1-6始まりの村の大冒険
◆
百獣の王を出さなくても野生の動物一匹と人間一人どちらが強いかを問う。
ピクニック感覚で雄大な自然の中でバッタリ遭遇したら人間に勝ち目はないだろう。しかし、勝負を目的として、完全武装で人間が挑めば勝算は充分にある。
いくらライオンが百獣の王と呼ばれていようと全生態系の頂点に立てないのは、人間に何かを為そうとする知恵と一つの目的のために命さえ投げ出して団結する結束力があるからではないかと思う。
故にシンクローの世界では人間という種が頂点に立てた。
だがこの世界では人間が頂点に立つことはできない。
この世界の人類には生命存続の脅威となる天敵がいるからだ。
知恵を絞ろうとも命を捨ててまで団結した結束力があろうとも、その全てを上からあざ笑う強者の存在。
その一柱がドラゴン。
その災厄がシンクローたちの前に降り立ったのだ。
そこにいるだけなのに全てが支配された。
シンクローたちは身じろぐことさえ許されない。
それは誰にではなく、ドラゴンでもない、自身の本能にだ。
身体も思考も停止した中で本能だけが狂い叫ぶ。
絶対に動くな。でなければ死ぬ。
「…………一つ訊いていいか?」
それでも口が動いてしまうシンクロー。しかし残念ながら恐怖の抵抗からではなく、現実逃避と諦観を掛け算した結果から最大期待値と最低希望値を探り出し、恐怖からの緩衝材しようとする行為だ。要は「わー、俺ってばどんな感じで死ぬんだろう。どうせ死ぬなら綺麗に死にたい」と思った行為だ。
それでも答えてくれたのが強姦男だ。
「…………なんだよ」
「ドラゴンに勝てるか?」
「馬鹿言うんじゃねよ。ヒュドラならともかく、ただの盗賊がドラゴンに敵うはずねぇだろうが」
「それって騎士もか」
「お飾りの腰抜けに何ができんだよ。せいぜい奴のエサだ」
「敵う奴に心当たりは」
「世界最強の冒険者ならもしかすると、だけどそいつは国外だ。そいつがいる所まで逃げられねぇし都合よく来ることもない」
状況がわかった。というより明確に絶望だということが分かった。
シンクローたちに出来ることは蛇よりおっかないドラゴンに睨まれながら遠からず来る死を待つことだった。
その場を支配したドラゴンはというと、まるで獲物を値踏みしているかのようにシンクローたちの周辺を歩き回っていて一向に襲ってこない。
「………あ、ああ、ああああああああ!」
ドラゴンが誰かに食らいつくよりも早く、恐怖が限界を超えたのか一人の盗賊が悲鳴を上げた。
その男はシンクローの投擲によって足に剣が刺さったままの男だった。実はシンクローたちはとっくに限界を迎えているのだが、蛇に睨まれた蛙の状態では心が麻痺しており限界だということを実感できていないのだ。だがこの男は足の痛みから麻痺が解けたのだ。実感した限界を超えた恐怖に男は喚くことしかできない。
そして最初に反応したのはドラゴンだった。
数十メートルあろうかその距離を一気に飛び越えて男に齧り付いた。
「ぎゃあああっ!アニキ!たす、助け、だぶげで!ぐえっ!ぐぶぅ!ぎゃば」
成人の腕ほどありそうな牙に噛みつかれながらも助けを請った男。ドラゴンはその男を咥えたまま何度も左右に首を振ったり地面に叩きつけたりした。やがて悲鳴が聞こえなくなり、男の眼から光が消えた。
首を傾げたドラゴンは「おや?死んだか」と言っている様なもので、そのまま男を口に丸飲みにした。
ゴリゴリバキバキと。
ブチャブツグチャグチャと。
顎が動くたびに聞きたくない嫌な音が聞こえてきた。
そしてあたかもわざとですよテレビの宣伝とかでビールを飲んで「かーっ!」ってするを見せられるとこっちもビールを飲みたくなる心理現象ですよって言わんばかりに飲み込んだ。
ゴックンと。
……………。
一瞬。一瞬ではあったが、ドラゴンが。
冷たく、恐怖心を煽るように、ゴミを見るような目で、笑った。気がした。
「「「ぎゃああああああああああああああああああああ!」」」
止まった時が解けた。
恐怖は脅威となって文字通り牙をむいた。
再起動した盗賊たちは蜘蛛の子を散らしたかのようにちりじりに逃げていった。
そこには男も大人も関係ない、丸裸の生命の形があった。
弱肉強食の狩りが始まった。
ドラゴンは前足を叩きつけ尻尾を振り回すだけ。できるだけ遠くに逃げようとする男たちをどの進路を飛んできて塞ぎ、翼の羽ばたきで生まれた空気の塊を叩きつけて押し戻した。
ただ一挙手一投足しただけなのに、男たちは吹き飛ばされて阿鼻叫喚の悲鳴を上げた。
近づくだけで死へと誘うサイクロンを彷彿とさせる惨劇を前にシンクローは未だ突っ立ったままだった。まだ脚の硬直は解けておらず、再起動には時間が必要だった。
当の本人はよくできたスプラッター映画を見ているような感覚に陥っているあたり、現状の認識を放棄している。普通ならば胃の中をひっくり返すくらいの嘔吐に見舞われるのが、ドラゴンがキャキャウフフしているあたりでホラーからファンタジーにジャンルが変わっている。恐怖心を掴ませないジャンル変更が彼の心を守ったのだった。
そんなシンクローの傍らにもう一人。こちらは完全に腰を抜かした強姦男である。
その男の目線は目の前で行われている血煙の惨状よりもシンクローに注がれていた。
