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未分類  作者: 藍原センシ
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「組織の在り方と描かれ方」

(初出 note、2024年1月18日)


 組織と聞くと、恥ずかしながら私は真っ先に何やら良からぬ事を企んでいる集団を思い浮かべる。組織という言葉は、成長に於いて比較的早い段階で耳にする事があるだろう。小学校低学年か、ややもすれば幼児期(保育所、幼稚園時代)から耳にする事もあるかもしれない。多くの場合、それはアニメや特撮などに登場する敵役の集団であって、それに「悪の組織」などと紹介文のつく事が多いので、組織という言葉から何やら怪しげな印象が拭えなくなるのかもしれない。私はいつか、高校から配布されたPCをアップデートしようとした際「更新は組織によって無効になっています」と表示され、戦慄した事がある。

 米国の経営学者チェスター・バーナードは、組織を「二人以上の人々の意識的に調整された活動ないし諸力の体系」と定めている。彼によると組織には三つの要素があり、「コミュニケーション」「貢献意欲」「共通目的」がそれだそうだ。これらは組織が存在する理由を意味するものではなく、存在する組織が形成を維持する上で求められる要素だと私は考えている。

 コミュニケーションはご存じの通り意思疎通だが、情報伝達が円滑でない組織は誰が何をしているのか、それを以て次に誰が何をすればいいのか、という確認が取れない状態という事だ。それは過剰な生産をしたり、必要な生産が行われなかったりして非効率化、()いては事業全体の停滞を招く。また、予期せぬトラブルが発生した時にそれが共有出来ず、対応が遅れ、収拾が困難な事態に発展する事もある。米国のある調査によると、社内コミュニケーションの不足による損失は、従業員一人につき年間約二万六千ドルになるそうだ。

 貢献意欲は社会に貢献したい、というのではなく、ここでは組織の為、同じ仕事を行う者たちの為に貢献したい、という事を指す。平たく言えば、仕事のパートナーの役に立ちたいという思いである。以前何処かでグループと組織の違いのような話を耳にした事があるが、前者はただ人が集まっているだけで、そこに個人間の関連性が何もなくても成立はする。だが、組織の場合は「意識的に調整された活動」であり、何故調整するのかといえば三つ目の「共通目的」があるからだ。個人の感情や損得勘定だけで行動を起こせば破綻を招き、皆の「目的」が崩れ、組織は事実上瓦解する。創作物で組織の変遷を巡った作品のうち、私が面白いと思うものはよく「ある組織の中から出現した人物が野望を持って行動し、最終的に全体が転覆する、もしくは乗っ取られる」というパターン(革命という言葉もよく使われる)だが、これは組織が個人の暴走によりシステムに破綻を(きた)す、という事をよく表しているだろう。

 その「共通目的」についてだが、これを考えるに当たって、組織には目的の観点から大きく分けて二パターンが存在する、という事を念頭に置かねばならない。

 一つは「機能体」である。これは事業を行った結果としてクライアントが高い満足度を感じたり、役に立ったと感じたりする事に視点を当てた組織で、いわゆる業績目標の達成を組織の「外」の観点から評価するものだ。

 もう一つは「共同体」であり、こちらは組織に所属する人々の満足感や、居心地の良さを追求したもの、即ち目標の達成を組織の「内」の観点で評価する。家族や、町内会などの地域コミュニティ、学校などがこれに含まれ、例外はあるものの何となく共同体への所属=生活のような等式に当て嵌められるような気がする。戦後の学生運動(東大全共闘など)も、働きかけは外部に向いていたものの、目的にはやはり自分たちの利、或いは自己満足感も含まれていただろう。

 共同体には、例に挙げた家族や地域など、生まれながらにして自らが所属しているものも少なくない。ここには合同事業などを除き、如何なる「外部への貢献」も目的として発生し得ないが、だからこそ対照的に、社会的責任という言葉が使われる「企業」、会社は基本的に機能体である、と言う事が出来る。

 この分類に於いて、厄介なものが「国」である。政府と言い換えてもいいが、国民主権かつ間接民主制の日本では、政治の目的は国民の視点から「()()()()()()()()()()()()をより良いものにする為」という表現がされる。しかし、実際に会議をし、法律を制定するのは、選挙で選ばれたとはいえ政府の人間だ。彼らの視点から目的を語れば「()()()()()社会をより良く思うようになる為」となる。前者の視点の場合、国は共同体であると言え、後者の場合は国は機能体である、という判断になる。しかし今回は、論の都合上国=統治機関を機能体として進行させる。


