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2-5辺境の町ゼルーノ

その日の冒険者ギルドも賑わっていた。


冒険者ギルドのゼルーノ支部は木造二階の建物で、上の階はギルド職員の事務室、会議室、資料室がメインとなっており、一階には依頼の受付と斡旋する窓口がある。冒険者達が上がってくることは少ない。よって下の階に集まるのがほとんど。


受付とは別のスペースに簡単な飲食できるエリアがあり、酒場と見間違えてしまうくらい冒険者達が昼間だというのに酒盛りをしていた。


仕事がないから酒を浴びるように呑んでいるというわけではない。有事に備え英気を養っている、というのが彼らの言い分だ。

冒険者ギルドが建つくらいには仕事はある。しかし呑んだくれる彼らが腰を上げるほどではない。

彼らはこのゼルーノ支部の中でも腕の立つ上位の冒険者だ。その手腕は確かなもので、泥酔しなければという条件付きでギルドマスターの信頼も得ている。


ゼルーノ周辺は平和だ。しかし強力な魔獣や魔物がいないわけではない。

この自然の恵みに恵まれているゼルーノでは強力な魔獣は縄張りを持っておりその中で生活している。だからわざわざ人里に下りてくることはない。だが、たまに縄張りを侵した愚か者が人里に逃げ込んでくることがある。それを退治するのがゼルーノの冒険者の役目だ。

その役目も新人や経験が少ない冒険者でなんとか対処できる程度の強さであり、ベテラン勢がでしゃばるほどでもない。

ベテランが相手をするのは何らかの理由で暴れだした強力な魔獣や魔物の時だけだ。

では平和な時、彼らはどうするか。

酒を呑むしかない。ということになる。

 酒が入れば陽気になる。

 つまり騒がしいほどにゼルーノは平和という証だった。


 そんな冒険者ギルドが一瞬だけ静かになった。

 正面の入り口をくぐった見慣れない二人の男女。

 一見、冒険者風ではあるが、よく見ればどれもこれも傷一つない新品の装備だ。

 ベテラン達はすぐに彼らの正体をこれから冒険者になろうという若者だと分かった。

 酔っていても、それくらいの観察眼は衰えないのがベテランだ。

 そして男が連れているのが――フードを目深に被っていて顔は見えないが、首に黒い首輪を嵌めていることから――黒隷というのがベテラン冒険者の目を引いた。

 黒隷を冒険者にする理由は仲間に恵まれないから、金があるという見栄か、使い捨ての囮のどちらかだ。どちらにしても黒隷を連れている時点で悪目立ちしているのは確かだった。

 男は何者なのか。冒険者の間で憶測が飛び交う。

 そしてそれを知らずに注目されているのが、シンクローとロゼであった。




 冒険者の登録手続きはロゼの通訳と代筆であっさりと終わった。しかし、シンクローの分だけだ。白隷ならともかく黒隷は登録できない。

 そして受付の男性から渡されたのは、両手で持てる程度の小さな木箱とゼルーノの地図だった。

 ロゼの通訳によると「この箱を地図に示した住所まで届けろ。中身は宝石。盗まれるな」とのことだ。

 魔法領域による感覚で、鍵付きの木箱には小さな宝石がたくさん入っていることが分かった。しかもこの鍵は針金一本で開けられるほど簡単な代物だとも。これは一つくすねようと思えばできるのではないか?


「………これが冒険者の初仕事、ねぇ」

「……冒険者は腕に自信がある荒くれ者が多いと聞くです。その殆どが農民の出で、文字も地図も読めるのは少ないです。これはその人たちを試していると聞いたことがあるです……」

「なるほど、採用試験みたいなものか」


 シンクローが異世界の冒険者の仕事内容が期待の遥か下だったのに対してガッカリしているが、奴隷仲間から聞いたとされるロゼの注釈に納得した。


 文字は読めないが地図なら読めるシンクローはあっという間にたどり着いた。普通の一軒家だ。

 出迎えた男性は木箱を預かり、家の中へ入っていった。シンクロー達は玄関前で待たされた。

 待つこと数分。またしても宝石入りの木箱と書状を渡されて、今度は冒険者ギルドに渡せとロゼが通訳。

 そして来た道を戻る。


「……『おめでとう。初仕事は見事にやり遂げたな。これが冒険者の仕事だ。分かったか?』、と言ってるです……」

「研修も兼ねていたのかね」


 受付の男性は帰ってきたシンクローに告げた。

 ロゼも説明したが、冒険者は農民出身者が多い。学問は貴族や商人向けであるため識字率は高くはない。学を修めていない彼らにとって覚えることが多い冒険者稼業をザックリと教えるのが先ほどの『宝石を届ける』仕事だ。依頼を受領して、遂行して、報告する。言葉ではなく実地で教えるスタイルだ。