ドラゴンは災厄だ。その巨体もさることながらそれを支える膂力、硬い筋肉と皮と鱗はどんな名剣すら通すことはない。極めつけは強力な魔術を使い、ドラゴンの上位種はその咆哮でもって世界に天変地異をもたらしたとされる。まさに存在そのものが兵器。ドラゴンが通った道は死と破壊しか残らない。
そんな最凶最悪の存在を矮小な人間が相手にできるはずがない。
もし、そこに立ち向かおうとする存在がいるとしたならば、そいつは伝説の勇者か英雄と呼ばれる人物だろう。
だからこそ、なぜ、と思った。
「どうして立っていられる?」
目の前に立つ若い神父。
奇妙な魔法を使い、自分たちを全く恐れずに追いかけてきて、そして蹴散らされた。
怯えた様子はなく眉一つ動かさないその姿は、今にもドラゴンに挑もうとする姿勢にも取れた。
「………まさか、こんなところに?」
果たして、強姦男の目にはシンクローがどう映ったことだろうか。
勇者?英雄?
だが、残念。シンクローは単にフリーズしているに過ぎないのであった。
「………な、なあ、あんた」
「うん?なんだよ」
「俺をここから逃がしてくれ」
「………何言ってんだこいつ」
「俺を逃がしてくれたら、どんな礼でもする」
だが、強姦男は自身の幻影に賭けた。その実物がどうであれ、藁にもすがりたい気持ちだった。
「欲しいものは何でも用意する。あの村には二度と手を出さない。神に誓ってもいい!だから――」
「待て待て!逃げたいなら逃げたいけど、そんなことできると思ってんのか」
「できるよ、あんたなら。現にかなり遠くまで来た俺たちに追いついたじゃないか」
「………仮にできたとしてもだな」
「頼む!こんなところで死にたくないんだ!」
「と言われてもなぁ」
もちろんこの逃げの一手にはシンクローも賛成だ。全く勝てる気がしない。
渋っている理由はドラゴンとのスペックの差だ。
先ほどから飛んで跳ねて走って駆けているドラゴンを観察して、漠然ではあるが人間との運動性能の差を理解させられた。
まず走って逃げる手。そして行先は食われる未来。論外だ。
ならば強姦男も言っていたが、飛んで逃げる手。これに関しては今置かされている状況が悪い。ここが起伏の激しい渓谷や密林生い茂る森ならば試していたかもしれないが、残念ながらここは見晴らしの良い草原だ。真っ直ぐ飛んだところで追いつかれるのではないかと危惧した。飛んで撒いて隠れられる場所まで死ぬ気で飛ぶとしてもどこに?村にこのまま引き連れて戻るなんて考えはない。
それに相手はドラゴン。仮にもドラゴン。されどドラゴン。
ドラゴン情報は殆どがライトノベルかゲームの改ざんされた情報であっても、リアルに目の前にいる時点でその恐怖は身に染み込んできた。
重くて、力強くて、速くて、硬くて、魔法も使って、まだしていないが定番のブレスも当然あるだろう。
果たしてドラゴンから逃げられるのか?
「………無理じゃね?」
「おい簡単に飽きられないでくれよ!」
「だってなぁ。もう俺たちが次の遊び相手らしいし」
「……………………………え?」
ドラゴンが こちらを 見ている。
他の盗賊たちは既にいない。あるのは成れの果ての肉塊と破片だった。
その顔の所々を真っ赤な鮮血で汚して、しかしその表情は「次はどんな遊びをしてくれるのか」とワクワクする子供のようだ。尻尾を空に伸ばして右に左にユラリユラリと揺らしているその姿は猫じゃらしを前にする猫だ。ただ残念ながらサイズがデカすぎて恐怖しか感じない。ドラゴン可愛くない。
「あわあわあわあわあわあわ…………え?」
「………は?」
あわあわしていた強姦男とシンクローが呆けるのも無理もない。
おもちゃを前にしたドラゴンが踵を返したのである。
まるで興味が失せたかのように。
「………助かった?」
強姦男が緊張を解いた。大きな双眸が外されて、気まぐれで見逃されたことに安堵した。
だがシンクローには分かる。そのセリフはフラグであることを。
目線が完全に外れたその瞬間、
「伏せろ!」
「え?」
嫌な予感が電流となってシンクローの身体を迸った。不具合だらけの身体をショートさせた結果、完全に再起動に成功した。
シンクローは握っていた槍にしがみついて力いっぱい後方に魔法を行使して一気に下がった。
呆ける強姦男を残して。
先ほどまでいたその場所に鞭のようにしなる尻尾が通り過ぎた。
「っがばはあああああああ!」
「フラグ回収乙!」
錐もみしながら吹き飛ばされた強姦男。
安全地帯まで下がった無事だったシンクローに労わる気などない。罪人には罰を精神はいまだ健在だ。
「………で、最後は俺ですか?」
そう。ドラゴンは興味を失せてなどいなかったのだ。最後まで逃がす気はなし、遊ぶ気満々である。
その目が語っている。
粋に良いのが最後に残った。これは最後まで楽しめそうだ、と。
「…………勘弁してくれ」
◆
拝啓、ジークフリード様。
地球がまだ存続していればセミの声があちらこちらから聞こえてくるはずの季節だったのですが、どうやらそういうことにはなりそうもありません。地球、滅亡してしまいました。
さて今回、このような文をしたためたのは折り入ってご相談があるかです。
私は今ドラゴンとだだっ広い草原で楽しく戯れています。困ったことに相手は手加減という言葉を知らない子供のような方です。腕の振り下ろした余波だけで突風が吹き身体が吹き飛ばされてしまいます。
いい加減こちらも堪忍袋の緒が切れそうなのですが、そうも言っていられない状況。
だから教えていただけないでしょうか。
ドラゴン、どうやったら殺せますか?
