「夭折」
(初出 note、2023年7月6日)
母の病室に足を踏み入れた時、春と夏の間で踟蹰し、足踏みしているような風がさらりと私の首筋を撫でた。因循とも表白出来そうなその生温かい風が、清浄な病院のひやりとした空気に当てられ、私には心地良い温度に感じられた。
窓を開けたのだな、と思い、私は病床へ歩み寄る。母は緩やかに傾斜の付いたベッドに背を預け、詩集を読んでいた。
「お見舞い、来たよ」
声を掛けると、母は徐ろに顔を上げ、私の方を向いた。
「あら宣夫、仕事は大丈夫なの?」
「嫌だなあ母さん、今日は土曜日だってば。休みだよ」
「そうだったかしら。やっぱり病院だと毎日同じような生活で、段々曜日感覚が狂ってくるわ」
呟く母の傍らに進むと、私は窓に手を掛ける。並木道を何とはなしに見下ろすと、人の往来が疎らに目に入った。病院のあるこちら側から、二車線の車道を隔てた向こう側には、コンビニエンスストアや薬局、何処から入るのか分からない民家の塀などが並んでいる。
このような場所では、人の往来の様子が平日に多くなるのか、もしくは休日なのか分からないな、と思った。ほんの数週間前までの春のように、微かに寂寥を孕んだ穏やかな空気が揺蕩っている。
入院患者たちには、これが最も心の安らぐ空気なのかもしれない。そう思った時、また風が吹き込んできた。
この風は、私に似ている。
「窓、閉めたら? あんまり風に当たりすぎても良くないだろう」
私は桟を滑らせようとしたが、母は「待って」と言った。
「何だかこうしていると、とても気持ちがいいの。もう少しだけ、そのままにしておいてちょうだい」
詩集を床頭台へ置き、微かに膨らみかけた髪を押さえる。そう、と答え、私は窓から離れた。
壁際に置かれている丸椅子をずらし、腰を下ろす。それから、先程の母の言葉に返答した。
「僕は母さんの事で、毎日が違う気持ちだよ」
私が言うと、母は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「心配、掛けちゃうわね。母さんもそろそろ、気を楽にしたいんだけれど」
「僕だってそうだよ。でも、だからって早く死にたい、なんて思わないでよ」
私は、心から言った。
先程私は吹き込んだ風に、自分に似ているという思いを抱いた。自分が、季節の狭間で低回する風に似ているのではない。風に先立って、つい慚愧に駆られそうになる優柔な自分が存在していた。
母の病状が、五日前に突然急変した。夜中、突然発作を起こしたように心拍が上昇し、呼吸が火を吐くように荒くなり、そしてそれが落ち着いた時、脈拍がゆっくりと弱まっていった。たまたま見回りをしていた看護師がそれに気付き、緊急でケアが行われた為容体は回復したのだが、その時私には、可能であればすぐ母の傍に来てやって欲しい、という連絡が届いた。
連絡を受け取った時、私は出張で県外へ出ていた。そして、電話の掛かってきた時間帯が夜中だった事もあり、夜明け前に母の元へ駆けつける事は不可能だった。臨終には立ち会えないだろうと思い、半ば諦観の念を抱きながらビジネスホテルで病院からの連絡を待った。
決定的な報せを聞きたくない、という私の逃避願望を皮肉屋の運命が読み取ったかのように、その夜はなかなか時間が過ぎなかった。窓の外で時を飽和した闇が、一種の流体の如く粘度を持ち、その流れを遅くしているかのように、息が詰まりそうだった。体感の方が遥かに長い時間が過ぎ、やや東にあるその場所が、この街よりも早くに日の出を迎え始めた時、連絡は届いた。
その内容が、母の容体が奇跡的に安定し、意識を持って医師たちの問いに受け答えが出来る程になった、という旨だった時、私は安堵のあまり、張り詰めていた毛穴から自分の魂が抜けてしまったようにへたり込んだ。電話越しに母の声を聴いた時は、緩んだ感情が涙となって吹き零れるのを抑えられなかった。
本当は、すぐに母の元へ向かうべきだったのだろう。またいつ発作を起こすのか、その発作が致死性のものであるかはその都度分からない、と、病院の人からは冷静に語られていた。脅す訳ではなく、近いうちに訪れる最後の瞬間に、私が立ち会えず後悔する事がないように、という気遣いからだった。
だが私はその時、
「宣夫は仕事が忙しいんだから、母さんの事をそこまで気にしなくていいのよ。今回だって、結果的に母さんは無事だったんだから」
