【追加エピソード】踏青(ピクニック)
ルベウス屋敷の朝。
朝食の席に母のアレクシアがいることにアウロラは少し驚いてしまった。
平時のアレクシアは王宮内の一角で生活しており、家族と食事を共にすることが稀だったので。
すでにオルキスやノヴァも朝食の席についており、遅れてダイニングルームにやってきたアウロラに気づくと父オルキスが声をかける。
「おはよう、アウロラ。今朝はアレクシアも一緒だよ」
「おはようございます。お父様、お母様」
慌ててアウロラは挨拶をした。
「おはようアウロラ。しばらく見ぬ間にわたくしの小鳥はまた愛らしくなったか」
瞳を細める母にアウロアは微笑む。
「背は少し伸びました。こちらに戻ってらしたのですね、お母様」
「夜半にな」
「お声をかけてくださればよかったのに」
「そなたの健やかな眠りを妨げるのは気が引ける」
アレクシアの言葉にアウロラは微苦笑しながら席につくと、傍に座るノヴァに顔を寄せる。
「おはようノヴァ。……お母様がいるとは思わなかったから、ゆっくり支度しすぎてしまったわ」
小声で話しかけると彼は笑う。
「朝が弱いのはいつものことじゃないか」
「まぁ、そんないじわるを言って。……間違いではないけど」
ノヴァの茶化すような口ぶりにアウロラは少し頬を膨らませた。
軽口を交わすふたりを微笑ましく眺め、アレクシアは口を開く。
「……小鳥たちは変わらず仲が良いようで何より。さて……家族が揃ったところで朝食にしようか」
主人の合図を待っていたように、使用人たちは動き出した。
斯くして、食後のお茶が注がれる間にオルキスが尋ねる。
「アレクシア、お茶を終えたらすぐに出かけるのかい?」
「あぁ。そのためにウィスに仕事を押し付けて帰ってきたのだからな」
内容の見えない会話にアウロラは首を捻った。
「お母様、この後お出かけなのですか?」
「うん。森に邪気穴が発生したようでな。邪気にあてられた獣共を鎮めつつ、穴を塞ぎに行く」
メイドが注いだ紅茶を口にしながらさらりとアレクシアは目的を述べた。
「邪気?!このお屋敷周辺の森でですか?!」
アウロラはびくりと肩を震わせた。
そんな物騒な響きのものが森に発生するとは今まで知らずにいたのだ。
ルベウスの屋敷の周辺は広大な森に囲まれており、野生動物の生態系も息づいている。ノヴァに付き合ってもらいながら、散歩がてら森を散策することも多いがその際には魔法獣の狼・ルシファーが先導する。草食動物を目にすることはあっても、獰猛な生物の方で魔法獣を避けているのか、遠巻きにも遭遇することはなかったのだが。
「そうだ。平時ならば近隣の集落にいる狩人たちに森の管理を半分任せているのだが……人間が迂闊に近づけぬ状態らしくてな」
「……不穏だね……」
不安げにオルキスはアレクシアを見やる。
その後、改めて語ったアレクシアの説明によると、ルベウスの屋敷は元々不安定な磁場の上に蓋をする形で建てられているのだという。強力な魔女が住うことで土地を安定させ、邪気から王都を守っているのだと。しかし時折、森の中に邪気が吹き溜まることがある。その邪気が森で暮らす動物に悪影響を及ぼすのだ。
「影響が広がる前に、発生源の邪気穴を潰しておかねばな」
「その件ですが。適当な者に任せ、あなた自ら出向く必要はないのではありませんか?」
サフィルスにはルベウスのために働く実働部隊、影の諜報機関がある。彼女は女王然と、ただ一言ウィスタリアに命じればいいのだ。「処せ」と。
含みを持たせたノヴァの言葉に、アレクシアは答える。
「ノヴァ、そなたの言いたいことはわかる。が、わたくしもたまには思う存分暴れた……いや、体を動かさねば勘が鈍……ではなく、我が庭でもある森の異変は主人たるわたくしが対処するのが妥当であろう?状態を把握もしておきたいしな」
「……はぁ」
今、暴れたいって言いかけたよな、あの人。
ほぼ隠せていない本音で建前が霞む。
