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真夜中の襲来者

連載第1回 <真夜中の襲来者>


 1972年の夏の気配を感じる6月の穏やかな日の真夜中に、誰かが北原康一の部屋のドアを数回ノックした。まだ寝る前で、数日前に撮影し現像したプリントをチェックしていたので、ドアはロックしていない。誰かなと思ってドアを開けようと椅子から立ち上がった瞬間ドアが勢いよく開いて若い女が飛び込んできて、康一に抱きついてキッスをしてきた。

 ミー子であった。


 ミー子は酔っ払っていた。何も言わずに康一の唇に自分の唇を押し付けてきた。

(何が起こった?!)

 超奥手の康一は、キスの経験もほとんどなかったので、驚き、とまどった。しかし危険な襲来ではない、これはキスなのだ。

(俺はキスをしているのだな?)

 ミー子はこのシェアハウス「伽藍工房」に最近出入りしている女だ。


 好きな女との自ら望んだキスではなかったのですぐには気持ちが入らなかったものの、漫然といつかは誰かとキスしてみたいと思っていたことが思いかけず実現したので、これは素直にうれしかった。キスをすることを想定していない生活なので、口臭などは気にかけない。歯磨きもそこそこだ。ミー子は酔っているので、そんなことは気にせず、舌先を康一の舌に絡みつかせてきた。


 康一は成長してから、イマジネーションが最も大切なことだと考えるようになるが、この時にはまだその大切さを自覚するまでには至っていなかった。だから、なぜミー子が突撃キッス攻撃を仕掛けてきたのかを想像することもできなかった。ミー子はその日に男に裏切られ、心を傷つけらたことで、発作的に心の命ずるままに最近気になっていた康一の部屋を訪れたのであった。康一は、その時は理解不可能なミー子の行動の理由を考える余裕はなかった。

挿絵(By みてみん)

 ミー子は20代前半で、美人というわけではないが不思議な魅力を持っていた。その頃康一がうっとりする美しく魅力的だと思っていた好みの女性は、ジャン・リュック・ゴダールが愛したアンナカリーナや康一がドア1枚分のポスターのモデルにした麻生麗子等であった。ミー子は残念なことに彼女たちの容姿と異なるタイプだが、彼女たちに無いボヘミアン風の雰囲気を持っていた。そんなにきちっとセットしていない肩まで延ばしたボブヘアーで、大きな瞳が印象的。いつもパンタロンを履いていた。彼女のファッションは当時はやりのヒッピースタイルの影響を受けていたのであろう。


 個性的ではあるがそれなりの魅力のある若い女の突然の思いがけずのキス攻撃に我を忘れた。ミー子の迫ってくる流れに任せてベッドに倒れ込んで抱きしめた。ミー子もそれにこたえて抱きついてきている。安普請の造りで、康一の部屋の男女の営みの様子は、隣室にも漏れているだろうが、そんなことに気を使っている余裕はなかった。


 この時代、「進んでいる女」はシンプルライフの思想にそまり、ブラを付けないことで粋がっていた。康一は、ミー子のシャツをたくし上げ、現れた乳房を両手で包んだ。決して豊かな乳房ではなかったが、直接触るのも初めてで、静かに興奮した。若い女性の素肌を直に触れることにも感激していた。今日こそは、童貞から決別できるかと思い、ミー子の下半身に手を伸ばした。

 

「ああ、わたし、病気があるの。これ以上はやめて。」

といった。

「えっ、ああ、わかった。そうなんだ、ごめん」と康一。

 そういわれては、止めざるを得なかった。まあ、自分からこの行為を望んでいたわけではないので、そんな中断も大きなショックは無かった。「病気」とは何だろうかと思ったが深く考えることもしなかった。


