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2-3辺境の町ゼルーノ


「はぁぁぁぁぁぁ………疲れた」


 町に着いてからの投獄生活に奴隷の購入。歓迎された怒涛の異世界は過酷としか言いようがないほどに濃く、宿に着き次第ベッドに倒れこむシンクロー。薄い壁と床だから騒音問題だの汚れやホコリだの関係ない、足腰曲げずにベッドにダイブこそ今だけの礼儀だ。マットレスは薄く布らしい柔らかさは持ち合わせているもののフレームの硬さが伝わっている。

 すぐ後ろではロゼがベッドに倒れた音に驚いた。未だ目隠しが外れていないため状況が把握できていない。


「……あ、あの、大丈夫ですかご主人様?……」

「あー、大丈夫ダイジョウブ」


 本心で言えば大丈夫ではない。正直に言えば石畳みより柔らかいベッドでひと眠りしたい。ただもうそうも言っていられない。

 これからはロゼと過ごす。ゆえに彼女のことも考えなければならない。

 

一般的な観点からしたら、シンクローの考えは異常であり特殊だ。黒隷に対して主人は思うことは何もない。使い潰してまで使い、そして捨てる。おおよそ人としての扱いはない。

 黒隷たちは罪人だ。その身分も、その働き様も、その結果まですべてが刑罰だ。死刑と同等。しかし死人にするには惜しい能力を備えている。だから有効活用する。


 ただ、ロゼがそれに当てはまるかと言えば、否だ。


 引き渡される前に奴隷商から彼女がどんな罪を犯したかを聞かされた。

 

 とある貴族が王家に対して反逆の意思があり、一族を巻き込んでの国を揺るがす陰謀を企てていた。そこには強制されて従わされているサキュバスの姿があった。ロゼとその姉だ。

 当然、そんな陰謀はすぐに明るみになり貴族連中は国家反逆罪で死刑。連帯責任として使用人及びサキュバスは犯罪奴隷落ち――黒隷になった。


 シンクローが呆れるとともに憤りを覚えるのも無理はなかった。

 犯罪を知りながらも告げなかったとしても、サキュバスという種族は立場が弱い。恐らく誰かに告げたとしても信じてもらえずに一蹴されていただろう。


 この国の法律ではロゼは罪人だ。

 しかし、彼女自身が悪かと問われれば否。

 悪党でないのなら、不当に接することはしない。

 奴隷は主人の所有物だ。その扱いも主人の裁量によって決まる。


「(まぁ、奴隷はともかく、部下相手とかの接し方なんて知らないけどね。ビジネス書でも読んでおけば良かったかな?)」


 さて、と一息いれてベッドから起きる。


ロゼは奴隷商館から出てきたままの格好だ。床まで伸びた白い髪、垢で汚れた身体、荒い繊維で編まれた貫頭衣、そして目隠し。

黒隷の常識がどうであれ、通訳として他人の間に立たせるのだ。このままではシンクローの評価につながる可能性がある。身なりを整えるのが先決だ。


「ロゼ、まずはその目隠しを外す。いいな?」

「……え、あの……はい……」


 少し狼狽えた様子を見せたが、無視して目隠しに手をかける。

 触れた手に怯えたように一瞬振るえるロゼ。

 指に掛かった留め具が外れて、目隠しがロゼから離れていく。


 ゆっくりと、外界の眩しさに目をしばたたかせながら、着実に、瞼が開いていく。

 黄金。

 僅かな光でも輝く虹彩は本物の黄金のようで中心に近づくにつれて色味が深まっていき、まるで深い底なしの穴のような、黒目の奥がどこまでも続いている錯覚を覚えさせる。唯一無二の輝きを持って虜にして掴んで離さず中央の深淵に引き摺り込まれる魅力を放っていた。


