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2-4辺境の町ゼルーノ

2021/3/28 一部誤字を発見しましたので、訂正

「二つの魔術『刻印』が込められている」→『因子』

「……なにやら宿の主人が睨んでいたですが……」

「花粉症で目が痒かったんだろうさ」

「……カフンショウ?……」


 シンクローとロゼは町に繰り出していた。

 シンクローは金こそあるが二人の所持品はほぼ無い。ロゼを購入した時に奴隷商が代わりに購入したがそれはロゼの為の物であり、生活品とは言えない。

 最終目的が異世界のどこかにあるとされるシンクローの実家に帰ることなのだが、それにしたって着替えすらない状況では人間らしい生活は送れない。

 そんなわけで生活に必要なものを買いに出ていた。


 ゼルーノは規模のある町であるが、それでも辺境である。一般に都市と呼ばれるものに比べたらやはり小さい町だ。

だからと言って店舗が少ないという意味には繋がらない。

店舗と一体化していない住居を除けば、宿と食堂兼居酒屋がほとんど割合を占めている。次いで――ゼルーノに集中した作物を都市に向けて送り出す前に貯めておく――倉庫関係。三次に住民と行商人向けの食料品店。最後に鍛冶屋とその他となっている。こうしてみればこの町での需要が分かる。

衣服を扱う店舗は二店しかなく、新品か古着かで分かれていた。道を挟んで向かい合わせで店を構えていたので見比べるために往復するのが手間を取らずに済んでいた。

もっとも何往復もするシンクローたちに店員たちは嫌な顔をせず逆に温かい目で見られていた。恐らく同じことをした人が多いのだろう。

下着は新品を。それ以外は着比べて判断。シンクローを含めて考えていることは同じだそうで、それは店舗までおよび、ライバル店ではなく手を取り合うために向かい合わせにしたのかもしれない。


神父服から着替えることができたシンクローはつばのある帽子に厚手のレザージャケットとズボンにレザーブーツの姿になった。

冒険者の実際の仕事内容はラノベの中しか知らない彼はどういう服が好ましいのか悩んだ挙句、パッと思いついたのが鞭を振り回す考古学教授の姿だった。それに寄せるつもりで古着を探していたら都合よくあったのでこのような格好になった。フェドーラ帽子に似たものがあったので間に合わせコスは完璧であった。


「……あの、ご主人様。このような格好はやはり黒隷であるわたしにはもったいないです……」

「何度も言わせないでくれよ。冒険者稼業するのにいつまでもボロの貫頭衣じゃ怪我するでしょ」

「……ですが……」

「命令。受け取れ。それに黒隷だって安くない。黒隷ロゼの替えなんてないよ」

「……………はい、申し訳がないのです……」

「命令。言い直し」

「…………ありがとうございます……」

「どういたしまして」


 ロゼの服装も変わった。上半身はサイズの合わないブカブカのフード付きコート。下半身はショートパンツとサイハイソックスに膝丈まであるロングブーツだ。

 これは二つの店舗を見渡して、脳内でカチャリとパズルのピースが嵌まってしまったシンクローの趣味全開のコーディネートだった。コートに関しては、ロゼが痩せすぎていてサイズが合っていないように見えるためとの言い訳を心の中で供述した。甘え袖とか考えていない、たぶん。


「……確かに袖を調整するのにベルトは有効だと思うですけど、そんなに買って何に使うです?……」

「ちょっとした思い付きだよ」


 他にも服の袖などを縛る小さなベルトと下着等の着替えを数点購入した。

着替えもやはり遠慮する雰囲気を出すロゼには命令して受け取らせた。黒隷という立場が負い目に感じていて、命令という形でなければ押し渡すことができない。

こういうところでも主人と奴隷の関係性を目の当たりにすると、心に重いものを感じ始めるシンクローであった。


 途中で雑貨屋があったので、綺麗な肌触りのいいタオル数枚など必要と思える雑貨を揃えて、それらを入れる大きめのトランクケースも購入した。歯ブラシを見つけたときのシンクローはここ一番ではしゃいだに違いない(心の中で)。


