1-4始まりの村の大冒険
露骨に睨まれて、もしくは横目で追いかけられて、視線を合わせれば避けるように顔を背けるものと不快感を表に出し合わせ続けるもの。村人の反応はそんなものだった。
シンクローはそんな居心地の悪い中で村の中を歩いて進んでいた。
なぜこんなことになっているのか。「子供たちが村から帰ってこない」と様子を見てきてほしいと老エルフ神父に頼まれたのだ。村には定期的に行商人が訪れて村人を相手に露店を開いている。農業が収入のメインとなっている村人は、売った穀物で得た利益をここで費やしていた。小さな村故に商店や酒場などの娯楽がなく、さらに近隣の村では畜産や織物が収入源となっているがそれも物々交換で済んでしまうため、金はほぼ使い道がないのだ。そうなると大きい町に行くときの資金かこのような行商に集中する。それは教会の子供たちも似たようなもので、行商人が来るたびに老エルフ神父から与えられた小遣いで買い物をしたり、また何かと忙しい老エルフ神父にかわりお使いを頼まれていたそうだ。
教会の住人は村人から忌避されているため、早めに帰ってくることが常だったのだが、今回はそうではなかった。
そんなときに丁度森から帰ってきたシンクローとアンナに白羽の矢がったのだ。………ナウマもいたが、お手伝いをサボったためご飯抜き宣告を言い渡された。老エルフ神父監視の下で強制お手伝いの刑が執行されていた。よってお留守番であった。
村に住む者にとって、季節が一周する間の生活はあまり変化するものではない。雨が降り風が吹き太陽が照り雪が積もり、土を起こし種をまき収穫し大地を休ませて、食べて飲んで寝て愛を育む。変わらないからこそ平和の象徴。豊かな証。誰もが親で誰もが兄弟で誰もが子供であった。知らないものなどいない、生まれた命は誰もが喜び、召された命は誰もが悲しむ。
それが村に住むということ。完成された小さなコミュニティー。
変わらないということは発展が無いということ。大地の恵みを糧としながら決して大地を壊そうとはしない。
それはまるで、土と水と植物が計算のうえで配置され決して絶えることのない空間が固く瓶詰めされたメダカの水槽のようであった。
だからこそ、その計算が狂わないように、異物を嫌う。
「………無視すればいいものを」
シンクローは鈍感などで無い。ゴミを見るような無数の眼に耐えているわけでもない。関係ないと割り切って足を進めていた。それに用があってここにいるのだ、済めばいなくなるだけだ。
それにこの程度の視線など、昼時大行列のコンビニでのアルバイトをしていたシンクローには慣れたものだった。昼時は混むのを分かっているくせに、やれレジが少ないだのやれいちいち袋に入れんのが遅いだの理不尽な視線にさらされている。これを流せないようでは客商売なんてやってられない。
「さて、子供たちとアンナはどこかいなっと」
ざっと村を見渡したが見つからず、人に聞こうにも言葉が通じず、通じたとして素直に話すかどうか。八方ふさがりなシンクロ―。取り合えず村中をくまなく歩くことに。
「……おかしい」
木でできた高いハードル程度の柵に囲まれた村はそこまで広くはない。村人が管理する畑を除けば、だが。柵に沿って一周して。路地と言っていいのか分からない家と家の隙間を虱潰して。最後に村の中央広場に戻って。あると思ったものがない、そんな違和感が疑問になった。
「子供がいない?」
正確に言えば母親に背負われている赤子や足元が覚束ない幼児を除いた、教会の子供たちと同年代の村の子供がいなかった。異物たるシンクローが現れたから屋内に避難させたかと頭を過ったが、だったら窓の陰からシンクローの動向を覗いていてもいいはずなのにそれすらない。
結論。何処かへ出かけている。ではどこに?