一見華やかな宮廷も、中を覗けば権謀術数渦巻く伏魔殿。複雑に入り組んだ人間関係や政争、悪意等のしがらみを涼しい顔でかわしつつ、国王の相談相手をつとめる傍、山積する書類仕事に追われて身動きがとれないアレクシアが目に見えないフラストレーションをため込んでいたとしても不思議はないのだが。
そこで発言をしたくてウズウズしていたアウロラがさっと挙手する。
「お母様、わたしもそのお出かけにお供したいです!」
「アウロラ?!」
まさかの立候補にノヴァはぎょっと目を剥く。
「お出かけって、これは遊びじゃないんだぞ。何が起こるかもわからないのに」
「ええ、もちろん。でも、お母様のお仕事を間近で見られる機会なんてそう滅多にあるものではないのよ。ルベウスの跡取り娘として、今のうちに色々とお母様から学んでおくべきだと判断しました」
ふふんと得意げに鼻を鳴らしたアウロラにノヴァは呆れる。
物はいいようだが、学習より好奇心が勝っているのが丸見えだ。
「ふむ……その心意気や良し。そなたも本格的に魔法を学び始めたのだから、見識を広げるよい機会かもしれぬな。来年には魔法学校に籍を置くのであるし、経験は多い方がよかろう」
「お母様!」
「アークメイジ?!」
肯定的なアレクシアの表情を見て、ぱっと笑顔を浮かべるアウロラだったが、真逆にノヴァは険しく眉を寄せる。
「アウロラはまだ魔力が安定していません。連れていくのは危険すぎます」
強い口調でノヴァは訴える。
「だからといって、ただ過保護にしておればよいというものでもあるまい」
「それは、そうですが……」
「大丈夫よ、ノヴァ。お母様がついているのだもの」
安心させるようにアウロラは微笑むが、どうも納得できない。
アレクシアの能力を疑っているわけではないが、少々娘に対して無責任なのではないか。彼女に何かあってからでは遅いというのに。
不服そうなノヴァの表情を眺め、アレクシアは器用に眉を片方吊り上げる。
「……そんなに心配ならそなたも着いて来ればよかろう」
「行かないなんて言ってませんよ、一言も」
アウロラがいくのなら、自分も同行するに決まっている。彼女の意思が覆られないのであれば、当然のことだ。
「ふむ、決まりだな。ふたりとも、軽装で支度し直してまいれ」
「ノヴァも来てくれるのね!嬉しい!……ああ、そうだわ!フランツ」
後ろで控えているノヴァの家令を振り返る。
「お茶とお菓子の用意をお願い。お母様のお仕事が終わったら、みんなでお茶会にしましょう」
「かしこまりました、お嬢様」
黙礼したフランツに「よろしくね」と微笑む。
「森の茶会か。さすがは我が娘、気が利く」
楽し気なアウロラの提案にアレクシアは喜ぶ。
母が母なら、娘も娘。
危険に赴くという緊迫感に欠ける母娘のやりとりにノヴァは嘆息する。
「……まったく。踏青に行くわけじゃないんだぞ」
凶暴化した自然動物の制圧と、邪気の吹き溜りの浄化である。なぜこんなにウキウキしているのか(そんなに今まで退屈してたのか?)。
「?……とうせい?……あぁ、ピクニックのことね!ふふ、似たようなものでしょう?」
などと言いながらアウロラは可愛らしく微笑むのだ。
「……」
どこがだよ、と思いながらも彼女の笑顔にノヴァは弱い。
魔力が不安定な状態なのだから、できれば危険には近づいて欲しくはない。ないのだが。
……結局のところ、俺はアウロラに甘いんだ……。
アレクシアが決定した以上、口を出す立場にないオルキスは呑気な娘と気苦労の絶えない義息子を見比べ、苦笑いを浮かべるしかなかった。
アレクシアの装いに変化はなかったものの、アウロラとノヴァは飾り気のない軽装に着替えた。
庭から続く森の入り口でアレクシアはアウロラの希望通りに茶会のセットを持つ家令を一瞥する。
「フランツ、邪気穴の位置に目星はついているか?」
「はい。すでに調査済みでございます」
「よし、案内いたせ」
「イエス、マイロード」
恭しく礼をするフランツを見つめ、アウロラはときめく。
「素敵」
頬を染めて呟くアウロラに、ノヴァは思わず低い声が漏れる。
「は?……何が?」
まさか、実はフランツがアウロラの好みだったのか?