 冒険者の必需品ともいえる武器を買うならもちろん武具屋である。

ここにくる少し前、近くに冒険者ギルドがあったので寄って覗いていく。

建物の中には屈強な者から細い者まで男女問わずいた。誰も彼もお揃いの物でなくてもとも共通して鎧と何かしらの武器を身に着けていた。


「やっぱり武器は必要か」

「……討伐系のお仕事をするのであれば必須化とです……」


 それを確認できただけでも収穫、というよりそれを確認したかった。

 準備はきちんと。武器なしの状態でドレスコードのようなものに引っ掛かり白い目で見られることは避けたい。例えるならば検察所に私服で出勤して注意される、そういう状況に陥りたくないのだ。社会人として。そういうのが許されるのは歌って踊れて俳優もやれるイケメンだけだ。


 剣・槍・斧・槌・弓・杖。おおよそ考えられる武器が右の壁に飾られるようにラックに掛けられている。反対側は鎧の類だ。棚に並べられてモノとマネキン代わりの十字架に着させられていた。店番の男がいるカウンターの奥の棚にも武器と防具が飾られているが、南京錠付きの鉄格子に入っている時点で高価なものと分かった。

 見た目の良し悪しで価格が分かるほどシンクローは武器を見慣れていない。


「……どれにするです?……」

「………そうだね」


 ゲーム世界に迷い込んでしまった錯覚を覚えてしまう異世界ファンタジー。シンクローの標準スペックに鑑定スキルなんてものはない。だからワンヒット〇〇ダメージなんて知ることができない。

 命に係わるかもしれない問題に慎重にならざるをえない。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。特に最後の一生の恥は一生を無くすことだってある。分からなきゃ聞いてみよう。


「初心者冒険者におすすめの武器はどれがいいか、訊いて」

「……『そこの樽から選べ』だそうです……」


 明らかに呆れた様子で店番が指さした方を見れば、入り口のすぐ脇に樽に詰め込まれた剣や槍があった。


「……『樽の中のもの一つ銀貨十枚から』と書いてあるです。確かに他に比べて安いです。けど……」

「性能、この場合は切れ味とか硬度とか耐久性は保証しないってとこだろ?」


 中身を漁る。


「これでいいな」

「……ショートソードですか……」


 シンクローにここにある武器の心得はない。恐らくまともに扱えるまで時間がかかる。しかし使い慣れている鉈に近い感覚の物となるとこれだった。


「さてロゼのはどうする?」

「……わたしは――」

「いらないって言うなよ。買ったときに役に立つと自分で言ってんだ。有言実行してもらわなきゃ」


 遠慮気味なロゼに食い気味で先手を打っておく。


「……はい、では杖を……」


 どこか観念した様子でロゼは杖の入った樽から一本取り出した。なんの変哲もないただの棒にしか見えない。


「杖ってことは魔法か?」

「……いいえ、使うのは魔法ではなく魔術です。といっても基本的な発動媒体は額の宝石ですので補助程度です……」


 杖といえば魔法魔術。魔法魔術といえば杖。古今東西ファンタジーの基本になっているこの公式は外れることがない。というか異世界にいるのに杖を買ってぶん殴るという発想が出てこない。だからこそ、フィクションではない、本物の使い手が目の前にいるのだから知識欲が湧きたつのも仕方がない。