 冒険の果てに一攫千金を求める荒くれ者の中には鍵を開けて宝石をくすねる者もいるらしいが、そいつらは別に『教育』が待っているらしい。あえて簡単な鍵だったりしたのはそういう者の見極めだったのだ。犯罪、不正、ダメ、ゼッタイ。


 あとは細々とした説明を受けて、最後に黒い石が嵌められたドッグタグを受け取った。これが冒険者の証である。

 冒険者にはランクが存在しており、上位から白金・金・銀・赤銅・青銅・白鉄・赤鉄・黒鉄・紅玉・青玉・白石・黒石の一二段階に分けられている。シンクローは新入りを意味する最下位の黒石だ。これは強さであったり依頼の達成度であったりと冒険者ギルドによって定められている外聞に向けての評価を表したものだ。

 なんと書かれているか読めないがロゼによれば『シンクロー。軽戦士。ゼルーノ支部冒険者ギルド登録』と書かれていると教えてくれた。


「軽戦士?」

「……手続きの際にそう書いたです。迷惑でしたか?……」

「迷惑ではないけど、魔法使えるよ俺?」


 ロゼは周囲を見渡してから、シンクローに耳を近づけるように手招いた。


「……魔法は強力ですが弱点もあります。そこを突かれてはどんな魔法使いも倒されてしまうです。なるべく隠した方がいいかと。………余計なことをしたでしょうか?……」

「ううん。俺の為だろ?ならいいよ、ありがと」


 身分証と冒険者証を得たシンクローはこの世界の住人となった。

 では何をするか?

 働くに決まっている。何をするにも、先立つものはすべて金。


 というわけで、依頼が張り出されている掲示板の前に来た二人。

 掲示板には画鋲で留められた依頼書が張り出されていた。それには依頼内容と数字の朱印が押されていた。この番号がどのランクの冒険者が受けることができるかを示している。その殆どが九から十一。つまり紅玉から白石のランクの冒険者が推奨となっている。つまり第十二位黒石のシンクローは受けることはできない。

 とはいえまったく上位ランクの依頼を受けることはできないかと問われえればそうではない。ランクはあくまでも冒険者ギルドの基準で定められた評価。中にはその評価以上の実力をもつ強者もいる。そしてそれを知っているのも冒険者ギルド。要はギルド役員が許可を出したら下位ランクでも上位ランクの依頼を受けることができる。しかし、その責任はすべてを同意のもと冒険者にある。

 だとしても、なりたてホヤホヤのシンクローが受けることは叶わない。


「さて、何があるんだ?」

「……現状受けられるのは、薬草採集しかないです。あとは上位です……」

「じゃあそれで」


 即断即決。受けられないのであれば選ぶという行為は意味がない。

 依頼の手続きはロゼに任せ、二人は薬草が生えるという近隣の森に向かった。



夕方。


「だめだこりゃ!」


 町に戻っていたシンクローは天を仰いでいた。


 空の籠を背負って戻ってきたことから成果は無し。森には採集できる植物は生えていなかった。結果ただのお散歩になってしまっていた。

ロゼにはいい運動になった、へばっているけど。手を引いて歩くだけでも男としての役得を感じているシンクローさん。


 原因はシンクロー以外にも最下位黒石冒険者が存在していたということ。

彼らだってシンクローと条件は同じ。その状況下で朝早くから競い合って仕事に精を出しているのだ。そして多くの功績を修めて昇格する。そうすればまた多くの仕事が、もとより高い報酬が待っているのだ。………しかし、その地位でまた依頼の競争するのは目に見えている。


そういう冒険者間にある熾烈な競争を、相手を倒せるほどの腕力で、相手を翻弄するほどの知略で、神の導きさえ思える幸運で、己の自信となる武器を持って実力で上り詰めた者たちこそ強者であり、上位冒険者なのだ。

