毒を食らわば皿までも
金銀細工工房の中にあるウィスタリアの仕事部屋にノヴァがやってきたのは陽が傾きかけた頃だった。
ノヴァは工房でウィスタリアの直弟子という立場だが、今はまだただの徒弟として他の少年たちと同様に現場の年長者たちに指導を仰ぐ立場だ。
その彼が個人的事情でウィスタリアの部屋までやってくることはなく、ここにいる間は立場をわきまえてノヴァも丁寧な言動で接する。
「マスター、少し話があるんですが…時間をもらえますか」
「……あぁ、ちょっと待っててくれるかい。これだけ終わらせてしまうから」
ウィスタリアは手にしている書類から目を離さずノヴァに告げる。
職人としての仕事より、管理者としての書類仕事の方が多いウィスタリアを見ていると、いずれ自分もああなるのかと気が重くなるが、広い部屋の半分を占めている細工師としての作業スペースへ目をやれば、その充実さに工房マスターとしての待遇の良さに心は踊る。
ウィスタリアは王都にあるルベウス・コランダムの別宅を住まいにしているので、工房と森にあるルベウス家本宅、そして工房を忙しなく行き来していて、時間があればいつでも書類仕事を片付けている。涼しい顔をして淡々とこなしている様を近くで見ていることが多いノヴァは、彼の有能さを肌で感じるのだが、それを素直に認めるのはなんだか癪なので黙っている。
今のうちにあいつの仕事ぶりを見て要領を学んでおけってことなんだろうし…。同じように仕事がこなせるかどうかはともかくとして。
なりたくてなる『サフィルス・コンランダム』ではないがその裏にアウロラがいるのだと思えば、諦めもつくというもの。
俺は結局、アウロラが関わると甘くなるのかもしれない。……複雑な気分になるけど。
「……さて、ひと段落ついたかな」
ウィスタリアはそう呟くと書類をまとめて、机の脇に置いた。
「それで、ノヴァ。今日の修行科目は終わったのかな」
「はい。親方たちのチェックは終わりました」
「そうか。順調そうでなによりだ」
サフィルスの工房では大人数の職人を抱えていることもあり、一種、学校のように決められたカリキュラムで徒弟たちを学ばせる。品質を一定に保つための配慮であり、早い段階で彼らの得意不得意を見極めるための作業でもあった。
ノヴァは未来の工房主として鳴り物入りでやってきただけに、特に職人たちの見る目が厳しいのだが、同世代では頭一つ抜けた実力を示しており、今のところの評判は「文句のつけようがないので可愛げがない」というもの。実は、これはかつてウィスタリアが言われていたそれと同じであったりもする。
「それで、仕事の話かい?それとも、本宅で何かあったのかな」
鋭い、とノヴァは思った。
まあ、個人的に彼の部屋を訪れて話しをしたいと言い出すからにはこちらにそれなりの理由があってのことだと察しはつくだろうが。
そこでノヴァはどこから話すべきかと少し悩んで口を開く。
「……この前、アウロラが俺とオルキスの義父上に焼き菓子を作ってくれたんですが」
「おや、彼女の手作りかい?」
「はい。メイドたちと一緒に作ったと言って、お茶の時間に出してくれたんです」
「まさか、ここまで来てその惚気話を僕に聞かせようというのかい?僕はもらっていないのに?」
鼻白むウィスタリアに、ぎょっとして目を開く。
「はぁ?惚気って……違いますよ…!…まったく…」
相変わらず耳が悪いな、この人。
ノヴァがアウロラとの出来事を話すたびに「惚気話」扱いしてくるのはどうにかならないものか。
「………そのアウロラの手作りの焼き菓子…クッキーが問題で」
「問題?一体なんの問題があるというんだか。僕はもらえていないのに」
「もらってないことにこだわるのやめてもらえませんか。……いやだからそういう話しじゃなくて……ああもう、まどろこしいな…!」
