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不運な女と公爵の走狗 

作者: 海老茶

なだらかな話です。


不幸の手紙を受け取って、リタは脱力した。



そしてそのまま手紙を燃やしてしまう。主のその行為に、侍女のエーファはため息をついた。


「…駄目でしたか…」

「ええ。17歳の伯爵令嬢がお相手なのだそうですよ。これで四敗ですね」


リタはベルベット生地の肘掛け椅子にもたれ、苦笑する。



リタは父母が早世したため、16歳で伯爵を継承した。領地を切り盛りしながら、婿に来てくれる結婚相手を探すこと、4年。ーー未だ、相手は見つからない。


16歳の頃は、二人の素敵な男性に申し込まれた。悩んだ末に男爵家次男の方を選んだら、婚約中に不慮の事故で亡くなった。


17歳の時には、親戚の薦めにより伯爵家三男とお見合いした。このまま何事も無ければ結婚を…と思った矢先に、彼は侍女と駆け落ちした。


18歳になると、もう周辺の手頃な相手でいいや、と幼なじみの子爵令息に打診したら、すでに男爵家のご令嬢に婚約を申し入れたそうだ。……数年前にはリタが好きだと言っていたのに。


そして、つい先ほどの不幸の手紙。15歳年上の伯爵に後妻の申し入れをしたが、相手はすでに17歳の子爵令嬢に婚姻を申し入れたとのこと。



エーファが寝支度をしながら悲しげに言う。


「ご主人様、呪われておりますわね」

「…もう否定出来ません…」


リタの所有する領地は大きな街道が三本も交わる交通の要衝地で、さらに広大な金山と鉱山を所有している。商業地区として発展した、極めて重要な領地だった。


当然、リタは金持ちだ。リタの座っている肘掛け椅子は大変な高級品で、素晴らしい肌触りのベルベット生地、真鍮で作られた骨組み、フェザーをふんだんに入れた座り心地抜群のクッション。これ一品で平民の1年分の給料がつぎ込まれている。


ーーなのに、なぜ誰も結婚してくれないのでしょう?!


リタは悲しくなる。そしてうんざりした。


「…もう結婚は諦めます…」

「…それも良いかもしれません。今のままでも領地は安泰ですし」

「そうですね。私の死後は、親戚の誰かが切り盛りするでしょうから」


あら?そう考えると、無理に結婚する必要などありませんね、とリタの心が軽くなる。少し気分が浮上したリタは、ワインを持ってくるようお願いして、寝酒を楽しみながら眠るのだった。




◦◦‥••‥••‥••‥••‥◦◦




あの不幸の手紙がすっかり頭から抜けきった頃、リタにまたしても結婚を申し入れる手紙が届く。


「…もううんざりなのですが」

「今度はどなただったのですか?」


アフタヌーンティーを用意しながら、エーファは尋ねる。リタは深く深くため息をついて、ゆっくり答えた。


「………リーフェンシュタール公爵閣下からです………」

「ひえっ!王弟殿下っ!!」


え?何でそんな大物が?!しかも、今頃?!とリタもエーファもただただ不審に思う。


リタはまだ20歳だが、女性としては結婚適齢期ギリギリである。どちらかというと、ギリギリアウトに近い。15、6歳でデビューし、結婚相手を探すのが通常であるから、20歳まで独身であるのは…あまり世間体としてはよろしくない。


だが、リタはもう結婚を諦めたのだ。いまさら婚姻話を持ち込まれても迷惑なだけだった。


「そうは言っても、公爵閣下からですよ?お断り出来るはずのものではありませんよ」

「……けれどね、エーファ。またしても二択(・・・・・・・)なのよ」

「どういう意味ですか?」


もう説明が面倒になったリタは、手紙をそのままエーファに差し出した。エーファはそっと受け取って、手紙を読み始める。


「『アイヒベルガー伯爵におかれましては、私めの愚息を婿にもらって頂きたく、伏してお願い申し上げます。双子のどちらでも構いません。お気に召しましたら、双子の両方とも娶って頂いても構いません』……なんですか?これは」

「そうですよね。“娶って”なんて、男性に使う言葉ではありませんよね」

「…ご主人様、そこではありません。ご自分で仰ったではありませんか。“二択”だと。ーーこれ、三択ではありませんか」

「正確に言うと、四択です」


は?と怪訝そうに主を見つめるエーファ。


「双子1と結婚、双子2と結婚、双子両方と結婚、両方とも結婚しない。……ね?四択です」

「現実逃避してはいけません、ご主人様。結婚しないの選択肢は、今回ばかりは無理でございます」

「でもねぇ、エーファ。どうしたって裏がありますよ、この結婚」

「……それも込みで、お断り出来ません」


主従は見つめ合って深くため息をついた。裏があることは分かっている。先方とてそれを隠そうとしていない。なにせ、結婚の希望は双子(とうにん)ではなく、公爵閣下なのだ。


ーー金か?鉱山か?