 ミー子は康一のベッドの脇の畳の上に敷いた布団で眠り、翌日何事もなかったように、

「またくるね。それからこの南の島の本、私に貸して」

といって、机の上に開いたままの観光ガイドブックを持って帰っていった。いったいどこに帰るんだろうと康一は思う。



 「伽藍工房」とは、今で言うシェアハウスのような家で、康一など4人の男子学生が暮らしていた。東中野駅近くの大谷石づくりの半地下の防空壕の上に木造の建屋を乗せた古い民家を改修した変わった建物である。康一がこの建物の所有者嶋田氏の息子の勝則と知り合うことになったのは、1970年の日大紛争が縁である。


 康一と石川と岩井は同じ建築家の学生で、課題を共同で進めるためのグループ結成について校舎のエレベータの中で意見交換したことにより親しくなった。紛争中には建築科の仲間だけでなくその他の学科の学生との交流もできた。

 その中に土木科の勝則がいた。彼は、全共闘のメンバーで積極的な活動家だった。仲が良くなった建築科の仲間の友人ということで付き合いができたのだった。勝則は普段は穏やかな理知的な学生だった。どちらかというと消極的な康一の行動を非難したり、激しい議論を交わすことはなかった。


 1970年初頭には、大学紛争の鎮静化が進んでいたのに、あいかわらずロックアウトが継続中で、康一は父の建築事務所での勤務後に時々学校に様子を見に行った。教室やホールはロックアウト中でも康一たち学生はバリケードをくぐって中に入れた。比較的のんびりした状況で、ここで学友たちと数人と会話を交わしていたが、勝則から耳よりの話を聞いた。

「東中野の俺の家の離れに古い建物があるんだ。おやじがここに俺の知り合いの学生を住ませていいと言っているけど、お前たち、どうかな?」

 康一は、

「いいね」とすぐに答えた。興味がわいたのである。

 そこにいた勝則の友人の石川も乗り気になった。

 勝則は、石川や康一、岩井の建築科の3人と彼の友人の平と4人で住むことを提案した。

「おお、いいね。その建物を見てみたいね」

「オーケー、おやじに言ってみる」


 後日、家を見せてもらい、主屋にいる勝則の父の嶋田に面会した。父上は改修費を出すので4人が暮らせるような間取りを考え、工事費の見積と図面を出すようにと言った。父上も土木関係の経験豊かな技術者で、息子のために考えたのであろう。


 この古い民家は大谷石造りの半地下の防空壕があるので、その上の和室二間と縁側があり、玄関や台所より約一メートルほど高くなっていて五段ほどの階段が設けられているという変った造りだった。1階は玄関と食堂、台所、汲み取り式の大小トイレ、浴室がある。地下には大谷石の部屋の他にもう一部屋があった。

 康一は、現在の二間の和室と広めの縁側の間取りを、各室公平にほぼ4畳の広さの個室になるような変更案をコストを最小限に抑えるような仕様を考えてとりまとめ、知り合いの工務店に見積もりを依頼した。

 康一の考えた図面と見積書を父上に提出して数日後に、勝則から父の了解が出たとの報告があった。


 しばらくして工事が始まり、超簡単な変更だったので数日後に完成した。工務店に頼んだほか、自分たちでも手を加えた。1階の玄関や台所は基本的に変更をせず、皆で壁や柱を塗装しリニューアルした。地下は大谷石の壁がとても趣があるのでほぼそのままとした。大谷石の部屋の隣の部屋は、天井が低く壁は素朴なモルタル仕上げで、湿気があり暮らすには不適と思われたが、暗室や製図作業には使えると判断した。各個室のドアにはプライバシーも保てるように一応プッシュロック付ドアノブを付けた。コスト重視でそれほど防犯性が高くないものだったので、後に盗難問題を引き起こすことになる。


 ミー子は、このロックのかかっていない康一の部屋のドアを開けて飛び込んできたのである。もし、ロックされていたらどうしたのだろうか。多分、康一が開けるまで一心不乱にノックし続けたであろう。

つづく


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