「………奇麗だな」

「…………うぅ…」


 赤面サキュバス、恐るべし。

 ただシンクローは黄金の瞳より気になるものを見つけた。目隠しで一緒に隠れていたものだ。


「なんだこれ?」


 小さな額の中央に赤い宝石がくっ付いていた。


「……だ、だめです!」


 今までにない切羽詰まった大声で、額の宝石を両手で隠してしまった。一回で喉が枯れてしまったか渇いた咳を繰り返していた。それでも手は額から離れない。


「別にへそくりとか形見とかだったら取り上げたりしないぞ」

「……ケホケホ、そ、そうじゃありません。見てはいけないのです……」

「………もしかして、それが魅了の?」

「……はぃ……」


 奴隷商館でサキュバスの一般的な注意事項として、その全身で魅了するサキュバスが強い魅了を掛ける手段として目と声を使うとされており『声を聴くな』『目を見るな』と教えられた。よって商館では目を見ないように目隠しをして、声を聴かないようにマスクを着けさせていた。

 しかし、実際は額の宝石が魅了の正体だった。

 誤認の原因はヴァンパイアとの混同だった。彼らの魅了は目と声を使う。魅了が同じなら手段も同じと捉えられてしまったのだろう。


「それって、自動的にというか勝手に魅了してしまうものなのか?」

「……いいえ、意識しないとできないです……」

「なら見せて」

「…………はい……」


 両手が額から離れる。

 断りを入れてから触れる。

 硬い。光沢はあるが金属や鉱石のような強い輝きはない。そしてよくよく見ると皮膚に張り付いているのではなく皮膚との接地面が皮膚の下に潜り込んでいる。その部分に注目して連想できたのが――。


「爪?」

「……はい?……」

「もしかしたらこれ剥がすとまた生えてきたり、とか」

「……………………………………」

「し、しないしない!聞いてみただけ!」

「…………………確かに、これを剥がされると魅了が使えなくなるとお姉……姉に聞いたです。そしてまた生えてくるとも……」

「なるほど」


 シンクローが魅了に掛からなかった理由がここにあった。目隠しとともにこの宝石も隠れていれば掛かるはずもない。

 この世界の人々はサキュバスに対して過剰に怯えすぎていて、知るという行動に移れないでいる。だから適切な対処法が取れないでいる。迫害とは宗教などの大衆的な恐怖心ではなく伝播された個人的な恐怖によるものではないか。


「口にマスクをしていたのは?」

「……声を聴くだけで魅了されるのではと……」


長い間、声を出せずにいたので喉が弱くなってしまった。今では大声を出すと喉が傷んでしまうのだそうだ。

 相手をよく知らない偏見だらけの呆れる話であった。しかしシンクロー的には魅了されているのであながち間違っていない。


 なにはともあれ軌道修正。髪を切る。



 シャキンシャキンと、金属の擦れる音がする。

 シンクローは鋏を右手に持ち、左手の指に挟んだ白い髪を少しずつ切っていく。床屋で仕事をしたことがあるといっても髪を切ることはなかったので、これが人生初カット。失敗しないように慎重になるので、集中している分当然無口だ。

 ロゼは目を瞑りカットし終わるのを待つだけだが、髪に指がスルリと入るたびにくすぐったくて悶えて俯きそうになっていた。


 宿屋の一室。部屋の中央に備え付けの椅子にロゼを座らせてシンクローが髪を切っている。

 床まで届いていたどころか引きずっていた白い髪は既に小さな肩の高さまでにバッサリと切られている。

 床には切り落とされた白い髪が散乱している。髪を切ることの許可を貰いに行った際に宿屋の主人に掃除しといてくれと言われていた。最初は身に着けていたマントを床に敷こうとしたが、便利なシンクローの魔法が解決してくれた。細かい毛も回収できる魔法スゲェだが、たびたび魔法の存在を忘れるシンクロー、やはり異世界人。魔法を無いこととして考えてしまう。


