「ハルモニア」④
* * *
訓練用ヘッドギアを被り、メタバース空間に接続すると、背中に当たっていたマットレスの感覚が消え、足の裏に床の感触が伝わってきた。布団越しに、下の方から聞こえていた安威一佐のすやすやという寝息も聞こえなくなる。
律は、寮室から陸上競技場のような場所に移動していた。眼前に、骨格標本のような形の機械兵が二体立っている。
一般的な自生魔法を使用出来ない律は、アルマヘッドを除いた戦闘技術が肉弾戦しかない。アルマヘッドは強力な魔法ではあるが、万能ではない。先のヨグ=ゾフト戦で経験した通り、「運命開放」から「現」までを通して発動する、力を最大限に引き出せるラウンドを実行すれば、決して短くない冷却時間を課される事となる。そしてその間、こちらの格闘技はフォヴォーラに通用しない。
「属性魔法はある意味適性、才能が九割九分ってところね」
母は律に対し、そう教えていた。
「あなたがそれらを使えないのは、仕方がない事だと割り切るしかないわ。人間が鳥のように空を飛んだり、魚のように水中で長時間活動したり出来ないようにね。だけど、汎用魔法は違う」
催眠術やオーラ知覚術、強化魔法などの事だ。こちらは無属性であり、魔法使いとしての素質さえあれば「適性」には関係なく修得出来る。
母は、律に「強化」を極めるように言った。
「近接格闘戦の技能は、あなたにはまずまずある。だけど、それをフォヴォーラに対して通じるようにする為には、魔法をそこに絡めなきゃいけない。欲張るとろくな事にならないから、あなたは強化魔法だけを練習するの。より効果を大きく、長く持続させられるように。基礎だからって舐めては駄目よ、基礎で攻められる方が、どんな相手でも凌ぎにくいんだから」
ただ、リアルの世界で生身の人間相手に魔法を使うのはリスクが大きすぎる。母も強いとはいえ、体自体はごく普通の人間のものだ。そこで律に与えられたのが、このシミュレーターだった。
「テスト、スタート」
音声入力で、律は戦闘状況を開始する。目の前に『Test Start』の表示が帯状のエフェクトと共に通過し、機械兵二体が地面を蹴って飛び出してきた。
「オラクル──」
詠唱しかけ、慌てて首を振る。数時間前の戦闘の感覚を、体がまだ引き摺っているらしい。自分が、自分で思っている以上に神経を張り詰めている事を悟り、律はショックを受けた。
「力よ満ち渡れ……ストレングス!」
右から襲い掛かってきた機械兵の胴、中央に向かって、律は右ストレートを繰り出そうとする。腕に一瞬、薄い光の膜が出現──すぐに消滅。=失敗。
ぐしゃり、という音が響き、律の打撃は機械兵の「肋骨」を叩き折る。これは訓練用の相手だから通用するのであって、憑魔には効かない。同時に、攻撃を命中させた右腕の骨に痺れるような感覚が走った。
これは、本来なら痛覚として感じるはずだったもの。シミュレーターでの訓練で過剰な痛みを再現すると、電気信号が脳に与える影響が懸念される為、可能な限り緩和されているのだ。ただその分、律はしばしば、ここでの戦いがいずれ実戦に繋がるのだという事を忘れてしまいそうになる。攻撃を受けても痛みを感じないのだから、やむを得ない場合は防げなくても構わない、と。
そしてその感覚が体に染み込んでしまったら、自分は憑魔に殺されるだろう。
少し躊躇ってから、律はメニュー→設定を開いた。ペイン・スタビライザーの出力をゼロパーセントにし、刺激を現実と同じ数値に調整する。
本気になる必要があるのだ、と思った時、メニュー操作によって動きが止まっていた律に、少し遅れて肉薄してきたもう一体の機械兵が正拳突きを放ってきた。硬質な機械、+ペイン・スタビライザーOFF。
∴──激痛。