あるいは両方か。いやいやすべてか。だが、なぜいまさら?伯爵を継承してすぐの小娘なら、もっと手駒にし易かったろうに。


「…もしかすると、双子に問題があるのでは?」

「なるほど。確かに…双子の存在はあまり公になっていませんね」


夜会では一度も見かけたことがない。釣書には18歳とあるから、少なくとも2年ほど前から公に現れてもいいはずだ。秘蔵っ子か?それとも、隠し子か。


「調査してみます」

「お願いね、エーファ。早めに頼みます」


「お任せを」と言って、エーファは早速動いた。リタは紅茶を飲みながら、この結婚について考える。


ーーエーファの言うとおり、断ることは出来ないわ…。


断れるほど、こちらに力もコネもない。公爵に潰されて終わりだ。受けるしかないのは分かっている。あとは、双子のどちらと結婚するか、だ。


ーー両方、というのはさすがにあり得ませんね。


でもなぜ公爵閣下は『両方でも構いません』という提案をしたのだろう?双子は互いに離れがたいほど仲が良いのだろうか。


何にせよ、調査を待とう。



ーーそれが、ただの先延ばしであることは、リタにも重々分かっていた。




◦◦‥••‥••‥••‥••‥◦◦




太陽が眩しい雲一つない晴天のある日、双子は突然訪れた。



一応先触れはあったのだが、こちらの了解もとらず、しかも訪問当日である。こちらが知った数時間後に、双子はやって来た。ーーなんと傍若無人なのだ…。



「初めまして、アイヒベルガー伯爵。私はヨルク・フォン・リーフェンシュタールです」

「アヒム・フォン・リーフェンシュタールです」

「ようこそ、両閣下。主のリタでございます」


リタは両手の甲に双子からキスを受ける。双子は一卵性で、とても美貌の青年だった。ーーまあ、報告書通りなら、どんなに美形でもご令嬢方から倦厭される理由が分かる。


リタは応接室に双子を案内する。双子は何が楽しいのか、ニコニコ機嫌良くリタの後ろを歩いていた。


ーー双子に気に入られたのだ


などという自惚(うぬぼ)れはない。むしろ笑顔で背後から刺されそうである。だが、リタは不思議と恐怖を感じない。双子を嫌悪する気持ちも湧かない。ーー彼らがやっていることは、大層極悪ではあるが。


応接室のふわふわソファの感触を楽しみながら、双子が話し掛ける。


「釣書よりも、リタ嬢は素敵ですね」

「ありがとうございます」

「ふふ。私たちをよぉくご存知のようですね」

「そうでもありませんよ」


リタは肩をすくめてはぐらかした。どうせバレている。嘘をついたり隠したりはしないが、こちらの失態から刺されるのは勘弁である。


「リタ嬢はこの婚姻を断らないと思いますが、私たちのどちらを選びますか?」

「そうですね…。即答は出来ません」

「悩むなら、いっそ私たち両方とも婿に迎えませんか?」


双子がキラキラした瞳で、リタに問いかける。ーーなぜ本人たちから両方を薦められるのだろうか。リタはくらりとする。


「り、両方とは…贅沢すぎますわ」

「ふふ。これだけ裕福なのですから、私たちを囲うのは容易なことでしょう」


……実情そうだとしても、オブラートに包みましょう。私たちは大人です。


「リタ嬢。隣に行ってもいいかな?」

「えっ…?」


リタが首を傾げると、いつの間にか双子がリタの両脇に移動している。ーー瞬間移動か!?


「玄関ホールで目が合ってから、ずっと不思議だったのです。貴女はなぜ私たちを怖れないのです?」

「私たちを見分けてもいるよね?スゴいなぁ」


双子は機嫌良く私の手を握る。両手を双子に取られると、お茶も飲めないことに気付いた。


「そうですね。理由はありませんが、お二人が怖いとは全く思いません。それに…よく似てはいますが、それでもお二人は別人ですから。見分けるというよりは、個人を特定しているに過ぎません」

