西伊豆撮影旅行、ミー子は妖精?
連載第6回(最終回) <西伊豆撮影旅行、ミー子は妖精?>
秋が近くなる頃に、ミー子はひさしぶりにやってきた。康一は思いを募らせる由紀子が、一向に自分の方を見てくれていない悶々とした心情だったので、ミー子に言った。先日の突撃キッスの晩のことも、いい思い出だったこともある。
「南の島に行けたの?」
「まだ。まだなんよ」
「それならさあ、俺と海にでも行かない?」
由紀子一途ではない「気が多い」康一である。
「えっ、そうねえ、いいわよ」
ミー子は、淡々と答えた。
「南の島ほどそんなに遠くではないけど、西伊豆あたりに一緒に行かない?また君の写真を撮りたいんだ。今度はちゃんと準備するよ」
「いいわよ」
「車が新しくなったから、それで行こうよ」
「楽しみね」
西伊豆には祖母がいるので、よく出かけていた。西海岸は結構詳しいのだった。
以前キャロルで友人二人を乗せて伊豆に来た時、深夜の帰り道の山道を走行中に後輪がはずれたことがあった。明け方まで近くの学校の用務員室で宿直のおじさんに頼んで休ませてもらい、明るくなったころにタイヤを探して大仁の自動車修理会社に応急修理してもらったという残念な体験があった。今は1972年に買い換えた新車のフェローマックスなので、そんなことは起こらないはずだ。
二人で決めた8月のある日に伊豆に向かった。
ミー子は、車が軽自動車でも嫌な顔をしなかった。そういうことにこだわらなかった。多分、昔の中古車のキャロルでも、何にも気にしなかっただろう。
普段からあまりおしゃべりしないミー子は、やはり車の中でも口数は少なかった。かといって、気まずい雰囲気ではなく、康一もミー子もドライブを楽しんでいた。エイトトラックのカーステレオからは、康一の好きなロックや日本のフォークを流し、二人で口ずさんだりしていた。
この頃のヒット曲は
スティーヴィー・ワンダーの「迷信」
天地真理の「水色の恋」
吉田拓郎の「旅の宿」
等で、スピーカーから流れた「迷信」は、二人でシートに座りながらも体を揺らしてダンスし、ノリノリになってしまうのだった。
西伊豆の大瀬崎についてから、康一はニコンを取り出しミー子の撮影を始めた。大瀬崎の外洋側は大きな石がごろごろしている海岸で、大きな波も押し寄せてくる。
ミー子はいつもパンタロンやジーパンだが、今日はゆったりしたスカートと木綿の白いシャツ姿であった。大瀬崎はおよそ20年後にはダイビングファンでにぎわうことになるが、この頃は人はあまり来ないので、邪魔されることもなく色々なポーズで何枚も撮影した。
ミー子は
「あたいのヌードも撮りたい?」
と言った。
「えっ、ああ、撮らしてくれるの?ぜひ、頼むよ」
「いいわよ」
ミー子は淡々と答えた。
少し岬の前のほとんど人が来ない場所に行って、撮影した。
シャツを脱ぐとブラはつけていない。
岩場の陰でスカートと下着も脱いでスッと現れた。美人ではないが独特の個性のあるミー子のヌードは絵になった。豊かではない乳房もかわいかった。人が来ないわけではないので、そんなに時間をかけずにヌード撮影を終えて服を着てもらって、岬の反対の内海の方に回った。内海は砂浜で波もあまりない。夕刻になってきたので、夕陽を入れたりして何枚か撮影した。このカットもミステリアスなミー子の雰囲気をよく表しているはずだと、現像が楽しみだった、
康一は、砂浜に座って夕日を眺めるミーコのわきに座ると、
「ミーコ」と名前を呼んだ。
「なあーに」と康一の方を振り返った時に、ミーコに予告なしに軽くキスした。
「キッス襲撃のお返しだよ!」
「ばかね!」
ミーコはキスに怒ることなく、微笑んだ。そして。康一に抱き着いて少し長いキスを返した。
「お返しの、お返しよ!」