冷淡な印象はあるが、フランツは若く容姿も整っており、メイドたちの人気も高い……。もしそうであるのなら、ノヴァにとって家令は獅子身中の虫ではないか。
「わたしもお母様みたいに、マイロードって言われてみたいなと思って」
「……」
ああ、そっちか。
拍子抜けする返答に内心安堵しながらも、閉口した。
アレクシアと出かけることが嬉しいのか、アウロラはいつもより浮かれているようだ。
「お前だってそのうち言われるようになるさ。なぁ?“マイロード”」
再度茶化されて、アウロラはまたも軽く頬を膨らませた。
「あなた、今日はどうしてそんなに意地悪なのかしら」
「アウロラが浮き足立ってるから心配してるんだよ」
「……なら、素直にそう言って欲しいわ。拗ねてるの?」
「拗ねてない」
小さく息をついて、仕方がなく諭すように言い直す。
「森の中では自分を過信せず、常に周囲に気を配ること。獰猛な野生動物には自分から向かって行かない。何か違和感があればすぐに俺に言ってくれ。……これでいいか?」
「ええ、気をつけます。ありがとうノヴァ」
アウロラは微笑んで頷く。
「小鳥たちの戯れも済んだところで……」
アレクシアは自身の杖を取り出す。
「往くか。通りすがりの害なき動物は無視せよ。向かって来る獣だけわたくしが対処する。ふたりとも、逸れるでないぞ」
アレクシアはフランツを促すと森へと駆け出した。強い踏み込みから、飛ぶような一歩をもって。
すると家令とアレクシアは瞬く間に小さくなる。
呆気にとられるアウロラの手を引き、ノヴァもすぐさま後を追う。
「行くぞ、置いて行かれる」
「え、は、走るの?!」
半分引きずられるようにして問いかける。
てっきりハイキングのように隊列を作って歩いていくものだとばかり思っていたのだが。
「歩いてる時間が惜しいんだろ。自分で足を動かせ、アウロラ。探知は出来るだろ?」
それにしても。俺がいるからって平然とアウロラを置いて行ったな、あの人(フランツも……)。
実のところ、はじめからアレクシアに対して娘への細やかな気遣いなど期待してはいないノヴァである。
ノヴァはアウロラを前へと押し出すように腕を引き、促す。
「前を行け」
「ええ。追うわ」
アレクシアの魔力が糸か煙ように軌跡を描いている。
浮かれている場合じゃなかったわ、本当に。お母様ったら、容赦がないのね。
戸惑いを捨て、気持ちを入れ直してアウロラは本気で駆け始める。小鹿のように軽やかなステップに見合わない速度で。ノヴァも彼女の背後を守るようにそれに続く。
懸命に駆けてようやく母の背に追いつく。
「来たかアウロラ」
「遅れを取りました。申し訳ありませんお母様」
軽装のアウロラやノヴァとは異なり、普段通りのドレス姿、さらにハイヒールでありながらもアレクシアの走力は尋常ではない。しかも、優雅に身体を翻らせながら障害物を避けている。
前進するにつれ、取り巻く空気に淀みを感じる。そして次第に饐えた臭気が帯びる。
「そろそろ来るぞ」
アレクシアの呟き通り、前方には不穏な気配をまとった獣が彷徨うようにそぞろ歩きをしていた。大型のイノシシだが、邪気に引き寄せられたのか複数体いる。ここに到るまでに出会った動物たちは彼らの疾走に驚いて距離をとったり、そそくさと逃げ去ったが、アウロラたちを前にしても逃げる気配はない。それどころか、彼らに気づくと正気を逸した目を向け一斉に襲い掛かろうと駆け出す始末。
「邪気にあてられて正気を失っているな。……どけ、フランツ」
「は」