「それがスゴいんだよ、リタ嬢。ちなみに、私はどっち?」

「ヨルク卿です」

「正解!」


そう言って、ヨルクはリタに抱きつく。無邪気な若者だが、図体はそれなりに大きいことを自覚して欲しい。ーーつまり、離してくれ。


「ねえ、リタ嬢。私たちは貴女がとても気に入ったのです。どうか、私たちを囲ってくれませんか…?」


今度はアヒムがリタの耳元でささやく。低めのテノールは、中々腰にクる響きだ。


「そのお答えは、もう少し時間をください」

「でも、一緒に居なきゃ、お互いが分からないよね。結論が出るまで、ここで暮らしてもいい?」

「……それは、もはや事実婚では……?」

「おや、リタ嬢はやはり賢い」


双子が黒い笑いを放つ。そして二人から抱きつかれ、リタは身動きすら取れない。



ーー結局、婚姻を申し込まれた時点で私の未来は確定していたのだ、とリタは大きな大きなため息をついた。




◦◦‥••‥••‥••‥••‥◦◦




リタは双子の滞在を許可した。こっそり公爵閣下に双子の扱いについて打診したが、『ヨルク及びアヒムの扱いについては、アイヒベルガー伯爵のよろしいように。我が家ではすでに婿入りしたと考え…』云々。

要するに、「双子はそちらのものですので、返品不可」ということだ。……報告書通りである。



滞在が決まると、双子は遠慮なく屋敷中を探索し始めた。家宰や女官長など、報告書を知る使用人は双子の行動を警戒する。私は苦笑いをして、双子の行動を妨げないよう指示した。




「リタはここで生まれたの?」

「ええ、そうですよ」

「この屋敷はリタのように優しい雰囲気ですね。落ち着きます」

「そう、良かったです」


午後の麗らかな日差しの中、私たちはバルコニーでのんびり過ごした。双子は私の膝枕が気に入ったようで、上手に半分こして寝転がる。


「夜は、満天の星空ですよ」

「へえ!スゴいなぁ。王都は空気が濁ってるからね。星空なんて夢で見るだけだよ」

「リタ。夜空を一緒に見ませんか?」

「良いですね。お二人はお酒が飲めますか?」


ニッコリ笑ってそう聞くと、異口同音で「大好きだ!」との返事。嬉しいですね、イケる口とは。



その夜、秘蔵の50年もののワインを片手に、私たちは夜空を見上げる。双子は感嘆のため息をはいて、ただただ星空を眺めていた。無言でも、全く不快では無い。私たちは生きてきた環境が全く違うのに、三人で居るとそれが当たり前であるかのような錯覚を受ける。とてもゆったりとした柔らかい空気が流れる。アヒムはそれを『凪』だと言って、それが私そのものだと微笑むのだった。


「はー、僕、こうして無警戒でゴロ寝して星空を堪能する日が来るなんて思ってもみなかったよ」

「ワインも美味しいですし。リタ、これは50年ものの逸品ですね」

「アヒム、正解です。二人が飲めると聞いて、嬉しくて。私もお酒が大好きなのですよ」


夜空を眺めてお酒を飲んで。眠くなったら寝台に潜る。三人で寝ると割とギリギリな、私の寝台だ。ヨルクに落ちないように注意すると、「寝相が悪いのは、僕じゃなくてアヒムのほうだよ」とケタケタ笑う。そうなの?とアヒムに聞くと、アヒムは顔を少し赤らめて頷いた。


本来なら二人にも客室を用意したのだが、夜は絶対に一緒に寝たいと言い張るのだ。ーーいや、それはマズイでしょう。まだ結婚前なのだから、と説明すると、二人はヘンなことはしないから。ただ共に居たいんだと全く折れてくれない。仕方ないので試しに三人で寝台に入ると、他愛のない話をしながら眠りにつく。案外楽しいので、それが習慣になった。




斯様に私たちはのんびりした日々を過ごす。



昼まで政務、午後は双子と領地の勉強か昼寝か余暇か。時々領地を双子に案内すると、「リタの領民はみんな笑顔だね」と褒めてくれた。ーーそのために、頑張ってきましたから。でも、分かってもらえるととても嬉しいものですね。



双子は時々“仕事”に向かう。始めの頃は二人で不在になったが、だんだん一人ずつ“仕事”に向かうようになり、“仕事”に向かう回数も減っていく。それが良いのかどうか、私には分からなかった。だから、二人を見送るときは「気を付けて」と声をかけ、戻ってきたときは「お帰りなさい」と微笑むようにした。



二人の帰る場所を作るために。




◦◦‥••‥••‥••‥••‥◦◦




リーフェンシュタール公爵との数度のやりとりにより、双子はそのままアイヒベルガー伯爵に婿入りした。リタは双子のどちらを選ぶことはなく、双子両方を引き取った。ーー多分、押し付けられた。



公爵は双子の存在を一切公表していないため、公爵家から伯爵家へ格下の家柄に嫁いだ、などという噂は立たなかった。まして、嫁き遅れに近いリタのことなど、たいして注目されることもない。だから、本当に密やかな婚姻だった。