アウロラが絡むと知能指数が落ちる(理性が欠如する)ウィスタリア相手に細かい説明することがバカらしくなって、ポケットから小さいノートを取り出し、必要なところをめくってウィスタリアに差し出す。
「……これを見てください」
「?」
差し出されるまま、怪訝に受け取ってノートに書かれている文字に目を落とす。刹那、彼の目つきが変わる。
「……これは…」
魔術の術式が書かれている。それは何ページにも渡って続いており、いわば、とあるものを作り上げるための設計図(回路)であった。徐々に文字は乱れて殴り書きに近くなり、しかし最後になるにつれ文字は崩れなんとか読み取れるという程度まで脱力していく。筆圧でこれを書いたものの精神状態までも想像がつく。
問題はその術式だが。
高度に練り上げられた計算式が幾重にも渡って回路を構成している。ひとつの計算式はその次の計算式のための仕掛けで、合計で8つの計算式が回路となって組み合わさっている。そしてその計算式が導き出している設計図(回路)の意図は『完全防衛』という概念であることが読み取れた。この回路が仕込まれた『何か』をもつ者を『完全防衛』するための術式。脅威度に応じた8つの魔法陣の壁を発動させて対象者の命を守るための全方位型システム。発動前提条件も事前に仕込まれており、対象者が無意識であっても自動で起動するように仕組まれている。
この術式が仕掛けられた何かを持つ対象を必ず守るという強い意思と熱量がこの設計図から感じられた。
「………」
ウィスタリアはノートを閉じて、ノヴァを見た。
複雑そうにこちらを見つめ返している彼に問いかけるのは、さしものウィスタリアも少々勇気が必要だった。
ノートに書かれている文字が誰のものか、わからないほど自分はボンクラではない。
そして、これが読み取れるからといって、自らが発想し、これを作り出せるとは……到底思えなかったから。
戦慄を覚える。それほどに、逸脱した高度な術式だった。
「………。この術式は……君が作り出したものかい…?」
静かに問いかける。ノヴァは複雑さを増した眼差しで頷いた。
「………たぶん」
「たぶん?」
「……最初の方は覚えてる。でも、途中から記憶がない。あとから見て、自分でもぞっとした」
砕けた口調になり視線を落として押し黙ったノヴァに、ウィスタリアは改めて問いかける。
「……なるほど。先ほどは茶化して悪かった。つまり、『これ』がアウロラと何か関係があると言いたかったのかい」
「あぁ…」
「では改めて説明してくれるかな」
「………」
促されて、ノヴァはついこの間の出来事について話し出した。
※
その日も、徒弟として工房に出入りているノヴァの帰りを待って、アウロラは微笑みながら駆け寄ってきた。
出迎えてくれるような家族を持っていなかったノヴァは、アウロラが出迎えてくれると自然と頬や心が緩む。
いつもと違っていたのは、アウロラから甘い匂いがしていたことだった。
「おかえりなさいノヴァ。今日ね、メイドさんたちにお手伝いしてもらってお菓子を作ったのよ!」
ぎゅっとノヴァの腕を掴んで「早くお茶にしましょ」と引っ張り促す。
「あぁ…そんなに急がなくても行くよ」
苦笑いで答える。
喉も乾いているし、一休みしたかったので彼女がお茶の支度をして待っていてくれたことはありがたかった。
家族の居間にすでに用意されていたティーセットと焼き菓子。動物や星や花などの型で抜かれたクッキーが皿の上に行儀よく並んでいる。
「ノヴァおかえり。アウロラがクッキーを焼いてくれたんだよ。さぁいただこうじゃないか」
同席しているオルキスが愛娘の手作りクッキーを前に嬉しさが溢れてそわそわしている。
ノヴァは微苦笑を浮かべて頷き、ソファに座るとお茶の時間がはじまったのだったが。
彼女の作ったクッキーを手に取り、口に入れる瞬間、はたと動きを止めた。
いやまてよ。ブレスレットを作っただけで魔法獣を生み出してしまったアウロラが『作ったクッキー』である。何か問題がないとは言い切れないのでは…?
