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未分類  作者: 藍原センシ
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「桜の降る道」④


          *   *   *


 空きコマを複数経て、夕方五時四十五分頃からその曜日最後の講義がある予定だったが、担当教授の面談の都合によりそれは休講になった。同じ講義を取っていた徹宏と渋谷駅を漫歩したが、やがて手持ち無沙汰となったのでそこで別れ、帰宅する事にした。

 住宅街へ続く裏道に入ると、まだ夏至には程遠い途上である四月中旬の空は、既に薄暗くなりつつあった。道玄坂沿いに並ぶビルの裏手は、西日すら高層建築物群に遮られて淡い影が落ちている。去年の今頃、最初にアパートに転居してきた頃は、この辺りはあちこちでテナント工事が行われ迷路のようで、今以上に暗かった。その後はアパートの前で廃墟の取り壊しがあり、窓から見える範囲は常に工事ばかりが行われているようだった。

 昨年の夏、部屋からの景色が空地となり、その横の小径(こみち)が舗装されてから、廃墟となっていた建物の裏庭だったと思しき場所に、一本の太い老木が見られるようになった。その向こうに見える彼方のビルは絶え間なく移り変わるにも拘わらずその木だけは不動で、このような東京の中心部にあっても秋には葉を紅葉させ、冬には枯葉を落として枝に(みぞれ)を積もらせた。

 その木が昔からずっと、その場に植えられたまま屹立し続けていた事は想像に難くなかった。治哉は(かしま)しい日々の流れに追われながら、自分の足場を確かめるものを求めていた時に、その老木が目に付いてはっとした。朝起床してカーテンを開け、窓からその木を眺める瞬間、治哉は自分の立っている場所が変わっていない事を確認して安堵するのだった。

 その老木が今朝窓を開けた時、部屋の中にまで届く程、甘くない、(ぬる)い水のような匂いを運んできた。

 それは花弁の、ある意味生々しく生物らしい水分を含んだ匂いだった。大都市というものを皮膚で実感し、その観念に囚われつつあった治哉に、そのごく自然な匂いは不思議と強く叙情を訴えるものだった。

 桜だったのだな、と気付いたのはその時だった。

 こうしてすぐ下を通ると、その樹皮の質感や、冬の間に側溝に落ち、分解されずに残った葉の形などがはっきりと見え、見れば見る程それは桜である事を如実に示していた。何故、今まで気付かなかったのだろうと思う程に、それは樹木全体で「桜」を体現していた。

 大学の構内にも、高校の校門前、川沿いの並木道にも、確かに桜があった。しかし春が終わり、初夏の風に花弁が散り落ちた後、元々背景に過ぎないそれを、治哉も、そして恐らく他の人々も、意識の中に拾い上げる事すらしなくなってしまう。桜自体が消える訳ではないのに、夏や冬には桜が存在しないような錯覚を抱いてしまう。自分の足場と定めていた老木がその淡紅色を纏った時、治哉はつい、妖しいながらも優しいものに魅入られたような気分になった。それを通して、今まで見えなかった事象の裏側を垣間見た。

 桜が咲き始める瞬間を、治哉は知らなかった。

 気付けば既にそこにあって、常に散っているように思った。花を散らす程の風を、自分は殊更(ことさら)に意識する事もないのに、だ。

 相田陽子と、最後にH**川の河川敷で交わした会話が想起された。

 春、桜、恋、夢、諸行無常の思想を宿すこの国では、一般的に「美しい」とされるものはことごとく儚い。そしてその刹那を、滅びの美学と表白出来る程、治哉は自分が夢想家だとは思っていなかった。歌境に(すさ)ぶ程余裕のある生活をこなす事の出来ない治哉には、儚い事は日々の暗さと同義だった。

 思索は、一度思い出した陽子の方へと流離(さすら)って行く。

 桜を見ると、もしくは桜の事を考えると、彼女を思い出すのは不可思議な事だ。校外学習へ行く為公認欠席の許可を貰い、授業の途中に二人きりで教室を出た事、もしくはついでを装って誘った花火大会の事。鮮烈に、青春という言葉が似合うような思い出は沢山あるはずなのに、特に何が起こる訳でもなかった去年の三月、最初に浮かぶものが自分たちの最後の日であった卒業式後の事ばかりなのは、不条理ともいえる事かもしれなかった。

 だが、冷静に考えればそれは当然とも思えた。

 治哉にとって、東京で(かろ)うじて自分を見失わないでいられるのは、(よすが)の存在があるからだった。それは、形而下では故郷の思い出であり、形而上的な象徴としては毎朝いちばん初めに目に入るこの不変的な老木だった。

 故郷に居た頃、自己同一性が完成し、最も今の自分に近い時代は高校時代だ。そして、希望進路に進む為に一心不乱に、その癖脇目も振らずという意味では盲目的に淡々と駆け続けた──登呂徹宏の言葉を借りれば「将来への踏み台」にした──その生活の中で、青春に代表されるような交際が陽子との思い出だった。陽子は、治哉の思い出に於ける偶像だった。