しかし、ここにいるシンクローは残念ながら暴力で訴えるほどの腕力も、罠にはめるほどの知略も、運もない。………特に最後は最もあてにしていない。


だけれど、日本の社会人を侮ってはいけない。

それが成し得るまで、繰り返して改善してを繰り返す。トライアンドエラーの精神と勤勉さが持ち味だ。


「ロゼ、どこを探したら薬草ってあるのかな?」

「……知識として生息条件を満たした環境は知ってるです。それでも、先に採られてしまうと、それ以外の場所は見当もつかないです……」

「むやみにやたらに歩き回るってのもあまり良くないしな。基本に戻ろうか」

「……基本ってなんです?……」

「社会人の基本で、労働の基本でもある」

「……なんです、それ……」

「困ったら遠慮なく助けを呼ぶ。分からないことがあれば遠慮せずに訊こう。それで面倒くさがったり、いい加減な回答をした奴はクズだな。持ちつ持たれつ、ホウレンソウ!」

「…………………それで、誰にです?……」

「もちろん、知っている人にだよ」


 コテンと首を傾げるその姿はまさに狙ってんのかと聞きたくなるほどの可愛らしさオーラを可視化する破壊力。

 ブレイクされたハートを瞬時に再生させたことを感づかれないように答えた。




 その日の冒険者ギルドゼルーノ支部は賑わっていた。ただし、飲食スペースだけだが。

 受付には今日も様々な依頼が届くが、それを受領する冒険者は少ない。依頼が溜まっていく一方だ。


「………はぁあ、こんな身体じゃなきゃなぁ」


 受付の男オドは小声で誰にも気づかれないように視線を動かして宴会をする冒険者たちがいる飲食スペースと自身の足を見て溜め息をついた。


オドは元冒険者だ。年は三十代前半と若く、同年代の冒険者もまだまだ活躍している。しかし彼は事故により足が不自由となり、ギルドに勤めるようになった。

そしてだからこそ見えてきたのは今のゼルーノ支部の現状だった。


 ゼルーノは辺境でありながら比較的平和であり、呑んだくれているベテラン勢が出る幕でもない。しかし依頼が全くないというわけでもない。

 依頼が溜まっていることを呑むばかりの冒険者に伝えても「出る幕でもない」「下位の冒険者にやらせろ」と一蹴されて、ならば下位の冒険者に頼んでも、酒を呑むたびに繰り返すたわ言のように過度に着色された上位の冒険者たちの冒険譚を聞かされた彼らはそれを引き受けてくれない。逆に実力が届かない依頼ばかりを求めてくる始末。


 その気持ちはオドも分からなくもない。彼だって冒険者の英雄譚がきっかけでその道に進んだのだから。

 そして現実はそうではないことも知ることになった。


 飲食スペースにいる酔っぱらい共は過去に冒険者稼業が盛んな都市部にいた。

魔物の被害が出たとき、対処するのは本来その領地の騎士団の役目だ。だが、彼らは跡取りになれなかった貴族たちで構成されている。プライドの高い一部騎士は自発的に決して民の為には動かない。だからこそ困っている民を代わりに守る。それ故に冒険者は民間でかなりの人気がある。さらに強力な魔物を相手にしている上位の冒険者は騎士よりも強い。民からは信頼されて王侯貴族からは注目される。貴族の専属冒険者になれればまさに一攫千金。武器・策略・運・情報でもってすべての力で成り上がった冒険者の栄光だ。


救いなき人々に手を差し伸ばすもの。冒険者の在り方であり、創設理念。

だが、それすら消えつつあった。


その人気に便乗していたのだが、本当の人気は本当の強者の冒険者に向けられていた。実力では勝てない、上には上がいることを知った彼らは最上位冒険者に不満を持ち始めて流れていくように辺境にたどり着いた。そして押さえつけるものが無くなった彼らは幅を利かすようになった。そして依頼の奪い合い、暴力、恐喝、勝手な報酬の引き上げ、情報の独占などとエスカレートしていった。


 今のゼルーノ支部では自身で思う実力の見合った依頼が来るのを酒をあおりながら待ち続ける上位冒険者と、輝ける綺麗な部分のみの背中を見て「いつか自分たちも」と誤った憧憬をして無茶な依頼をこなす年若い下位冒険者がほとんどとなった。


 暗い部分を見続けたからこそ、自分の足を見る。

 足さえ思い通りに動けば、ああにはならなかっただろうと。


 オドが求めているのは提示された報酬で依頼を達成してくれる冒険者だ。その為だったら協力も惜しまないのだが、ゼルーノ支部にいないわけではないが圧倒的に少ない。

 仕事が滞る。それに自然にため息が出るのは仕方がないことだった。


「……はぁあ」

「……あの……」

「ぅわあっ!」


 突然声を掛けられて驚いてしまったオド。

完全に気を抜いていて気が付かなった自分が悪い。自分まで職務怠慢になってしまってはいけないと、咳払いして誤魔化した。


見れば、先日冒険者になったばかりの顔の平たい赤髪の男と黒隷少女の二人組だった。

オド自身が登録手続きをしたもあり、新人のくせに黒隷を連れまわし、その割には二人そろって――特に黒隷少女の方がまともな装備をしていて、男とは口を聞いたことがない且つ話すのは黒隷少女だけと、それに黒隷少女に何だか劣情を感じて自分の性癖を疑うなどなど、いろいろと気になる存在だった。