公爵から『結婚式は行わないので、そちらの良きように』と申し送りがあるので、リタは多少安堵したが、エーファなどは憤慨している。「こちらが何も言えないことを逆手取って、やりたい放題ですわ!」と憤る。ーーまあ、それは全くの事実なのだろうけれど。



私は公爵の意図よりも、双子の気持ちが心配だった。捨てるように押し付けられた婚姻なのは、むしろ双子の方だ。私よりも二つ年下で、公爵家の出自で、素晴らしい美貌の持ち主の双子は、結婚相手など引く手あまたな立場だろうに…。



「結婚式?別にどうでもいいよ」

「そうそう。僕らはリタの傍に居られればそれでいいですよ」


とりあえず双子に結婚式の意向を聞くと、そう答えられた。確かにこだわりは無さそうだけれど、でも…。


「私は、伯爵領で貴方たちを披露したいです」

「え、なぜ?」

領主わたしの自慢の旦那様ですもの。領民に見せびらかしたいですわ」

「リタって、そういう性格?」


双子はそろってケタケタ笑い出した。本気で嫌なら、リタも結婚式やお披露目などやるつもりはないが…。


ーー彼らはいつまでも日陰の身だ。


伯爵家では、女主人の伴侶として堂々として欲しい。時には代理を務めて欲しいし、なんなら伯爵の地位を譲ってもいい。


ーーほだされたものですね。


たった1ヶ月ともに暮らしただけで、リタはすっかり双子に情が移る。無邪気で闊達で影のある彼らは、愛情を知らない子どもだった。伯爵家(ここ)では自由にのびのび穏やかに過ごせるよう、リタは心を尽くしている。



「リタが望むなら」

「花嫁衣装も見たいしね」


と双子が了承したことで、簡素で質素だが、領内で結婚式を行い披露することが決まった。





結婚式の準備を進めるアイヒベルガー伯爵らは大層忙しいーーわけではなかった。双子など、“仕事”に出掛けている。リタとて婚姻の調印はすでに済んでいるから、結婚式はただ大きな教会で指輪を交換して、馬車に乗って領内を1周するだけだ、と軽くみている。



そこへ、人払いをしてエーファが執務室に入ってきた。いやに真剣な面持ちである。



「ご主人様。人払いをしましたので、いまから本心でお話し下さいませ」

「エーファ?どうしたの?」

「…双子の旦那様のことでございます」


エーファは報告書に目を通してから、ずっと双子を監視している。無理もない。彼らは、リーフェンシュタール公爵閣下の『暗躍部隊(そうく)』なのだから。


「この婚姻は、公爵閣下の罠です」

「きっとそうでしょうね」


リタはのんびり相槌をうつ。


「双子の旦那様は、ご主人様を殺してこの伯爵家を乗っ取るつもりです」

「そうかもしれませんね」

「ご主人様!悠長なことを言っている場合ではありません!このままでは…このままでは、ご主人様の身が危ないのですよ!」

「うーん…」


エーファは古参の侍女で、リタが物心ついたときから親子で伯爵家に仕えていた。エーファの父親は家宰だし、母親は女官長だし、エーファは私専属の侍女だ。主従というよりは、もはや家族である。だから、そう心配するのはもっともなのだが。


「エーファ。私はね、あの双子が大好きなんです」

「…え…?」

「彼らが欲するのなら、伯爵の地位くらい喜んであげますよ。私を刺して幸せになれるなら、喜んで命もあげたいのです」

「ご、ご主人様…っ!」


エーファはポロポロ泣き出した。ああ、泣かないで。私はそういった他者の弱さに絆されてしまうのです。


「双子は、もう日の光を浴びて歩くべきなのですよ。日陰の身でいる必要はないの。私は、彼らが穏やかに過ごせるよう、心を尽くすつもりです。ーーですから、エーファ」


語尾が強まるリタに、エーファはハッと顔を上げて背筋を伸ばす。


「これ以上、双子を疑ってはいけません。私に仕えるように、旦那様たちにも仕えてください。よろしいですね?」

「……………かしこまりました」


ありがとうと言って、リタはエーファを退室させた。



エーファの危惧することなど、リタはとうに分かっていた。それでも、双子の深淵を覗くような深い哀しみの籠もる瞳を見ると、リタはどうしても彼らを抱きしめたくなる。彼らに殺されることはあっても、彼らを殺すことは、リタには決して出来なかった。






結婚式と披露を終えて、私は湯浴みに向かう。案外婚礼の衣装は重くてズルズルしていて面倒くさい。人を気だるくさせるものだった。結婚式に夢見ていた頃が懐かしい。



エーファに身体を洗われながら、リタは左手の中指にはめた二つの指輪を眺める。一つはエメラルド、もう一つはペリドット。双子の瞳の色の石が埋められていた。双子の中指には、ブルーサファイアの石が埋められた指輪があるだろう。



のんびりした心地で湯浴みを終えると、なんだか生地の薄い夜着を着せられた。


「エーファ?この夜着ではまだ寒いですよ」

「何言っているのですか、ご主人様。今日は初夜ですよ!」

「しょ、初夜…」


この1ヶ月、共寝していても貞操の危険を一切感じなかったものだから、リタは初夜のことは意識の外であった。


ーーするのかしら?


