「伽藍工房」の仲間たちと可愛いアイドル
連載第5回 <「伽藍工房」の仲間たちと可愛いアイドル>
しばらくミー子が来ないなあと思っていたが、「伽藍」の日々は相変わらずの楽しく混沌とした世界が続いていた。そして由紀子は愛を受け入れてはくれない。康一は、いつになったら女性との体験ができるのだろうと、そんなに激しくは無いが日々悶々としていた。
康一の斜め向かいの石川の部屋に頻繁に来ていて、後に平が出て行ったあとの部屋に住み始める鈴木の話は康一には羨ましい少々刺激的な内容。鈴木は、パリに行ったときに、童貞を捨てるため街角に立つ女たちを一人一人見て回り、一番気に入った女に交渉して、夢のような晩を過ごしたというのだ。そんなことができるのか、うらやましいと思う康一。
石川の部屋には、一向に恋人ができない康一にデート相手を紹介してくれたオリーブが、あいかわらず愛し始めた石川のことを攻略するために頻繁に出入りしていた。半年くらいして、その攻略は成功し、新しいカップルが成立した。オリーブは小柄で個性的な顔立ちの優しい女で、独り身の康一のために長いマフラーを手編みで編んでくれた。このカップルは康一ともう家族のような関係だ。おおらかな石川は別にマフラ-プレゼントに焼きもちを焼くこともなく、オリーブの愛を受け入れていった。
康一を羨ましがらせた鈴木も石川の部屋に出入りしていた小柄でスリムな真理という女と気が合ったようなので、本人の意向は頓着せず、皆で鈴木と真理をくっつけてやろうと周りで盛り上げた。その成果で二人は結ばれ結婚にまで至ることになった。しかし、「伽藍」から巣立って代々木あたりのアパートで二人で暮らしていたが、一年ほどで離婚したことを後で知ったが、無理やり煽ったことに一同反省した。
康一の部屋の向かい側の住人の岩井の部屋には、「遊びにくる」どころではなく間島という男が居候していた。女性との経験豊富な岩井は女性ではなく男を受け入れていた。そういう趣向というのではなくおおらかな性格だからである。間島は結構面白い男であったので、「伽藍」では人気があった、居候ではないもののトミーというあだ名の男ももっぱら岩井の部屋にたむろしていて、この男が由紀子を巡る康一の恋敵になるのだった。
しかし、望ましくない訪問者もいた。康一の部屋も来る人は拒まず状態なので、何人もの知らない若者が来ていた。学生だったりヒッピーだったり様々で、中には手癖の悪い奴もいた。個室は外出中にはシンプルなドアノブで施錠するが、しっかりしたものではなく、ドライバーで簡単にあけられる。
ある日康一は、大事なニコンがなくなっていることに気が付いた。皆に
「おれのカメラ、ニコンが無くなっているんだ」
「ほんとうか?」
ドアノブ近くの枠に少し傷があった。康一の部屋に高価なカメラがあることを知った者が、ドラーバーなどで簡単にロックを外せるドアを開けて盗んだのだった。
みんなで犯人を推定しながら見当をつけていると、石川の部屋に最近遊びに来ていたある男に疑いが出てきた。さらに庭の焼却用のドラム缶になぜ残していったのかわからないが質券が捨てられていたのを仲間が見つけた。
カメラを質に入れてから伽藍に戻ってきて、その質券をわざわざわかるように捨てたということが疑問だった。石川や居候たちの伽藍探偵団の4人は、その質屋を探して聞いてみた。質札とカメラの保証書を見せると確かに康一のニコンが質入れされていた。
「ああ、ありますね。5日前に若い人が持ってきましたね」
盗品であることがはっきりした場合、質店と盗まれた被害者で貸出額の半分づつの負担で取り戻せるということが判った。警察への手続きを経て質屋に半額を払って康一はカメラを取り戻した。
康一は、犯人は石川の部屋に来た男と判断したが、石川はその男の友人というわけでなかったようなので、住人の連帯責任で取り戻した費用を住人で四等分して負担しようということになった。康一はありがたい仲間だと思うのであった。その後、皆は部屋のドアノブをより防犯性の高いものに交換することを選択しなかった。基本的に伽藍に来る人間の善意に頼ることにしたのだった。康一は、無事にニコンが戻ってきたので、「ジャンジャン」の契約カメラマンとしてのアルバイトを続けられると安堵した。
この頃の音楽の流行はビートルズの「イマジン」、平山美紀の「真夏の出来事」などで、康一がはまっていた南沙織の曲「17歳」を自分の部屋だけでなくドアを開けて建物中にカセットデッキの音をエンドレスで流し続け、はじめ喜んで聞いていた他の住人も、「いい加減にしてくれ!」とあきれられる始末だった。