「あー、なんだ。仕事の斡旋か?それならまだ早いぞ。せめてもう一つランクを上げてくれないとまともな仕事は回せないぞ」

「……いえ、ご主人様が採取の仕事について聞きたいことがあるそうです……」


 オドは内心溜め息をついた。この問答は新人冒険者と頻繁にしている。

もっと稼ぎたい、もしくは早く昇格したいからたくさん採れる場所を教えろ。

だから、決まって返す回答は決まっていた。


「悪いが、損得を勘定するとあの森で採集するのが効率がいいんだ。それが嫌だって言うんであれば畑の仕事とか町の掃除とか斡旋するが?」

「……『別にこだわるつもりはないが、どうせだったら冒険者らしい仕事をしてみたいから割が合わなくても薬草が採れそうな場所を教えてもらえるとありがたいです』って言ってるです……」


 オドは信じられないものを見ている気分だった。

 オド自身も近隣の森での薬草採集の難しさを知っている。だから不満や文句があるのも分かる。

 それなのに「割が合わなくても」と言う冒険者は初めてだった。


「……『どうせならきちんと達成したいじゃないですか』……」


 その言葉を聞いて、オドは薬草が生息している場所を口にしていた。

オドが求めているのは提示された報酬で依頼を達成してくれる冒険者だ。その為だったら協力も惜しまなかった。




 受付の男オドから聞いた採集依頼は予想以上に問題があった。


 まず地球とこの異世界の相違点と前提として、魔素が世界に満ちており、動植物および無機有機物、神羅万象あらゆるものがその影響を受けている。そしてその影響下において地球の常識は通用しない部分が生まれる。

 ここでの薬草も例にもれず魔素の影響下にあり発芽や成長が早い。恐ろしいことに、今日採れば数日経つころには生えているという状況だ。これがただの雑草ならば悪夢だろう。

 根さえ残しておけば短期間で収穫できる夢のようなことだ。


 生えやすいということは反比例で枯れやすいということ。この場合の枯れるとは効能のことを差す。収穫した瞬間から約一日経つと薬草に含まれていた魔素が抜け出ていき、魔素で異常なまでに高まっている効能が半減する。バケツに張った水に差したとしても意味はない。薬としては使えなくもないが求められている薬効の基準を超えていないので商品価値も下がる。

よって、収穫してから半日の移動距離範囲の森に人が集中して、森から薬草が根こそぎ(実際には根は残っている)消える現在の状況に陥っている。


 ならば薬草が生えているところまで遠出すれば良いのでは?

 残念ながらそれも難しい。

 収穫してから約一日という制限のなかで、距離と速度を求めるには馬による移動しかない。ただ辺境で馬を飼っている人はごく少数なうえ馬は高価だ。レンタルしている商店もあるがやはり高価。一日借りるだけでも、その日の薬草採集の報酬とほぼ相殺になる。野宿で泊まり込みをしている冒険者もいるがこの場合は食費とキャンプ道具を削っているのが大半。


「じゃあどうやってギルドは保管しているんだ?」


 収穫してからすぐに薬を精製しているわけではないのでは、と思い至った。

 そしてその考えは正しい。

 ギルドに集められた薬草は薬を調合できる薬師のもとに送られる。その間ギルドが保管しているわけなのだ。

その方法は薬草を差して保存する水に魔獣の体内で生成される魔石を混ぜるだけとかなりシンプルな方法だった。

シンプルが故に難しいのがゼルーノの特徴だ。

魔石は何でもいい。最弱の代名詞がつけられているモンスターのゴブリンの物でも構わない。しかしこの土地にはそれすらいない。ゼルーノの土地を縄張りとする強力な魔獣がいるおかげでゴブリンが寄り付かない。つまり魔石の価値が高騰している。

魔石を回収できる実力ならばそのまま売った方が薬草採集の報酬より高いし、魔石も貴重であるがゆえに優先順位が決められており、なかなか薬草の保存用水として冒険者に貸し出されることはない。


以上のことから、この薬草採集を成功させるためには収穫した薬草を直に届けるのではなく、収穫した傍から薬に調合して届ける、となる。これが確実なうえに直で届けるよりも報酬が上がる。

仕事に簡単だとか楽とかは無いということだ。苦しんで働くからこそ労働なのだ。


というかだ。なにかと討伐系の依頼が多い危険な仕事の冒険者稼業。手元に傷薬がない場合に備えて、治療に使える薬草の見分け方やそれからの傷薬を即席で作成できるスキルを下積みから経験しておかせるというギルドからの愛の鞭でもあった。




 時刻は朝。太陽が中天に達していないから一応午前中と言えよう。

 再び準備を整えてこれから薬草採集に出かけようとしていた。

 しかし他の採集依頼をする冒険者は日が昇る前には出発している。今から出るのはむしろ遅すぎる。


 前日に採集の仕事をすると伝えられており、それを踏まえてロゼは早起きした訳だが、シンクローは全く起きる気配を見せなかった。揺り起こしても「まだ早い」と二度寝する結果に。結局起きたのは日が昇ってからだった。


 この人はやる気あるのだろうか?