敬具
ドラゴンと対峙した。彼我との距離はおよそ三十メートル。しかしそんな間はドラゴンにとって近い距離と言えるだろう。
跳躍。シンクローがまだ遠いと感じるその距離を、大量の空気を押しのけて轟音ともに一気に迫ってきた。
噛みつきやすいように、首を横に傾けて上顎と下顎が左右から挟み込もうとしている。
「どわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁはーはははッ!?」
止まったら死ぬ。
反射的に止まりそうになる身体に悲鳴を上げることで鞭を打つ。
上にも下にも飛ばずに、ドラゴンの死角となる下顎側から避けた。
続いて迫りくる腕を今度は跳躍して飛び越える。
ダメ押しの尻尾は顎や腕のような勢いがなく、股下をくぐるように難なく通り抜けた。
|もう何度目になるその技を避けた。
また対峙。向き直したドラゴンとの距離は変わらず。
冷や汗が止まらず服に張り付き不快に思うとも、自分の心臓の音がけたたましくうるそうとも、目を離さずに、ゆっくり息を吐いた。
人生史上の危機なのに、シンクローの口角がわずかに上がっていた。叫びながら、笑いが止まらなかった。怖いはずなのに、笑いがこみ上げてくる。感情のメーター針が振り切れたのだろう。
ドラゴンと戯れるシンクロー、序破急ふっとばしての始めから全力のクライマックスであった。
恐らくドラゴンはまだ手を抜いているに違いないが、規格の違うシンクローはいくら手を抜かれても全てが致死レベル。逃げることに徹底しているシンクローはかすりもしないが、腕を地面に叩きつけた大規模直下型地震のような揺れや尻尾が振るうたびに起こる突風などの追加攻撃とも言うべき余波がシンクローを苦しめていた。
何しろ一発当たれば勝ちと掠っただけで重症を負う。追うものと逃げる者の構図。
戦いという概念はこの場にはなく、一方的な蹂躙劇が続いていた。
ドラゴンの攻撃は単純で噛みつくか身体を当ててくるか尻尾を鞭のように振るうかのいずれだった。たいしてシンクローは唯一所持している槍を移動手段にしてしまっているため、攻撃手段がなかった。ただ某狩人ゲームで培われた二次元知識が役に立っており、余波にさらされながらも安全に逃げやすい場所取りをしていた。
噛みついてくるなら後ろに下がりましょう。ドラゴンパンチを打ってくるなら関節が曲がらない所へ行きましょう。テールアタックなんて、ちゃんと見えてますか?