「さて、じゃあおかっぱにするよ」

「……はい、です……」


 髪を切るシンクローにも切られるロゼにも、この世界で好まれる髪型を知らない。方や、仕事の邪魔にならなければ。方や、奴隷だったので。

 つまりロゼ自身がどういう髪型にしたいかに行き着いた。

 しかし、ロゼは奴隷だからと言い張り決定権を主人に委ねた。

 シンクローも髪を切った後で互いに後悔が残るようなことは避けたい気持ちがあった。

 そこで閃いたのが、ロゼがサキュバスとバレない髪型だった。額の宝石という外見的特徴があるサキュバスはそこさえ隠せば身バレする可能性は低くなる。

 協議の末、前髪長めのボブカットに決まった。


 シンクローがロゼの背後に立つ。

 再び、白い髪に指が入り鋏で裁つ作業が始まった。

 お互いに声を発せず、ただ鋏の音だけが部屋の中に響く。

 開いた両開きの窓からは時々そよ風が吹き込み、それとは逆に太陽からは図々しく温かい日差しが入り込んでいた。


 長い間暗闇の中で過ごしてきた少女は久しくなかった安らぎを感じた。

 奴隷になってから、否、それ以前から明日のわが身も分からないような凍える日々を過ごしてきた。

 買われて、その主人から与えられる熱は冷えた心身に温もりを授けるようで。

 髪を梳く指は、いつの日かの姉を思いだすようで。

疲れからかなのか、リラックスしているようで、だんだんと身体の力が抜けていく。


そして、支えていた首の力までも抜けてしまい、

――カクン――

 と

――チョキン――

が、重なった。


「………あ、――」


予定になかった量の白い髪が床に落ちた。

夢の世界に船を漕ぎだした少女はそのことに気が付いていない。

知るのは鋏を握る男のみ。


「――………やっべぇ」


 救うも、殺すも、そいつ次第。

 少女の髪型の運命は男の手に握られている。


 数十分後。


 少女の髪型はなんとか様になった。

 出会った当初の、伸ばしっぱなしでまるで白いシーツを被っているような長い髪はバッサリと切られて、前髪は目元まで隠れる程度の長さで整えられて問題になった後ろ髪はショートより短い刈り上げになった。

 この出来に少女から文句はない。言えないのかもしれないが。


「……頭が軽くなりました!……」


 との女の子らしくないコメント。

 本人的には額の宝石が隠れていればなんでも良いらしく、あたふたしながらも「……風を感じられるので嬉しいです……」と言ってくれた。

 これに罪悪感と嬉しいのか嬉しくないのかドキドキしていたシンクローの心の重圧が軽くなった。リカバリーに成功したといえよう、かなり及第点気味で。


 シンクローは受付がある一階に下りた。


「ゆをくれ」


 直前にロゼから教えてもらった言葉を言う。

 受付の男は粘着きのあるイヤらしい笑みを浮かべてカウンターの奥へと消えた。

 誰にも気づかれないように溜め息をついた。


「この宿は失敗だったか?」


 辺境とはいえそこそこ大きい町だというゼルーノ。魔物の被害も少なく広大な農作地帯の中心で発展してきた。収穫期には人手が足りなくなるほどで、奴隷商から一時的にレンタルされるほどなのだそうだ。

 当然多くの行商人も訪れてくる。それらを相手にする宿屋も存在する。

 だがシンクローの訪れた宿屋は、全員首を横に振り宿泊を拒否した。

 理由はロゼ。正確に言うのであれば黒隷だからそうだ。

 彼女がサキュバスであると話していない。それでも、黒い首輪は犯罪者の証。その主人ともなれば、もしかしたら黒隷に悪事をさせるのではないか、と思われている。実際に黒隷に犯罪をさせて、「奴隷が勝手にやった。自分は関係ない」とトカゲの尻尾切りのようなことまであった。