さすがに教会はそもかく、村周辺はなにがあるか調べている暇はなく、さらに子供が遊べる場所はもっと知らなかった。野原を駆け巡る少年から卒業(?)してテレビゲームに転向したシンクローは外で遊ぶ場所で浮かび上がるのは公園しか連想できない。記憶を保育所時代にまで遡っているときであった。
シンクローから少し離れた柵を飛び越えて村に入っていった三人の子供が見えた。丁度探していた年齢で。それも怖いものを見たような真っ青な顔で。
「……まさか」
足が自然と駆け出していた。確信があったわけではない。憶測でしかない。それでも今の状況と通り過ぎた血相を欠いた子供の様子からただ事ではない事態が想像できた。
もう一度言う。シンクローに確信はない。それでも立ち止まっているなんてできるはずもなく、
頭過ったソレはシンクローを走らすのに十分であった。
◆
都市にしろ、町にしろ、村にしろ、人が集団で生きていくのは結構難しい。何しろ人間は程度の低い万能であるのにとても脆い生き物だ。外敵と環境状況から身を守るよりもまずは食べ物――特に飲める水の確保が先決なのだ。砂漠地帯で何もないところに集落を作るだろうか?すぐに滅びるだろう。だったらオアシスの周辺に築くはずだ。喉を潤し、作物を育て、その文明を支える。水とは切っても切れない関係なのだ。
本来であれば、治水工事はその地の国王や領主の許可が下りて初めて施工できる国家事業。ちゃんとした測量、掛けるための橋の建設、工事での人手などなどひっくるめた予算の問題で民間が勝手にやってはいけない。素人の「これをやっておけば大丈夫だろう」と上っ面の安心を得たばっかりに二次被害が発生する恐れがある。
村の水源には中央にある井戸と離れたところにある小川と何ひとつ心配はいらなかったのだが、長期にわたり雨が降らずに井戸が枯れる寸前にまで陥った過去がある。だから村人は勝手に貯水池を作ってしまったのだ。当時の予定では干ばつが起きた際の予備水源だが、残念ながらその役目は今日にいたるまで果たすことはなかった。現在はどこからか迷い込んできた小魚が繫殖して釣り堀として子供から年寄りまで楽しめて食料まで調達できる釣り堀と化した。
管理は村人が行っているが、大地にただ大規模な穴を掘っただけのものでしかなく泉になっているわけでもない。つまり管理とは名ばかりのであり、実際は魚を盗む不届き者へのパトロールが主な仕事だ。大昔にこの村のためになるならと小魚を放して水質を整える水草を植えたりしていた人物が今もふらっとやってきては、水かさが減った分魔法で水を足していたり浄化の魔法で濁った水質を綺麗にするエルフ族の神父の存在を村人は誰も知らない。
貯水池のほとりには複数の子供が集まっていた。分けるのであれば二色。すなわち村か教会か。残念ながら仲よく遊ぶという間柄ではない。村の大人が教会の子供たちを邪推する様子を倣って真似をする。意味は分からないでも大人がやるから私たちも、という構図が脈々と受け継がれている。幸い老エルフ神父は受け入れられているので、彼の存在がある以上直接手を上げるということはできないが、子供たちは違う。純粋だからこそその意味を知らずまるで遊びのようにとらえる。子供たちに悪気はない。だからこそ残酷なのだ。
事の発端は運悪くシンクローにも関係していた。
シンクローの日課になっている落とし物探し。それの彼の使いどころがないものの処分という名のお土産が原因だった。日本であれば浦安のテーマパークで買えるちょっと大きめの熊っぽいぬいぐるみを教会の女の子にプレゼントした(もちろん不公平のないようほかの子にもプレゼントは贈り済み)。その女の子は大層気に入りようで肌に放さず持ち歩いたが、それが今回村に出てしまったので村の子供たちが妬んでしまった。
村の子供たちに教会の子供への遠慮はない。遺憾なくジャイアニズムが発揮され、そこから先はお約束通りの展開。お前らのものは俺たちのものだ悔しかったら取り返してみろまあそん時は父さん母さんに言いつけてやるがhahaha。関係のない大人を巻き込む幼いうちから汚い利己主義に対して大人が出張ってきたら流石に竦んでしまう教会の子供たち。たった一言で追い詰められていた。
そこに現れたのは教会のお姉さんアンナ。獣人の嗅覚で早々に居場所を割り出し駆けつけた。状況は説明されるまでもなく即看破した。過去に似た状況を経験したことがあったからだ。あの時はただ背中に隠れていただけの自分が今度は守る番と意気を込めて近づいていった。