最強だからこそのワンパターン。小手先やら搦め手なんて小技を使わない時点で見切ったのも同然。
そうなってくるとシンクローの脳内で妙な分泌液があふれ出してこの逆境が楽しく感じてしまっていた。
「あーははは!どうしましたかドラゴンさん。攻撃が空振りしてますよーだ!」
だからついつい意味もなく煽ってしまう。
回避に専念して入れば絶対的強者と対等に立ち会える。そんな錯覚に陥ってしまった。
たとえ言葉がわからなくても、煽られた側からしてみたら面白くない。
そうするとどうなるか。こうなる。
「GQWYCAR――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
「ぐがああああああああああ!」
ドラゴンの咆哮。
ただの鳴き声はそのスケールの差から振動で破壊する音波攻撃になった。
音の塊は分厚い壁となり、シンクローは吹き飛ばされて大地に倒れこんだ。
ビリビリと感電したかのような全身の痛みにたまらず槍を手放して両手で耳を塞ぐだけではなく自らも叫んだ。こんな時に脳震盪を起こせば絶体絶命であることを理解した本能が振動を自分の叫び声でなんとか相殺しようと試みたのだろう。さらに結果として急激な気圧の変化から鼓膜を守り破れずに済んだ。
なんとか耐えた。だが地獄は終わらない。
「GQWYCAR――――――――」
「――いいっ!?ヤッバい!」
倒れこんだシンクローを今度こそ竜牙で捕えようと大地を抉りながら顎を広げながら突進してきた。
シンクローは当然対処に遅れた。
魔法でもって再び槍を手中に戻して回避しようとするが、残念ながらドラゴンの運動性能が高かった。
今、実感した死は、真っ白いものだった。
停止。
迫りくるそれは土煙を巻き上げ、大地を捲り上げながら迫る死のブルドーザーで。
反射的に腕を前に伸ばした。
全てを飲み込んでも確実に牙で噛みちぎり、顎で砕く。ギロチンとアイアンメイデンを合わせたような。
身体が完全に口腔内に入った。
舌で感じた、温かなそれを。
全身で感じる、鉄臭いジメっとした梅雨の夏のような熱さが。
口を閉じる。
口を閉じられた。
「ぎゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
蹂躙の開始。ようこそ鮮血溢れる片道切符の地獄へ。
口腔内から響く死のコーラスにうっとりと恍惚な笑みを浮かべながら、ゆっくりと、ゆっくりと、牙を突き立てて咀嚼していく。簡単には殺さない。その生きの良さは胃袋まで続くように。舌で位置を調整して、致命傷になる部分を避ける。
腹を満たす食事がすべてではない。
その過程が、胃に生きた肉を収めるまでが。嗜虐心を満たして、その存在を生命で満たす。
これこそドラゴン。
破壊と蹂躙の権化。
強いからこそ許される。強いからこそ誰も歯向かえない。力こそ正義だと血で染まった旗を掲げる存在。
ごっくんと。最後の一人を、最高に意気が良いことに敬意しながら、嚥下した。
喉を通り、食堂を通り、胃に落ちてなお、内側から響く絶叫を感じながら。
胃袋と嗜虐心を満たしてくれたお前たちに、ごちそうさま。
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「(生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてたよぉぉぉぉぉおい!?)」
はい、生きていました。シンクロー五体満足で生を謳歌してます。
なぜ助かったのか。
食べられそうになったシンクローは反射的に槍を握ったまま腕を突き出した。そして槍の両先端がドラゴンの上下顎に引っ掛かり、下半身が口の中に入ろうとも致命的な状況にはならずに済んだのだ。さらにドラゴンの並外れた運動性能も仇となった。槍が折れずに大きくしなり、口を閉じる前に突進力と槍のバネが合わさり、シンクローを遠くまでかっ飛ばした。自らまき上げた土砂と土煙で視界を塞いでいたのでそのことに気づかずに。槍の長さとドラゴンの口の小ささに助かったのだ。
では、今胃袋にいるのは誰なのか。
身代わりになってくれたのは強姦男でした。実は大型トラックに引かれたかのように手足は不自然に曲がり、全身の骨で折れていない所はないくらいに重症だったのだが生きていた。
身動きできないので、シンクローとドラゴンのキャキャウフフの鼬ごっこを遠くから静かに眺めていたのだが、劇のステージは彼を乗せてしまった。
当然、俎上の魚役を入れ替わったシンクローも彼が食べられる寸前で気が付いた。
――助けて!
――無理だよ!
これが立ち代わり入れ替わりの一瞬で、目と目で通じ合った最後の会話となった。
どんな運が悪く不幸が回って来ようとも絶対命だけは助かってきた自分の悪運に感謝するシンクローであった。
◆
今シンクローは大地になっていた。
シンクローは草であり花である。風にゆらゆらと揺れる程度しか能がない。きれいな花も咲かせない。というか注目されたくない。
大地の一部になりきって、徹底的に存在感をなくしていた。
せっかく助かった命。ここで無くすわけにはいかなかった。シンクローを生かすため多くの命が散った。彼らとは一方的にドアでタックルをかまし、切りかかってきたのを背負い投げで叩き落した仲。少し会話もしたけれど、ハッキリ言ってもうどうでもいい思い出。盗賊たちに感謝を。一秒で忘れてやる。