むしろ、双子との閨が想像出来ない。きっと、いつもの通り頬にキスをして、手を繋いで眠るのだろう。


「寒いから、普通の夜着でいいわ」

「ダ・メ・で・す!…あの方たちを伴侶と定めたのなら、夜伽は義務ですよ」

「ぎ、義務…」


旦那様を喜ばせるのも、妻の務めです!とヒラヒラした丈の短い、生地の薄い夜着を断固として着させられ、ガウンを羽織ってリタは渋々寝室に向かうのだった。




双子は寝台で寛いでいた。


滞在して始めの頃は、三人だとギリギリーー一度アヒムが落ちたーーの寝台だったから、もっと大きい寝台に変えた。今では三人でもゆったりと眠れるほど、広い寝台。


エーファに妙なことを言われて、リタの胸がゾワゾワする。だが、寝台でのんびりしている双子に淫靡な雰囲気はなく、リタはホッと肩をなで下ろして二人に近付いた。


「お帰り、リタ」

「ん、良い匂いしますね」


双子はリタを寝台に上がらせて、髪や頬を優しく撫でる。いつもの通りの二人に安心して、リタはホニャッと笑った。


「…リタ?今日は初夜だよ?何でリラックスしているの?」

「……え?」

「ふふ。僕たちがリタに何もしないと思う?ーー今日の夜を心待ちにしていましたのに?」

「………………え?」


リタは左右から抱きしめられた。双子の手が不埒に動く。急に醸し出した淫靡な雰囲気に、リタはひたすら戸惑った。



そしてそのまま、双子に美味しく頂かれたのである。




◦◦‥••‥••‥••‥••‥◦◦




初夜は、めくるめくひと夜であった。二人に大いに愛されて、リタは足腰が立たない。

そんなリタを猫可愛がりしながら、双子は甲斐甲斐しく世話を焼く。


「はい、リタ、あーん」

「こちらもどうぞ」


ヨルクとアヒムは大層ご機嫌であった。表情筋は崩れ、笑顔がこぼれ落ちる。幸せそうな彼らを見て、リタは安堵した。


「たくさん食べてね。今夜のために」

「リタは細すぎます。体力をつけてくださいね、今後のために」


愛情たっぷりに夜を匂わせることを話されると、リタは反応に困る。結局、顔を真っ赤にさせて、黙々食事をとったのであった。






さて、このように夫婦仲は日に日に甘くなっていく。幸せそうなご主人様に、使用人たちも双子への警戒を解かざるを得ない。使用人たちの目には、三人は互いを支え合っている関係のように見える。暗躍部隊として冥い道を歩いてきた双子が歪んでいるのはともかく、ご主人様も伯爵位を継いでから、張り詰めた糸の上を緊張しながら歩いていた。そんな彼女は、双子の前だと身体を解して屈託なく笑う。



ーー何事も無いといい。それが、使用人たちの願いだった。




だが、物事はそんなに都合よく回らない。




ある日、リタとその旦那様たちは領地の巡回と侯爵との取引のために外出しようとしたときだった。


伯爵邸の門扉に、犬の死骸が吊り下がっている。護衛隊が慌てて犬の死骸の処理に走った。


「これは…」

「…うん」


リタは単純な嫌がらせかと思っていたが、双子の反応を見るに、彼らに関わる案件のようである。双子はリタの手を握り、真剣な面持ちで言った。


「リタ、今日の外出は中止にしましょう」

「巡回は中止でいいです。けれど、侯爵閣下との取引は無理ですよ」

「リタ、僕たちが行くから」

「…済みません、ヨルク、アヒム。この約束だけは…破れません」


リタは首を振って、双子の申し出を却下する。ヨルクとアヒムはため息をついて、折れた。



リタは二人に何も聞かない。聞くのが怖いのかもしれない。だが、話せることは話してくれるのだから、リタはいつだってただ双子の話を待つ。


侯爵閣下との取引は順調に進んで、1時間ほどの話し合いで合意に至った。侯爵は王都の新進気鋭のデザイナーを呼んで、ブティックを開きたいそうだ。さすがに侯爵はお金をケチったりしなかった。大通りの一等地を、一番高い価格で買い上げた。


気分良く帰ろうとすると、突然馬車が燃え上がった。ーー放火?なぜ、私の馬車に…?