命じられるままにフランツは身を引きアレクシアに進路を譲る。
次に子供たちに視線を流して注意を促す。
「ふたりとも、わたくしの前に出てはならぬぞ」
「はい」
アウロラとノヴァが頷くのを見届けてアレクシアは手にした魔法の杖を振るう。
「蹴散らせ、風の鞭(ウィンドウィップ)」
走力を緩めることなく、杖から風を起こすと鞭のように長く撓わせて一心不乱に襲い来るイノシシの巨体めがけて魔法を振るう。風の鞭はイノシシを次々と絡めては脇へと弾き飛ばし、周辺の樹木に叩きつける。強く身を打ったイノシシたちは苦痛の奇声をあげて倒れ込んでいく。
痙攣してはいるものの、命まで奪うつもりのない手加減された攻撃だった。
「邪気の根本を鎮めればあやつらも正気に戻るであろう」
「……お母様……すごい!」
見事な風捌き(鞭捌き)に思わずアウロラは拍手したくなった。
眠らせるという平和な手段も取れたはずが、あえて暴力的な制圧方法を選んだアレクシアにノヴァは呆れる。
本当に暴れたかっただけなんだなアークメイジは……(鞭が似合いすぎだろ……)。
しかし、こういった攻撃的な一面は、小心者を黙らせるためには有効だろう。世界の均衡を保つための必要悪、ということにしておくことにする。
このようにして、邪気によって正気を失った獣を道道にアレクシアが蹴散らし続け、邪気の中心へと辿り着く。
まるで目にも見えるかのようにどんよりと重い空気が鬱積し、草も枯れている。陽の光が届きにくい鬱蒼とした森では、邪気の温床となったのかもしれない。
「アレクシア様、あれが邪気の発生源でございます」
フランツが指差す先は薄暗く、近づかなければ把握できそうになかった。
黒い塊のようなものがあるが、なぜか蠢いて見える。
「はて……邪気が吹き出すところは穴があいているものだが……岩が?」
警戒することもなくアレクシアは近寄ると眉を歪めた。塊が何であるかを理解したからだ。
「……これは……蠕虫の群れか。邪気を喰って肥太りおって……穴から溢れ出ておるわ」
「蠕虫……?」
虫、なの?でも、蠕虫って何かしら?
アレクシアのうんざりした呟きに釣られて近づいたことをアウロラは後悔した。
虫だった。そう確かに。
ただし、その正体は邪気の影響を受けて肥大化した蠕虫。蠕動する無脊椎動物。……巨大なワームが無数に折り重なって塊を形成していた。粘液を溢れさせながら蠢いている。表面に出ているのはこれでもごく一部で、邪気穴の中にはさらなる数が占めているに違いなかった。
はっきり認識した途端、生理的嫌悪がざわりと肌を撫で、思考停止に陥る。
うごうご……ものすごく、うごうごしてる……。
グロテスクにも程がある。
「………っ……!」
声にならない悲鳴をあげて固まるアウロラの横でノヴァも顔をしかめる。
「邪気が集まるとこうなるのか。さすがに見ていて気持ちがいいものではないな。なぁ、アウロラ」
ワームに目を向けながら傍に立つ少女に話しかけると、身体にどんと軽い衝撃を受けた。
「?!」
驚いて顔を向けると、固く目を瞑ったアウロラがノヴァにしがみついていた。
「……ど、どうした?!」
突然のことに動揺してノヴァは頬を赤らめる。
「……なの……」
「は?」
「……無理なの!無理なの無理なのーーっ!!」
ノヴァにしがみついたままアウロラはワームへの耐え難い嫌悪感を口にする。
瞬間、ノヴァの頬に風を感じた。
高密度の魔力が漲り、アウロラの長い黒髪がぶわっと浮き上がる。
「……こ、これは……」
アウロラの髪が浮いてる?一体何事なんだ……?
