第27話【咲き誇る時、新たなる挑戦】
翌朝、私は壱月の静かな声で目を覚ました。窓の外はまだ薄暗く、空は深い藍色に染まっている。
「羽闇様、おはようございます。朝食の準備が出来ております。お召し上がりになられたら、今日の特訓を開始しましょう。」
壱月は穏やかな微笑みを浮かべており、私はまだ眠気眼を擦りながらゆっくりと体を起こした。
「ふわぁ〜…おはよう、壱月。すぐに支度するね。」
朝食を済ませ、壱月と共に再び特訓ルームへと向かう。昨日の疲れがまだ残っているものの、有栖川さんの言葉を胸に、今日こそは撫子を完全に咲かせてみせると心に誓った。特訓ルームに到着すると、有栖川さんが既に私達を待っていた。彼女は冷静な表情で私を見つめている。
「おはようございます、有栖川さん。」
「ええ、おはよう。今日は感情と歌声の繋がりを意識して特訓を行いましょう。」
月の光が私の体を包み込み、眩い光と共に私は月姫へと姿を変えた。そして有栖川さんの指示に従い、再び撫子の鉢植えに向き合う。目を閉じ、呼吸を整え、昨日の夢で見た撫子が美しく咲き誇る光景を思い浮かべる。
「(撫子、今日こそは私の歌声で美しい姿を見せて下さい。)」
私は心の中でそう願いながら、歌い始める。昨日は力の制御に意識が集中してしまっていたけれど、今日はもっと感情を込めて歌う事を意識してみた。撫子への慈しみや必ず咲かせてみせるという強い意志、それらの感情を歌に乗せていく。すると歌声が昨日よりも力強く、そして温かみを帯びているのがわかった。光の粒子が安定し、撫子の花弁がみるみるうちに色を取り戻していくが、あと一歩というところで歌声が乱れてしまい、光の粒子が再び不安定になってしまう。
「…羽闇さん。昨日も言ったと思うけど、焦っては駄目よ!開花まであと僅か…そのまま続けて。」
私は有栖川さんの言葉に頷き、そのまま歌を続けた。先程よりもゆっくりとしたテンポで、一音一音に感情を込めるように歌ってみる。再び光の粒子が安定し、撫子の花弁が完全に色を取り戻していく。すると先程とは違って、枯れかけていた葉も時を巻き戻すかの様にみるみるうちに生気を取り戻し、美しい緑色に輝き始めた。
「咲いた…!」
私は思わず声を上げた。目の前には、美しく咲き誇る撫子の花があった。薄紅色の花弁が光を浴びてキラキラと輝いており、まるで宝石みたいだ。
「おめでとう御座います、羽闇様。遂に撫子を完全に咲かせる事が出来ましたね。」
壱月は丁寧に告げた。その表情は静謐だが、口元に薄い微笑みが浮かび、瞳の奥に静かな喜びが滲んでいる。
「…えへへ、良かった。有栖川さんも壱月もありがとう御座います!」
私は嬉しくて、思わず2人に感謝の言葉を伝えた。胸の奥から込み上げてくる喜びと安堵が言葉となって溢れ出す。
「よくやったわね、羽闇さん。貴方の成長は目覚ましい。けれど、これはまだ始まりに過ぎないわ。月姫の力を完全に制御出来る様に、これからも精進しなさい。」
有栖川さんは冷静な口調ではあったが、その声には普段よりも僅かに温かみが感じられ、視線もまたいつもより柔らかい。普段は研ぎ澄まされた彼女の瞳が、今日は静かに揺らめいていた。感情をあまり表に出す事はなかったけれど、彼女の言葉には私の成長を認める確かな喜びが込められていた。
「…はい!」
私は背筋を伸ばし、力強く頷いた。有栖川さんの言葉が胸にずっしりと響く。それは単なる賞賛ではなく、月姫の力を使いこなす事は私にしか成し遂げられないと、そう言われている様に感じた。決して容易な道ではない事は分かっている。それでも私はその使命を受け止め、前に進もうと思った。
