3-1迷宮都市十号二〇八番
お待たせしました
新章、開幕でごさいます
新キャラを登場させます。最期までお付き合いのほど、よろしくお願いいたします
もぞり、と腕の中にある温かいものが寝がえりを打ったのを感じてシンクローは目を開けた。
情報を取り入れずにぼんやりと視界から入ってくる光景を眺めることしばらくして、ようやく僅かに脳機能を取り戻した。
「………まだ、朝じゃないじゃんか」
特注のボートに張った幌の隙間から外の様子を見れば黒一色。未だ日は明けていなかった。
明けていない外に内心で溜め息をつく。早起きは三文の徳というが、それにしたって早すぎる。起床時間を決めているのにそれ以前に起きると残りの睡眠時間がもったいなく感じてしまっている。
「………すぅ………すぅ………」
腕の中で規則正しく立てる寝息はその声と同じく静かで愛らしかった。
そのシンクローの黒奴隷ロゼの可愛らしい光景を見ただけでも、三文以上の得があったことだろう。
だが、ぴしりと身体を走る僅かな痛痒が邪魔をした。寝返りを打てない状況が身体に負担を強いていた。
今、二人はボートの中で寝泊まりしていた。
このボートは先の町で盗賊撃退の褒賞として作ってもらった特注品だった。船の縁に左右対称に四つ――計八つの穴が開いている。この穴にこれまた特注の支柱を突き刺して布を被せればテントになるようになっている。布には防水と断熱効果もあるものを使用しているで、身体が雨や夜露で冷えることはない。魔素が豊富に溢れる森林で育った丈夫な大木を刳り貫いて作った丸木舟で、船底を床板で仕切ることでそのスペースを収納として使える。頑丈なボートは船梁が無いので横になって身体を休めることができるが、二人が縦で寝れば寝返りを打てる広さは無い。よって身体に痛みが覚えるのは同然だった。因みに動力はシンクローが担っているので櫂はない。
「………朝になって少し飛べば近くの町にたどり着くはずだっけ。それまでの辛抱。………だけど、ちゃんとしたベッドで寝たいよぉ」
シンクローは再び目を閉じた。
◆
空の色は異世界であっても変わらない。澄んだ青色だ。空にある物も大抵変わらない。漂う白い雲。翼を広げて飛ぶ鳥の群れ。
しかしその空を、風を切って進む影があった。
下から望めば長細い楕円形。明らかに鳥の形ではない。そもそも毛に覆われていない、生物でもない、ただの丸木舟。
シンクローが魔法で操るボートであった。同乗者にはロゼの姿もある。
「……ご主人様、町が見えてきたです!……」
「やっとか。一泊すると長距離を進んだ気分になるな」
なだらかな丘陵の先さらに先、地平線に薄っすらと自然のものとは違う隆起したものが見えてきた。ロゼが言った通り、町である。
「確か地図に載ってないんだっけ?」
「……はいそうです。もともとこの土地の領主が開拓して生まれた訳でもなく、また人々が寄り集まって形成した町でもないです。ただ経済面と防衛面の観点からあえて載せてないだけです……」
「………なんだかわくわくする響きじゃないか、迷宮都市ってのは」
死の番人が守る先にはいつだって宝が眠っている。
それは時に洞窟であり、地面に開いた大穴でもある。
人を喰らい、世界に仇をなす魔を生み出す巣窟。
迷宮。
金の為、守るべき命の為、理由は様々だ。
多くの者が武器を手に馳せ参じ、それを支える人々が集まる。
迷宮より生まれた魔を払いのけ、いずれ迷宮を討ち滅ぼすまで戦い続ける砦。
国家防衛特別区域対迷宮迎撃要塞。
多くの冒険者は通称で「迷宮要塞都市」、略称で「迷宮都市」と呼ぶ。
「高いところ飛んでて面倒になってもしょうがないから高度を下げるよ」
「……はい……」
雲の下を飛んでいた丸木舟は地面に近付いていった。
この世界では空を飛ぶ行為はとても目を引く。鳥類や龍種、有翼種など飛行できる能力を持っている生物を除けば、空を飛ぶ類の魔法魔術は伝説上にしか存在しない。
シンクローの魔法は厳密には飛行魔法でないが、現に飛んでしまっているので注目されることは間違いないだろう。世界迫害種族サキュバスであるロゼの事もあるし、それは避けたい。だったら隠そうということになる。その為目立たない場所で地上に降りて町まで徒歩で向かうと、事前に二人は打ち合わせしていた。
