公女クラウディア・ルベライト(4)
とうとうサフィルスがエーデルシュタイン城にやってくる。
兄、レオハルトから直接もたらされた知らせに彼女は眉を寄せた。
クラウディアにとって、その知らせは喜ばしいものではなかった。
あれほど他者に委ねるのは嫌だと強く申し上げたのに、兄上はわたくしの意思を黙殺なさった。
悲しみに似た失望を覚え、クラウディアは唇を噛む。
侍女たちを排して居室に引きこもり、彼女の胸元を飾るブローチをドレッサーの鏡越しに見つめる。
金の台座の上に鎮座する大きなルベライト。
代々の公女が受け継いできたレガリス。
最も尊い国の宝。
お母様はこの宝を嫌悪し、遠ざけていた。気味が悪いと。
わたくしは違う。このレガリスはわたくしの誇り、希望。そして、友達。
先の公女である母がブローチを遠ざけていたため、幼い頃からクラウディアの手にあった。クラウディアの傍にはいつもこのブローチがあり、心の支えだった。
そのブローチを身近な者ではなく、他国の魔術師に触れさせるということは、クラウディアの内面に土足で踏み込まれることと同義。
『そなたの気持ちもわかる。けれど、そのブローチを作り出したのは、他でもないサフィルスなのだ。彼らに依頼するのは、不自然なことではないはず。賢明なそなたのことだ、本当はどうすることが正しいか……よくわかっているはずだよ』
諭すようにレオハルトは言った。同時に、「それは我々の手には余る物」だとも。
クラウディアは言い返せなかった。小さな子供のように駄々をこねて、優しい兄を困らせているだけだということもわかっている。
頭では理解しても、感情が拒絶を示してしまったのだ。
小さく息をついて、再び鏡の中のブローチを覗けば、気になることはあった。
ここのところ、ルベライトに薄らとした陰りが見えるような……。
軽く首を傾げた時、控えめに居室の扉がノックされる。
ブローチから目を離し、そちらを向く。
「姫様、レオハルト様がお呼びです」
「…………」
呼ばれた意味を察する。
ああ、とうとう来てしまったのね。
クラウディアは憂鬱になって再び息を漏らす。
ここでわたくしが篭城を決め込むことは容易いわ。でも、それでは兄上の顔を潰してしまう。公女であるわたくしが、統治代行者の兄上を蔑ろにしてはいけない……。
せめて、そのサフィルスが如何様な者か、この目で確かめてからでも拒絶は遅くはないわ。
自分に言い聞かせてスツールから立ち上がる。
背筋を伸ばすと自ら扉に近づいて開く。
「……すぐに参りますと、兄上に伝えて」
彼女が顔を見せると、レオハルトの従者はほっとしたように頬を緩めたが、すぐに表情を戻す。
「私もお部屋までご一緒いたします」
従者の返答に逃げられては困る、という兄の本音が透けて見えた。
「心配しなくてもわたくしは逃げません。ひとりで結構よ」
クラウディアはつんとして突き放すと、侍女も呼ばずに部屋を出た。
兄の従者につきまとわれないように早足で廊下を抜けて、庭へと出る。逃げたのではなく、監視されていたくなかっただけだ。
東屋のある噴水の前まで来て足をとめ、息を整える。
「兄上はわたくしを信用してくださらないのかしら……」
不満を口にして、胸元のブローチに目を落とす。
数日のお別れね。……いつもそばにいるあなたがいないのは、寂しいわ……。
感傷に浸っていると、ルベライトがはっきりと赤黒く濁っていることに気づく。
宝石の陰りが悪化しているようだった。
「……な、何……これ……」
こんなことは今までになかった。
宝石の中でモヤが蠢いているように見える。
絶句するクラウディアの目の前で、そのモヤは現実のものとなる。
赤黒いモヤは煙のように膨れ上がって、クラウディアの体にまとわりつきはじめた。
振り払っても振り払ってもモヤは消えず、より濃厚になって彼女を逃すまいとする。
「……なんなの、一体何が起こって……」
想像もしていなかったことに怯えて、クラウディアは震える。
赤黒いモヤは、負の気を放ち、彼女を絡めとろうとしていた。
怖い……!……誰か……誰か、助けて……!
藁にもすがるとはこのこと。
なす術なくぎゅっと目を閉じて助けを念じると、暖かいものがひゅっと彼女を掠めた。
薄ら目を開けた途端、なぜか自身が炎に包まれ、炎上していることに気づく。
熱さよりも状況に混乱して理性を失い、悲鳴を上げる。
「きゃぁぁぁーーー!」
転がるようにその場に倒れ込み両手で肩を抱く。
しかし混乱している間に炎はいつの間にか消え去り、焼かれていたはずの我が身に変化がないことを知るのだ。
火傷を負っているわけでもなく、ドレスも焼けてはいない。
ほとんど一瞬の出来事。
「……?」
一体全体、何が起こったのか理解が追いつかず、クラウディアは呆然とした。
……と、近くで土を踏む音がする。
「……お怪我はありませんか、レディ」
気遣うような控えめな口調。
聞き覚えのない異性の声に、クラウディアはここでやっと我に返る。
顔をあげると、ロイヤルブルーの眼差しとぶつかった。
ぺたりと座り込んでいる彼女を覗き込むようにして、見知らぬ少年が片膝をついている。
すっきりと整った顔立ちによく似合う、深く澄んだ青い瞳に見惚れて、クラウディアは瞬きを忘れ、束の間少年と見つめ合う。
きれいだわ……なんてきれいな青い瞳なの……。
答えないクラウディアに困ったのか、彼が微苦笑したことで現実に引き戻される。そして、見知らぬ相手に醜態を晒してしまった事実を自覚し、慌てて立ち上がった。
ルベライト公女ともあろう者が、なんという恥さらし……!あまつさえ、呆けていたなどと……!