 そんな思いが、出発する前に自身の主人が購入した物によってさらに加算されて、ロゼの目が余計にジトーッとしたものになっていた。


 シンクローは開いたばかりの武器屋にてタワーシールドと呼ばれる大盾と縄を購入していた。

 シンクローの背よりも少しばかり高いそれはわざわざ身を屈める必要のなく相手の攻撃を防ぐ盾であり、重戦士が装備する代物であって軽戦士偽装の魔法使いであるシンクローが使うには不要なものだった。

 縄も何のために使うのか不明のままだ。


「……なんでまた余計なものを……」


 とうとう語るのは目だけではなくなってしまった。

 ロゼの主人は――なってからまだ日は浅いが――彼女を購入してからというものまともに仕事をしていない。収入なんてないにお金だけは持っている。何処かの貴族なのかと考えてみたもの世間の常識が欠如している点から本気でその考察に思い至らなかった。


 主人の収入は奴隷とっての生命線。

 収入がなければ奴隷を維持する費用が稼げない。であるならば安値の黒隷である自身は真っ先に捨てられる。

 いつか捨てられてしまうのでは?なんで買われたのか?

 そんな暗い考えが過ぎる。


 そんなの道案内と通訳の為だよ。

 問われればそう答えるであろうシンクローさん。自身の奴隷が黒いモヤモヤを発生させている横でちょっとした簡単な作業をしていた。


「よし、こんなもんかな」


 作業を終えたシンクローは大盾を掲げる。

 この大楯は縦に長い楕円形。移動手段を考えていた彼の目に飛び込んできたそれは、防具ではなく千葉県でイケメンが波に乗る為の乗り物にイメージ変換されてしまったのだ。

 実際に使ったことはないのでどのようなものなのか詳しくは知らないが、このまま使うと落下する恐れがあったので、縄を手綱代わりに片方の先端に結びつけた。

 名づけのならば、即席魔法のサーフボード。どこが魔法かと問われれば使用者のシンクローと答えるほかない。


 門を出て森へ向かう道を進む。人気がなくなったところで立ち止まった。


「ここでいいかな?」

「……こんな森の入り口でもない所に薬草は生えていないですよ……」

「いいや、今回のポイントはオドさんに教えてもらった地図のここ」

「……ここは今から向かえば着くころには日が傾くです。野宿の準備すらないです……」

「心配いらないよ。その為の盾だから」

「……どうするです?……」

「乗って」


 地面に置いた大楯の上にシンクローが先に乗り、何やってんだと言いたげな胡乱な視線のロゼが乗り真似をするようにシンクローが掴んでいた手綱を掴んだ。

 一見すると長めのプラスチック製のそりに立って乗っているように見えなくもない。しかし、これが進むのは雪の上ではない。


「それじゃ飛ぶぞ」

「……飛ぶって、きゃああああああぁぁぁぁぁぁあああああ!」


 突然身体に掛かる重みに、次第に身体の中を下から細かい虫が蠢きながら這い上がってくる感覚。それに加えて景色が下へ流れていく。

人生で初めて浮遊感を体感したロゼは正常に機能する視覚情報と平衡感覚を初めてであるがゆえにエラーとして処理して口から可愛い悲鳴を出力した。

ガバッと大木にしがみ付くようにとっさに捕まったのは、空を飛ぶ状況において何も役には立たなさそうな手綱ではなく、泰然な様子で身じろぎしないシンクローの腰だった。


エレベーターとか絶叫マシンとか飛行機とか、そんなの関係なしにすでに異世界フライトは人の家の扉で済ませているシンクローさん。この程度はもう驚かないが、自分で操縦しているとはいえ、このような結果を迎えてしまったわけだ。ロゼを驚かせてしまったことに謝罪すべきなのだろう。


「うわ、可愛い」

「そんなこと今はどうでもいいです浮かんでるです飛んでるですううううううう!」


 肝試しでペアの女の子を可愛い悲鳴とともに抱き着いてくる役得を実現するためにわざと驚かせて事実そのようになった好きな子をイジメたくなる大人バージョンを体現してしまったシンクローは正直な気持ちが飛び出していた。