上ずるノヴァの声音に振り返り、娘の変容に気づいたアレクシアは小さく息をつくと、その場から飛び退いて冷静にフランツに忠告する。
「フランツ、アウロラの間合いから退避せよ」
言うが早いか、アウロラの周囲で滞留していた魔力は第二、第三の腕と化した髪を介して魔法へと昇華し、鋭い風の刃となってワームを無慈悲に切り刻んでいく。
「見たくない見たくない見たくない……!細切れにして!微塵切りにして!!」
圧縮された風の中でワームは肉片になっていく。
彼女の感情に呼応し、髪が魔法を繰り出していく様をノヴァは唖然と見送る。
「燃やして!燃やし尽くして!全部灰にして!!」
邪気穴へと侵入していく風の刃を追うように、アウロラの髪から火球が次々に放たれ、業火が襲う。こうなっては穴の奥へ逃げようとも、ワームになす術はない。
最後は爆発紛いの火柱を上げて鎮火する。
事態の収束を知らせるように、アウロラの髪は何事もなかったようにすとんと肩や背中に落ちていった。
それは、一瞬の出来事。
「……怖い……怖い……」
目の前で繰り広げられた壮絶な光景にノヴァは呆気にとられていたのだが、彼にしがみついてガタガタと震え、怯えているアウロラから漏れるうわ言にハッと我に返った。
空いている方の手でアウロラの頭をそっと撫でる。
「アウロラ、もう大丈夫だ。もう終わった」
「……本当……?」
「あぁ」
ノヴァの返事を信じて恐る恐る目蓋を開き、薄ら邪気穴を見やると虫たちは肉片ひとつ残さず消えていた。なぜか周辺は異様に荒れ果てているものの。
「ほ、本当だわ!よ、よかった……。わたし、ああいう、ウゴウゴした虫がものすごく苦手なの。しかも、あんなに大きいなんて……耐えられない」
蠢く姿形を思い出し、アウロラは青ざめて震えた。
「だろうな」
髪を逆立てるほどの、必死の拒絶を見た後ではノヴァも納得するしかない。
意識的には不安定な魔力も、無意識では自在とは……皮肉なことだが。
「……魔女なのに虫が怖いなんて、情けないわよね……」
「誰にでも苦手なものくらいあるさ。気にするなよ」
恥じ入るアウロラをノヴァは慰めた。彼の優しさにアウロラは救われた気持ちになる。
アウロラが落ち着きを取り戻したところで、アレクシアと家令がふたりに近づく。
「なかなかいいものが見られた。魔力を宿しているとはいえ、髪があのように使えるとは……今度試してみるか」
しみじみと呟くアレクシアにアウロラは向かう。
「お母様、お母様がワームを退治してくださったのですね?!」
自らが殲滅させたとは露程も思っていないアウロラはぱっと笑みを浮かべてアレクシアに問いかけるのだが。
「いいや?わたくしの出る幕はなかった」
「えっ、じゃ、じゃあフランツが……!」
と、控えている家令を振り返るも軽く首を振って「いえ、私では……」とやんわり否定する。
お母様ではなく、フランツでもないなら……。
はっとして義弟を見やる。アウロラと目が合うと、彼は戸惑う表情を見せた。
「ノヴァ、あなたね!」
「え、いや……」
「さすがわたしのフラテル、頼りになるわ!」
アウロアは瞳を輝かせ、今度はしがみつくのではなく、ぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、ノヴァ。あなたが傍にいてくれてよかった……!」
「……ちょっ、アウロラ……」
誤解だ!俺はしがみつかれていただけで、ワームを駆逐したのは、お前だアウロラ!