 そうでなくても犯罪者としての偏見が宿屋に泊まらせるリスクで天秤に掛けられているのは確かだ。


 シンクローが泊まれた宿は割高の宿屋だった。

 ほとんどの宿屋は一階に食事処兼居酒屋を兼業している。しかしこの宿は珍しく宿一本で商売をしていた。

 比較的安めだった兼業宿屋が全滅したシンクローたちは最後の頼みとしてここを訪れた。

 どんな客でも泊めてくれるという噂があるこの宿もやはりここでも最初は首を横に振られた。


「泊めてほしけりゃ金払え」


 提示された料金は普通の宿の十倍以上の値段だった。高級宿ではない普通の宿でだ。

 ロゼ翻訳越しの説得も虚しく、もう形振り構っていられなくなったシンクローは金の力を見せた。

 一枚一枚ゆっくりと。金を持っていることを見せつけるように金貨をカウンターに積み重ねていった。

 結果、宿屋の主人の顔色が変わり宿泊帳を引き出させた。

 ロゼが悲しい声での通訳で、奴隷は裏の馬小屋だと指定してきたのに対して、奴隷は主人の持ち物だ一緒にいて何が悪いと怒鳴り返した結果、積み上げた金貨タワーをもう一本増えた。

 手に入れたのは高級感のない質素なダブルの一部屋の鍵と一泊。後になって赤字なのに気が付いて頭を抱えたのは言うまでもない。


 男――宿屋の主人が桶に入ったお湯を持ってきた。

 受け取ろうとして腕を伸ばしたら桶を引っ込められて、両手が宙を搔く。

 

「……コイツ、足元を見やがって。それとも金の成る木か」


 ロゼを連れてこなかった理由。誰がメインで使うか分かっているのだ。

 あくまでもにこやかな男。

 通常料金の銀貨を見せた。

男は何も反応がない。

 今度は金貨を見せた。

大きく頷く男は片手を差し出した。


「――ちぃっ」


 シンクローの舌打ちにも気分良さげな男にさすがに苛ついてきた。

 意趣返しにあくまでも普通に、しかし力を込めて掌に叩きつけた。


「――――――ッ!?」

「おっとと」


 パァンと鳴り響き、片手を押さえて悲鳴を上げる男から桶をひったくる。


「―――ッ!?――ッ!?」

「HAHAHA!何言ってるか分かんねぇよ。あばよ、とっつぁん!」


 馬鹿なことをしていると思ってはいるが我慢できなかった。後悔はない。所詮は一泊だけだ。後のことは考えれば何とでもなる。

 悪徳宿屋の野太い悲鳴を聞きながら、軽快な足取りで部屋に戻った。




 部屋に戻った。


「……あの、悲鳴が聞こえたですけど……」

「ん?ネズミでも見つけたんじゃないか」

「…………そうですか……」


 真実を言うつもりはない。

 それでも何かを察してのか、俯くロゼ。

 シンクローはガシガシと乱暴にすっきりした頭をなでる。というか搔き乱した。


「ふにゅああああああ!?」

「ほれ、お湯貰ってきたんだ。身体をきれいにしよう」

「……は、はい……ケホ」


 誤魔化せたのか、誤魔化してもらったのか。それでもロゼはぽかんとしながらも表情から陰は無くなっていた。


 湯が冷めてしまってはたまらないので、キャリーケースから薄くてごわごわしているタオルを取り出すし、ロゼに渡す。


「じゃあロゼこれを使って体を拭いてくれ」

「……はい……」

「俺は部屋の外にいるから」

「……なんでです?ご主人様が清められるのでは?……」

「まずはロゼからだろ。髪を切ったしずっと奴隷商では何もできなかったんだろ?」


 現に垢だらけで異臭の放っているロゼだがそのことに気づいていないのか。

 奴隷に対して気遣いを見せるシンクローをロゼは信じられない目で見ていた。


「……ダメですご主人様、黒隷に対して気遣いは無用です。本来であれば主人に対して奴隷が髪を切らせるなんて恐れ多いことです。好みの髪型があり愛玩として可愛がっていただけると思いこの身を委ねましたが、これは違います。一つしかない湯で黒隷が主人を差し置いて先に身を清めるなんて奴隷失格です!…………ケホ」