身代わりのおかげでシンクローはノーマークとなった。これでドラゴンが立ち去れば万事解決。シンクローは大手を振って村へ凱旋できる。
食事の余韻でも楽しんでいたのか、しばらく佇んでいたドラゴンはその翼を広げた。翼の表面に光の筋が走ると、羽ばたきもせずにゆっくりと重力の楔から解き放されたかのように浮かび上がった。そしてそのまま大空へと飛んで行った。
「………帰ったか。た、助かった」
一気に緊張感が抜けた。力んでいた身体から力が抜けて、さらに抜けきってしばらく立ち上がれそうもない。
とにかく目一杯息を吸って肺の中を満たしそしてそのすべてをゆっくり吐いた。
「生きてるって素晴らしい」
これまで生きてきた中でこれほどまでに生を実感できたことはあるだろうか。森での熊さんとの遭遇のほかに、荷台に斜め立てられた鉄骨が固定する前に滑りだし首のすぐ脇を通って行ったこととか、台風の影響でボルトが緩んだ看板が目の前に落ちてきたこととか、いろいろと記憶があるシンクロー。もう細かいことは言うまい。
「………生きてるって素晴らしい」
大事なことなのでもう一度。
たとえ周囲が悲惨な光景であっても生を実感する。
あくびが出た。眠気が襲ってきた。全身が休息を求めている。それに抵抗しようなんて無粋だと思う。むしろ賛成だ。
シンクローは瞼を閉じる。少々鉄臭さはあるものの、太陽が穏やかで温かな光を提供してくれていた。瞼越しでも眩しいがのだが、丁度雲が掛ったようで影ができた。
それはもう不自然なくらいに真っ暗で――。
「チクショウ!!」
眠気なんて吹き飛ばしてやった。
手とカーソルが同時に槍を掴む。一気にカーソルを動かしてその場からどこでもいいので、真横に素早く動かした。槍を掴んで一気に逃げる。身体が大地と擦れようとも気にもしていられなかった。
ドゴゴオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ。
シンクローが先ほどまでいた場所に轟音と土煙が立ち込めた。
今度はそれを翼の羽ばたきで吹き飛ばして現れたのは先ほど立ち去ったはずのドラゴン。
「どうしてバレた!?」
疑問に思うのも当然だった。平原と言ってもただ平らではなく多少のたりともクレーターのようなはある。シンクローはそこに身を隠していた。ドラゴンの視界には入っていないはずであった。
ドラゴンは力こそ強いが五感は優れていない。犬や猫のように嗅覚聴覚が発達していることはない。だがシンクローは失念していたのだ。ドラゴンは魔法が使えることを。当然それを補える魔術も備えていた。飛び立つ前にレーダーのような魔法を使い、そこでシンクローが存命していることを知られたのだ。咀嚼に夢中になっていた時に逃げていればあるいは。だが、意外なドラゴンの几帳面さが成した結果であった。
力こそ正義のドラゴンのプライドに関わる問題であった。
強者の振る舞いをして弱者に生き逃れられたなどと、ほかのドラゴンに知られたら一生ものの笑い話だ。
次は、確実にこの牙で、殺す。
遊びでもなく、嗜虐心を満たすためでもなく、ドラゴンとしての誇りが許さなかった。
確殺の殺意は棘となってシンクローに突き刺さんとするオーラを纏わせて、ドラゴンは小さな存在を睨みつけた。
「………んだよ」
再び戻ってきた災厄。
肌に突き刺さる目に見えず肌にも感じない何か。それが殺気だということに本能が理解していた。先ほどまでと違う純粋な殺意を前に常人ならば固まってしまうだろう。
「なんなんだよ、お前は!もういい加減にしろ!」
シンクロー、自棄が一周回って逆ギレしていた。殺気も物ともしない。
シンクローの怒りはドラゴンに届いた。
反抗心がドラゴンの殺意を高ぶらせた。
「GQWYCAR――――――――――――っ!」
「うるせぇ!二度も食らうか!」
「――――――!?」
咄嗟であった。
前方に掲げた手が魔法を行使した。シンクローを包むように球状の空間をドラッグして空気そのものを選択。動かすのではなく、逆に動かさずにする。無意識に何となくで咄嗟にした魔法を前に襲ってきた音波攻撃は不動の空気にぶつかり不動の空気を破ることなく消えていった。
絶体絶命の土壇場がシンクローの魔法の力を覚醒させた。元からシンクローの一部であった魔法器官が、単なる義肢のようなものでなく、真の意味で体と溶け合い新たな体の一部となった。今まで感じていた僅かな抵抗すら感じない。さらに言えば神経が通ったので「ああ、こういう動きもできるのか」と感心するほどに。それとも右クリックの存在を思い出しただけか。
ドラゴンは一度効いたはずの攻撃が効いていない様子に動きを止めた。
両者動かず。
一方は戸惑っているのか相手を観察して、もう一方は武器になるものを探していた。
「槍だけじゃ足りないよな。………ほかには?………ああ、あるじゃん」
槍に跨り宙に浮くシンクロー。それを目だけで追うドラゴン。シンクローは一瞥しただけで目的地まで飛ぶ。その先は盗賊たちの最後の地。生々しい肉片はそのままだが、探しているものは他にあった。
「よっと」
領域内で複数のカーソルが飛び立つ。カーソルは盗賊たちが握っていた剣をドラッグ移動して、シンクローに引き寄せられるように浮かび上がった。その数は五本。
跨っている槍に五本の剣が今のシンクローの戦力だ。