「なぁ、魔法使っておいて杖の意味が分からないんだけど、持っていると意味あるものなの?」

「……意味はあるです。内に秘めた概念因子を使うですから……」

「じゃあ俺も杖が必要かな?」

「……必要ないと思うです。魔術だったとしても『移動』の概念因子は既に動物の中に備わっているですから……」

「………そのう、概念因子ってなに?」

「……え、それは……………。ご主人様は魔術を使えるですか?……」

「使えないよ?魔法だけ」

「……ではあの魔法はどんな修練で得られたのです?……」

「修練も何も、予測不可能の巻物っていう魔法の巻物で――」

「ラ、予測不可能の巻物!?」

「……………なにか、不味ったかな?」

「………………ご主人様は運が良かったのですね。それは下手すれば身体の内側から爆ぜて死んでいたかもしれなかった代物ですよ?……」

「……………まじで?」

「……マジで、です……」


 遠くにいる老エルフ神父に呪いの念を送った。何処かで足の小指をぶつかってしまえ。

 逆に悪運が働いた結果とも思えた。普段運が悪い分、死の運は決して近づかない。


「……では魔法も魔術も詳しくは知らないのですね……」

「そうなるね」

「……では、簡潔に説明するです……」

「お願いします」


 まず基本的にこの世に存在するモノには魂・核と呼ばれるもの、それを包み霊的魔力的外傷から守り防ぐ霊体・魔力があり、さらに外見であり物理的外傷から守る外殻・肉体が包んでいる。


「……鳥の卵を思い浮かべればいいかと。中には核か外殻がない霊体だけの存在がいるですけど、それは省くです……」


 魔法とは術者の心象風景を外殻と外界に侵蝕させ世界に干渉する力。外界――神の理を侵すほど強力で、神の復元力をもってしても魔素の霧散でも消滅しない。しかし、魔法は心象風景によりできることが限られているので万能な力はない。また、心象風景も十人十色なため同一のものはほぼ無いとされている。


「魔法は一種類しかできない超能力をイメージすればいいか」


 頭の中で電撃を操る女子中学生が浮かんだ。彼女は電撃使いだが磁気を生み出し砂鉄を操ったりしている。シンクローも自身の魔法が空気や水を移動できるとなれば応用技もできるかもしれないと考えた。


 魔術は脳内でイメージしたものを魔力(外殻内にある状態)・魔素(外殻、もしくは外殻の外にある状態)でもって霊体に干渉して外殻・外界を錯覚させ、知覚と認識に割り込み世界に影響を与える技術。あくまでも錯覚させているだけなので神の復元力で修正されてしまう。霊体に干渉する魔素が霧散しても消滅する。


「……術だけあって学べば誰でも魔術はできるです。ただ、身体の内に秘める魔力や外界を漂う魔素を感じる才能は必要ですが……」

「………神の復元力ってさっきから出てきてるね。それは何?」

「……創造神話です。この世界は『名の知れない永遠に眠り続ける幼神』様が神の魔法でお造りになった世界です。幼神様が世界はこうあるべきと常に直しているという話です……」

「ほう?」


 ゆえに魔術は魔法に勝てない。

 これは神の魔法で創られたこの世界は神の魔素――魔力が強すぎて、恒久的に書き換え続けることができない結果だ。しかし魔法ならそれができる。よって魔法は神の魔法の一部とも呼ばれている。


「……それで、魔術には三種類もあるです。そして今回杖が必要な理由は――……」


 そもそも杖という形に囚われる必要はない。

 必要なのはそこに込められた概念因子だ。魔法魔術的に才能がある者のみが知覚できる概念。

 しかし込められているのは完成した概念はなく、一部であり欠片であり記号のようなパーツ。


 魔術の呪文で「I light the fire.(私は火を灯す)」の内、杖に込められているのは「fire」だけと仮定する。「fire」だけでは魔術は成立しない。魔術士は自身の内にある魔術領域内で残りの文字を付け足し前文にするプロセスをもって外界に投影することで魔術が成立する。さらに灯すだけではなく「火で敵を燃やす」に書き換えることもできる。

 これが魔術の強味である自由度だ。

 だから杖という形に囚われなくても剣であっても魔術は行使できる。

 物に概念因子があるように魔術士にも内に秘めているが、ブラウン管テレビの砂嵐ノイズのように大雑把なうえに複雑で曖昧で分かりにくい。そこから認識しやすい数少ないそれを『属性』と呼んでいる。認識しやすさでいえば混沌とした生き物より秩序ある物の方がダントツなのだ。