町に近付くまで目立たないだろうと考えて、地面から約三十センチ程度を保ち飛ぶ。
「あとはどこで降りるか、だなぁ。…………………ん?」
「……ご主人様、人がいるのですか?……」
シンクローの魔法領域が動体性の物体を捉えた。シンクローは広大な魔法領域を持つ。その中であればシンクローは自由に魔法を使える。それは魔法が作用するか否かも判別できて、それを利用すればレーダーじみた使い方もできる。
「…………そうだね。剣に矢と弓に槍、人の形に膨らんだ服と鎧、それが三人分。同じ方向に動いてる」
「……ぶつかりそうですか?……」
「………ん~ん、どうだろ?ちょっと止まるね」
シンクローはその場に丸木舟を止め着陸させた。
そして、集中するために目を瞑った。
「それじゃ一応警戒よろしく」
「……はい、ご主人様には指一本触れさせないです……」
「はは、大袈裟だよ」
ロゼの警戒は本当についでのようなものだ。
シンクローは魔法を行使した。彼にしか見えない魔法のカーソルポインタ四基を走る三人組に向かって飛ばした。三人組を中心にするように八基のカーソルポインタが頂点になるように四角く囲む。そして正方形内の空気をドラッグした。すると内部の空気が選択した状態になり、それ以外が真空のように浮き彫りとなった。
シンクローの移動魔法は生物には作用しにくい性質がある。それと空気や水など不形状のものには作用する性質を持つ。この二つ性質を組み合わせたのが「真空レーダー(仮称)」。魔法で空気を選択して、できなかった空間から詳細な情報を読み取ることができる技だ。ただし、やっていることは紙に書いてある文字を読むのではなく、その文字がくり抜かれた紙からなんて書いてあるかを読み取るのと同じで、脳にとても疲労が溜まる。まるでア〇体験。
「………あー、追われてるっぽい?」
「……追われている。魔獣ですか?……」
「…………そこまでは分かんないなぁ。数はそんなに多くない、かな?デカいだけ?…………さて、君たちはどこに向かっているのかな?」
進行方向のカーソルポインタ四基を三人組の走る方向へ伸ばした。これでその先に何があるか分かる。
「………………………………まずいな。その先は崖だぞ」
「……え!?……」
「………………飛び降りて、どうにかなる高さじゃないな。着地をどうにかするスキルとか魔術とかある?」
「……無くは無いですけど、その人たちが確実に持っているかと問われれば、分からないです……」
「…………………………。しょうがない、ロゼ寄り道するぞ!」
「……はい!……」
◆
「追いつかれるぞ!走れ走れ!!」
「分かってるわよ、この馬鹿!!」
「…………ハァ!………ハァ!………ハァ!!」
男一人に女二人。成人を迎えてから冒険者になった彼らの歳はまだ少年少女と言ってもいいだろう。
彼らは今、大群を成す大鼠に追われていた。
彼らが受けた依頼は近隣に巣を作ってしまった大鼠の巣の駆除。口に入る物は何でも齧り食べてしまう大鼠は、そのまま放っておくと巣で繁殖を繰り返し個体数が多くなれば、巣を中心に土以外に何も残らない荒野と化してしまう。家畜や人まで害をなす存在だ。
とはいえ、食物連鎖の概念とそれによって生まれる脅威を知っている為、冒険者ギルドも絶滅させようとは思っていない。絶滅させて腹を空かせた大型の魔獣が付近の人里を襲わせるわけにもいかない。だから、討伐ではなく巣の駆除なのだ。
既に対処法とマニュアルが存在している低級冒険者向けの依頼。はっきり言えば、功績は低めで報酬はおいしくない。
ところが、少年が功績欲しさに独断で討伐しようということになった。反対していた少女二人も少年の粘りの説得で根負け、しぶしぶ討伐を手伝うことになった。
そこからの展開は想像が付くだろう。
少年がミスって巣で寝ていた大鼠を叩き起こし、大群に追われる羽目となった。
ボストンバックくらいのまん丸とした体躯に、穴掘りを得意とする二本の長い出歯。細く短い手足は足の速さはそこまで早くないが、走る少年少女は装備を脱ぐことをせずその重みが仇となり引き離せずにいた。
「――っうわわ!!と、止まれ!」
「え!?なに!?」
「……………ああ、そんな」