その可能性に気づき、向かいに座っているオルキスに注目すれば、ただただ嬉しそうにクッキーを頬張って「おいしいよアウロラ」と笑顔を振りまいているだけである。
オルキスの様子を見る限り、『ただのクッキー』。
ノヴァは安堵して口に放り込み、歯を立てる。………おいしい。普通においしい。
「ノヴァ、どうかしら?」
「おいしいよ」
「よかった!」
まあ、クッキーを下手に作る方が逆に才能がある気がする。
「今度はケーキを焼いてみようと思うの!お菓子作りは楽しいわね」
アクセサリー作りは禁止されてしまったので(ノヴァに)、彼女は別の楽しみを見つけ出そうとしているようだった。
その後、彼女のおしゃべりに付き合い、頷いて相槌を打ちながら、ノヴァはそのままいくつかのクッキーを口にした。
問題は結局また、そのあとからだった。
その夜、眠れなかったのだ。
疲れているはずなのに、目が冴えて冴えて眠れない。
眠れない理由には気づいていた。魔力が異様に増幅されて、漲っていたからだ。
体内の魔術回路が活発化して、彼を眠らせなかった。
仕方がなくベッドから起き上がると、魔法獣の狼ルシファーを呼び出す。と、彼の魔力増幅に合わせてルシファーの体躯も恐ろしく膨れ上がっており、ノヴァは青ざめた。
「……これは一体…」
どういうことだ。
特に増幅するための訓練をしたわけではない。これから考えていかねばならない課題のひとつと捉えていただけで、まだ実践にはいたっていないのだ。
ではなぜ。
ルシファーを呼び出してもなお、増幅をやめない魔力を持て余しながらふと机の上に置かれたものを見て、はっとする。
「お腹がすいたら食べてね」とアウロラが余ったクッキーを呉れたのだった。
昨日と今日に違いがあったとすれば、アウロラが作ったクッキーを食べたか否かだ。
「……まさか…」
声がかすれる。
また、魔力が練りこまれていたのか?
「けど、オルキスの義父上は平気そうだった……」
そう、だから食べても問題ないと判断したのだ。
だがしかし、そう。オルキスは魔術回路を持たない人間。ノヴァは回路を持つ魔術師の体。
「………」
回路を持たない人間には効力がない、という仮説は充分成り立つ。
「……あー…またかよ…」
やらかしてしまったと額に手を当てて、目を閉じる。
クッキーひとつで(食べた分だけ)、魔力増幅効果を生み出してしまうのか、アウロラは。本来その手の魔力強化や効果を生み出すものは何年も研究を重ねた術者たちの仕事で、簡単に作り出せるものではない。
菓子作りの要領であれこれと強力な効果を付与する食べ物を生み出してしまっては……やはり彼女が危険に晒される。
「……また…ダメ出ししなきゃいけなくなるのか…」
アクセサリー作りを禁止して、次は菓子作り……。
また意気消沈させてしまうのかと思うと、彼は気が重くなった。
これから先、何もさせないことが一番安全なのだろうが、それでは彼女は哀れである。屋敷一帯から出ることを禁じられ、1日のほとんどを屋敷の中や近しい親類とだけ過ごす日々。彼女が見つけ出した小さな楽しみを奪うことは……笑顔を奪うことはできるだけしたくはない。
「……じゃあ、どうすれば…」
黙って見逃すことはせず、さらに取り上げることもせずに済む方法。
「そんなに都合のいい話があるのか…?」
考えようとするのだが、増幅される一方の魔力が冷静な思考を遮りはじめる。
これはまずい。
「……とりあえず、この魔力をどうにかしないと」
魔力を出し切れば、おそらくすっきりするのだろう。だが、どうやって?
外に出て思う存分魔法を使えばいいのだろうが、損害を出さずに終わらせられるような魔法はあったか…?