そう言う母の言葉に、本当は今際がいつ訪れるか分からない彼女がもう一度私の顔を見たがっているにも拘わらず、無理をする気持ちが隠されている事に目を瞑り、それに甘えてしまった。
否、決められなかったのだ。母の見舞いに行くべきか、仕事を優先するかという事に対し、首鼠両端の態度を続けているうちに、次の取引先に付き添って欲しい、という上司からの命令に肯いていた。
仕事が忙しい。母がそう言うのは、間違いではなかった。
若くして病を抱える事になった母は、私が大学を卒業し、企業に勤める事になってから、急に年老いたように見えた。大学の三、四年次、そして一年の留年をした五年次、私は大学近くのアパートで一人暮らしをしていたので彼女と顔を合わせる機会はそこまで多くもなく、故にいつからその病状が発症し、進行していたのか正確な事は言えない。もしかしたら、私が社会に出る以前から、母の消耗は現れ始めていたのかもしれない。
就職が叶った時、母は心から安堵し、張り詰めたものが解けたようだった。だから私も、早く生活を安定させねばならないと思った。体調を崩し、早々に仕事を休む事にならないよう、神経を尖らせた。そしてその事を、母にはあまり言わないようにしていた。
私に、父は居ない。私が物心つく前に、両親は離婚していた。その後、何度か父は私と母の暮らした家に訪れる事があったようだが、その時の記憶も今の私にはない。だが決して、両親のどちらかが悪かった訳ではないのだろう、と思っている。詳しい事を尋ねるのが憚られるうちに大人になってしまったので、今ではどう切り出せばいいのか分からない。母に対し、仕事の厳しさを打ち明ける事が躊躇われたのは、私の中にある、この件に関する憶測ともいえる、不定形な、曖昧模糊とした思考の塊に基づく理由だった。
その推測は、唐突に、思いも寄らない場所から私に与えられた。
私が幼い頃、小学校低学年の時期に読んだ童話がある。それはファンタジーに分類されるような童話でありながら、子供の、ある面に於いて大人よりも鋭敏な感性に訴えかけるような、深遠な側面をも有した物語だった。その中に、離婚を取り扱った話があった。
主役となる夫婦に子供が生まれた時、稼業を持っていた妻は育児と仕事に追われるようになる。元々好きで行っていた仕事との両立が難しくなる様が顕著になる中、夫はただ職場から帰って来るだけの描写になる。夫の、企業での仕事の厳しさは強く示唆され始め、遂には「靴だけが帰って来る」という暗喩的な描写がなされるようになる。そして妻は、物語中で擬人化された「死」に魅入られ、幾度もそれに連れ去られそうになる。
進退窮まった妻は、森の中にある家に住む、占い師のような謎の登場人物にそれを相談する。その結果、夫婦は木に喩えられ、妻はその場に留まって育つ木、夫は「歩く木」だと表現される。二人は根が絡まった状態であり、根分けをしないと共倒れになってしまう、と助言を受けた妻は、夫と話し合った末に、子供を連れて別居する事になる。
その話は、幼い私の琴線を酷く掻き鳴らした。
両親に理由は詳しく聞いていなかったが、母は私が生まれて間もなく、仕事によって体調を崩すようになった。その時既に、現在の病気に直結したのかもしれない兆候が現れ始めていたという。
私には、両親が採った離婚という選択も、纏繞し合った彼らに風を通わせる為の根分けだったのではないか、と推測出来た。
母は自らの経験から、私が何も口に出さなくても、私が自分と同じ緩やかな荊棘に嵌まり込んでいく事を、懸念していたのではないだろうか。かつて自分が経験し、未だに続いている身近な生命の喪失の予感を、私にも抱き始めていたのではないだろうか──。
「生活は大丈夫なの?」
会話が途切れて暫らくすると、今度は母から問いが投げ掛けられた。
私は微かに顎を引き、来る途中のスーパーマーケットで購入してきた見舞いの花束を開いた。
「まあまあかな」
曖昧に濁しながら、持参した花瓶に枕頭の流し台で水を汲む。それぞれの花言葉については、特に覚えていない。購入する時に検索し、不吉なものや誤解を招くようなものがないかを確認しただけだ。
「まあまあ……ね」
物言いたげな母の呟きに、私はやはりごまかしは効かないな、と思う。
「まだ仕事が始まってすぐだし、時々やり繰りが厳しくなる事は確かにあるよ。でもそれは、新入社員だったら当然っていえる程度だし、もう少し経てばすぐに抜けると思う」