相手が獣人でも年上で成人手前のアンナの相手は分が悪い。言葉でも腕力でも勝てない。成人になればいつか出ていくけれど、その為の教養や準備を欠かすことなく且つヤンチャぞろいの教会の子供たちをまとめるアンナが遊んでばかりの村の子供たちに劣っているわけが無かった。
だけど、ただ素直に負けを認めるわけにはいかない。ぬいぐるみを握り締めた男の子は悪あがきに出た。勝てないのならだれも勝つことのできない状況に持ち込めばいい。
投げた。力の限り放られたぬいぐるみはクルクルと回転して、緩い放物線を描きながら、そして――ポチャン。
取れるものなら取ってみろ取れたらの話だがながhahaha。池にぬいぐるみを投げ込んだ少年は上機嫌。なにしろこの村に泳げるものは一人としていないだからからだ。それは教会側も同じだということを知っていた。この勝負(?)は引き分け、しかも村側が優勢で終わりを告げた。しかし戦後処理はまだ続く。手出しできない状態で手をこまねいて、元持ち主が泣き出ししょうがないとすごすご森へ帰っていく姿を想像しただけで、少年は下品な舌をなめずり笑いが止まらなかった。
そんな中、悪気のない残忍さが垣間見える少年のゲス笑いにさすがに他の村の子供たちが気味悪み始めて、これから起きようとする最悪の事態に恐怖を覚えたのか、気付かれずに気配を殺して村へ逃げていく三人の子供。ここから先は、否、これまでの事は関係ないと。
そしてこれまで何とか保っていた気丈がとうとう決壊して持ち主の少女が泣き出してしまった。それか風邪のように広まっていき釣られて泣き出す教会の子供たち。
泣き出したな、さあ惨めな敗北者よ、とっとと森へ帰れ。そうすれば黒い感情を持つ少年の心象も良くなる。そしてこの行為は村の大人たちに咎められることはない。なぜなら彼らは人ではないのだから。
だからこそ。
だからこそ!
少年は理解できなかった。
なぜそこまでやる。なぜ思い描く形に収まらないのか!
少女は覚悟があった。
おそらくこの世は理不尽で不条理で不平等だ。この村だけが世界の縮図ではないけれど、それでもこの程度で負けるくらいならきっと外では生きられるはずがない!
それに、黙って泣き寝入りする犬獣人アンナはもうどこにもいないのだ。
勢いよく水しぶきをあげて飛び込んだアンナ。しかし彼女もまたカナヅチなため頭からダイブすることができない。結局勇ましい姿も胸まで浸かった時点で消えた。とはいえ足が止まったわけではない。両腕を頭上へ上げて倒れないようにバランスを取りながら前へ進む。
……あと少し、あと少し。
必死に手を伸ばす。たとえ顎まで身体が浸かり進むごとに口内が濁った水に侵されようとも前へ。
近づけば寄るがまた離れるのも道理。進む水に押されて離れる人形。
一進一離の光景は岸にいる子供たちにも見えた。息を呑み込み呼吸すら忘れていた子供たちはいつからか声援の声を上げていた。そう、いつからか、村と教会の垣根を越えて。
たった一人を除いて。
悲を望んだからこそこの喜は受け入れがたい。このままでは自分が悪役。だからといってアクションすら起こせない。望みも祈りもできない。
光は増し闇が狭くなる。そして光が強いほど、闇は濃くなる。何が蠢いているすら分からないほどに。
そして、
少年の影から嗤う悪魔が手を伸ばした。
アンナは人形を掴み取った。
と同時に水の中で足を踏み外した。
認識よりも本能が危機を警告して暴れまくった。もはや冷静ではいられない。
もがく手足は水を切ることすらできずに囚われた。
目をつむって自ら作った闇の中、叫び声は泡となって消えた。
空気を求めたのに入ってくるのは水ばかり。
逸る心臓は警鐘を鳴らすのに必死でちっとも役に立たないどころか、連続して打ち鳴らす鐘は聞く者を狂わせた。
それでも人形を掴んでいるのは意地か、それとも溺れる者の必死さか。
こうなってしまってはアンナの命は風前の灯。
ただ見ることしかできない少年少女は誰かを呼びに行く考えもできない。頭と足は既に悪魔が掴んでいた。
もうじき終わる。
なぜなら村にも教会にも彼女を助けることのできる者はいないのだから。
なら、学校やらスイミングスクールでそれなりに泳げる異世界の者ならどうか?
「どぅおおおけぇぇええええええええ!!!」
状況も過程も経緯も知らん!子供たちからの事情も後で聞く!
今はアンナを救うことだけ考えろ!!!