その答えは、双子が持っていた。ヨルクがリタをかばい、アヒムは馬車に近付いて火を消し、火元や原因を調べる。


「警告だね」

「いつもの手口ですね」


もう大丈夫です。帰りましょうリタ、と彼女の腰をとり、馬車を手配する。リタは双子に問うこと無く、言われるがまま帰宅の途についた。





その日から、双子は時々“仕事”に行くようになった。リタは相変わらず「気をつけて」と見送って、「お帰りなさい」と笑顔で出迎える。



リタは双子が自分のために動いていることを感じた。無理をしないといい、と心配になる。公爵から逃れられるのなら、もっと早くに逃げ出したはずである。


リタは、己の存在が双子の重荷にならなければ良いと願わずにはいられなかった。




だが、リタの嫌な予感が当たる。



「リタっ!」



ヨルクとアヒムが息を切らして寝室に駆け込んできた。二人が“仕事”に行っていた間に、リタは何者かに怪我をさせられた。


寝台の脇にひざまずいて、ヨルクとアヒムはリタを見上げる。


「大丈夫ですよ、二人とも。腕に刺さっただけです」

「でも…熱があるよ」

「すぐに下がります。心配しないで」

「リタ…」


リタは双子の頭をゆっくり撫ぜながら、怪我の経緯を話した。


リタはテラスでアフタヌーンティーを楽しんでいた。すると、突然何かが飛んできたと思った時には、左腕に矢が刺さっていた。真正面から飛んできた様子なのに、テラスの正面には人影どころか木々の1本も無い。誰が、どこから狙って矢を放ったのか。それすら全く分からないの、とリタは苦笑する。


双子は歯ぎしりした。ーー彼らには、犯人が誰か、狙いが何か。全て分かっている。


「…ここまでだね」

「全く、リタに怪我をさせるなんて、命知らずですね」


双子はそう呟いて、リタの手にキスをする。


「リタ、僕たちは、貴女の夫君ですよね?」

「リタ、僕たちは、伯爵邸の人間だよね?」

「ふふ、もちろんです。私の大好きな旦那様たちで、伯爵家の主ですよ」


即答。



ーーリタ、貴女を愛してる。



「じゃ、ちょっと“仕事”に行ってくるね」

「これが最後です。終わったら、ずっと一緒です」

「はい。いってらっしゃい、二人とも。どうか気をつけて」


リタが笑顔で見送ると、双子は風のように疾走して消えた。






双子が戻ってきたのは、明け方だったらしい。リタはくうくう寝入っていて、朝目覚めたら双子が両脇で眠っていた。


リタはそっと寝台を抜け出して食堂に向かうと、家宰から新聞を受け取った。紅茶を飲みながら新聞を読み始めると、3面記事に大きく掲載されている内容に、リタは息をはいた。



『リーフェンシュタール公爵、心臓発作で昨夜死亡』



そして双子は自由を手に入れた、とリタは思った。




昼過ぎに起きてきた双子は、新聞を読んでも眉一つ動かさない。「あっそう」という表情だった。


双子は公爵から公表されていない子どもだから、財産分与も無い代わりに、財産争いに巻き込まれることもない。


そして葬儀すら参列したくないという双子に、リタは苦笑して言った。



最後のお仕事(・・・・・・)ですよ」

「…ははっ!」

「さすがリタ!」



リタは優しく微笑む。ヨルクとアヒムは、そんなリタを両脇から抱きしめて、目を閉じ幸せを噛みしめた。







アイヒベルガー伯爵には、愛する夫が二人いる。



仲が良い夫婦が得たもの。


それは


とりとめのない話と


柔らかな相づち


そんな


穏やかで温かい日常







◦◦‥••‥••‥••‥••‥◦◦





ヨルクとアヒムは、娼婦の子どもだった。



娼館の主から、お情けで食事を与えられなかったら、生まれてわずか数年で死んだだろう存在。



それでも栄養不足で痩せ細った双子は、5歳で母親に売られた。情夫ができた母親は、双子の父親ーーつまり、リーフェンシュタール公爵を脅して得た金で娼館を出た。もちろん、口封じのために母親は消されてしまったが。



リーフェンシュタール公爵は、たかが数度の娼館通いで出来た子どもの存在など、迷惑極まりなかった。ーーだが、珍しい緑色の瞳は、リーフェンシュタール公爵から受け継いだのに間違いない。