          *   *   *


 組織を牽引するのは、無論そこに所属する人間一人一人だ。一部の人間だけが全ての意思を持ち、その意思をその他大勢が無心に遂行するのであれば、それは工場のロボットと同じであり人である必要がない。

 私は最初に、アニメや特撮に描かれる「悪の組織」について例を出したが、もしも世界征服を企む秘密結社のようなものが本当にあったとしたら、それは分類上共同体である。こういった組織を見ると、大抵の場合は主人公たちサイドに感情移入し、勧善懲悪ものの悪役に抱く以上の憤慨は生まれない。まだ、物語として楽しむ事の出来る余地がある。身に余るアンビションを追い求めた集団が自滅する、と考えても、まだ面白味はある。

 しかし、汚職や腐敗などを描いた作品で、善良な仮面を被った極悪非道な人物が登場したりすると、悪役としては上手い描き方なのだろうが()れったさや不愉快さで楽しみが減殺される事がある。これが架空の組織だった場合──例えば架空の世界の統治機関や、実在しない企業など──はまだ「上手い」と判断する事は出来るが、現実の暴露、といった謳い方をする創作物でこれをされると、私は言いようのない違和感を覚える。

 社会派推理小説の父として取り上げられる松本清張を例に出す。清張が「社会派」と呼ばれる理由は、筋道が通っているとはいえ現実にはまずないような状況設定で推理が繰り広げる「本格派」とは異なり、現実問題に直結するような推理小説を数多書いてきたからだが、それは(もっぱ)ら政界や官界の腐敗した面を暴く、というような描写がなされる。

 その(たぐい)の中では、税務署の汚職を描いた『歪んだ複写』が私の最初に読んだ小説だったが、中では「汚職をせず誠実に仕事をしている人間が損をする」というような現状が描かれていた。その描き方に、私は不快感を感じた。汚職を行う人間たちに焦点を当てて「腐敗」という扱い方をされる事、汚職をせねば淘汰されるという現状が組織の「腐敗」である事などが、一人一人の人間が集まって運営するはずの大きな組織を動かしているのが、一部の「悪い人間」だと決めつけられているような気がしたのである。

 清張のこのような考え方は、歴史・時代小説にもよく表れている。それは例えば、短編小説の「流人騒ぎ」であったり「甲府在番」であったりするが、このような一部の「悪い人間」が我利を追求した結果、時代の上に生きる人々が何気なく不幸な目に遭うものの誰にも気付かれない、歴史はそのようにして常に一握りのエゴイストたちが動かしている、というような描き方に、私は疑問を抱く。

 踏み込んだ事を言えば、国とは大きな共同体であり、歴史はその沿革だともいえる訳だ。そう考えた上でこういった描写を見ると、自分たちが所属している大本の「組織」が、腐っていて当然だ、これが現実というものだ、と決めつけられているような引っ掛かりを覚える。

 私たちから見れば共同体ではあるものの、統治機関から見た責任の対象としての国家は、既に述べた通り機能体である。機能体組織に於いても腐敗がさも当たり前のように、義憤というより後味の悪いシニカルさで描写された時私たちが感じるのは、他人との共同作業で成り立つ「組織」の在り方自体が、破綻を(きた)すような危うさを感じるのである。私はこれを「社会」とはあまり考えたくない。

 機能体組織の普遍的なものとして取り上げる大部分の企業だが、無論それらに属する多くの人々は「金を稼ぎたい」「自分の生活を維持したい」という事を考えるだろうし、捨て身の献身でクライアントの為に、という事を考えている人と、出来れば面倒な事は避けたいと思っている人のどちらが多いか、と想像すれば、何とも言い難いものがあるだろう。しかし、だからといって、上手く立ち回って給料を貰えればいいのだ、という事を大っぴらに口にしたり、どうせ皆心からやりたくてやっている訳ではないのだ、と決めつけたり、だから自らもそれに合わせて如何に合法的に得をするか、と考えたり、それが賢い生き方だと悟ったような事を思ったりするのは違う。それは斜に構えて現実を見下すような態度であり、またエゴイズムが組織を動かすというような、論理の崩壊である。

 組織は、人が社会的存在と呼ばれる所以(ゆえん)である。願わくば既存の組織が、その腐敗を描いた物語によって「現実問題」と断定されないようなものとして動いている事を願う。

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