「ノヴァ、大好き」
「……っ」
薄ら涙を浮かべ、感激のあまり突いて出た彼女の言葉にノヴァは顔を赤め、口籠る。
対応に困って大人たちを見やるとすっと目を逸らされた。
どうやらアウロラの勘違いを正す気はないらしい。アレクシアは沈黙することを選んだのだ。
「それにしても……やりすぎだぞノヴァ。魔法庁での調査のために1匹くらいは持ち帰りたかったところだ」
「なっ?!」
ここは立場的にアークメイジの責任だろ?!(さらっと俺に擦りつけたな!)
「お許しください、お母様。わたしの所為なのです!怯えるだけの情けないわたしを不憫に感じて、ノヴァは少しでもはやく解決しようと手を尽くしてくれただけで……全ては姉であるわたしの不甲斐なさ、至らなさが原因なのです。責めはわたしが負います。如何様にも罰してくださいませ、お母様」
アウロラは身を翻して義弟を庇うように立ち、母に懇願する。
「ふむ……そのようにしおらしくされてはわたくしも黙るしかあるまい。まあ、つい、うっかり、消炭にしてしまったと報告することとしよう」
「!……お母様の慈悲に感謝いたします」
「……」
茶番だな。……でも、落とし所としてはこんなところか。
ノヴァはげんなりしたが、すぐに気を取り直す。
冷静に状況を思い返すと、かなり危ないところだった。
彼女の拒絶意識が完全にワームにのみ向かっていたので、ノヴァは運良く巻き添いを免れた。少しでも彼女の意識に雑念が含まれていたのであれば、ノヴァが風に刻まれ、火球に燃やされていてもおかしくはなかったのだ。
風圧の鋭さ、火球の熱量がノヴァの鼻先を掠めていただけに、今更ながらヒヤリとしてくる。
けれど、半ば殺されかけただなんて、アウロラには絶対に伝えられない。
真実を詳らかにしてしまえば、アウロラは自己嫌悪に苛まれて萎れ、己が力を怖れノヴァを遠ざけるかもしれない。厄災の魔女に堕ちること、自身の力で誰かを傷つける怖れを常に危惧している彼女なのだから。
遠ざけられるわけにはいかない。傍いなければ、守れないではないか。
「……もっと精進しないとな」
彼女の心が傷つくことがないように。
「あなたは充分優れているわ」
的外れに微笑むアウロラを見つめ返す。
ルビー色の眼の中で蠱惑するように揺らめくファントムには、彼女の秘めたる苛烈さが内包されている。
アウロラも、やはりルベウスの魔女なのだ。その血と名は伊達ではない。
「お前ほどじゃない」
「謙遜しなくてもいいのに」
アウロラの思い込みで株を上げる結果となったノヴァは曖昧に笑って濁す。
清浄な空気で邪気を散らし、穴を土魔法で埋め、改めて封をすると、アレクシアは息をつく。
「これで邪気も薄れる。獣たちも正気を取り戻すであろう。穴の中にいた蠕虫をノヴァが全て始末してくれたおかげで仕事がはやく片がついたな。……わたくしとしては暴れ足りな……いや、物足りなさはあるが……まあよい。アウロラ、森の開けたところで茶会と洒落込むとしよう」
「はい、お母様!」
アレクシアの提案にアウロラは自分からノヴァと手を繋いで寄り添い、嬉々として答えたのだった。
ふたりが15歳になる年のお話です。
現状で書き始めてから2年が過ぎて、なぜ今更追加エピソードを??という感じではあるのですが、実は当初から予定されていたお話でした。1章は大人しめのお話が多いので、花火をあげるようなアクセントになる展開は必要だと思っていたのです。が、早々に2章に突入させたかったこともありまして、省いてしまいました(汗)。
賞をいただいた後にやっぱり書いておけばよかった……と後悔する羽目になりまして、(手遅れになる前に)遅ればせながら執筆した次第です。
そして新事実。髪の毛、その気になれば動くんですよ(笑)。ただ意識的に動かせるかはわからない。修行次第?笑