それなら、と殺すより活かす方をリーフェンシュタール公爵は選ぶ。双子を闇の存在に作り上げるのだ。陰謀、奸計、情報操作、裏工作、ハニートラップから暗殺まで。ただリーフェンシュタール公爵の言いなりになる手駒。



ーー双子は衣食住と引き換えに、リーフェンシュタール公爵の暗殺者(そうく)となった。






アヒムが自室で新聞を読んでいると、ヨルクが“仕事”から帰ってきた。その顔色は悪い。


「お帰り、ヨルク。失敗したのですか?」

「まさか。僕に誘惑されない女なんていないよ。情報はさっき公爵に渡した」

「でも、顔色が悪い」

「ターゲットのくそ女とベッドを共にしたんだぞ?もー気持ち悪くって!」

「くそ女って。美人だったじゃないですか」


けーっ!アヒムは分かってないな。化粧は不気味だしヘンな匂いはするしベッドはマグロだし!とヨルクが叫ぶ。


「次はアヒムだからな」

「はいはい」


アヒムは適当に相づちを打ちながら、新聞をめくる。3面の隅に、『アイヒベルガー女伯爵誕生!』という記事を見つけた。16歳で女伯爵か。アヒムの感想はそれだけだった。





18歳のある日、双子はそろって呼び出された。二人そろっての呼び出しは珍しい。双子は大きな“仕事”だとウンザリする。


「お前たちには、アイヒベルガー伯爵と結婚してもらう」

「…結婚?」


双子は耳を疑った。……結婚?戸籍があるかすら怪しい僕たちが?


「目的は……分かるな?」

「……僕たちが伯爵家の財産を受け継ぐこと」

「最終的には、私に(・・)


……相変わらず、リーフェンシュタール公爵は貪欲だった。王弟で公爵で、並ぶ者のない存在なのに。伯爵のもつ商業地区を根こそぎかっ攫いたいのか。ーーくだらない。


「婚姻の申し入れはすでに済んである。先方の返事がまだ来ないから、お前たちが直接行ってこい」

「僕たちのどちらが結婚するのですか?」

「伯爵には、両方でも構わないと伝えてある。好きにしろ。どうせ向こうは断れない」

「…そうですか」


リーフェンシュタール公爵から釣書をもらう。伯爵は20歳で四度の婚期を逃している。領地の統治は堅実かつ賢明で、収益は右肩上がりだった。


おまけに、穏やかで優しそうな美人。都会の化粧女とは一線を画する、素の姿が可憐な女性だ。ーー双子の好みである。


「婚姻を結んだら、いつ始末してもいい。タイミングは任せるが、早めにな」


次の“仕事”があるのだから、と公爵は言って双子を下がらせた。





とりあえず命じられた通りに伯爵邸へ向かうと、驚いたことに伯爵自ら笑顔で出迎えられた。使用人たちの警戒から、おそらく公爵の目的はバレている。


それなのに、伯爵の瞳には双子を怖れる色も侮蔑する色もない。ただ柔らかく優しく微笑むのだ。ーー双子の胸がキュンと跳ねる。


双子は伯爵の優しさにつけこんで、伯爵邸の滞在を約束させた。公爵の命令だからと、己に言い訳して。



だが、伯爵邸での生活はすこぶる快適で、心安らかな日々だった。それは、伯爵ーーリタが、双子に心を砕いて接しているからに他ならない。双子はリタの傍で眠れる自分たちに驚いた。リタには、警戒しなくていいんだ。力を抜いて甘えていいんだ。



双子はリタが大好きになった。ーーいや、もう釣書を見たときから惚れていたのかもしれない。



結婚したら、もう公爵家に帰らなくて済む。難癖つけて、“仕事”も減らしている。このままリタの傍で愛し愛されて、憧れた『幸せな生活』を営みたい。



そんな時、執務室で話すリタと侍女を立ち聞きした。



侍女は鬼気迫る声色で窘める。


「この婚姻は、公爵閣下の罠です」

「きっとそうでしょうね」


リタののんびりとした相づちを聞く。ーー知っていて、なぜそんなにのんびりしているのか。


「双子の旦那様は、ご主人様を殺してこの伯爵家を乗っ取るつもりです」

「そうかもしれませんね」

「ご主人様!悠長なことを言っている場合ではありません!このままでは…このままでは、ご主人様の身が危ないのですよ!」

「うーん…」


双子の身体が、恐怖で凍えた。ーー僕たちはリタを殺さない。だから…だから…僕たちを捨てないで…!