「じゃあ次の段階に移りましょうか。今度は、貴方自身の戦闘能力を高める特訓を行います。」
「…え?戦闘能力、ですか?」
「ええ、月姫の力は特別な力。その力を制御し、敵から身を守る為には貴方自身の戦闘能力も必要不可欠なのよ。―咲き乱れ、撫子の舞。」
有栖川さんは内なる光をたたえた撫子の一本簪を懐から取り出すと、古の呪文の様な言葉を静かに紡ぎ始める。すると辺りの空気を震わせ、神秘的な静寂を生み出した。簪から眩い光が放たれると撫子の花弁が光に吸い寄せられる様に宙を舞い踊り、白銀の鋭い薙刀へと姿を変えた。
「羽闇さんは以前、歌で敵との戦闘に勝利したのだったわね。次の特訓は、私との模擬戦闘よ。貴方の今の実力を私に見せて頂戴。」
「分かりました。改めて、よろしくお願いします!」
「…いつでも掛かってきなさい。」
有栖川さんは静かにそう言うと、戦闘体勢をとり始めた。私は彼女との距離を詰めようと、歌で自身の身体能力を向上させようと試みた。しかし、有栖川さんはそれをいとも簡単に身を翻し、私に向かって素早く近づいてくる。
「甘いわよっ!」
次の瞬間、薙刀の刃が私の頬を掠めた。私は咄嗟に後ろに飛び退き、距離を取る。有栖川さんの動きは疾風の様に速く、捉えどころがない。私は何とか彼女の攻撃を避けようとするが、薙刀の重い一撃が歌で作り上げた光の壁を僅かに揺るがし、防戦一方となった私を容赦なく追い詰めた。まるで歯が立たない。
「きゃあ!」
私は声を漏らしながら背中を強く打ち付け、地面に倒れ込んだ。全身に衝撃が走り、息をするのも苦しい。体はもうボロボロで、力は殆ど残っていない。
「…今日はここまでね。」
そう言い残した有栖川さんは私に背を向けると踵を返し、静かに去って行った。私は地面に倒れ込んだまま、全身が痛くて動く事も指一本動かす事も出来なかった。
「羽闇様、大丈夫ですか?」
壱月が駆け寄り、心配そうな顔で私を見下ろしていた。私は動かない体で、壱月を安心させようと掠れた声で言った。
「…意識ははっきりしてる。見ての通り、体は動かないけど。…それにしても、全く相手にならなかったなぁ。」
「…ですが羽闇様は以前に比べ、目覚ましいご成長を遂げられております。諦めずに鍛錬を重ねられれば、必ずや更なる高みへと至れるでしょう。」
「…うん。ありがとう、壱月。」
少しだけ元気を取り戻した私は壱月に支えられ、ゆっくりと体を起こそうとしたが力が入らず、結局壱月が優しく私を横抱きにした。そういえば、以前の戦闘の後もこんな風に運んで貰ったっけ…あの時も今も、壱月は何一つ文句も言わずに私を抱き上げてくれる。
「羽闇様、本日もお疲れ様で御座いました。先程の戦闘…私も拝見させて頂きましたが、その身を顧みず戦われる姿に深く感銘を受けました。ですが、今はどうかご自身の体を労わって頂きたい。少々お早い時間では御座いますが、お部屋へお戻りになってゆっくりとお休み下さい。」
照明で明るく照らされた特訓ルームは静まり返っていた。私は全身を襲う疲労感と悔しさを噛み締めながら壱月の言葉に頷き、壱月の腕の中に身を預け特訓場を後にした。廊下に出ると静寂が流れ、壱月の足音だけが小さく響く。私は意識が遠のいていき、そのまま深い眠りへと沈んでいった。
27話お読み頂きありがとう御座います!遂に撫子を咲かせる事が出来た羽闇!
彼女の歌声が命を吹き込む様に花を咲かせたシーンには、私自身も胸が熱くなりました。
有栖川さんとの模擬戦では圧倒されましたが、これもきっと羽闇の成長の糧になる筈。壱月の優しさも羽闇を支える大切な力ですね。
次回もお楽しみに!