「なるほど。杖を持つことでさらに強くなるんだな」

「……そうです。他の二つの魔術は別の機会に説明するです。ケホ……」

「説明ありがと。で、ロゼの属性は何かな?」

「……わたし、というよりサキュバスは種族固有魔法を持っているので正直杖は必要ないのですが、補助として杖を持てば、その分強くなったりより速く発動できるです……」

「へー、どんな魔法?」

「……夢想魔法と言います。今は魔力が少なくて使えないですがその名の通り夢を見せることができるけど、正確には魔術が近いです。魅了はその一端です……」

「ということは、属性は精神系かな?」

「……その通りです。『夢』です……」

「じゃあその杖の概念因子は?」

「……………………………」

「ロゼちゃん答えなさい」

「………………『火』です……」


 溜め息をつくシンクロー。


「……ち、違うのです。お叱りは受けるです。ですが聞いてくださいそもそも精神系は貴重なのですこのような辺境にあるとは思えないのですそれにご主人様は今日だけでかなり散財したですわたしが着ている服だって安くはないことは知っているですそこに杖を購入したらと思うとご主人様の財布事情を圧迫させることにそれにわたしは杖が無くても額の宝石を使えば――むぎゅう」


 わたわたとまくし立てるロゼは可愛いが、両手で頬を潰して黙らせた。


「サキュバスをバラさない為も杖は必要なんじゃないの?」

「……で、でしゅが……」

「とりあえず精神系の杖があるか訊いて」

「……ひゃい……」


 ロゼが店番の男と話す。


「……『金はあるか?』と聞いています……」


 返答は貰った時より軽くなった金貨の入った袋を見せた。態度が悪いと思われるが、言葉でいうより行動で示した方が手っ取り早いと感じたからだ。

 持っていることを確認した男は鉄格子を開けて一本の長杖を取り出し、ロゼに渡した。


「……『この杖の先端に幻で人や獣を沼地に誘引して喰らう魔獣の触角を組み込んでいる』と言ってるです……」

「チョウチンアンコウかよ。それって本当?確認できる?」

「……少々お待ちを。………はい、確認できたです。『幻惑』と『光』の二つの魔術因子が込められているです……」

「よし、いくら?」

「……即決ですか!?……」

「当たり前でしょ」

「……魔力だって回復できてないので今すぐなんて使えないです……」

「使えるようになった時、最高のパフォーマンスをしてもらうには最高の環境をってね……ん?」


 カウンターの横に変わった形のナイフが陳列していた。

 刃から柄まで金属でできており、持ち手は握ることを想定していないか細くて小さい。手に取れば何より軽い。


「これは?」

「……投げナイフのようです……」


 シンクローの脳裏に蘇る光景は、忌々しい空飛ぶトカゲの一戦。あのときは盗賊から貰った剣を操っていた。それをこの投げナイフで代用すれば、さすがにドラゴンは無理でも動物相手ならばと想像する。


