2-2辺境の町ゼルーノ
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ゼルーノ。その町の周辺は肥沃な大地が広がっており穀物や野菜を栽培している。広大な大地を農村ごとに区分けして収穫したものをこのゼルーノに集積させて王都や各都市に送り出す役目を負っている。第一次産業の収穫が少ない王都が食材の終着地点ならここは食材の出発点の町――その一つだ。
町を囲むように人よりも太い丸太が地面に埋まり空に向かって聳え立ち外壁を成している。町並みはどの建物も細い丸太を組んだだけの一般的なログハウスに見える。ただシンクローがたった今出てきた衛兵の詰め所と大きな通りの先にある一際目に付く大きい建物はレンガと漆喰が使われていた。密かに異世界定番の欧州の街並みを期待していたシンクローは、蓋を開けた中身が白川郷に似ていることに肩透かしを受けた。いや、歩いている人たちが洋服だからウェスタンなのか。
そんな異国の地を進む。大地を踏み固めただけの道を歩き、上京したてのお上りさんが如く顔とお目目をキョロキョロ。興味がそそられるが話ができなきゃ堪能できないので教えられた奴隷商へ地図通り向かう。シンクローさんは目的地があれば真っ直ぐ向かう質なのだ。
大通りから逸れて二つ角を曲がった先に、目印の看板を見つけた。地図とそこに書かれた絵の通りなら間違いなく奴隷商だろう。看板には絵が使われていることから識字率は高くはないと予想できる。
「お待たせいたしました。私が当奴隷商館の主でございます」
奴隷商館に入り通された部屋で待っていると、整ったスーツのように服装の中年男性が現れた。
その服装や慇懃なあいさつと所作はただ歳を重ねただけではない深みが感じられて、場の雰囲気に飲まれたビビりのシンクローさん。決め手はやはりアルフ語だった。
「アルフ語を話せるのですね」
「商人として当然でございます。我々は人を相手に商売をしております。話せないではお客様に満足できる商品をご用意できません。お客様のお望みは言葉でしか伝わらないのですか」
ここに案内した下男風な男性もアルフ語が通じていた。商人は何とも勤勉なのだろうか。
知らない土地で初対面の人になんと話しかけたらよいのだろうと軽くパニックを起こしたシンクローがアルフ語で話しかけたのが始まりだ。要は自身の拙い言葉が通じるか不安だった節もある。「神父様がこのようなところへどのようなご用件でしょう」と、たったこれだけ聞いただけで自分と共通しているものがあるという喜びが緊張をほぐれて後はスラスラと要件を伝えた。ついでに、この服も借り物だとも伝えた。
奴隷を買うのも初めてと伝えたところ、奴隷商人は嫌な顔をせずに説明してくれた。
まず、奴隷は白奴隷と黒奴隷の二種類に分けられる。
白奴隷――通称、白隷は本当の意味での労働階級身分を指す。無職だったり失業した者が仕事を求めて自ら奴隷になったのだ。白隷は購入者と契約を交わして定められた職務を全うする。当然仕事内容によっては拒否することもできる。契約を交わしたら白隷は自身に支払された金額分を労働で稼がなくてはならない義務が発生する。購入金額分を働けばその時点で白隷から解放されるが、仕事を継続するか自由となるかは本人の意思となる。また、主人はその間の身の保証をしなければならない。雇用契約以外の労働をさせたり、保証がなされなかった場合は主人の罪となる。ちなみに支払う金額は、労働内容と期間から計算して提示されている。この計算は奴隷商人がしているので何かしら違法があった場合は商人も罪となる。
ここまで聞いてシンクローは思った。どこかのハ〇ーワークじゃね?