 役得は役得だが、叫ばせっぱなしで何もしないというのも気が引けるのでロゼの背中に手をまわして落ちないように身体を押さえた。

 懐から質の悪い紙を取り出した。ここにはゼルーノ周辺の簡単な地図と薬草関係で採集できるポイントが描かれていた。オドからもたらされた情報を書き留めたものだ。


「あっちか」


 空に上がったことで視界が開けて現在位置と向かう方向が容易に確認できる。

 道なりに進まないし一直線に進むので時間のロスが極端に減る。偶然に魔法という一つのアドバンテージを手に入れてあるシンクローは空を飛んで一直線に向かった。




 空から地面へ。

 空気が乱暴に撫で付けていた風の寒さは消え去り、木の葉で太陽が遮られている森の中ではしっとりとした涼しさに変った。鼻腔をくすぐるのは濃密な土と木の香り。そして青々しい緑の匂い。


 大小さまざまで真っ直ぐ生えているものはなくその殆どが捻じれていることから、人の手が加わっていない原生林の森。

 ここにも弱肉強食の世界があった。強きものは枝と根を伸ばして、弱きものは痩せ細りやがて朽ちて森の養分となる。いや、弱肉強食というのも語弊があるかもしれない。大樹から伸ばされて成る苗木はいずれ朽ちる細木になろうとも腐葉土となる枯葉と同じく大樹の一部であり自身の子供と言えよう。――いや、爪や髪の間違えか?――しかし自身を生かすために作り出した分身に変わりなくその恩恵は周辺にも及ぶ。自犠他生。人の手を借りなくても生存できるシステムがそこにあった。

 あったのだが、――。


「………なんだこれ」


 ――いつの間にガリバートンネルを通ってきたのだろうか。

 鮮やかな緑のコケが覆うように茂る倒れた朽木。大地を突き破ったのたうったような木の根。そして周りの原生林。大地に流れる魔素の影響でそのすべてが異常なほどに太く大きい。縄文杉とどちらが大きいのだろうか。

 本来ならば人の背の高さ以上の根や横倒しの朽木を超えるための道具が必要なのだが、飛べるシンクローには関係ない。


 地球にいたころには感じられなかった自然の力に圧倒されながらも緑と木でできた網目の間をくぐり向けていった先にポツンと開けた大地。

 そこには見渡す限り手つかずの薬草が生えていた。


 シンクローとロゼの二人が降り立ったのはゼルーノの町からも主要な街道からも離れた森。町との距離が一日以上掛けなければたどり着けない位置にある。時間で鮮度と効能が劇的に低下する薬草採集をする同業者の冒険者からしたら容易には寄り付かない所だった。

 シンクローはその間の移動を魔法で一飛びして解決。結果待ち構えていたのは人の手が入っていない森とそこに群生している薬草だった。

まさに宝……とまではいかなくてもお金の山。小銭も積もれば大金と化す。

採取する薬草はアロエに似ている花弁をもつユリ科の花に近い。その名もカロエリ。傷薬の材料として使われる薬草。

 そのカロエリの茎を数本まとめて掴みとり茎半ばをナイフで切り取る。そして籠へ。

 これだけ。群生だけあって雑草の草刈りが如くこれを繰り返し、籠を満たす。

これだけの仕事。しかし仕事は仕事。地味と侮るべからず。


「さて、やりますか」

「……………………大地のありがたみ。地母神に感謝を……」

「……おーい、そろそろ戻ってきてくれ」


いざ収穫の時を迎えたのだが、さすがに一人で雑草のごとく生えている薬草を採るには時間と手間と体力が掛かる。正直いえば面倒くさい。しかしそこは心強い相棒がいた。ただ、人生初めての飛行で途中から乗り物酔いで静かになっていたロゼは青い顔で魂が抜けていたように呆然と立ち尽くしていた。


「………はっ!………」

「気持ち悪いならまだ休んでいてもいいぞ」

「……いえ、大丈夫です……いえ、大丈夫じゃないです……」


 確かに大丈夫そうな顔には見えない。

 それもそうだろう。青い顔にしっかり書いてある。決して口には出さない。だが目は語る。

 わたし、気になります!


「ご主人様はたった今まで空を飛んでいたですあの大盾で鳥のように風を捕まえて飛んだようには感じられなかったですではあの大盾に何の意味がそれより空を飛ぶ魔法ですいえ魔術の可能性もあるです自重を最低限まで減らしたうえで風の魔術を利用して移動すると魔術資料に掛かれていたですがご主人様は魔術を使えないはずとなると魔法しかないとするならばご主人様は飛行魔法を使えるのですか!?」


 ずい、ずい、ずいと小柄ながらその身に迫る。僅かな隙間がある程度であとも少しで密着といってもいい。壁があればドンできる。

イキイキしているロゼ。興奮で血の気がのったのか顔色が良い。さらに幻覚でなければシンクローの目には犬耳と柴犬の丸尻尾が見えていた。シンクローは柴犬が好きである。なによりかわいい。