「それなら、無理してお花なんて買ってこなくてもいいのよ。貯金しなさい、いざって事があるかもしれないんだから」
「現に母さんは入院しているし。今みたいな時が、いざっていう時なんだよ」
私が家を出てから母が一人で暮らしていたアパートは現在無人だが、叔母が時折掃除などの管理に来てくれているそうだ。医療費の銀行振込や保険金の引き落としなども、母は妹である叔母に一任している。世間的には危険な事なのかもしれないが、それだけ母は彼女を信頼し、彼女もまた、決して母の信用を裏切らなかった。先日の急変の際にも、すぐに帰る事の出来ない私より先に、叔母が病院へ駆けつけてくれたという。
「母さん、宣夫が働いてお金を稼げるようになったら、お家を建てて貰うんだって前に言った事があったわね」
母は斜め上へ視線を上げ、そこにいつか見た未来の幻視を再び覗き込むような、ぼんやりとした眼差しになった。
「覚えているよ。小さい頃、僕から言った事だろう」
「あら、母さんは本気だったのよ。だから、あなたがお金を稼ぐようになるまで絶対に死ねないって思っていたわ」
「大袈裟だなあ。あの頃はまだ母さんも、そんな年齢じゃなかっただろう」
今だってそうだ、とは言えなかった。母は実際に、私の離れている間に死の淵まで足を進め、それを身近に体感しているのだ。いや、それ以前から母は、死を特別なものではなくいつか必ず訪れるものと、達観にも近い見方を示していた。自分自身の取らなかった行動で後悔する事がないように、記念日に写真を撮るかのように節目節目でアイデンティティを統合しようとしていた。
母に、死を身近なものとはまだ捉えられない私が、その事で気休めを言う事は出来ない。どんな慰めも、真にその本質を生きた人間の前では、如何なる効力も持たないものだ。
母は静かに微笑した。
「病気に年齢は関係ないわよ。歳のせいだっていうのも、あくまで平均とか傾向の話でしょう。母さんは病気になったのが、多くの人よりも少し早かっただけ。……でも多分、その夢はもう叶わないわね」
私の胸裏に、さっと陰りが差した。私の気分が見せた幻なのかもしれないが、窓の外の太陽に、一瞬薄く雲が掛かったように辺りの明度が落ちた。母と私の影が薄くなり、普段ならばどうという事もないその現象に、不吉なものが示唆されたような気分になる。
「そういうの、笑えないからやめてくれよ。どう返事したらいいのか、分からなくなる」
私は、こればかりは本心から困ったような声で応じた。母も決して諧謔などではなかたはずだが、私の心中を知ってか知らでか、そこで微かに声に出して笑い、冗談めかした。
「でも、本当にもういいのよ。あと一つ望みを言うなら……孫の顔を見せてとは言わないけれど、宣夫に早く結婚して欲しいわ。それだけよ」
「それもまた、難しいと思うなあ」
相手が居ないし、と呟く。実際にここ数年間、私は異性との交際と呼べるような付き合いが完全に途絶えていた。無論、周囲にそういった女性の気配が全くない訳ではない。だが、仕事以上に特定の誰かと関係を深めるようなきっかけは、まだ見出せずにいた。
もっとも、私が消極的なところもあるとは思う。交際をいたずらな遊びに帰結させたくはないが、それで居ながら、家庭を持つという事に対して怯懦な思いを抱いている事は否めない。
そのような旨を打ち明けると、母はそこで幾分か真面目な声色になった。
「母さんと、お父さんの事で、不安になっているの?」
「父さんは関係ないよ。顔が思い出せないから、会いたいっていう気持ちも特に感じないし……殊更にその事で、生活を気に病んだりした事はない」
「そう? これだけは言っておくけれどね」
たまには母親らしく、と母は言った。
「私はお父さんとの事で、自分の選択を後悔した事は一度もないわ」
「父さんと出会った事? それとも……別れた方で?」
「両方。だから、あなたも結婚に関する事で、そこまで怖がる必要はないの。確かにお父さんとお別れした事で、大変だなって思う事はあったわよ。保育所とか小学校とかで、あなたに窮屈な思いをさせたり、劣等感を感じさせたりしてはいないかな、って、母さん自身心配した事もある。子供って、まだ大多数とは違う境遇の人に、珍しいとかって思うだけで、分別がついていないところがあるから。だけど、母さんはそれでも後悔しなかった」