黒奴隷――黒隷は犯罪奴隷のこと。大罪を犯しその処罰で奴隷落ちした者を指す。主人に保証義務は発生しない。不当に扱っても罪にならないので基本は危険なことをさせる際の使い捨てが一般的な認識で、戦争や鉱山労働が主流。また奴隷商人だけが使える魔術によって主人の命令に逆らえないようになっている。通常の方法では主人といえど解放は不可能。使い捨てのため白隷に比べると安いのだという。
なるほど、異世界ラノベの奴隷は此方だったのか、と。戦慄のシンクロー。異世界奴隷怖い。
そして商談が始まった。
「して、本日はどのような奴隷をお求めでしょうか。」
「自分は訳あってアルフ語しか話せません。他の言語も十分とはいえないので通訳できる人を探しています」
「そうでしたか。しかしお客様もご理解していますようにアルフ語に通じている奴隷はかなり稀少でございます。当館でも数名抱えておりますが、お客様を満足できる奴隷をご用意できることは難しいでしょう。他の奴隷商にもこのことをお伝えしてご納得できるものをご用意いたしますが、いかがでしょう?」
「申し訳ないが奴隷の良し悪しは分からないです」
「分かりました。では一人一人順を追ってご説明いたします」
待たされること数分。下男風の男に連れられて別の部屋に移動した。そこには既に何名かの男がいた。全員の首に白い首輪が嵌まっていることから先ほど説明を受けた白隷と見受けられる。
ああ、このうちの一人を買うのかと心で呟いていた。緊張しているように早く打つ鼓動は恐らく日本で培った倫理感の警鐘だ。だが、それらをシンクローは深呼吸して抑えた。
事実や史実はさておき、奴隷は他国から拉致してきて強制労働をさせる。そのうえで本人の人権や自己主張が一切無視される。解放されるのは主人次第でありその命尽きるまでということもある。当然現代日本で生活してきたシンクローにそのイメージを植え付けのはフィクション作品であり、悪い先入観を忌諱にかんじているのだ。そういう意味ではフィクション作品や歴史の授業は日本人に素晴らしい教育を施したといえよう。
ただ奴隷を買わないと本当に路頭に迷うほど言語能力は皆無で、頼りになる人たちはもう近くにいない。
それに深く考える必要もない。彼らは白隷だ。見方を変えれば、地球にいた時から仕事において主人と奴隷の関係はあった。上が命じて下が働く。とすればなんてことはない。今の風景は求人に応募した人たちとの面接だ。
だがその面接もいきなり頓挫した。
「………ヤバい。流れが、運が悪い」
この場にいた白隷は元商人、金に困った学者、そしてガチムチの男娼。
購入自体は全く持って問題ないが、定期的に彼らの稼ぎ――給料を支払うとなると冒険者業を手伝ってもらわなければならない。すると、荒事には向かない商人、体力のなさそうな学者、最初から論外の男娼は仕事内容こそ通訳だがその過程で冒険者をするとは考えていなかったようで全員結果は不採用。言い渡されたのはシンクロー、逆に面接されているとは考えていなかった模様。甘かったと言わざる負えない事態に顔を覆うシンクロー。この男は物事が都合よくいった試しがあった覚えがあるのだろうか。
奴隷商館の主人は急な来客があったようで、いつの間にか案内は下男風の男に代わっていたのでここにはいない。
「まあ落ち込まないでください。白隷相手ではこういうのはよくあることです」
「………あいつら働きたいって考えていたんじゃないんですか」
「向こうからしたら、我々にも選ぶ権利があるって言うでしょうね」
「……コンチクショウ」
下男風の男は白隷たちに指示を出して部屋から退出させた。
「あれ?」
「どうしました?」
「あ、はい。お客様の要望とリストを見合わせていたのですが、一人いないようです。恐らくは旦那様の手違いで用意されなかったのだと思います」
「もう一人ですか。でももし白隷の方だったらと思うと」
「ご安心ください。最期にご案内するのは黒隷です」
シンクローが案内されたのは地下だった。
暗い廊下には均等に狭い間隔で錆びついた重厚な鉄の扉が並んでおり、大きい南京錠が掛けられていた。見た目からして完全に機能性を重視した造り。光を差し入れるような隙間はなかった。その分厚い扉は刑務所のそれに似ていた。唯一の外界の接触は覗き穴と配膳の差し込み口だが、これも鉄の蓋で閉められている。
魔法の感覚で誰かいることはわかったが、生活色というか生気が感じられない。中には既に息絶えている者もいる。
「ここには黒隷が収容されています。つまり犯罪奴隷です。でもご安心ください。彼らは最低限の食事しか与えていないので、暴れる気力も体力もありません」
「……へ、へー」
上の階と違い、異臭が立ち込めて清潔とは無縁の空間だった。同じ奴隷でも白と黒で対応が違うことに戦慄するシンクロー。
うす暗い廊下を進み、最奥の扉の前に立った。
「この先にいます」
「はい」
「こちらが扉と南京錠の鍵となります。お受け取り下さい」
「はい」
「それでは腰にロープを結びますので、少々そのままでお待ちください」
「……はい?」
「では私はロープの端を握ってこちらで待機しています。何かありましたらこのロープを引っ張りましてお客様をこちらに引き寄せますので」
「あ、あの、ちょっと?」
「ではお進みください」
「おいちょっと待てこら。なんだこれは」
「お客様の安全の為の処置でございます」
「なに?この先に猛獣でもいるのか」
「………似たようなものですね」