もし第三者がいればシンクローがいかに無謀なことをしていることが分かるであろう。
それでも沸騰した頭でそのことに気づかないでいた。
もう逃げられない。だったら戦うしかない。
もし、ここにまだ強姦男が生きていればまた幻影を見ただろう。
人々を苦しめる邪竜を退治する英雄譚。
だが残念ながら男にそんな殊勝なことは考えていない。
これは自噴に駆られて、生き残るために立ち向かう殺陣劇。
さぁ準備は最低限だが整った。
「――それじゃ、始めようか。このトカゲ野郎」
◆
先に動いたのはシンクローだった。宙に浮かぶ五本の剣を引き連れて、空飛ぶ槍に跨りドラゴンに迫った。
「GQWYCAR―――――――ッ!」
また咆哮の音波攻撃を仕掛けるドラゴンだが、これをシンクローは空気で防音の壁を球体状に作り防いだ。
効かないと分かるやすぐさま噛みつきに移った。
しかしその攻撃もシンクローは見切っているので、鳥ではできない軌道でこれを避ける。そのまま背中の真上を飛ぶ。尻尾の鞭が迫ってきたのでこれを避ける。
「まずは一撃!」
カーソルを動かして一本の剣が組んでいた隊列から離れ高速で射出していった。がら空きの背中に命中したが矢のように鋭い一撃もドラゴンの身体を傷つけることなく、キィンと高い音とともに弾かれた。弾かれた剣は魔法でドラッグしたままなのでシンクローのもとに戻ってきてまた隊列を組んだ。
「……ま、だろうな」
期待していなかったといえば嘘になる。だが予想もしていた。相手は腐ってもドラゴン。ただの投剣では傷を負わすことなんて叶うはずがない。だが、生物である以上必ず弱点は存在する。そこを突けばいかなる最強の生物といえ倒せるはずだと考えた。
「問題があるとすればそれはどこかってことくらいだが」
生物の弱点はだいたい共通している。脳と心臓だ。だがそれらは堅い皮膚と鱗で守られていた。見た目普通の鉄剣が通用するとは思えない。
「それでもやるっきゃないか」
シンクローは攻勢に出た。もはや彼の辞書には撤退の二文字は二重線が書き重ねられていた。
ドラゴンの正面に浮かんで攻撃を誘い、噛みつきを躱してすれ違いざまに打ち込む。眉間、頭、翼の付け根、手足の関節、尻尾の五か所。だがすべて剣が弾かれた。ドラゴンの皮膚や鱗は様々な伝承(主にライトノベルとゲームとアニメ)通り恐ろしく硬いのか、それとも狙いどころが悪いのか。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの精神で様々所にぺちぺちと投剣。
これが面白くないのがドラゴン。効かないと分かっているが、こうもしつこいと苛立つものである。人間でもそうだが、身体を這いずり回る虫はさっさと叩き落すのがいいに決まっている。手加減なんてない、圧倒的火力でもって。
「――――――――――!」
「また絶叫か………いや、違う!」
大きく開いた口から洩れたのは咆哮ではなく赤い光。
なんだあれは、とわざわざ呆気に取られることはない。スマホで撮ろうなんて真似もしない。そんなことをするのはその情報がごっそり欠如した映画の登場人物くらいだ。
ファンタジーでドラゴンのことを知っていれば、それが何を指すか。そしてシンクローは自身の危機管理に従い、雲が浮かぶ空まで一気に飛んで逃げた。
「まずいまずいまずいまずいまずい!ブレスだ!」
一閃。
すべてを焼き、溶かして、灰すら残さない破壊の炎が迸った。
ドラゴン特有の詠唱から放たれた炎の吐息は一切の拡がりを見せずに収束されて、遠くから望めば光線に見えた。おおよそ人類が想像つかないであろう空気さえ焦がす熱量は例え直撃していなくても肉を焼く。地上で使えばその地は草すら残らず、高温によって土がガラス化された更地となる。文字通り地形を変えるであろう。
そもドラゴンのブレスとは火炎放射器のように着火した火炎燃料をホースから出る水のように浴びせるものではない。ドラゴンは巨体だ。卵の時から人間の倍はある。当然、身体を動かすのに必要なエネルギーも人より多く、発生する体温も高い。ただドラゴンが溜め息した程度で人間は火傷を負ってしまう。すならちブレスには二種類あり、高温の吐息を魔術によって増幅して炎の光線に変えているパターンと魔術の源である魔力を使って口から放出しているパターンだ。今回は前者である。
例えで出たが、空気まで焦がす熱量だ。温められた空気は一気に膨張して爆発する。地上に直撃すれば歪なクレーターが生まれたであろう。だがシンクローが逃げたのは大空だ。どういうブレスかまでは想像つかなかったが、地面で逃げ場所が限られることを恐れた判断だった。結果圧倒的熱エネルギーを得たシンクロー近辺の大気は地上以上の爆発的膨張が発生して、台風並みの風がシンクローを悲鳴ごと圧し飛ばした。さらに発生した積乱雲は錐もみされるシンクローの姿を隠す。分厚い雲はドラゴンの魔術によって強化された目からその影を捕えることはできなかった。
シンクローのとっさの判断が、丁度良く彼がいた地点がドラゴンレーダーの範囲外で狙いが正確ではなく少しずれていたことから始まり、光線が掠める前に空気の膨張によって無傷範囲まで飛ばされて、ドラゴンの自業自得で発生した積乱雲で姿まで隠せた。死地であれば発揮される悪運の面目躍如であった。
「………もうヤダ帰りたい」