「……はあ……っ!」
噛み殺せたのは、最初の息だけだった。悲鳴の残骸とも表白すべき、熱い二酸化炭素の塊が口元で暴発する。先の戦闘では殊更に大きなダメージは負わなかったので、これは律にとって初の感覚だった。
母の体術などとは、比較にならない。仮想体の、突きの直撃した肩口が──実際VRでそこまで再現する訳がないのだが──皮下出血で腫れ上がるような熱さを感じさせる。無論、現実の体には微塵もダメージは入っていないが、ノーシーボ効果で動かせなくなっている可能性は否めない。
しかし、こうでもしない限り自分は”本気”になれない。
「ストレングス!」
再度詠唱→膝蹴り。対象:二体目の機械兵。
またもや失敗だ。機械兵は吹き飛んで行ったが、尖った部位を持つ鋼鉄に叩きつけられた右膝は、皿が割れたのではないかという程の痛みを発生させる。律はよろめきそうになったが、踏み堪えてもう一体に飛び掛かる。
「ストレングス!」
──アッパーカット→仰反る機械兵→拳に激痛。=失敗。
「ストレングス!」
──手刀を形成/対象:引き続き同じ相手→体を開き、横へ跳躍→延髄斬り→機械兵の頭部が落下→掌外沿に激痛。=失敗。
×二体分。
最初に用意されていた二体の機械兵が、頭部を破壊されて行動不能→デリートされると、律は自らの手を揉んだ。……駄目だ。自分には、絶望的に一般魔法のセンスが備わっていない。
(私、何やっているんだろう?)
ふと、そのような思考が胸中で頭を擡げた。
アルマヘッドの弱点を補う為の、身体強化魔法の修得。それは本当に、自らに必要なものなのだろうか? 目下の戦いに於いては最後まで参加し続ける、と意思を表明した律だったが、無意識のうちに、自分がこの先も母の命令に従って戦わねばならない、という考えが当然になってきているのではないか。
疑問形でそう問われれば、自分はイエスと答える事になるだろう。何年もの間、自分は何も言う事なく、母の施す苛烈な戦闘訓練を甘んじて受けていたのだから。
母はいつか、こうしてフォヴォーラが蘇る日が来ると信じていた。そして、その来るべき時の為に、フランチャイズの娘を育ててきたのだ。律もそれを分かっているからこそ、退けないのだ。
死の危険と隣り合わせになる事は、怖い。
だが、母親から無価値であると見做される事は、もっと怖い。
(魔法の感覚は、体で掴むしかない。この時間だって、絶対に無駄にはならないんだから……)
「挫折しちゃ駄目、絶対」
口に出して呟くと、律は再び「システム、コール」と音声入力した。
「敵性個体、二体追加」
* * *
「お疲れ様、律ちゃん」
夕食の時間になり、食堂に行くと、擦れ違う軍人たちが皆揃って律に声を掛けてきた。律は「はあ」と、溜め息のような返事をする。ここに来た時から、フェガト司令の娘という事で奇異の目を向けられるだろう、とは覚悟していたものの、やはり実際にそう見られると辟易する。
意外だったのは、国防軍の軍人たちが皆思いがけなく砕けた感じで、軽い調子で声を掛けてくる事だった。軍隊というと、戒律が厳しく、常に気を張っていなければならないイメージがあった。
「可愛いなあ……遠くから見た時は、全然分からなかった」
「活躍、見せて貰ったよ。やっぱりフランチャイズは強いね!」
「さすがは”特権”持ち……というより、本多司令の娘さん、かな」
「いえいえ、そんな」
照れ臭いというより、居心地が悪い。最初に母からの厳しい評価を下されていたせいか、自分が今回の戦いでそこまで役に立てたとは思えなかった。
「私は、憑魔を仕留めきる事が出来ませんでした」
「いやいや、十分だよ。憑魔相手じゃ、総力戦でもこっちはせいぜい足止めしか出来ないんだ。樹璃ちゃんが戦闘不能になったって聞いた時は、本当に今日が人生最後の日じゃないかって思ったね」