僕たちは懇願する。すると、いつものおっとりした優しい声が聞こえた。


「エーファ。私はね、あの双子が大好きなんです」

「…え…?」

「彼らが欲するのなら、伯爵の地位くらい喜んであげますよ。私を刺して幸せになれるなら、喜んで命もあげたいのです」

「ご、ご主人様…っ!」


ーーリタ…。


「双子は、もう日の光を浴びて歩くべきなのですよ。日陰の身でいる必要はないの。私は、彼らが穏やかに過ごせるよう、心を尽くすつもりです」


ーーああ…リタ!


双子の瞳から、涙が流れ出す。リタは、始めから何もかも分かっていて、双子の全てを受け入れた。そのことを知った双子は、もう己の感情を抑えられなかった。リタが好きで好きで大好きで、彼女に触れたくて堪らない。



早く結婚式になぁれ!と双子は月に祈るのだった。





さて無事結婚式を終え、素晴らしい初夜を過ごし、双子は人生の絶頂期を迎えていた。一日をただリタのためだけに過ごす毎日の、何と穏やかで凪いでいることか。双子は生まれて初めて『幸せ』を実感した。



だが、物事はそう都合よく回らない。



ある日、伯爵邸の門扉に犬の死骸が吊されていた。外出すると、馬車が放火される。ーーこれは、公爵の常套手段の『警告』。



双子がいつもの場所に行くと、別の『走狗』が公爵の意向を伝える。


「そろそろ伯爵を消しなさい、との仰せです」

「…あっそ」

「あと、これ“仕事”です」

「…そうですか」


そんな短いやりとりで、『走狗』は消えた。双子は不快感を拭えず、ぺっとツバを吐く。


「どうします?」

「リタに関しては、無視だね。一応、別の“仕事”はやっておくけど」

「もうった方が良いのでは?」

「そうだね。手薄な時を狙おう」


そして双子も帰路を急いだ。





双子はリタを守っているつもりだったが、実際はリタに守られているのかもしれない、と思ったのは、リタが襲撃された時だった。


リタの怪我は、双子のせいだ。リタはそれを承知の上でなお双子に微笑む。抱きしめて愛しいと言ってくれる。



抱きしめるその手の熱さに、双子は歯ぎしりした。愛しい人が傷つけられた。当然、許せないよね?


「…ここまでだね」

「全く、リタに怪我をさせるなんて、命知らずですね」


双子はそう呟いて、リタの手にキスをする。


「リタ、僕たちは、貴女の夫君ですよね?」

「リタ、僕たちは、伯爵邸の人間だよね?」

「ふふ、もちろんです。私の大好きな旦那様たちで、伯爵家の主ですよ」


即答。



ーーリタ、貴女を愛してる。



「じゃ、ちょっと“仕事”に行ってくるね」

「これが最後です。終わったら、ずっと一緒です」

「はい。いってらっしゃい、二人とも。どうか気をつけて」


リタはいつも通り笑顔で見送ってくれた。双子の帰るところは、ただ一つ。ーー双子は公爵邸に向けて疾走した。





公爵邸の大門から、双子は出入りしたことがない。いつものように裏口から入ると、公爵家の誰からも警戒されずに執務室へ向かう。


双子はノックもせずに執務室に入室した。


「“仕事”は終わったのか?」

「いいえ、公爵閣下。これからですよ」

「…うぐぅっ!」


双子は座ったままの公爵にサッと近づき、口を塞いで左腕にナイフを刺した。


「とりあえず、リタの分です」

「こんなもんじゃ、済まさないけどね~」


ヨルクの右手には、注射器が握られている。それを見た公爵の顔色が、見る見るうちに青くなっていった。


「ーーー!」

「公爵には退場してもらうね」

「僕たちはもう公爵家の走狗ではありません」

「リタの夫で、伯爵家の人間だ」

「そうです。ならば、切るのはどっちか自明の理…ですね」

「うんうん。そしたら僕たちは完全にリタのものになれるね」

「うーうーうー!」


公爵が口を塞がれながら唸る。じゃあね、と伝えてヨルクは注射を打った。そして堂々と裏口から出て行ったのだった。




さあ、帰ろう。



僕たちの家に。







END



お読み頂きまして、誠にありがとうございました。穏やかで優しい女性が書きたくて。多分…年齢制限は大丈夫かと…(涙)

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[良い点] これは男女の愛情、というより母性愛の大勝利? いや、あらゆるリタの愛が勝ったとみるべきでしょうか 序盤の結婚諦めてるところから、双子への慈しみと惚れ込んだのとが混ざったギャップが 彼女が短…
[一言] これはリタが「強い」女性だからこそかなぁ しかし何でこんな良い女が男に縁が無かったのか、領地も込みで極上物件だろうに
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