ブレス攻撃で頭が冷えたシンクロー。怒りのボルテージが下がり今は涙目である。突如沸いた雲に目を白黒させるが、これ幸いと雲に隠れて逃げる作戦に移行。彼がドラゴンを覗いているとき、ドラゴンも覗いている。今はその逆。お互いにどこにいるか分からない。見失っている今、さっさとトンズラを開始するのであった。
「…………」
しばらくの間雲の中を飛んだ。厚い雲は濃い霧のようで伸ばした腕より先が見えない。そのためどこに向かっているか分からなかった。目印もGPSもないシンクローに真っ直ぐ飛んでいる自身はなかった。
というか、シンクローは安心できなかった。なぜなら口が疼いてしまっていた。
攻撃が来ない。ドラゴンの姿が見えない。ただそのことに一時の心の平穏を得たいのだ。
「…………」
ただ分かっている。それがフラグであることを。自ら立てに行ってしまうことに。
それでも肺に溜まっている不安という重い空気を捨て吐きたかった。
「………も、もういいかい?」
何もなし。
「………まーだかな?」
何もなし。
「………逃げ切ったか」
「GQWYCAR―――――――ッ!」
「ですよね!?もう分かってましたよチクショウ!」
高熱の一閃、ドラゴンブレスが迸った。
またも爆発的な風の奔流に押し流されたシンクロー。
後ろのほうでドラゴンが翼を広げて悠々と飛んでいるのが見えた。あまりの巨体から距離感覚が分からなくなるほどだ。
ドラゴンレーダー範囲外への攻撃だった。しかしレーダーと視覚以外にも索敵方法はある。それは大空を飛ぶものとしての必須能力とも呼ぶべき空気の流れを読む魔術だったり、こちらも魔術で強化された聴覚だったりする。そこから導き出された答えに、当たりを引けばいいな的な感じでブレスが炸裂したのだ。結果、シンクローは炙り出されて、追うもの追われるものの関係に再びなったのであった。
とはいえ、地上に向けて撃つよりも当たらないどころか掠りもしないドラゴンブレス。
今は魔術を重ねて雲が発生しないように改良されたブレスを放っているのだが、飛んでいるシンクローはこれを避け続けた。大きく右へ左へ上へ下へ。まるで突風が人間の身体を押しているかのようだ。これは面白くない。
シンクローからしてみればブレスが放たれて爆弾でもって身体が吹き飛ばされるような体験を何度も味わっている状況だ。乗り物には強いが、こうも吹き飛ばされ過ぎると悲鳴よりも吐瀉物が出そうだった。揺さぶられながらも五本の剣はずっと一緒であるが距離が離れていて反撃の機会がない。
結局ドラゴンは規格外の力を保有していて、その力で青年を翻弄している図である。力が有り余っているからこそシンクローは今生きているのである。そして規格外であるが故にそのことに気づかず調整しようというか考えに結びつかないドラゴンだった。だが知恵はある。
「………ブレスが止んだ?」
先ほどまで執拗なまでに放っていたブレスが途切れた。さらにまた厚い雲がシンクローを包んだ。姿が雲によって隠れたからやめたのか。このまま雲の中にいるほうが安全なのではないか。その安直な考えが移動を止めてしまう。
その考えが危険であることは承知していた。
だから、三度目になる不自然な暗がりで上から迫るそいつに気づくことができた。
「どぅわあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!?」
限られた視界の中で現れたのはノコギリのようなギザギザ刃のギロチンであった。シンクローのさらに上からの噛みつきだった。あえてブレスで雲を生み出して視界を奪い、自身は魔術を使い飛行する際にどうしても発生する音を消した上で真上からの奇襲。確実にシンクローを殺す算段だった。
だがシンクローにとり憑く悪運の死神は彼の命を渡さなかった。
シンクローの身体は完全にドラゴンの口腔内に収まった。だが死の執行は緑色の槍によって拒まれた。またつっかえ棒によって命が救われた。ここまでくると狙っていやっているのか、それとも学習しないのかのどちらかだろう。
口を閉じることができずにいるドラゴンは次の行動に移った。
「くっ!?なんで急降下………まさか!?」
本当ならこの場で噛み砕きたい衝動があるが、生きのよい肉が想像以上の抵抗をするので口が閉じられない。しかし、人間というのは強靭なドラゴンに比べればひどく脆く弱い。それこそ地面に叩きつければ死んでしまうほどに。自重に加えて翼の加速を使い一気に大地に肉薄する。急速に地面との距離が狭まる死のカウントダウンが始まった。
もちろん逃げ出したいシンクローだが、現状それは難しい。槍はつっかえ棒という命綱の役目を全うしている最中で逃げ出すことは不可能だった。さらに手を放してしまえば上から迫る胃袋にご招待されえしまう。手を放すわけにこいかなかった。
「くっそ!このままじゃ!」
退路も逃げ道も完全に断たれた。
こんなところで命を諦めたくない。必死に何かないかと視線を巡らし打開策を出そうとするが一向に答えはでない。逆に空回りして正常な思考すらできなかった。
どうする。頼れる助けはない。泣くことすら、否、感情すらそのギアが動かない。白く染まった頭の中はシンクローからすべての行動を奪った。
「……………血の味?」
土壇場の淵で血の池を見た錯覚が味覚さえも狂わせたと思った。でもそうじゃない。実際に舌先が鉄の味を感じていた。何処かでぶつけたのだろうか。そんな記憶さえドラゴンとの強烈なやり取りの前では薄れるどころか消え失せてしまった。