先頭を走っていた少年が停止を叫んだ。追いついた少女二人は止まったその先を見た。
三人は高い崖の上にいた。
この崖を迂回するには少しばかり道を戻らなければならない、しかしそれには後ろから迫ってくる大鼠たちをどうにかするしかない。だがこの三人にはその力が圧倒的に無かった。
「くそ!!あと少しだったのに!くそくそくそくそくそ!!」
「ねーどうすんのよ!?何とかしなさいよ!」
「何とかってなんだよ!?そんなの自分で考えろよ!!」
「はーっ!!?アンタっていつもそう!周りの意見も聞かないで勝手に決めて、それで迷惑してるのはいっつもアタシ達なんですけど!これだってそう!!なんで勝手に討伐しようなんてするのかしら!!」
「お前だって賛成したじゃんか!」
「ちゃんと計画があるとか言って押し切ったのはアンタでしょうが!!それをアンタは!」
「こ、転んじゃったのはしょうがないだろ、足場が悪かったんだから!それに失敗をフォローするのが仲間だろ?」
「アンタの場合はフォローじゃなくって押し付けでしょうが!!!」
「…………………ヒック、エ~~~ン。マ、ママぁ。パパぁ」
「泣いてんじゃないわよ!!」
「おい責めるなよ!」
「責めてなんてないわよ!!泣いてる暇があるなら逃げる方法を考えなさいよ馬鹿!!」
もうすぐそこまで迫った大鼠たち。怒り狂ったそれらが崖を背にしている少年少女に気を使って、もしくは崖を気にして止まるようなことはない。
立ち止まっている彼らに残された道は生きたまま喰われる他ない。
「……………………こうなったら」
「どうすんのよ?」
「ここから飛び降りるしかない」
「はぁああ!?道具もないのに、どの道死ぬじゃない!!」
「でも生き残れるかもしれない。生きて喰われるよりマシだろ!!」
運が良ければ命は助かるかもしれないだろう。しかし「高所着地スキル」を持っていない彼らがそのまま落ちたら、落下死するか重傷で動けずにやっぱり生きたまま喰われるかしかないだろう。
「……………最後だから二人に言っておきたいとこがある」
「………え、な、なによ?」
「……ぐすん。なに?」
「………………………………去年、お前らのパンツ盗んだの俺だ」
「「サイテーーー!!!」」
「仕方がないだろ!俺も年頃の男だぞ!!」
「ちょっと待って、見つかった時に付いていた、あの白くて臭いネバネバしたのは………」
「ああ、俺の子種だ!!!」
「死ね!!!」
「………ぐすん……普通そこは愛の告白じゃないの?」
「ああ?お前らは俺が愛してると思ってんのか?俺はお前らのカーチャンを愛してるぞ!」
「……………ぐすん、まさかの告白」
「じゃあなんでパンツ盗んだのよ!?」
「いや、同じ匂いするのかなって」
「もう死ね!!!」
「ぐすん。誰か助けて!!」
「こんなヘンタイと死ぬなんて嫌ああああああ!!」
………………………。死を前にして、割と元気だった。
だが、それももう限界だ。大鼠はすぐそこだった。………もういい加減、目の前なんだよ!!どこまで引き延ばすんだよ馬鹿ども!!!
少年は少女を突き飛ばした。
「恨むなら死んでから恨んでくれ!!」
「ぐすん、ふええええええええん!!!」
「地獄に落ちろクズウウウウウ!!!」
落ちていった…………違った、落とした二人を見ないように、崖に背を向けた。最期まで罵る仲でも同じ町で育った幼馴染だ。最期に見せる光景にこんなクズ男が映らないようにという配慮だ。あと幼馴染が死ぬ光景に背を向けたとも捉えてもいい。
少年は剣を抜いた。実用性よりも見栄を気にしたロングソード。冒険者になった時からの付き合いだ。
「せめてもの償いだ。一匹でも多く切ってなるべくお前たちに近付けないようにする。………ごめんよ、アイマとイミーのカーチャン。カッコいい雄姿を見せたら俺の初めてを貰ってもらう約束、果たせそうにない」
「………………………クソが……」
「………そういうクソじみた約束でフラグ立てるの、やめてくれる?助けるこっちが嫌になる」
崖だった後ろから女と男の声が聞こえたと思ったら、強い力で襟首を掴まれて後ろに引かれていた。
◆
「もう死――!!!」
「――。誰か助けて!!」
「こんなヘンタイと死ぬなんて嫌ああああああ!!」
事態は急を要する状態だったらしい。