「……え、ええ……問題ありません!」
体裁を整えるため、軽くドレスの裾を払う。
「ですが……」
「気遣いは、無用です……!」
強がってはみたが顔は紅潮し、声が震える。狼狽ていることは明らかだ。
「……あ、あなたは、何なの?!こ、ここで何をしているの……?!名乗りなさい!」
羞恥心から早口になり、彼女は少年を問い詰める。
「失礼いたしました、私は……」
「姫様、クラウディア様どちらにおいでです……?!」
少年が名乗る前に、レオハルトの従者の呼び声が庭に響く。律儀にも彼女を追いかけ、探していたようだ。
疎ましいと思っていたはずの兄の従者の存在を、都合が良くも今は助け舟のように感じてクラウディアは少年を見上げる。
「あなたはわたくしとここで会わなかった、何も見なかった。……よろしいわね?」
一方的に言い含めるように告げると、戸惑う表情の少年から離れて、そそくさと駆け出す。
居室を出るまでの憂鬱さもこの時は忘れてしまうほど、胸がどきどきと高鳴っていた。
少女が小走りに去った庭園の方向を見遣り、ノヴァは腰に手をやる。
我ながら随分と陳腐なセリフを吐いてしまった。
「お怪我はありませんか、レディ」などと。
まさかの出来事に、俺も少し動じていたってことだな。
相手も頭に血が上って酷く動揺していたし、第三者の登場のおかげで一連のあれやこれについて尋ねられることもなく、とりあえずは安堵している。
まじまじと見つめられていた時は、不審がられてやしないかと内心ヒヤヒヤしていたのだが……。
今はノヴァの手の中で大人しくしているバラを襟に戻す。
アウロラのバラはあれだけのことをやって除けてもなお、朝露を滑らせるほどに瑞々しさを保っている。美しくも、恐るべき意思と魔力の塊。
髪だけになってもアウロラの善性をバラが保っているからいいようなものの。
「……まったく、お転婆が過ぎるぞ」
今朝から落ち着きがなかったのは、この不穏さを予知でもしていたからか?それならば、……まあ、納得もする。
「……彼女……公女様だったのか」
レディではなく、マーム。
こんな形で遭遇してしまうとは思わなかった。
レオハルトと面差しは似ていたが、決定的な違いは瞳の色。
ルベライトの瞳。彼女が公女であることの何よりの証。
上質なドレスを纏ってはいたが、巷に肖像画も溢れておらず、彼女の瞳の色を知るまで何者か察することはできなかった。
大事は避けられたが今回の件、有耶無耶にできるかどうか。
当人が何事もなかったことにしたがっていたとはいえ、彼女が冷静さを取り戻せば蒸し返されてもおかしくはない。
それほどに、異質な出来事だったのだから。
公女の自尊心が高じて、二度と会いたくないとノヴァを避けてくれればありがたい(だがサフィルスが不利益を被るのは勘弁してもらいたい)。
「それにしても、……妙だな……」
薄氷ような結界も含めて、ノヴァはますます公女に違和感を覚える。
彼女は魔女だ。 身につけている宝石に邪気が宿って具現化するまで放置しているのはおかしい。まして、怯えて混乱するなど……まるで普通の人間のような振る舞いではないか。
それに、あのブローチ……いや、大粒のルベライト……表面上は精巧に細工されて欺かれているが、俺の見立てが正しければおそらくは……。
耳に根付かせたアウロラのブラッドストーンにそっと触れると、彼の考えを肯定するように赤く脈打つ。
ウィスタリアが述べていた秘密の一端を、公女のブローチに垣間見たような気がしていた。
今回は区切り的に短めになります。ようやく本エピソードが動き出す……かなぁ?というところへ来ました。
ちなみにというか、余談ですが。
アウロラさんの場合、手持ちの宝石はそもそも淀まないのですが、念がガンガンに籠もって呪いレベルでよくない宝石も特に清めなくてもいいんです。触ったら「ぎゃぁぁぁぁ!!やだやだぁぁ!!こわいぃぃぃぃ!!!」って感じでよくないものが勝手に浄化されちゃうので。
正しくは浄化ってよりも、単にすり潰されて負けちゃうだけなんですが。純粋なヤバさ勝負で(汗)。
ヤバさが精神の善性と穏やかみでうまい具合にコーティングされちゃってるので(まろやかに)、アウロラさんはすっごい魔女って感じがしてないのが逆にみんなには好感度が高い……みたいな感じです。
で。一歩間違えば大惨事なのに「お転婆が過ぎる」とか、おいおいそういう問題じゃないだろ、ってツッコミたくなる感じのノヴァさんは彼女に関する意識が完全にバグっているので、どんなアウロラさんでも好感度は高いどころか、常に天元突破です(真顔)。
現場からは以上です。