「……おう」


 ここにきて初めての長文に気圧されたシンクロー。


「……ご主人様は私に傲慢な態度をお取りになるべきです……」

「あー、そうなのか。奴隷なんて初めてなので、どう接していいべきか困っていたんだ。すまん」

「……いいえ、謝罪をすべきなのはわたしの方です。このような諫言ですら奴隷は許されないですから……」

「ロゼ、一つ聞くが。奴隷失格とか許されないとか、誰が決めたんだ?」

「……奴隷商の主人からです。黒隷としての心得として教えられたです……」


 黒隷に心得なるものは全世界共通常識で、黒隷に落ちた際に奴隷商人から調教・洗脳という形で教えられる。やはりこれは犯罪者としての罰であり、同じ奴隷でも白隷との明確な差を意識させる為でもあった。

 シンクローが身を清めさせようとした行為は正しくは白隷相手にさせるものだった。

 使い捨ての労働力。絶対服従。主人に対して残りの命すべてを捧げるのが黒隷の正しき姿勢でり在り方だ。


「そんな心得、俺は知らない」

「…………え?……」

「ただ気遣いは無用というのであれば言うぞ。………臭うぞ」

「……………うぅ、失礼しました……」


 首襟の臭いを嗅ぎ、恥じたのか赤くなるロゼ。


 シンクローの黒隷に対しての扱い方は主人失格だろう。何しろ主人としての常識がない。それならば身につけなければならないが、押し付けられても感情的に迷惑であり不愉快だった。


「なあロゼ。俺たち以外に誤った(・・・)黒隷の扱い方で迷惑が掛かるのであれば直そう。でも俺たちだけならどうだ。ロゼは迷惑か?」

「……それは、その……」

「即答しないってことは迷惑ではないと捉えるぞ。だったら別にいいじゃん」

「……え……」

「他に迷惑を掛けずに主人と奴隷ができるのであれば、二人だけのローカルルールってやつで俺が考えるご主人様と黒隷のロゼをすればいいさ。いいね?」

「……え、あの……」

「いいよね?」

「…………はい、です……」


 強引であるが、同意を得た。というよりノーとは言えない黒隷の絶対服従を逆手に取った手段とも言える。


「とはいえ、最初くらいはロゼを尊重しよう。先にお湯を使うね」

「……はい……」


 男女二人きりの部屋であるものの、多少羞恥はあってもすぐに割り切ったシンクローは豪快に上半身裸になった。

 実は身体を綺麗したかったのはシンクローであり、毎日風呂に入っていた日本人としては牢屋生活での苦痛は風呂に入れないことだった。

 出来ればこんな出来損ないの手拭いで身体を拭くだけではなく髪も洗いたい。シャンプーなんて代物がなくても頭皮をお湯で洗いたい。てか、無いことで奴隷商の下男に気が利かない男だと怒気が向く。いかにも理不尽。