康一は、結果として絵にかいたようなちゃんとしたキスが出来て嬉しかった。そして復讐を果たした気にもなった。知らない人が見たら、まるで恋人同士のようなシーンである。しかし愛しているのはミー子ではない。
撮影を終えてミー子に尋ねた。
「今晩泊まるの、海の見えるホテルを奢っちゃおうか?」
「そんな贅沢できるの?」
「モデルになってくれたじゃあない、お礼だよ」
「だめよ、無駄遣いしないでよ」
「だけど…」
「あなたが言っていたおばあさんの家は近くなんでしょ?」
「まあ、一時間くらいかな。でも粗末な家だよ」
「泊まることは出来るんでしょ」
「ああ、ばあさんがいなくても合鍵は持っているし、多分いるんじゃあないかな」
「じゃあ、そこに泊めてもらおうよ、ね!」
途中で夕食を済ませ、日が暮れたころに、康一の祖母が一人で暮らす家に着いた。この家には、康一の友人たちと何度も泊まりに来ていた。祖母はいた。
「ばあさん、また来たよ」
「ああ、よく来たね」
「今晩、この人と泊まってもいいかな」
「ああ、いいさ。夕飯どうした?」
「食べてきたよ」
「それじゃあ風呂に入りな」
ミー子は祖母にあいさつした。
「おばあさん、よろしくお願いします」
「康ちゃんは、時々来てくれるんで、うれしいんだよ」
交代で風呂に入り、テレビを見ながらすごした。祖母が奥の客間に二人分の布団を敷いてくれた。あまりテレビも見るものは無いしばあさんも寝たようなので10時ころには二人とも寝床にはいった。
康一は、あのキッス襲来日のベッドでの中途半端な行為を多少引きずっていて、できるなら完結させたいという思いがあったので、ミー子の布団にもぐりこんでみた。
「俺恥ずかしいんだけど、まだ女性と寝た経験ないんだ。だから、今晩していいかな」
「童貞なのね?なんかそんな感じがした」
「そうなんだ」
「あたい、あんたのことが結構好きなんだけど、病気があるし、やはりだめよ。でも今日は手でしてあげるよ」
ミー子は裸になって康一の横にきて、康一の下着を脱がして手で慰め始めた。何度かやさしいキスもくれて、乳房へのキスは許してくれた。本番ではないものの女性からの行為に興奮し、しばらくしてミー子が包んでくれたタオルの中に果てた。自分でおこなう時より、はるかに刺激的だった。ミー子はタオルでふき取り、やさしく抱きしめてくれた。
康一は、晴れて男にはならなかったが、南の島の美しい海岸での営みがあったかのような体験に思えて、それなりに充実した時間を味わった。ミー子を愛しているわけではなかったが自分を好きだと言ってくれた人との性的体験は康一に幸福感をもたらした。でも、またしても童貞から抜け出すことはできなかったのだ。
翌朝、目覚めると隣にミー子の姿がなかった。朝食の用意しているばあさんに聞くと、散歩に行ったようだという。やはり、気まぐれな女だ。そんな女が本番ではないにせよ、よく康一のことを相手にしてくれたと、ミー子の思いやりがありがたかった。
しかし。それでもミー子を愛するようにはならなかった。やはり、由紀子への愛の不完全燃焼状態が響いている。もし由紀子からはっきり断わられていたら、ミー子への気持ちも変わっていたかもしれないと思った。
「やっぱり、田舎はいいね!」
さわやかな朝もやに包まれた自然の緑を眺め、自分の生まれ故郷のことを思い出していたのだろう。散歩から帰ってきたミー子は無邪気にほほ笑んだ。
康一は、「伽藍」に戻って日常の暮らしを続けていたが、由紀子の思いは変わらないものの、ミー子との伊豆のひと時は忘れることはできなかった。しかし、ミー子はこの時以来「伽藍」には顔を出さなかった。康一は今度こそ本当に南の島へ行ってしまったのだろうと思うと、最後までミー子の名前を聞かなかったことを後悔した。
何時しか、ミー子は自分にとっては不思議な妖精だったのであろうと思うのだった。
完