「伽藍」には「ローザ」というみんなが愛したアイドルがいた。康一の従妹から譲り受けた子猫で、闘争精神、反体制機運にあふれた住人たちはゲバルトローザという女性闘士からとって、「ローザ」という名前を付けた。女にもてない康一は、この子猫を愛し、主に世話担当を務めたが、隙間だらけの「伽藍工房」で、比較的広い雑草が生い茂る庭がありローザは自由に家の内外を走り回った。ペットフードの餌を与えていて、朝晩に台所で缶詰あけると、その音に素早く反応してどこに居ても走って駆け寄ってくる、おもわず苦笑する可愛さだった。時々、ローザの顔にいたずら書きするトミーなどのふとどき者もいたが、住人や訪問者達は、皆ローザをかわいがった。ローザは恋人ができない康一を癒していた。
このころ康一は非商業的な作品を紹介するATGの会員となり、月に1回は新宿文化劇場に出向いた。ヌーベルバーグと呼ばれるような、「ジャン・リュック・ゴダール」や「大島渚」の前衛的作品等の上映で観客はそれほど多くない。2階の見やすい席を自分の席と勝手に決めていたが、あまり混むことはないので、この席にすわれないことは無かった。この時代、アングラ文化が脚光を浴びて新宿の花園神社で状況劇場の紅テント公演などが話題を呼んでいた。マイナー文化にも陽があたることもあった。
日活が路線変更してロマンポルノをスタートさせたのは1971年で康一も時々気晴らしに見に行ったが、名画と言われる藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」は、移行前の最後の一般作品であった。田中真理出演の1972年のロマンポルノ映画「ラブ・ハンター 恋の狩人」はわいせつ容疑で裁判になったが、最終的に有罪にはならなかった。そして、この映画は、康一にとって何らわいせつ感を感じさせない映画でもあった。無罪は当然であろうと思う。もっとわいせつな映像は他にもたくさんあったではないか。
田中真理は時代の流れの中で反体制女優というような位置づけをされ、学生運動とも同期していた。
康一はゴダールの多くの映画が気に入ったが、1965年公開の「気狂いピエロ」のATGでの再上映を見て感銘を受けた。商業映画にはない斬新な演出で、30年くらいは自分の中でのベスト1映画と公言していた。主人公フェルディナン(ジャンポールベルモンド)が相手役の謎の女マリアンヌ(アンナカリーナ)に振り回され、最後に主人公が体にダイナマイトを巻き付けて自爆するというストーリーだが、ゴダールの映画でストーリーを追うことは意味がない。康一はこの映画でのアンナカリーナに心惹かれた。映画の役でなく、実際にも、追っても追っても自分に振り向いてくれない魔性の女に見えて、その彼女の振る舞いに翻弄される主人公と自分が重なった。
ゴダールは実生活でアンナカリーナに弄ばれているのだろうと勝手に予想したが、二人がその時には結婚していたことをずっと後に知って
「なんだあ、アンナを手に入れることが出来ない気持を描いたんではなかったんかい!」
と、ややがっかりしたが、その後二人が離婚したことを知り、
「やっぱりね、結婚したとしても、本当にアンナの心は奪えなかったんだろうね」と、納得した。
また「大島渚」の作品で1969年公開の「新宿泥棒日記」にも惹かれた。何しろこの頃のポップアート界のスターである「横尾忠則」が主演し、よく行く「紀伊国屋書店」の田辺茂一社長も本人役で出演している。
この頃の横尾のイラスト―特にポスターは、斬新でそれまでにないイマジネーションの広がりがあり、康一は大変気に入っていた。
この映画で横尾忠則の相手役としてデビューした女優の「横山リエ」の持つ独特の雰囲気にも惹かれた。その後、彼女の知り合いだという「伽藍」住人の友人から彼女の開いているバー「GOD」を紹介され、うきうきと訪れてみた。新宿の区役所近くの繁華街の店に確かに彼女はいた。アンニュイの雰囲気のある映画の役柄に近い彼女は魅力的だった。気に入った映画に出演の女優と直に会えるなんて、すこしミーハー気分になった。
小さな店で、カウンターの前にあるレコードプレーヤでロックを流していた。何度も店に出入りしているうちに、自分の好きな曲をリクエストできるようになっていった。
「あら、またこの人サンタナをかけてほしいんだって、かけてあげて」
「だって、『ブラック・マジック・ウーマン』は最高でしょ!そう思いません?」
この曲を聴きながら見かけなくなったミー子を気にし、由紀子への思いに浸るのであった。
このような映画だけでなく、新しい芸術文化のムーブメントにはかなり影響された康一であった。そうした時代の波の真っただ中にいることは後で思えば貴重な経験であった。
ローザが成長してきたので避妊手術を受けさせようと、ローザをくれた従妹の霞町の家に連れて行った。その家から「伽藍工房」に戻ろうとしたのであろうか、失踪してしまった。住人たちは二度とローザに会うことができなかった。康一の心には大きな穴が開いたようだ。
康一は、その後安易にペットを飼ってはいけないと考えた。また、子犬や子猫のかわいい動作をテレビで放送するようになってきたが、女子が「きゃあ、かわいい」などと単純に喜んでみていること、放送する事にも何かしっくりこない康一だった。
つづく