦那様…私は、その様な…。」


「遠慮は無用だ。お前が羽闇に相応しいと思うなら、申し出よ。お前なら、羽闇を必ず幸せに出来るだろう。」


私は言葉を失った。大旦那様の言葉は、私の心を大きく揺さぶる。しかし、今の私には羽闇様の婚約者候補になる資格はない。


「…大旦那様のお言葉、痛み入ります。しかし、私は…。」


私は言葉を濁した。心の奥底に渦巻く感情を押し殺し、平静を装う。確かに私は、羽闇様の側で、常に彼女を見守ってきた。しかし、それはあくまでも主従関係としてだ。そして、私が目にしてきたのは月姫様としての彼女の成長のみ。


「…そうか、ならば仕方あるまい。だが、心変わりしたらいつでも申し出るが良い。」


「御意。それでは、私はこれにて失礼致します。」


再び頭を下げ、大旦那様の部屋を後にした。扉が静かに閉まる音が背後で小さく響き、その音を聞きながら一歩ずつ廊下を進む。静まり返った廊下には、昼前の柔らかな光が差し込み、磨き上げられた床を静かに照らし出している。その光を見つめながら心の中で呟いた。


「(羽闇様…私は、貴方様の…。)」


私の胸には、複雑な思惑が入り混じっていた。

自室に戻ると、机の引き出しに手を掛ける。中には例の件に関する情報が収められており、それを手に取っては静かに目を閉じた。


「(計画は、着実に…。)」


私の葛藤はまだ続く。計画を進めるべきか、それとも…。否、そんな迷いは無用だ。己の務めを全うしなければならない。私の秘めたる想いはいつか羽闇様を…月光家を静かに包み込むかもしれない。誰にも気づかれる事なく、確実に。

28話お読み頂きありがとう御座います!

今回は、月光家の執事・壱月萱視点でお届けしました。

壱月の冷静さの中の『秘めたる想い』、そして彼の言う『計画』とは一体何なのか…?

これにて第3章は完結です。次回からはいよいよ第4章に突入します!

どうぞお楽しみに!


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