「………あー、ないよ。魔法は移動魔法だけ」

「………………………………………………嘘ですよね……」

「いや、ホントホント」

「………………………移動魔法も移動魔術も、自身の腕力で持てる重さを超えて持ち上げることはないという制限があるです。術者自身は術の始点となっているので術者自身にも作用しないです。それは先ほどの盾に乗っても同じです。………ですが……」


 誤解というか誤植。

 その教えた本人ですら最後には移動魔法ではないと気づいたが今はドラゴンの胃の中。世話になっていた老エルフ神父も気づいたがシンクローは飛び去った後。誰も訂正できずにいた。

 シンクローも使っておいて、これが正しい移動魔法なのかどうか判別できていない。見かけるのは魔法の手だけでそもそも比較する移動魔法を見たことがない。


 興味深々なのは良いことだと思う。知識欲は満たしたいのも理解できる。

 しかしこれは出身世界の違いだろう。魔法に対しての向き合いかたの差だろう。

 魔法は厳しい修行や鍛錬の果てにたどり着いた極地。心の内を世界に浸透、侵蝕させるそれは生涯をかけた芸術作品といっても差し支えはないはずだ。

 魔術は魔法の複雑なものを記号化し、他の多くの記号と組み合わせて更なる発展を目指すもの。竹でできたフィラメントからLEDに発展したように。


 シンクローは一般人だ。鋏の使い方は知っているからといって、使われる材質、生成過程、使われる法則を知ろうと思うことに行き着くのは難しい。魔法なんてものはテレビゲームのコントローラーボタンをポチっとで発動するもの。深く考えていない。


「……………………………ご主人様の移動魔法は何なんですか?……」

「さー。これが移動魔法なんじゃないの」


 魔法も鋏も使えれば、どうでもよくない?


 さて今日の冒険者ギルドでは珍しいことが起きていた。

 薬草採集依頼を受けた一人の冒険者が籠一杯の薬草を採取して帰ってきたのだ。

 籠を背負うその姿に、ギルドにいた冒険者たちは誰もが自身の目を疑った。

 あり得ない。

同じ薬草採集依頼を受けている者たちはもちろん、過去にその依頼を受けた先輩たちも、冒険者人気が高まったままの現状を考慮し踏まえたうえで、その思いが頭を過ぎった。

競争率が激しいうえに、採取できるポイントが限られている森で、籠を満たすには現在採集依頼を受けている冒険者の半数以上を減らさなければならない。誰かが奪った奪られたなんて話を耳にしていないので強奪の類ではない。

となると、あれは嵩増し。中身は使えない雑草と考えた。

高い報酬欲しさに駆け出し冒険者に見られるが、ギルドは不正・虚偽の報告は許していない。中身を改められた際に多少混じった程度は注意叱責程度で済むが、籠を満たすほどとなると、叱責どころでは済まなくなる可能性だってある。

それを分かっている先輩冒険者は、馬鹿がバカやった、あれでバレないはずがない、など総合的にまとめてあり得ないと思った。

あとはこっぴどく処罰を受ける哀れな駆け出し冒険者を肴に酒を呷るだけだった。


数分が経つ。


「な、中身を確認した。すべて納品リストにある薬草だった。今報酬を準備する」

「「「なにいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいい!?」」」


 動揺したオドの声のあとに、冒険者たちの野太い声がギルドを震撼させた。

 あり得ない、の意味合いが変わった。


「おいそれはどういうことだ!?」「中身はちゃんと確認したのかよ!?」「この依頼受けたのは誰だ!?」「新入りか?」「こいつ森にいたか?見かけたやつは!?」「誰も見ていない!」「遠出したのか?」「だが馬を借りたところは見たか?」「それもいない!」


 受付に殺到する冒険者たち。

 自然と囲まれるシンクローとロゼ。満員電車を彷彿させるすし詰め状態からシンクローは身体と腕を使ってロゼを庇うので精一杯。分からない言葉が多くの男たちから発せられたなら、それはシンクローを驚かせるのには十分で、反射的な硬直が殺到する冒険者たちを避けさせる時間を与えなかった。


 シンクローの胸倉が掴まれた。


「おいこれはどういうことだ!?どうやった!?場所はどこだ!?」


 それは質問尋問を通り越した、恐喝・カツアゲに近いものだった。

 

冒険者は情報が命。

先ほど殺到した彼らが情報を出し合えば共有は瞬く間に済んでしまう。

共有する情報としない情報。どちらにしてもそれは彼らの命と報酬に繋がる。

パーティの仲間や信用できる者ならばモンスターの行動パターンや弱点を共有しなくもないが、今回は直接報酬に繋がっている。

つまりこの行動は冒険者としてマナー違反だ。

しかもそれを咎める者はいない。シンクローを囲んで聞き耳を立てているのは全員が黒石冒険者だ。咎める立場のオドは何故か(・・・)押し寄せるクレームに対処していてそれどころではない。