悩むこともできないくらいに増幅されて、手が震えてくる。
いつもなら見上げてくるルシファーも部屋の天井に頭がつきそうなほどの巨体になってこちらを見下ろしてくる。
頭が天井を突き抜けそうじゃないか。……天井が壊れなきゃいいが…。
「…天井、丈夫だといいけど…」
と思わず感慨を口にしたとき、ふと脳裏にある考えが浮かぶ。
「……力を…逃す…」
そうか、その方法があったか、とふらつきながら机へと向かい、あかりをつけると引き出しから備忘録に使っている小さいなノートと筆記具を取り出して浮かんだ着想を逃さないように書き留める。
そこからの集中力は尋常ではなく、熱に浮かされているように文字を走らせた。自分のどこからその文字…数式が溢れ出てくるのかわからないほどこの瞬間だけ思考が冴え渡り、全貌が見えていた。
まるで森羅万象を掌握した全能者にでもなったような高みからそれを書き込み、次第に時間の感覚を失う。息をしていたかどうかも記憶がない。否、途中から全て記憶がないのだ。
気づいた時には朝になっていて、自分はそのまま机にうつ伏せて眠ってしまったようで、ルシファーもブレスレットに戻っていた。
全部が全部、夢か幻惑魔法だったのかもしれない…と思ったが書き殴られたノートの術式を見て、愕然としたのはいうまでもなく、さらには机に置いてあったはずのアウロラ手作り菓子は食い尽くされており、さらに自分をゾッとさせた。
薬か毒か。表裏一体のアウロラクッキー…。
けして、世に出してはならない。そして、その能力を気取られてはならない。外部の者にはけして。
おそらく、その意識のみで書かれた術式なのだろうと思う。アウロラのクッキーを食べていなければ(さらに貪って増幅させていなければ)書けなかったものなので、ノヴァの実力とは言い難い代物だが…。
…と。
ノヴァから全容を聞かされたウィスタリアはさすがに頭を抱える。
「……なるほど……君のためにアウロラが作ったブレスレットで魔法獣が生まれてしまったと君から聞いたときも、あの子ならやりかねないとは思ったが……そうか、あの子はその気になれば禁断のエリクサーさせ作り出してしまうかもしれない特異体質というわけなんだね…」
魔力を封じていたので今までの彼女は魔女として無害な存在だったが、封印を緩めただけで魔法獣や魔力増幅効果付きの食べ物を作り出してしまうとあっては、魔術師たちからは妬み疎まれ、為政者たちからは警戒され最悪敵と見なされかねない。彼女を巡って争いが起きるかもしれない、と深刻にノヴァは捉えていたが、今回の件でこれにはもう全面的に同意するしかないとウィスタリアは思った。
「君のこの術式は、アウロラの命を守るために8つの魔法陣による防御壁…階層を作り出すというものだ。脅威判定を回路が自動計算して、瞬時に作り出す階層を変化させる。君の計算によれば、通常の魔法や物理攻撃は複数から同時攻撃を受けても精々3つめの階層まで到達しないとなっている。攻撃を得意とする術者最大魔法を用いても5階層まで。…だが、君は8つまで階層を用意している。それほどの脅威が彼女を襲うと判断したということになるね。君は何を思って、8つまで階層を用意したのか」
ノートを開いてページを捲ると、答えは数式の端に書かれていた。
「君が怖れたのは…“聖グラディウス”」
読み上げられたその言葉に、ノヴァは眉を寄せた。
聖グラディウス。
かつての大戦で始祖ルベウスと初代サフィルスが作り出した剣で、悪しき異界の漆黒竜の鱗を突き破り深い傷を負わせ、異界に押し戻したとされる最強の武器のひとつだ。もはや世間からは伝説のアーティファクト扱いだが……現物は今も存在している。王権と平和の象徴として王宮の奥深くに封印されているのである。
竜の鱗すらものともしない攻撃力と突破力を持つ剣がアウロラに向けられるということまでノヴァは想定して計算をしている。
「君は聖グラディウスが最大の脅威として想定をしている。剣が勝つか、盾が勝つか、という原始的な考えになるが、君はグラディウスが8つの階層を破り、突破されるまでの想定を2秒としているね」