何故、という理由を述べる事を、母はしなかった。ただ、それだけが彼女自身にとっての確固たる事実であり、何人たりとも否定も容喙も許さない、という意志が感じられた。
「宣夫、あなたは真っ直ぐに育って、母さんがあなたくらいの頃よりもずっと真面目に頑張ってきたように思うわ。母さんですら後悔していないんだから、あなたはきっと大丈夫。結婚したら、絶対に上手く行くわ」
母から面と向かって、そのように褒詞を以て励まされた事など滅多にないので、私は言葉に詰まった。次に会う機会がないかもしれないので、今まで言い損ねた言葉を私に、親らしく掛けようとしているのであれば、それがお世辞だったとしてもまだ私には良かっただろう。だが、その時の母は真面目な表情を崩さず、本心から私にメッセージを残そうとしているかのようだった。
それが、私の胸奥に凝り固まった、排出されない異物のような閉塞感を更に強いものとした。それを遺言と認めるのが怖く、私は否定しようとする。私が認めてしまったら、母のこの世に於ける、否、私に対する役目は、本当に終わってしまうような気がした。
「買い被りすぎだよ、母さん」
どのような表情をしているのか見られるのが怖くて、私は窓の方に視線を向ける。いつの間にか日差しは戻ってきており、濡れた茎が乾き出したのか、私の活けた花たちが微かに花梗を擡げて太陽の方を向いた。
窓の桟に、先程までは気付かなかった小さな白い羽虫の死骸が溜まっていた。その微かに光沢のある翅が、窓枠の反射光を浴び、あたかも綺麗なものであるかの如くきらきらと輝いている。普段なら特別の感慨も湧かない光景だが、死について思考を肉薄させている今の私には、それすらも思索の対象になり得た。死んだ後なのにな、と思うと、微かに感傷とは違う対流を感じた。
母は長い緘黙の後、静かに言った。
「私には、あなたの事は分かるわ。自慢したり。恩着せがましく言うつもりはないんだけど、女手一つでずっとあなたを育ててきたのよ。私と同じくらい、あなたの事を見ている人は居ないわ。その人が言うんだから、無根拠だけど、決して無責任な事じゃないわよ」
また、風が吹く。私は自分の中に吹き抜けたそれを、無意識な呼吸のせいなのか、もしくはもっと精神的な場所で起こった心緒的な出来事なのか、判断する術を持たなかった。
「……ありがとう」
自然に任せ、素直に口に出すと、母はやっとほっとしたように目を閉じた。
暫しの間、病室に静かな時間が流れる。
私は窓辺の羽虫を見、またその向こうに広がる眼下の街で、行き交う車や時折通り過ぎる二、三人の人を眺めた。生きている虫を見、何故これらは必ずと言っていい程窓辺で死んでいくのだろう、と思った。
母の病気が、必然の結果だとは思わなかった。彼女が自身の好きな仕事を行っていた事も、父と出会った事も、私が生まれた事も、父に長い暇を告げる事になった事も、全てが因果や回合の中で起こった出来事だとしたら、あまり気持ちの良い事とは思えないし、母が肯定してくれた私の存在はどうなるのだろう、と考えざるを得なくなる。
人口推移のニュースを見たり、大きな事故や事件が起こって死者数だけが報道されたりすると、時折私は考える事がある。数という大きな括りで扱われる彼ら一人一人にも、こうして生きている私と同じように、それぞれに独立した生活があり、それまでの過去があり、祝福された誕生の瞬間があったはずだ。それは、何処まで軽い、もしくは重いものとして処理されたのだろう。見知らぬ誰かの死に持たせる重みは、あくまで僅少な質量が積み重なった結果として生じているものに過ぎないのではないだろうか。今こうしている私も、今この瞬間、世界の何処かで誰かの命が消えているという事を、考える事は出来る。だが、それについて感傷的になる事は、思考ではない感情でありながら、考える事よりも難しい。
この羽虫にも、同じ事が言えるようだった。病院の労働者は毎日ここで掃除をし、数など数える事なくそれらの死骸を除く。埃や乾いた砂粒と共に、ごみ袋の中へ放り込んでしまう。だが、何故死んだのか、生きていた事すら怪しまれるようなその遺骸にも、人より遥かに短く、単純な本能に従った時間とはいえ、個々に分裂し、孤立した生の時間があったはずだ。
命の忘却という二度目の死──といえば多少誇張した表現かもしれないが──は、究極的で特殊な不可逆変化である「生命の喪失」に伴い、後から必然的に付いてくる現象だ。しかし、喪失そのものは偶然の産物に過ぎず、刹那的である事こそがむしろ当然の印象なのではないか。