「なにそれ怖い」
あれよあれよとロープを腰に巻かれるさまは日本の身体を張ったお笑い芸人かの様であったが、下男風の男の真面目な表情と使い込まれたロープから現実に呼び戻される。腰に繋がるロープの重みが脅しをかけていた。だから、引っ張ってと叫んでも引っ張ってくれないことがないことを祈りたい。
こうしていても埒が明かないので、とりあえず向かうことにしたまるで釣り餌になったようなシンクロー。ノックをして「入りますよー」と声をかけてから開錠して扉を開けた。
ギギギと錆びついた音を立てて鉄扉を引く。
少し開いた隙間から臭いが漂ってきた。
とても甘い香り。べっとりと纏わりつくものではなく、むわっとむせ返るものでもなく。スーッと爽やかなもの、柑橘系に香りだった。
ただそれも一瞬で、すぐさま排泄物の異臭が鼻腔をついた。
開かれた鉄扉。シンクローの背後から差し込まれた光の先は、完全に予想できていなかったものだった。
部屋の広さは半畳ほどしかない。窓はない。これで鉄扉を閉めれば完全な闇となり、空気の換気ができないから臭いだって籠ることは当然だ。
そんな物置のような部屋にいた小さな人。
丸い頭、むき出しの肩、足を折りたたんで抱える腕。顔は見えない。一瞬シーツでも被っているのかと思ったが、それはどうやら白い髪だった。切らずにいたので顔を覆うほど伸びたようで、毛先は床に接している。
現段階では性別は分からない。
「………あー、この人は?」
「………十六歳の娘です。一応成人は迎えております。種族は…………」
最初から最後まで聞き取りづらい声の下男風の男。その説明に先ほどまでのハキハキとした声は無く、酸欠でも起こしている風で息も絶え絶えだ。シンクローに息苦しさは覚えていない。あたかも空気を極力吸わないようにしている、そんな風に見えた。おかげで最期が聞き取れなかった。
不信な行動をとる下男風の男に首を捻ったがひとまず置いておくことにして、目の前の少女に意識を戻す。
「あー、こんにちは」
「……………」
「言葉、分かる?」
「……………」
返答、来ず。
頬を搔くシンクローはただ困惑するのみ。アルフ語を話せると聞いていたのに、挨拶してみれば何も返ってこない。
どういうことか説明を求めて後ろを振り返ると、下男風の男はロープの端ギリギリを握ってできるだけ下がっていた。やる気はあるんだろうか。まさか不良在庫を押し付けようなんて考えてはいまいかと勘繰ってもおかしくない状況であった。
「………もしかして寝ているか」
少女に手を伸ばし、前髪を払いのけた。露となる少女の素顔にシンクローが見たものとは――。
「ぶぐっっへえぇぇぇぇ!?」
突然腹部を襲った圧。
景色が後ろから前に動いていた。つまりすごい力でロープに繋がれたシンクローが引っ張られているのだ。ズルズルと地下への入り口まで引きずられた。
待っていたのは奴隷商館の主と下男。
迫ってきたのは指が折り畳まれた手で、ってそれは――。
「ぶえっ!?」
「お客様大丈夫ですか!?正気はお戻りになりましたか!?」
頬に受ける衝撃と痛み。
シンクローは奴隷商館の主に殴られたのだ。殴られた怒りよりもなぜされたという困惑が強く、目を白黒させる。なにが大丈夫で、なにが正気なのだろうか。商人の正気を疑いたい。
それよりも殴ったほうの手が痛そうに腫れ上がっていた。
「ほっっんとうに申し訳がございません!」
「……あ、いえ、もう大丈夫ですから」
応接間まで連行されたシンクローに、テーブルに頭を打ち付ける勢いで頭を下げた奴隷商館の主とその隣の下男風の男だ。部屋にいる男たちは全員涙目だ。
今回のシンクローお客様なのに殴られる問題となった焦点は紹介された奴隷の種族と連絡ミスだった。
サキュバスは女性しか存在していない種族であり、男女問わず相手の精気を吸収する存在だ。効率的に精気を得るために魅了や暗示といった他者の精神を操る厄介な種族固有能力を持つ。また魔術の才能にも長けている。その危険性や過去に起きた事件から魔物認定されそうになったが、神はこの世に生きる種族として定めたので、無理を押し通すことはできなかった。現在、国の重鎮から彼女らとの接触は禁止されている法まで制定された(ただし、これは王侯貴族とその関係者のみ適応)。そのことは一般人にも広がっており、血を吸う種族であるヴァンパイア同様厳しい迫害を受けている。
そんな異世界事情を全く知らない来訪者の青年のことを察した店主はシンクローの要望からサキュバスである彼女を相談もなく除外した。下手に興味を持たれては危険だと判断した店主の気遣いから来るものだった。だが、その店側の事情を自身の部下に伝えていなかった。その結果が部下は青年を地下に連れていき、シンクローは殴られていらない気付けを頂いた。すべてはシンクローの異世界常識の欠如と奴隷商側のホウレンソウを怠った運の悪い始末だった。
ちなみに涙目なのは殴られたショックでもなければ責任感に駆られたからでもない。一般に出回っている気付け用の果物を食べたせいだ。一見小さな桃に似ているが皮を剥いた瞬間から発せられる強烈な臭いと不味い成分しか入ってないとしか考えられない程の独特な味。咀嚼してもなお胃の奥から来るガスは舌と鼻をしばらく麻痺させる。
臭い吐息が充満する部屋の中で改めて商談に戻り、提携している奴隷商から仕入れる購入の際は割引くなど賠償内容を提示されるなか、シンクローの思考は別のところにいた。
果たして自分は魅了されたのだろうか?