一人の軍人の言葉に、周囲がこくこくと肯く。
「ところで恵美子さんは? 一緒じゃないの?」
尋ねられ、律は目を伏せた。
夕食の時刻になったら起こして欲しい、と──律にも眠るようにと言っておきながら──頼んできた一佐だったが、時刻通りに律が声を掛けると、不明瞭な声で寝言とも返事ともつかない言葉を放ってきた。
「今日は休みでしょ……あと十分寝かせてよ、琴葉……」
律はそこで、びくりとして身を引いてしまった。
彼女が、律がイメージを抱いていた「軍人」らしく、有事の際瞬発的に覚醒する事が出来ない、という訳ではないようだった。恐らく、彼女ら国防軍には、今日と同等の”有事”の方が珍しいのだろう。その上で、彼女は律が思う以上に、複合的な要因で心身共に追い込まれている。
一、キーパーソンであるフランチャイズの律を戦場に送り届け、その足で敵の足止めを行っている隊員たちを救出するという大役を担った事。
二、仲の良かったルームメイトが、何の前触れもなく自分の前から居なくなってしまった事。
律の前ではあのように言ったものの、彼女は意図して自分の前で、平気なように振舞っているだけなのだ。戻る時、夕食を部屋まで運んで行こう……彼女にも、一人で気持ちを整理したい時間はあるだろうから。
律が黙って首を振ると、和やかな雰囲気だった軍人たちの顔が、途端に沈痛なものとなった。
「まあ、そうなるよね……俺たちだって、生き残れたって事は嬉しいけどさ。そうじゃない奴だって、一杯居たんだから」
「すみません……」律は、頭を下げつつ彼らから離れようとした。
「律ちゃんのせいじゃない」軍人の一人が言う。「フランチャイズに頼りすぎるなって事は、上官からも本多司令からも言われている。人死にが出た責任を全部律ちゃんに背負わせようなんて、誰も思っていないよ」
「それでも」
言いかけ、堂々巡りになる事に気付いて口を噤んだ。これ以上自責を口に出したところで、「そんな事はないよ」というような慰めを求めているだけに思われてしまいそうだった。
母からのように責められれば、それはそれで反抗心を抱くというのに、自分は勝手だな、と律は反省する。代わりに、「そういえば」と話題を変えた。
「樹璃さん……でしたっけ。もう一人のフランチャイズの子は、大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫って?」
「その……戦闘不能になってしまった、って」
「ああ、皆で心配していたけど、命に別条はないみたいだよ。とはいっても、俺たちもそうあの子と親しい訳じゃないんだけどさ」
「実際に会ったの、今日が初めてだよ。恵美子さんとかくらいのレベルになると、何度か顔を合わせた事もあるかもしれないけど。律ちゃんと同じで、データベースにも情報が全然載っていないみたいなんだ。勿論、載っていても俺たちが軽々しく見られるものじゃないけど」
「樹璃ちゃん、なんて呼び方もよした方がいいよ、お前たち。十六歳とはいえ、相手は准尉なんだから」誰かが、仲間たちに突っ込んでいる。
「だけど、国防軍所属じゃないからうちらとは命令系統が別だろ?」
「ややこしいんだよな、フェガトが関わると。でもまあ、あの子、呼び方程度で怒りそうな性格にも見えなかったし……」
自分を置き去りに進む会話を聴きながら、律は首を傾げた。
実際のところ、自分を含めたフランチャイズという存在は組織内でもまだまだ謎の多いもののようだ。自分より長い間フェガトに居る先輩ですらそうだとしたら、自分が馴染める事はまずないのかもしれない──律は、そのような予感を抱いてやや複雑な気分になった。