母は、以前体調を急激に崩して入院する事になった際、初めて小康を得た時私に自分自身の「悟り」にも似た気付きを語った。
「人って、本当なら生きている事の方が不思議なくらいなのね。だから、こういう病気になった時に受け入れる事って、死ぬ事が怖くなくなるっていう事じゃないのね。この世にさよならをするその時まで、生きているという事が怖くなくなるって事だって分かったわ」
絶望して自ら死を選ぶ事と、死を前にしてそれを受容する事。死を恐れないという点で同じでも、それは本質的に全く異なる。母のそれは、残された時間を穏やかに生きるという事を意味していた。
この言葉を掛けられた時、私はまだそれを理解出来なかった。命を失うかもしれない病気が発覚し、実際に入院を余儀なくされてまでそう言う母の台詞が虚勢にしか思えず、強がって死のうとするのはやめてくれ、と言った。当人である母よりずっと取り乱し、否認を続けていたのは私の方だった。母はそんな私に、
「いつか宣夫にも分かるわ」
と言った。まだ若くて健康だから、実感出来るまで時間が掛かるのは仕方のない事よ、と。母を実例にしてそれを演繹したくなどない、と私は思った。自身の事として受け入れる前に、目を逸らしたかった。
ほんの、数ヶ月前の事だ。それだけの短時間で、私に決定的な変化が起こった訳ではない。だが、今私は、母の悟った事、そして受け入れようとしている事を、共に少しは受け入れられるような気がした。
無論、母を喪う事を寂しく思わなくなったはずがない。それでも、今日こうして、母を訪ねる事を決めて良かった、と思った。母が解いた羈絆を、私もまた少し緩める事が出来たようだった。
影は少しずつ流れ、午後は次第に夕方へと流離っていく。
穏やかな時間を共有していた母が、またゆっくりと言葉を発した。
「宣夫」
「何?」私は、窓から視線を移す。
「あなたも落ち着いてきたみたいだから打ち明けてしまうけれどね、……母さん、本当はまだ少しだけ未練があったのよ。宣夫にはああ言ったけど、本当に最後まで会う事が出来なかったらどうしよう、って。だから、お見舞いに来てくれて良かった。死ぬ前にあなたに言いたかった事を、ちゃんと言えて良かった」
母は、ほっと息を吐き出した。溜め息を吐いても、暗黙のうちに一般的な所懐となっているように、零れ出した幸福がその場で蒸発してしまう訳ではないのだ、と示すかの如く、私はそれに温かな感情を湧かす。
「……僕もだ、話せて良かったよ」
私は言う。
「また、来るからね」
もうそろそろ、十八時までに家に着く為には、ここを出ねばならない。このやり取りに、今日の締め括りのような気配を感じた私は丸椅子から立ち上がった。荷物を取り、母に帰りの挨拶をしようと思った時に、
「……勿論、愛しているわよ」
母が、ぽつりと独白を漏らした。僕ではない、ここには居ない誰かに報告するような、淡々とした、しかし何処か誇らしげな響きだった。
「えっ?」
荷物置き場の方を向いていた私は、思わず母を振り返る。
ビル街やその向こうの山から、歩みの遅くなった飴色が空を渡って来る様を移す窓に、夕刻の静かな空気を揺らす風が吹き込んだ。因循とも表白出来そうな、春と夏の間で足踏みしているようなそれは、さらりと私の首筋を撫でて花瓶を掠めた。乾いてきた花弁の一枚が、そっと羽虫を伏せた。
「いい風ね」
母はもう一度、長く息を引き延ばす。肺を満たす空気を、新しい清浄な風と完全に交換しようとしているようだった。
私もまた、窓から見える景色を背景から手繰り寄せた。バスの時刻を忘れ、暫しその清冽な、それで居て柔らかい風を呼吸し続けた。
* * *
数分後に振り返ると、母は窓辺を向いたまま、眠るように目を閉じていた。役目の全てを終えたように満足げな、解放されて心置きなく夢中になれるものを見つけたような、穏やかで、それで居て楽しげで、心から幸せそうな微笑を浮かべて、そっと脱力していた。
母さん、と呼び掛け、私は何度かその確認を行った。
そして、何だ、とほっと息を吐いた。混乱はなく、非常に安らかな、すっきりとした平穏があった。不幸などではなく、綺麗なものを見、良い事に立ち会ったような心持ちだった。
私はナースコール設備に手を伸ばし、受話器を取った。
微かに風の冷たく感じる目尻を、指先でそっと拭い、言った。
「母さん……逝きました」
(夭折・終)