「これも買うよ」

「……ご主人様、少しは悩んで……ああ、もう『六本買えば鞘付きのハーネスをまけてやる』と言ってるです……」

「もちろん買うさ」


 親指を立ててやれば、親指を立て返す。この男、商売を分かっていやがる。

 その後も解体用のナイフとシンクローのマントを購入し、その場を後にした。

 ロゼの顔色は良くなかったが、シンクローは指摘しなかった。




 時刻は夕刻をとうに過ぎた。町を染めていた茜色は一枚ずつ濃いベールに覆われていくように色を変えて濃紺となった。

 月が昇り、夜の幕が上がった。

 町の中央通りは月と灯火のスポットライトで照らされる。

 仕事の疲れを酒で労い、酔っぱらいを演じるのは町民と行商人だった。

 客引き、呼びかけ、話し声。木の食器をテーブルに叩きつければ、すべてはお囃子に代わる。

 娯楽の少ない辺境にとって今が楽しいひと時。


 そんなどこかのテーマパークに遊びに来た錯覚に囚われそうになるシンクローとその後ろを追従するロゼ。

 買い物をしていた二人はその手に荷物はない。宿に置いてきたのだ。

 今はどこで夕食を食べるか、喧騒を聞きながら決めているところだった。


「食べられないものとかある?」

「……ないです……」

「それじゃあ………あれでいいか」


 シンクローが目を付けたのは中央通りを逸れた脇道で簡素な天幕を張って営んでいた屋台だった。客はおらず、屋台の隣に置かれたベンチは空いていた。

 売っていたのは広い鉄板で焼かれた串肉と細かく刻んだ野菜に寸動に入ったスープだった。

 営んでいた女性は白い首輪をしていた。奴隷商館で見たことのある、白隷である証拠だ。


「二人分頼んで」

「……はい……追加料金で黒パンが付くです……」

「それも二人分で」


 ロゼから注文を受けた女性店主はテキパキと盛られた皿を渡してきた。


 笑顔がない。やはりビジネススマイルとも呼ばれる愛想笑いは日本だけだったか。祭りや身近なものでは市場で見かける屋台に郷愁を感じてみたのだが、こうも淡々としていると懐かしんでいるのは日本人情の温かさだったと気づく。ちょっとガックシ。


 周りは賑やかなのに誰も来ないので、ベンチの中央に皿を並べてシンクローとロゼが端に座るような形にする。


「それじゃあ食べようか」

「…………」


 ベンチの中央を陣取るように置かれた芋のスープと串肉と黒パン。スープと肉はどちらも塩味で、素材の味を引き出した一品だ。

思えばゼルーノに到着してからというもの一切食事をしていないシンクロー。空の胃袋の形が分かるくらい温かいものが染み渡り、やっと人心地がついた。料理の隠し味が空腹とはよく言ったものである。旨い。そんな素直な感想しか出てこなかった。

 枯れ地に水を与えることで蘇るように、胃袋も空腹であったことを思い出し、早う次寄越せと攻め立てた。


「……で、なんで食べないの?」


 ロゼは手を付けなかった。付けようという素振りもない。というか立ったままだ。


「……わたしは、なにをすればいいですか?……」

「は?何をすればもなにも、ご飯食べれば」

「……ご主人様は、わたしに与えすぎです……」

「ご飯、多かった?」

「そういうことを言っているのではないです!」


 喉の弱いロゼ。その悲痛な叫びは決して町に響くことはない。しかし、その路地でシンクローの耳には確かに響いた。


「ケホケホ……今日、ご主人様はたくさんお金を使ったです……」

「使ったねぇ。まぁ、必要だったし」

「……ロゼが今着ている服も杖もとても高価です……」

「高かったけど、必要だったし」

「……それにこんな糧まで……」

「カテ?……ああ、飯こと。これは必要でしょう」

「……わたしは、今まで頂いたものに釣り合える仕事をしていません……」


 黒隷は使い捨ての奴隷である。その為彼らの最高の報酬は、明日も生きられるという生存だった。

 その立場上、黒隷は寿命を迎えること、天寿を全うすることが難しい。九割以上が何らかで命を落とす。

 本来であれば縛り首でもおかしくない元犯罪者の黒隷は手足を、否、その存在そのものを雁字搦めのように縛られている。いつ死の命令が下されるかは主人次第。

 一寸先どころか、一瞬先すら見えない闇の中で、唯一見ることができる褒美の光。それが生きること。すなわち生存だった。


 だからロゼにとってシンクローの光は眩しすぎるのだ。

 暗闇に慣れた視界にその突き刺さるような強い光は、瞼を閉じるようでは防ぐことはできず、青白く塗りつぶされて目が眩んでしまった。

 命すべてを捧げろ。黒隷かくあるべしと洗脳のように教え込まれ続けてきたロゼにとってシンクローの施しは余りにも異常で過剰であり当惑する事態だった。


「仕事はしたさ。通訳役さ」

「……それだけです……」

「それで充分だったんだよ。言葉の通じない町で俺一人って結構寂しいし心細くなる。誰かが隣にいて言葉を交わしてくれるから誰かを通して俺の世界が広がるんだ。因みに、その誰かってのはロゼだよ」

「……私以外にもアルフ語を話せる人がいるはずです……」

「確かに、その人も知ってる。でもその人は近くにいない。だからロゼに頼るしかないんだよ」

「……だとしても、褒美と釣り合いが――むぎゅっ」


 面倒臭くなってきたシンクローさん。顔面潰しを決行。

 俯くロゼの顔を上に上げた。


「深く考えすぎ。確かに、俺は通訳以外もさせようとしているよ。でも、そんなガリガリの身体で仕事が出来ないでしょうに。これらは今後のロゼの報酬の前払いみたいなものだよ。先に貰った分、あとで頑張って返してくれればいいよ」