「わずか2秒でも聖グラディウスを振るう者の隙を作ることで、俺かアウロラ本人がどうにか回避か反撃に転じることができると考えたんだろうと思う」
「突破されることは織り込み済みで、最後の仕掛けを用意したわけかい」
8階層目が突破された時に発動する『それ』については触れず、ウィスタリアは続ける。
「確かに、当時の王に聖グラディウスを献上することでコランダムは今の地位と一族の安寧を得た。逆にいえば、我々にとってあれは頭上に吊り下げられた剣』のようなもので、アウロラの挙動によってはあれが頭上から落ちてくることになるだろう。なにせ、始祖様と初代様が作り出してしまった諸刃の剣なのだからね」
作り出した自分たちすら害することを可能とする剣を以ってでしか、異界のものたちとは戦うことができなかったということだ。聖グラディウスは対象者を必ず貫き、死に至らしめるだろう。
「これは膨大な魔力を必要とする仕組みだ。リソース不足で通常の魔術師ではまったく機能しない。アウロラだから可能にする術式か。彼女から漏れる魔力を制御して蓄積すらする優れものだ。これで彼女が何かを手作りしても『副産物』の弊害はなくなる」
それで、とウィスタリアは肘をつく。
「君は気づいているのかい?これは、もはや後世にまで残るアルス・マグナの領域にある高等術式だ。歴史に名を残すべく長年研究を続ける魔法庁の年寄り共が戦慄し、嫉妬するレベルのものだよ」
それについては、薄々ノヴァも感じてはいたのだが。
「……俺が俺として書いたものじゃない。別の誰かが俺の体を借りて書いたような感覚なんだ。それに、アウロラでなければ発動しない限定的な術式なんて、他人から見れば無用の長物だ。アルス・マグナの列に並べるべきものじゃないだろ」
「まあそうだね。君は根本的に彼女を守るという大きな意味の中に、命だけではなく、彼女から自由を奪いたくないというある種の『とても個人的な望み』を形にしたに過ぎないわけだしね。手作り菓子の趣味まで奪ってはかわいそうだという君の優しさがこの大仰な術式に集約されているわけだ。……愛とは偉大だね」
うんうんと頷くウィスタリアにノヴァは顔を赤らめる。
「……そ、そういうのじゃなくて…!」
「これを愛と呼ばず何を愛と定義すればいいんだい?」
「?!…ったく、真面目に話してるのがバカらしくなってくるな」
「ふふ、すまない」
ついからかいたくなってしまう。
「…さて、それで君はこれを机上のものでなはなく、現実として形にできないかと相談しにきたのだろう?」
「…あぁ。そこは話しが早くて助かる」
ノヴァは表情を改めて頷く。
「その術式をマスターの伝手で検証してもらいたい。ただ、形にするにはどれくらいの技能や経験が必要になるのか、あと何に回路を仕込むべきか、金銭的にはどの程度必要なのか知りたい」
「理論は出来上がっている。検証は…まあ、サフィルスの先代に繋がるお歴々に任せるとして。これを何に仕込むかというところだが……そうだな、我々と相性のいい宝石にするべきだろう」
「サファイアか?」
「そう。サファイアならアウロラにとっても相性は悪くない。同じコランダムなのだから。…だが、これだけの回路を仕込むとなると、宝石には相当な負荷がかかる。クラックやインクルージョンのない、澄み切ったハイジュエリー用のルースを必要とするだろうね」
「……そんなルース、高級すぎて俺じゃ手が出ない」
ため息を漏らすと、ウィスタリアは苦笑する。
「君に用意しろなんて言わないさ。ルベウスを守るということは、サフィルスをも守るということだ。サフィルスはルベウスなくして存在しない。そんなことは末端のサフィルス一族でも知っていることだ。自分たちの生活を守りたければ、ルベウスを守れってね。アウロラのために使うものなら、どんなルースだって惜しみなく用意しよう」
「……プレッシャーがすごいな」
「それは仕方がない。これは僕や他の者がすべき仕事じゃない。君が考案した術式である以上、君にしか仕込むことはできない。だが、おそれることはないさ。むしろ君はこれによってサフィルス一門に存在感を示すことができる。この高等術式をもって、君は証明される。サフィルス・コランダムを名乗るにふさわしい男だと」