走りながら借りた神父服の上着と靴を脱ぎ捨てる。
少年少女が空けた間を、プールの飛び込みではなく走り幅跳びの要領でシンクローは飛び込んでいった。
アンナとの距離は目測二〇メートル。そんなものは滑空と慣れたクロールですぐ辿り着いた。
本番はここだ。
溺れている人間に不用意に近づいてはいけない。これは死に物狂いで、文字通り藁にも縋る本能が救出者に捕まってくるからだ。相手は捕まる場所なんて考えてられないので、これにより思うように動けず一緒に溺れるという二次被害に繋がる。
シンクローはピクリとも動かないアンナの背後に回って羽交い締めで身体を捕まえて急浮上した。
「ッぷはー!……おいアンナ!?」
返答はない。ただの――いや、決めつけは良くない。
急いで岸へ泳いだ。
岸に上がると子供たちが寄ってきたが腕を一振りして追い払った。
時間が惜しい。
気を失っているアンナを仰向けに寝かす。
口元と胸の上に耳を当てる。…………息はしていない。でも心臓はわずかに動いてる!
すぐさま顎を上げて気道確保。鼻をつまんで空気が逃げないようにして、唇を合わして息を送り込んだ。
きゃっ!?なんて声が聞こえたが、気にしていられない。少女を助けるには時間との勝負なのだから。
息を吹き込みながら目線は身体へ。肺が膨らんでいるなら良いが腹部が膨らんでいると空気が胃に入っているので、胃の中の水が逆流して結果的にアンナの身体の中で溺れてしまう。が、幸い肺に空気が届いているようだったので安心して続ける。
「……頼む、目を開けろ」
数度に一度鼓動を聞いて止まっていないことを確認しながら続ける。
子供たちは胸の前で手を組んで祈っている。
……祈る?誰に?神にか?
シンクローの知っている神にこのようなときに助けの手を伸ばす奴なんていない。
いつだって結果を手にするのは人間だ。神が与えたものなんかじゃない。
シンクローがしたことは奇跡に頼らない、ある意味神に叛逆した者たちの積み重ねた技術だ。結果が神がかってもたらされる偶然よりも、悪運持ちのシンクローでも手繰り寄せられる必然を信じる。
そして、――
「――げほッ!ガハッ!」
「アンナ!良かった、大丈夫か!?」
アンナは空気を大量に求めるかのように荒い呼吸をし始めた。
子供たちから歓声が上がった。何を言っているかシンクローには理解できなかったが、両手を天に掲げているあたり神に感謝でもしているのだろうか。
「アンナ!声は聞こえるか!?俺が見えるか!?」
「え……あ、シンクロー」
シンクローの両手をアンナの顔の両端に添えて、少し強引に顔を合わした。アンナも目を白黒させている一方、シンクローはちゃんと認識していることに安堵した。医者ではないから手当たり次第になってしまったが後遺症はなさそうだ。
「あ……あ……あ」
「ん?どうしたアンナ助かったんだぞ?」
青白かったアンナの血行が血の気を取り戻し、取り戻し?、――逆にますます赤くなった。
「ぃやあああああ!」
「どぅわぁあああ!」
突然叫び出したかと思うと今度は両手でシンクローを下から突き飛ばして素早く立ち上がると脱兎のごとく教会へ駆けていったアンナ。
あれだけ動ければ問題ないだろうと考えたシンクローであったが、しかしその考えに至らなかったわけではない。残念ながら彼は鈍感系ではない。彼女の行動に思い当たる節は当然ある。
「助けるためとはいえ、ファーストを奪っちゃったか。…………ウイねぇ」
この場合良し悪しで分けられない。人工呼吸をしなければ間違いなく手遅れになっていた。
おまけに彼女いない歴イコール年齢のシンクローが初々しい純情になれないのは既にファーストセカンドサードを捧げているからだ。二番三番は夜の蝶だが、運悪き記念すべきファーストは川に落ちた酔っ払いの脂の乗った中年男性だった。人工呼吸の最中、マーライオンシャワーを浴びせられたのも良き思いで(否定系)、いっそ清々しく金の力で年上女の子チャンで上書きをしたくらいだ。一ヵ月もやし生活上等だコラ。
野次馬化している子供たちを身振り手振り解散させて、落ちていたぐっしょり濡れているぬいぐるみをその場に丁度良くいた持ち主の少女に絞ってから渡した。シンクローを睨みつける少年がいることに当然気付いていたシンクローは説明されるまでもなくアンナが溺れた経緯を悟った。
身体でかばいながら子供たちと森の中に消えていくシンクロー。
それを視界からいなくなるまで奥歯を噛み締め続けた少年。
そしてこの日起きた事件は村の大人や老エルフ神父に伝わったのだが、特に責任追及などなく静かに幕を下ろしたのであった。