「……ひゃい……」


 シンクローとしては仕事着や仕事道具を渡している感覚でしかない。労働しやすい環境と道具をそろえるのは雇用主の義務。ロゼのパフォーマンスを上げるために道具を与え、充分な食事を与えられていなく今にも倒れそうなので食事を与えた。

 まさかこれだけのことで当惑されるとはシンクローも内心驚いていた。


「今はさ、食べよ」

「……はい……」


 シンクローの手から解放されたロゼはベンチの端に座って食事を取り始めた。それを確認してシンクローも再び料理に手を伸ばす。


「…………ひっく……」

「……泣くなよ」

「……ごめんなさい。美味しい物なんて久しぶりで……」

「これからだって食えるさ」

「……はい……」


 結局シンクローは物足りずお替りして、食べ終わったはずのロゼの腹が鳴きシンクローがお替りを代わりに頼み、それが腹が満たされるまで繰り返された。

 それを店番の女性白隷は驚いた表情で見ていた。



 腹を満たしたシンクローとロゼは宿屋に戻ってきた。

 明日から冒険者稼業だ。

 大通りはまだまだ賑わいが衰えておらずまだまだ夜はこれからだ、と酒盛りをする人々は尻目に見て、二人は明日に備えて休むことにした。


 宿に戻って待っていたのは、そこの主人と三人の男。

男たちは腰に剣を下げてモヒカン風な髪型。シャツの上からでも鍛えぬかれた筋肉が分かる体躯にレザーハーネスを巻きつけたていた。

そして四人はニタニタと粘り気のある嫌らしい笑みを浮かべてシンクロー達を見ていた。


「……ご主人様……」

「………ロゼ、目を合わせるな」


 どう見てもチンピラ。頭を横切った嫌な予感を振り飛ばして、八つの視線を無視する。

 しかしシンクローが男たちを無視しても、男たちがシンクローを見逃さなかった。


 男が一人上の階へ行かせないように階段に座り込む。シンクローの部屋は上階にあるためこれでは進めない。

 後ろでは二人がかりで正面の入り口に立ち塞いでいた。剣は抜かれた状態だった。

 横では宿の主人がニタニタを嘲笑っている。男たちの行動に動揺する素振りも助ける気もなさそうなのは一目瞭然だ。

 そんな危ない男たちに圧されて、ロゼがシンクローに身を寄せて服を摘まむ。怖いからしがみつきたいが奴隷である自分が無礼なことをするわけにはいかない、と葛藤の末に無意識から行動だった。

 そんなロゼちゃんに男の子シンクロー、あまりの可愛さに胸をわし掴む。こんな状況ではなかったら抱っこまでいっていただろう。TPOに完敗。


「……『俺の親友がお前に怪我の負わされたって聞いてな。俺はそれが許せない。ただ、優しい親友は有り金すべてとその奴隷を寄越せば許してやるって言っている。………痛い目に遭いたくなかったら言うとおりにしろ』って言ってるです……」

「………はぁあ、普通ではないと思っていたけど、チンピラとかが経営している宿だったか」


 まっとうな生活していない連中は日本であろうとなかろうと変わらない事を目の当たりにした。ただ、ここまで速攻で物理に訴えるのは地球でも珍しいのではないだろうか。と、某任侠映画からの偏見がシンクローの脳裏をよぎった。