二人の女性が上げた悲鳴を聞きとれる距離までシンクローたちが乗る丸木舟は近づいていた。
「……ヘンタイ?……」
「追っていたのはヘンタイ?」
死を覚悟するほどのヘンタイ。唯一聞き取れた最後の悲鳴から推測すると、女性からフられた男が無理心中しそうになっている場面になるが。
「なーんか、もぞもぞしてる。平地だから土石流じゃないな。とすると、何かの大群?」
「……それはヘンタ……大変なのです!……」
近づいたことでシンクローは詳細な様子が読み取れるようになっていた。正確には距離は関係なく真空レーダーに頭の処理が慣れ始めたのだ。
「あ」
「……あ、突き落とされたです!……」
「クッソ!!ロゼ捕まれ!!」
崖の上から落ちる二人の姿が見えた。
丸木舟の速度を爆発的に上げて、二人が落下する位置まで前進させた。
「――よし!捕まえた!」
「え、え?」
「な、なに!?」
「あと一人!」
爆速で落下コースに滑り込んだシンクローは立ち上がって腕を広げ、落ちてきた二人を受け止めた。
困惑する二人を下ろして、最後の一人を助けるために急上昇した。が――。
「――――。………ごめんよ、アイマとイミーのカーチャン。カッコいい雄姿を見せたら俺の初めてを貰ってもらう約束、果たせそうにない」
ああ、なんて雄姿だろうか。助ける気が失せつつある背中があった。
「………………………クソが……」
「………そういうクソじみた約束でフラグ立てるの、やめてくれる?助けるこっちが嫌になる」
とはいえ助けないわけにもいかない。
首根っこ掴んで丸木舟に引き摺り乗せた。
「え?え?ええ?だ、誰?」
「出すぞ!!捕まれ!!」
ようやく自身の目で事態を確認できたシンクローは崖もとい謎のデカい生物の大群から離れるべく、急発進させた。
だが、少し遅かった。
大鼠は自分たちの怒りの元凶を追うべく崖から飛ぶが届かず、しかし後続が落ちていく仲間を踏み台にしてもまだ届かず、それでも次々と落ちていく仲間を踏み台にしていき捨て身の懸け橋となり、数匹が丸木舟に食らいついた。
「ああああああああ!!」
今度は丸木舟に食らいつくことは叶わなくても、先に張り付いた仲間に食らいつき、そのまた食らいついた仲間に食らいつき、シンクローが離れるまでに多くの大鼠が丸木舟にぶら下がることになった。
「うおおおお!?馬鹿ヤロー、こっち来んな!!」
既に上空に逃げたのでこれ以上張り付かれることはないが、張り付いた大鼠たちが仲間の身体をよじ登り乗り込もうとしていた。
「ロゼ、そっちお願い!!」
「……はい!!……」
ロゼは魔法の盾を作り出して、シンクローは槍で叩き落として侵入させるのを防ぐ。
「ア、アタシ達も手伝うよ!」
「くすん、はい!」
それぞれ持っていた槍と短剣で登ってくる大鼠を刺して落とす。
広大な空の上にもかかわらず、丸木舟の狭い空間で必死の攻防が繰り広げられた。
ほどなくして殆どの大鼠が落ちていった。
「もういい加減その口開けて落ちろよ!」
「……ご主人様、その大鼠は死んでも口を開かないことで有名です。こじ開けるです!……」
「あいよ!」
残りは丸木舟に齧りついてしがみ付く五匹の大鼠のみとなった。
シンクローが身体のあちこちに付けているベルトを魔法の支点として、丸木舟の外で身体を浮かす。大鼠の口にショートソードを差し込み、てこの原理でこじ開けていく。決して難しい作業ではなかったので、あっさりと剥がれて地上に落ちていった。
「あーあーあー、頑丈なはずのゼルーノの木なのに若干歯形の跡があるよ」
むしろ頑丈だったからこそこの程度で済んだのであった。普通の木ならば噛みつかれた瞬間に大穴が開いている。
「助けてくれてありがとう」
「ありがとうございました」
「いえいえどういたしまして」
戻ったシンクローは少女二人からお礼を言われた。
怪我はないか、どうして大鼠に追われていたのかと会話が進む。その間、というより乗せてから少年は黙りっぱなしだった。
「ほら!アンタもいつまでも黙ってないでお礼を言いなさいよこの馬鹿!」
「というか剣持っていたのに手伝っていなかったような」
「…………………す――」
「す?」
「すげぇぇぇえええええ!!!空飛んでる!!」
四人は額に手を当てて溜め息をついた。