「…………」
一門から侮られないためだとか、存在感を示すだとか、そんな意識はまったくなかった。どうしたらアウロラの笑顔を曇らせずに済むのかだけ考えた結果のことだ。
が、ウィスタリアはその先まで見据えていたのか。一部ではノヴァの実力に対して懐疑的な者がいる。懐疑的、否定的な者たちを黙らせ、認めさせる意図もそこに含めるつもりなのだ。おそらく、ウィスタリアもそのようにして求心力を身につけていったに違いない。
「ノヴァ、君に我々の工房にいる貴石呪術師を紹介しよう。知っての通り、彼らは宝石に魔術回路を仕込むことを専門にしている者たちだ。本来、宝石に回路を仕込むには何年も修行が必要だが、悠長なことはしていられないからね。ルースは僕が取り揃えておくから、最終的に君が選んで回路を仕込み、それを君自身が装身具に加工してアウロラに渡す。君の手から離れてアウロラが着用するとスイッチが入るように計算を少し変える必要があるだろうね」
「わかった。それでいい」
「よし。では、君が明日から貴石呪術師から学べるように手配しておく。検証を終え次第、アウロラのためのアルス・マグナに取り掛かろう」
「はい。よろしくお願いします。マスター」
「あぁ。……ところでこの術式、名前はあるのかい?」
「……。いえ、特に意識してはなかったです」
言葉遣いを改め首を振るノヴァに、ウィスタリアは小さく笑う。
「これは名前が必要な術式だよノヴァ。世間には無名のままであってもいいが、サフィルスの歴史には残すべきものなんだからね」
「……俺が考えないと駄目なんですか」
「たとえ意識的でなくても君が考案したものなのだから、君が名付けるべきだろう」
「………」
うーん、と首をひねる。ネーミングは得意ではないのだが…仕方がない。
「じゃあ、『オクトー・アイギス』で」
「8つの盾?…そのままだね」
苦笑するウィスタリアは、そこに付け足す。
「では、『ノヴァズ・オクトー・アイギス』にしたらどうかな。君の名前を含めた方がそれらしいしね」
「俺の名前はどうでもいいですけど……でも、じゃあそれで」
偉大な術式を考案したというのに、まったく欲のないノヴァは素っ気なく頷いた。
しかし、実際のところアルス・マグナを生み出す術者とは、皆このように栄光や功績に頓着しないのかもしれない。
「うん。では決定だ。しばらくはこちらの作業に集中してもらうことになる。その間、君は屋敷を不在にしがちになるが……アウロラへの配慮も忘れないように」
「そこはぬかりなくやる。アウロラの笑顔が曇ったら意味がない」
「………」
真顔で言ってのけるノヴァに、いつものように「惚気かい」と述べてやりたいところだったが、彼のやる気に水を差すのも野暮ったいのでやめておいた。
この調子で、アウロラの騎士か王子かに化けていくのかと思うと楽しみなような、頼もしいような気持ちになる。この小さい弟のような存在の成長を見守るのは、存外悪くないものだとウィスタリアは目を細めた。
貴石呪術師から回路を埋め込む術を集中的に学び、クラックやインクルージョンのないルースを選び抜き、検証された術式をノヴァ自身で仕掛けた。親方勢に見守られながらの作業は緊張の連続だったが、自己の努力と研鑽により、およそ2年ほどでこれを完成させてペンダントへと加工し、アウロラ13歳の誕生日の贈り物とした。
バックグラウンドで彼女の魔力を糧とし、静かに回路は動き続けるが…見た目にはマーキスカットのサファイアを用いたペンダント。台座にノヴァのイニシャルも刻まれたそれ。
以降、彼女の胸を飾り続ける美しいサファイアは髪飾りと並んで彼女の代名詞となり、時を経て自ずと一門の中でノヴァの立場も確固としたものになっていく。
アウロラが広い世界へと飛び出していくまで、あとわずかのこと。
二年くらいは危ういお菓子を作り続けていたのでしょうが、普通の人たちは食べても問題ないので主に犠牲(?)になるのは彼なんだと思いました。汗
小話をアップしたら、いよいよゲーム時間内に突入です(やっとたくさんの人が出せる)。