「ロゼこう訊いて。手に持っているのは人を殺す道具か?って」

「……は、はい。――――『当たり前のこと聞くな。脅してないように見えるのか?』って言ってるです……」

「分かってるじゃん。続いてこう言ったら服から手離して離れてて。それは脅しの道具じゃないなら、後の行動は一つだけだぞ。って」

「……はい……」


 シンクローは金貨を二枚取り出した。

 ロゼが摘まんでいた指を離した瞬間、親指で金貨を二人の男に向かって弾いた。


「「――ガッ!?」」


金貨は直線軌道で男たちの首にめり込んだ。貫通はしていないだが、気道を潰され呼吸困難にさせた。

命中しひるんだ様子を見たシンクローは間髪置かずに男たちに接近する。その速さは先ほどの金貨と同等の速さだ。

止まらずに二人の間を通り過ぎようとする瞬間、勢いのまま左右の手で二人の男の首を下から掬い上げるように掴み上げる。そしてそのまま床に叩きつけた。

首から落ちた男二人はびくともしない。だけど死んでもいない。それはシンクローの魔法の感覚で知った。


突然の事に唖然としている残りの男と宿の主人とロゼ。

静寂が支配する中、シンクローが身体を起こす。


現実が追い付いてきたかのように今更剣を抜いて立ち上がる残党チンピラ。しかしその表情は恐怖に染まっていた。

入り口を塞いだ二人が一瞬で地に伏した。そして今度は自分が入り口を塞がれた。裏口に行くには近づかなければならない。恐慌状態になった男は二階の窓から逃げる選択肢を取らなかったのはロゼがすぐ近くにいたからであった。

このままでは済まされない。一矢報いる。奴隷が人質の価値はないかもしれないが逃げ出すだけの時間稼ぎと黒髪の青年の損失になると閃いた。


だが、その子悪党のくだらないプライドが生み出した姑息な作戦は開始する前に、シンクローの指から放たれた金貨に額を撃たれて撃沈した。


そもそもこの宿の評判はあまり良くない。

金さえ払えばどんな客でも泊める。客の情報は流さない。それが普通かと思うが利用するのは膝に傷があるもの。しかも普通の利用客からは絞れるだけ絞る。問題になるようならお得意様から私兵を借りてきて対処する。つまり金の為ならどんな客でも泊まらせる宿なのだ。

その事実を町では噂として流れているのに、シンクローは知らずに利用してしまった。


だが、シンクローを普段と同じように金の成る木にしてしまったのが宿の主人の間違いであった。


男たちが倒れる光景を横のカウンターから眺めていた宿の主人。

両手にある金貨が指で弾いただけで黄金の光線となり、男たちが一瞬で組み倒された姿から、ようやくこの客は普通ではないと悟った。そしてお得意様同様、喧嘩を売ってはならない相手だとも。

腰が抜けて倒れる宿の主人。

それを見下ろすシンクローの目はまるで地面に落ちている石ころを見ているようだ。

目を見開き顔が引きつる宿の主人にできることは、搾り取った金貨を全額返すことだけだった。




「……本当に良かったのですか?全額返すと言っていたのに、一泊分払ってしまって……」

「俺をクレームつけて宿泊料払わないモンスターカスタマーズと勘違いしてないか?こちらは真っ当な利用客だぜ」


 善良で真っ当な日本人なら脅してきたチンピラを迎撃しないと思いたいが、世紀末を生き抜いた日本人はその在り方が変わってしまったのだ。もうかつての常識は通じない。

 襲うやつが悪い。やられる前にやれ。世紀末日本人の考え方にこれが加わった。


 既に適正価格で買った湯で身体を拭き、新しい寝間着に着替えて、ベッドに横になっていた。

 ロゼも一緒に横になっており、すでに寝息が聞こえている。

 相手が女の子ということに遠慮してか、背を向け合う二人の間に開きがある。

シンクローが扉側で、ロゼが反対の窓側。無いと願いたいが寝込みを襲われないようする為であり、黒隷でもベッドで寝てほしいというシンクローの配慮だ。当然、黒隷は床で寝るべきとロゼの主張は却下された。


「間違いなく、来るだろうなぁ………」


 慣れない異世界と牢屋で過ごした日々の疲労が回復しておらず、その後起きたドタバタが止めになり、シンクローはあっさりと意識を手放した。


 ………後日ではなく翌日談であるが、シンクローの泊まる部屋以外の扉がなくなり、深夜に訪れた多くの男たちが打撲と骨折という重症を負ったという。

 さらには、シンクローがドラゴンキラーという噂を聞きつけた宿の主人は出ていこうとするシンクローに対して今までの非礼を土出座で謝罪して、引き留めるだけではなく料金は要らないからいつまでも泊っていってくれと懇願したのだった。



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