魅了状態にさせられた相手は理性の殆どを溶かされて発情する。そして強引にでも事に及ぼうとする。それは重度の飢餓状態から腹と喉を満たそうとする、もはや獣のあり様。サキュバスを前にして人間を保っていることは難しい。
サキュバスを扱う店は気付けなど予防策をとることが絶対となっている。この店では腰にロープを巻くことがその一つだ。それでも魅了にかかる人はいる。大抵の場合、自分は正気であると声を荒げるが、男性の場合は身体的な事情から容易に判別できる。股間に集まった血液は海綿体を溜まり太く長く硬くさせる。勃起はそう簡単には収まらないのだ。
シンクローの息子を見ればいたって普通だ。つまり魅了には掛かっていないことを表していた。
「俺、どうやら魅了に掛かっていないようですが」
「なんと!?」
「まさか!?」
おっさん二人が青年の股間を凝視する。
観察を終えた二人は小さく頷きあう。
「お客様、我々といたしましてもお客様のご要望に応えるべく手を尽くすつもりですが、アルフ語を翻訳できる奴隷は前も申しましたがそう簡単には見つかりません。そこで先ほどの彼女にも一度お会いしてみませんか?」
「黒隷ならば比較的安価ですので、例え不要と判断され売却されたとしても金銭的にも痛手は負いません」
「「いかがでしょう!!」」
「……こいつら」
サキュバスの危険性を知って知らせて、それでも売らせようとするなんて商魂たくましいのだろうか。不良在庫を無くすチャンスを決して手放したくない。その様子は分かっていても逆に清々しいものがあった。
目をキラキラさせる気持ち悪い奴隷商おっさんズの熱意に押されて、シンクローは白旗を上げた。
◆
またも地下室。サキュバスちゃんの部屋の前。
またしても腰ロープのシンクローが立っていた。
「やあ、さっきぶり」
「……………」
静寂が後に続くがそれは仕方がないこと。
決して年下相手の切り出し方がうまくなかったというわけではないと信じたい。
「とりあえず口のそれ、外すから」
少女がビクリと身体を強張らせた。
少女は顔全体をマスクで覆われていた。これでは見ることも話すことも叶わない。
これも店のサキュバス予防策なのだが、話さなければ素性が知れないと特別に外す許可ももらったのだ。
晒した素顔は鼻から下だが予想以上に酷かった。唇は荒れて、頬がこけている。最低限の食事しか与えていないという言葉が如実に表れていた。
「俺はシンクロー。今は……無職だ。アルフ語しか話せないからそのつもりで。で、君の名は?」
自分で語らなければならない無職の重み。地味に痛い。
「……………………」
「え、なんて?」
口を小さく動かすが声が出ていない。
口元まで耳を近づける。
「……ロゼ、です……」
「――ッ!?」
その声は頼りなく小さい。小柄から来るものなのか幼い子供ように少し甲高い。
それでも耳朶を打ち耳管を通り鼓膜を震わせ脳に伝わり脊髄を撫でた。音波が言語だけではなく快楽物質にまで変換した。
突然感じた耳の幸せに動揺して反射的に距離を取った。異変を感じたのかロープが引かれる感覚があったが、無事であるアピールをするため片手を上げる。
それと驚いたのはシンクローだけではなかった。
「あ、ごめん!」
「………………え?………あ、こちらこそ不愉快と思わせてしまって、ごめんなさいです……」
「不愉快だなんて思ってないよ。むしろ素敵な声だよ」
「……………………ひゃ……………」
変な声とともに頬を紅潮させた。
シンクロー自身女性相手に普段であれば言わないような恥ずかしいセリフを送ったが、羞恥心を脳内麻薬が麻痺させていた。それほどまでに彼女の声に囚われてしまったのだ。
美声はこの世に数あれど、青年が求めるものはたった一つ――ジャンルはひとつに偏っていた。
