第103話【冷徹な選択】
「そう……」
華弦の声は、ひやりとする程冷たかった。
いつもの底知れない笑みはなく、一切の感情を凍らせた視線だけが私の心を射抜く。
その視線が放つ圧力に、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。冷たい汗が背中をすうっと伝う。
華弦はゆっくりと懐に手を差し入れ、そこから華の石を取り出した。手のひらに乗せられた石は、薄暗い部屋の中でもぼんやりと鈍く輝いている。
夜空君と鳳鞠君の顔に動揺の色が浮かんだ。それは華弦が本気を出すという事に、彼等自身が予想以上の危険性を感じ取っている証拠だった。
「藤鷹君、流石にそこまでは…!」
華弦は夜空君の反応を気にする様子もなく、華の石を空中に掲げた。石は瞬く間に光を放ち、細剣の姿へと変貌した。
「よせよ、華弦!幾ら何でも羽闇相手に石を使うのはやりすぎだろ!」
鳳鞠君が声を張り上げると、華弦の腕を掴もうと手を伸ばした。
「仕方ないでしょ、ほまりん。」
腕を振り払うように身を退けた華弦は、細剣の柄をしっかりと握りしめる。
「こっちは何としてでも羽闇ちゃんを外に出すわけにいかないんだから。月姫が今此処で危険な目に遭うなんて、万が一にも許されない。分かっているだろう?…よぞらん、ほまりん。一緒に羽闇ちゃんを止めるよ。」
二人に協力を促しながら細剣の切っ先を僅かに私の方へ向けてきた。
張り詰めた緊張感が漂う中、夜空君と鳳鞠君は互いの顔を見合わせている。
「早くしてくれる?」
意を決した様子で静かに頷いた夜空君は、懐から鼈甲色の石を取り出す。水族館の戦闘の時に使用していたものだ。
ゆっくりと形を変え、私の目の前で再び神聖な輝きを帯びた杖へと姿を変えた。
「うぅ……」
しかし、鳳鞠君だけは違った。拳を僅かに震わせ、視線を床に落としたまま立ち尽くしている。
「ほまりん?」
早く決断しろと言わんばかりの圧が込めて鳳鞠君を見つめる華弦。
「ルナ・ラディアンス!」
変身の呪文を唱えると、ペンダントから眩い光が溢れ出し、全身を包み込む。
光が収まった頃には、私は月姫へと姿を変えていた。
「へぇ、月姫姿の羽闇ちゃんは初めて見たかも。こりゃまた可愛いなー♪だけどね…戦場じゃそういうのは通用しないんだよなぁこれが。」
「馬鹿にしないで!分かってるわよ、そんな事。」
緊迫した状況にも関わらず、華弦はいつもの飄々とした調子で軽やかに笑ってはいるが、声からは一切の甘さが全く感じられなかった。
「んー…君と戦うのは正直辛いけど、ここで引いたらまた一葉君に『甘やかしすぎ』って怒られちゃうからね。」
華弦は手にした細剣を構え直した。
彼の主な攻撃は『香り』。あれは最も厄介であり、最も警戒すべき攻撃だろう。
甘く酔いしれる香りで無力化し、下手をすれば意識を奪ってくるかもしれない。
「(私の歌で、何としても攻撃を防がなきゃ…!)」
私は手に持っていた月下美人をマイクへと変化させ、口元へ近づけた。
すると突如、目の前に影が差した。
「待ってくれよ、華弦!」
鳳鞠君が私を庇う形で、華弦の前に立ちはだかった。
「鳳鞠君…?」
「どうしたの、ほまりん?…邪魔だからどいてくれるかい?」
華弦の眉間には不快そうな皺が刻まれているが、鳳鞠君は動じる事はなかった。
「華弦、もう少し冷静に話をしようよ!俺達は羽闇を守りに此処に来ただけで、彼女を傷つけに来たわけじゃないだろ!?目的を見失うな!」
「…僕は充分冷静だけど?むしろ冷静じゃないのは羽闇ちゃんの方じゃないか。勝手な真似をして、一葉君や使用人達を困らせてさぁ…。」
「俺から見たら、華弦も冷静とは言えないけどな。強引なやり方は良くないんじゃないのか?大体、こんな事をしたら羽闇に嫌われてしまうよ。」
痛いところを突かれたのか、華弦の肩がぴくりと揺らいだ。しかし、彼は冷たい表情を変えずに淡々と答えた。
「別にいいさ、嫌われても。」
「はぁ!?本気で言ってるのかよ、華弦!?」
「僕はいつでも本気だよ。ま…これで婚約者に選ばれる事はなくなるだろうけど、羽闇ちゃんを守る為なら本望さ。」
彼の言う事は筋が通っている。けれど、私の心を無視した衝撃的な言葉に胸の奥がチクリと痛んだ。
「夜空も何か言ってくれよ!お前まで華弦の味方につくのか!?」
困惑した表情を浮かべたまま、夜空君はゆっくりと口を開いた。
「羽闇ちゃん、火燈君……ごめんね。今回は藤鷹君の判断は正しいと思う。だから無理矢理にでも君達を止めてみせる。」
「夜空君まで…!?」
好きな人までが華弦の味方についた事実に、目の前が真っ暗になった気がした。
「あーらら…残念だったね、羽闇ちゃん。んじゃ、君にはこの香りで暫く眠って貰うとしようかな♪…バイバイ。」
「っ…!」
もはや選択の余地を与えないとばかりに、華弦は細剣を振りかざした。
その瞬間――。
「え……?」
華弦の身体が急にふらつき、膝をついた。握っていた細剣はカランと音を立てて床に転がる。
顔はみるみるうちに赤くなり、額からは冷や汗がじっとりと滲み出ていた。
「な…何だ、これ…!?」
「華弦!?」
「藤鷹君!?うっ…」
彼が苦しげに言葉を漏らすと同時にすぐ隣にいた夜空君も身体がぐらつき、その場に倒れ込んでしまった。彼もまた顔が真っ赤に染まり、苦しげに息を吐いている。
明らかに二人の様子は異常だった。
「夜空君まで…!どうしたの!?」
「分からない…!急に、体が熱くなって…。頭がボーッとする…」
彼等の元に駆け寄り、手を額に当ててみると高熱と言える程の熱が感じられた。
室内は決して暑くはない。元々熱でもあったのかと考えたが、つい先程まで正常な状態だった筈だ。
「(敵の仕業…!?だとしたら、どうして二人だけが…?)」
すると、鳳鞠君が申し訳なさそうでありながらもどこか安堵した表情でポツリと呟いた。
「ごめんよ…華弦、よぞらん。」
彼の手のひらには炎の形をした真っ赤な石が禍々しく輝いていた。