「髪を洗いたい。どうするべきか」


 桶の中のお湯を見ること数秒、シンクローの魔法領域が知らせてくれた。

 無意識に、ぼんやりとした漠然ではあるが、肩から先に腕があることが当たり前の感覚であるように――。

――これ、いける。と。


「え、これ、いけるの?」

「……なにがです?……」


 戸惑うロゼは置いておき、シンクローは魔法を行使した。


 魔法のカーソルを操作し、桶に入った湯を選択。上方へ移動させる。


「……ふむ?」

「……え、これって?……」


 湯から切り離されたように少量の湯が浮かび上がった。量にすると片手で掬える程度の湯がそこだけ無重力であるかのように歪な球体が浮いている。

 触れてみれば確かに湯。かき混ぜたり握り潰せば形が変わるが零れて落ちたりしない。すぐに球体に戻る。


「あー、なるほど」


 浮かした湯を桶に一旦戻して、今度は魔法領域内――かつ目の前の桶に入った湯すべてを選択して再び中空へと浮かび上がらせた。今度は桶の中全ての湯が球体となって浮いた。

 それを頭へ移動させて頭部全体を浸らせる。


「あー、いいわーこれ」


 球体の湯に手を突っ込み、髪を洗う。魔法ファンタジーまさに万歳。

 憎きドラゴンとの戦いの最中、空気を壁にして音波を防いでいたことを今更になって思い出した。それはこの応用ともいえよう。あの死闘は悪夢そのものであり忘れていたのだ。

 シャンプーが無いため十分とは言えないが、それでもサッパリしたところで湯を頭から離す。


「え、マジかよ」


 洗ったはずの髪は、濡れていなかった。しかし、温かく洗った後の清涼感はある。

 湯は移動する際に、一滴も残さず移動したのだ。


「……移動魔法、あなたは(チート)か」


 魔法に感動するシンクローの横で、先ほどから黙りポカンと口を開けたままのロゼがいた。


「あ、ロゼお待たせ。使っていいぞ」

「……あ、はいです。いえ、そうではなくて、今のは?……」

「俺の魔法。移動魔法だよ」

「……移動魔法?今のが?あり得ないですそんなことできるなんて文献には載っていなかったですそもそも固形体を動かす魔法であって気体や液体を移動させるものではなかったはずですそれは魔術に変換されてからも変わらないはず魔法の手もそうまさか新魔法?いえ移動系の魔法は出尽くしたと文献で読んだはずならば流体操作系の魔法が怪しいですけどあれは地面などに接していないといけないはずご主人様のは完全に宙に浮いていた別の魔法ですると本当に――」

「――はい、そこまで」

「ふにゃあああぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ!?」


 強制的に黙らすため、湯をロゼの頭に移動させて洗ってあげることにしたシンクローさん。

 髪を切ったらシャンプーするのは当たり前であり、乾かすまでが散髪の業務である。髪をわっしゃわっしゃ。


「ケホケホ!ご主人様待ってです!」

「待たないよ。とっとと綺麗になろう」

「ご主人様の使っている魔法は本当に移動魔法なのですか!?移動魔法にこんな使い方があるなんて知りません!」

「俺だって魔法初心者だし、そういう使い方があってもおかしくないんじゃない?」

「おかしいです!移動魔法は研究し尽くして――」

「――それはどっかで聞いたよ。はい目瞑って息止めて」

「え?――ぅわっブクブク」

「髪はこんなもんで良いから、顔も洗っちゃおうか」

「……ブクブク……」


 その後もロゼは何かと追及してきて身体を洗おうともしないので、シンクローが代わりに洗った。気分は風呂嫌いな妹の世話をするお兄ちゃん。

 数分後。着ていた貫頭衣を脱がされて、全身綺麗になったロゼがベッドの上でぐったりしていた。可愛い相手をひん剥いて裸にしたが介護の入浴のお手伝いと思えば興奮もしないシンクロー。お仕事モードは鉄壁なのだ。


「……うう、ご主人様に洗われてしまったです……」

「そうね。必要以上に洗ってしまったね」


 綺麗になったロゼに垢汚れはない。

 しかし、髪が短くなったこと以外に変化はない。

 赤黒い垢だと思っていたら、実は肌も赤黒い――褐色肌であった。

 しかも尻尾付き。ツルリとした細かく短い黒い毛で覆われた細長い尻尾が腰のあたりから生えていた。猫のものより細い印象があるそれは触り心地が良く、ついつい洗う体で遊んでしまったシンクローさんは虜になっていた。


 ロゼは白髪褐色肌のサキュバスちゃんであった。

 この真実に気づいたシンクローさん嬉しい吐血ものである。だって褐色肌が大好きだから。

 真相に気づいた直後、割れ物を扱うように丁寧に洗ったのは言うまでもない。サキュバス、恐るべし。


「というかだ。ロゼちゃん。あなた下着は?」

「……ないですよ……」

「そんな、なに当たり前なことを聞いてくるんですか、みたいな顔やめて」


 お互いに身体が綺麗になったところで、服を着替えて町に買い物に出かけた。



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