現実では聞き慣れていても、面と対して聞くことは叶わないとされている。
リアルであれば浮いてしまい違和感しかないが、聞いてしまえば強く印象が残り、その魔声は多くのオタクたちを虜にした。
そう、ロゼはアニメ声だった!アニメ声だったのだ!重要だから二度いった。
声だけで幸福的弱点を突いてくるとは、サキュバス恐るべし。
「(……やばい、魅了に掛かったかも)」
でも心配にならない。耳が幸せだから。相手が目隠しされていることいいことに顔が緩む。
「それでね、アルフ語は話せるよね。文字は書ける?」
「……はい、書けるです……」
「翻訳もしてほしいけど、他の言語はいける?」
「……公用語になっている言語なら……」
「よしよし。じゃあ最後に、俺は冒険者に就職する予定だけど、怖いか?」
これは先ほどの白隷の反応からした質問だ。白隷と違って購入されることを拒否することはできない黒隷だ。シンクローは技術面より感情面を優先して「怖いか」と問うた。
龍と対峙して分かったことだが、恐怖で硬直してしまうことが一番危険だ。一つの行動すべてが死に繋がっていた。死のルートを避けたり逃げたりするにはやはり行動しかない。怖くても這いずくばってでも動き続けることが、死を避ける確実で近道だと実感していた。
「……怖いです。でも、お役に立てると思うです……」
長い沈黙の後、小さくても弱くない返事が返ってきた。
決して返答を急かしていないので、ちゃんと考えたと思う。
「分かった。ありがとう、助かるよ」
「……………はい…………ひゃ!」
「ああ、ごめん。無性に撫でたくなって」
つい小型犬の幻想が見えてしまったのでわしゃわしゃと頭を撫でてしまったが、立派なセクハラである。シンクロー、反省。
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「彼女を、ロゼを購入します」
「「ありがとうございます!」」
深々と二つの頭を下げられた。
購入手続きは滞りなく進む。
通常の黒隷の定価よりかなり安い金額が提示されていたシンクローはこれを金貨一括即金で支払う。店側の早く売りたいという気持ちと、先ほどの賠償サービスが効いているようだ。
今回はサキュバスだけあって、気付け薬の常時所持と人前では姿を極力晒さないなど、人前や街中での注意事項を伝えられた。気付け薬や身を隠すマントもシンクローの手元にないので金貨一枚を渡し下男風の男に買いに行かせた。釣りは取っておけと伝えたら、下男風の男は喜んで出ていった。
奴隷商の主から黒い首輪と指輪が渡された。これは奴隷と主人が身に着けるものだ。白隷なら白色で黒隷なら黒色。黒隷の場合、嵌めたら一生を主人に捧げなければならない。
そして指輪は主人である証であり、それ自体が魔具と呼ばれる魔法のアイテムだそうで指輪を意識して命じると黒隷は逆らえない。そしてこれは鞭の役目も持っており主人が念じたり黒隷が逆らえば痛みが襲う。この指輪と首輪がワンセットになって黒隷の身分証代わりになっている。
それを手にロゼの下へ向かう。
………本来なら商人側が主人の下へ連れてくるのだが、それすら嫌ったようだ。そしてそれことをシンクローは知らないし、知らせてない。常識の欠落をうまく利用された形だ。
「おまたせ。それじゃ行こうか」
「……はい……」
顎を上げたロゼの細い首に黒い首輪が嵌まる。
それをしたシンクローの左手中指には黒い指輪が嵌められていた。
下男風の男が買ってきたフード付きマントと木製のサンダルをシンクロー自らロゼに身につけた。
目隠しはまだ取っていない。店を出てからと奴隷商に頼まれたからだ。
振るえるロゼの手を引いてシンクローは進む。
それを奴隷商たちは未だ信じられないような目で店を出るまで見続けた。