そういえば良く口の中を怪我していたな。食べては舌を噛み、ぶつかれば唇に血が滲み、いつの間にか口内炎。特に発生期から拡大期と続いて治癒期の前段階である激痛期が痛かった。酸味は染みるわ喋っても染みるわ黙っても染みるわ、もう散々だった。その対象に身体は丈夫だったな。母さん丈夫な体に産んでくれてありがとう。ありがとう走馬燈。
「…………………ふむ」
身体の何処を攻撃しても傷つかないドラゴン。それはひとえに硬い鱗と皮膚で守られているからだ。目玉は守られていなかったがこれには瞼がいるので攻撃はしなかった。というか下手して刺さって逆上されてしまうともう手の打ちようがない、そんな想像と予想があったからだ。
では、鱗も堅い皮膚もない柔らかそうな肉壁に囲まれた口の中ならどうか。
健気にも一緒に急速落下しながらも常に傍らで待機していた剣を放った。
「とりゃ!」
「GQWYCAR―――ッ!?」
分厚い舌に刺さった。
隙間から流れ出るのはドラゴンの鮮血。突如発生した痛みはドラゴンを動揺させた。
「……ふ、ふふ、ふはははは」
この世に絶対なんてない。最強はいても無敵はいない。これらは誰の言葉あっただろうか。もう誰でもいい。
そんなことよりも、だ。
通じた。効いた。傷を与えた。シンクローの攻撃がドラゴンのダメージとなった。
ああ。なんて愚か。こんな弱点に気が付かないなんて。そして目の前には弱点を堂々と晒しているなんて。なんて愚か。
腕を向ける。魔法を操る。やるべきことは見えた。これが唯一にして最後の突破口。
溜まりに溜まった唇を噛まなければならない悔しさが爆発し、今まさに感情のギアが怒りに入った。
「くたばれトカゲ野郎!」
至近で射出された剣は開かれた口腔を蹂躙していく。先ほどまで通らなかった攻撃が嘘のように、深々と突き刺さっていった。けれどシンクローはそれだけでは終わらない。刺さった剣を移動させる。そうすることで幾つもの切り傷を作っていった。重なるにつれて傷は大きくなり、刺さった剣の角度によっては抉れて血をまき散らしながら剥がれていく肉片もあった。
「GQWYCAR―――ッ!?」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねえええぇぇ!」
たまらずドラゴンは頭振り回して暴れるが、引っ掛かった槍がうまい具合に外れない。振り回されるシンクローも必死に掴まりこれに耐えた。
その間も五本の刃は暴れまわった。刀身だけではなく柄までびっしりと血糊で汚れてしまっている。それでも血吹き肉飛ぶ嵐は止まない。シンクローが止めるまで、幾人のも命を奪ったドラゴンが息絶えるまで。何度も何度も何度も!
地上はもう間近。
シンクローもむやみやたらに切り付けていたわけではない。
血生臭い暗闇の奥へ。阻む困難を切り払うかのように。
そして、刃は届いた。
外敵からには堅い皮膚と鱗で囲まれ守られた首にある太い血管が。首に支えられてきた頭の中にある
大脳と身体を繋ぐ神経が。五本の刃によってずたずたに切り刻まれた。
「――――ッ!?」
「あぶっぷ!?」
吹き出た鮮血は今までになく勢いがあり間欠泉のようで、シンクローはもろに被った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
熱湯。否、熱血であった。
溜め息でも人間が火傷を負ってしまう程の体温を帯びているドラゴンだ。血液だって熱々に決まっている。
「~~~~~……あっ」
吹き出た勢いと高温の熱血が槍からシンクローの手を滑らせた。
命綱を手放してしまったシンクローは迫っていた地面がすぐ目の前に、高さにしてビル三階くらいに迫っていた事も合わさって茫然自失となった。
死んだ。
そう思っても仕方がないことだ。
伸ばされた手は槍へ向き、魔法を使う暇すらなく引き離されていき。
シンクローの自由落下よりもドラゴンの下降が早く。実感する景色が落ちるよりも上っているようで。
身体は鮮血吹き荒れる咽頭へと沈んでいった。
抵抗らしい抵抗もなく、ドラゴンの巨体は地面に叩きつけられていった。
弾むこともなく、少しばかりクレーターができたくらいで動く気配はない。
否、首がわずかに揺れた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっづい!?」
肉を押しのけて口から外に飛び出たのは真っ赤に染まったシンクロー。
ドラゴンの身体が皮膚鱗骨に至るすべてが頑丈でクッションの役目を果たしたのだ。だが無傷というわけではない。ドラゴンはその命の火を消して冷めてきているが、シンクローにしてみればまだまだ熱湯で絶賛火傷中だった。置き土産はとことん質が悪くしつこい。最期までシンクローを苦しめていた。
黒かった神父服も今は真っ赤でしかも熱血が染み込んでアッツアッツ。
脱いだ。とにかく脱いだ。上着ズボンシャツから下着まで。この熱さから逃れるためならば全裸にだってなれる!
転がる。とにかく転がる。脱いでもダメだった。なので地面に身体を擦り付けるように、土の優しい冷たさを求めて全力で転がった!
ヒリヒリしているのかビリビリしているのか、全身を剣山で叩かれる痛みに苛まれていたが、転がる力は抜けていき、意識さえ失った。