「あンだけの量の薬草があンならまだ他にも生えてるはずだろ!それを俺にも分ければ、そうすりゃあ昇級してこんな地味な依頼受けなくても済むンだ!強いモンスターぶっ倒して、金を貰って、女を抱いて、酒を呑んで、…………そうさ、こんな田舎に執着しなくても都会に行けば思うがままってやつだ!あいつらが語ってた都会の女も酒もここのとは比べられない贅沢ってやつができんだ!黙ってないでとっとと吐きやがれ!」


 吐きたくても吐けない。だって言葉なんて通じてないもん。

 頭の高さまで両手を上げる。胸倉を掴まれ驚いて咄嗟にできる行動はそれしかなかった。


「あ゛あ゛っ!黙ってンのは一人占めするからってか!?ここゼルーノの薬草採集ではな情報も薬草も分かちあうって暗黙の了解ができてんだよ!」


 もちろんそんなものはない。抜け駆けは許さない、みんなで仲良くゴールしようだなんてゆとり教育が生んだ徒競走のような、嫉妬に狂った冒険者が生んだ抑制である。それが個人の成長を阻害したとしても。

 後ろいる分には気にしない。しかし一歩でも先んじてしまったなら冒険者的解決方法で列を正す。その方法というのが――。


シンクローの腹に響いた衝撃。


「………今のは本気じゃねぇぞ。吐かねぇならもっと痛い目を見ンぞ」


低いドスの利いた声。腹部を突いたままの拳。誰も咎めず、むしろ全方位を複数の冒険者が身体で取り囲んで隠している状況。そして視線を騒ぎの外に向ければ、何をしているか把握していてそれを肴に飲んでいるベテラン冒険者の姿をある。


完全孤立。四面楚歌。逃げられる状況でも助けを呼べる状況でもない。

ならば、どうするか。従うしかない。話すしかない。

力の弱い冒険者の立場とは、強者に喰われる肉でしかないのだ。




………………………えー、ではシンクローさんはどうなっているかと言いますと。

腹パンされてもなぜか痛くない。低い声やこちらを睨む目もドラゴンに比べたら(・・・・・・・・・)別に怖くない。それよりなんでこんなことになっているのか、ひたすら困惑していた。


「……や、やめて!」


ロゼが締め上げる腕にしがみ付いた。

先ほどからの会話はすべて聞いていたロゼは矛先が向いていない恐怖を感じていた。

それでもシンクローに通訳するよりも先に行動できたのは、奴隷としての主人を守るという当たり前の義務であり、宿で絡まれた時に何もできなかった負い目でもあった。


「……ご主人様は今話されている言葉を聞くことができないのです!私が通訳するから乱暴をしないで!」

「うるせぇえええ!黒隷風情が、俺に触ンじゃねぇぇええ!」


 払われる腕。飛ばされる少女。

 体調が万全と言えないロゼが、大人の腕力に抗う力も、崩したバランスを立て直す足腰も足りているはずがなく。そのまま倒れるように尻もちをついた。

 パサリ――と。

 勢いは身体だけではなく、頭にかぶっていたフードまで及んだ。


 ピタっと――、止まった。


 過密な人の垣が、不自然なくらいに、動きを止めた。

 正確にはシンクローとロゼを取り囲んでいる冒険者たちだ。


 今の今までシンクローに向いていた無数の目は、今は倒れこむ奴隷の少女を指していた。


「…………………………………サキュバス?」


その言葉が、その言葉だけが、奴隷の主の耳が聞き取れた。

――――警鐘。

弾かれるように、シンクローの手が動く。外れたフードを被らせ直して、腕を引き強引に起こした。そして今更のように身体で隠した。

行動は早かった。しかし、行動に移るまでが致命的に遅かった。


「おい、お前――」


 肩を掴まれた。

 ――――鳴り響きっぱなしの警鐘。

 反射的にその腕を払いのけた。――それだけのはずだった。


「――っがああぁ!?」

「「「うわああああぁぁぁぁ!?」」」


 男がカッ飛んだ。人垣を突き破りながら。それはまるで人間ボーリングのように。

 誰も彼もが当惑している様子を見せた。何が起きたのか、飛んだ男も、人垣を作り倒れこんだ男たちも、そして吹き飛ばしたシンクローでさえも。


 ただ、おかげで(?)道はできた。

 ロゼをわきに抱えて、隙間を抜け、準備されていた報酬を掻っ攫うように取り、ギルドの外へ。

 まだ動きらしい動きがないなか、突風が過ぎ吹くかのように新米冒険者と黒隷の二人組は消えていった。


「………………………………………………………サキュバス、だったよな?」


 ただ、その痕跡だけは目撃した冒険者に深く刻み込まれた。


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