 陽子は、桜のような少女だった。

 文学的な表現ではない。

 異性である彼女との関係性を、或いは彼女に抱いている感情を、恋か否かという二者択一に限定しようとした自分が愚かだったのだ、と思った。

 彼女は、()()桜の老木と同じだったのだ。

 自分にとっての拠り所で、時折共に外出したり、花火に行ったりという事こそが春に咲く”花”だった。治哉は決して、軽薄に彼女を想っていた訳でも、不真面目に彼女を見ていた訳ではなかった。

 それでも、去年から見ていたこの木を、桜だと気付いたのはつい今し方の事だという事実は変わらなかった。


          *   *   *


 例年より三、四日程度遅い今日、四月十一日の夜、目黒川桜まつりが開催されるという事だった。

 アパート前に建っていた廃墟が取り壊され、私道と見紛う程の小径(こみち)が舗装された事で、治哉は自宅から五分程度で目黒川へ辿り着く事が出来ると知った。今日まで別に見に行く予定はなかったが、外から大勢の人の楽しげな声が聞こえてくるのが気になった。すぐに戻って来る事も出来るので、夕食を済ませた後でちらりと足を運んでみる事にした。

 小径を抜ける時、狙い澄ましたかの如く不意に風がそよぎ、老木から花弁がはらはらと治哉の上に舞い散ってきた。それらを軽く払い落としながら、落ち葉を清掃する人は居るのに、花弁を掃き集める人が居ない事、それにも拘わらず舞い散った花弁がいつの間にか消えていく事を、ふと不思議に思った。

 祭りの中心である五反田までは五キロメートル程離れており、歩く人々は皆、その喧騒や雑踏から静かな場所へ逃れてきたか、もしくはこれから夜の明るい方向へ歩いて行こうとしている人かのどちらかだった。住宅地は既に夜の(とばり)が降り、治哉を含め無関係な人々を懸隔せんとしているようにも見えた。

 軽く散歩がてら、先月から咲き続けた桜のラストスパートを眺めようとしているラフな服装の中年、湧き立つ気持ちを抑え、それが抑えきれないようにいそいそとした足取りの親子連れ、夏にはまだ早いのに待ちきれず浴衣を着た、頰を上気させた若い女性の一団などが流れを下る方向へ進んで行った。

 川沿いの道に出ると、花明かりは不意に治哉の足を止めた。

 主催される品川区から遥かに上流のその場所でも、桜は満開だった。

 都市は、夜でも明るい。新宿などの中心部は人々にとって仕事の場であり、地価の高さからそこに家庭を置き、寝食の中枢を定める人は少ない。夜間人口が少なく、それなりに夜は静寂(しじま)を連れ()る。都市らしく夜も明るいのは、むしろ郊外と中心部を中継する、このような場所なのだと思う。星すら街灯で見えなくなるような場所でありながら、その花明かりは水の反射光を集めたかの如く白く、自ら発光しているようだった。

 川岸の道。芝生の斜面。ちらちらと揺れるような水明かり。満開に咲きながら、飽き満ち、零れる花弁。宵を過ぎた川に佇む桜木は、去年治哉が居たH**川の川縁を連想させた。あの夕暮れの先の夜に、治哉は立っているように思った。

 来るべき場所に行き着いたようだった。

 この夜の延長線上にある昼にも、その更に向こうの夜にも、自分は立ち続けるのだと思った。

 昼下がり、煙の立つ丘。(はく)渺茫(びょうぼう)と霞が掛かる、ビル街の向こうの山並み。

 桜流しの雨と、花(いかだ)

 そして川は、流れる事をやめない。

 桜には、精神を窃取された抜け殻が埋まっている、と陽子は言った。

 春を象徴する桜には、河梁(かりょう)の別れを始めとした悲愴が付きまとう。もののあはれ、儚いものを慈しむこの国の(さが)の前には、それが何処までも、一向(ひたぶる)美しいものとして映える。

 だから、桜があれ程美しいのが根本に埋まった屍体によるものだとしたら、それは虚ろな抜け殻となった躯体の事だろう。そして自分もまた、その例外ではなかったのだ、と治哉は胸の内で独白した。

 自分は、未だに死んでいるのだな、と思った。死んでしまったかつての自分が、戻れない過去に置き去りにされた精神の(むくろ)が、今ではあの木の維管束の中にある。木は爛熟した栄養を吸い上げ、未だに喪失の最中に在る自分に宿り()を与え続けているのだ。

 川の如く流れ、移ろい続ける東京で、静謐は一種の死だった。

 死の静謐は、究極的な安らぎを意味していた。

 自分は、未だに死んでいる。

 そう考える時、その「未だ」は、長く眠っていたものの再生を待つような、遥かに見込みの薄い奇跡を待つ願望の表れだった。それを完全に手放した時、治哉はその涅槃(ねはん)的な安らぎに至るのだと思った。

 自分の中にそれを迎えるのは、ここでは否定し得ない幸福な事だった。泡沫(うたかた)の儚さである事が愛すべきものとされる日本で、どれだけあの暖かな影を思い出し、日々の暗さを脱したいと願っても。世情の上に生きる個人が、どれだけ反乱の灯火(とうか)を胸裏に宿しても。ただ存在しなかったはずの青い季節を懐かしむような、純粋に過ぎ去ったものを慈しむ事の叶う、凪いだ心中に。

 そっと、(きびす)を返した。

 これで良かったのだろうかと思いながら、治哉はゆっくりと歩いた。



(桜の降る道・終)

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