【特別短編】Lovey-Dovey
セディルはホテル・サフィレットのコランダム姉弟が暮らすフロアを訪れていた。
長期休暇の前に実施される魔法試験の対策をノヴァに相談するために。
セディルから見れば、ノヴァは遥かな高みにいる魔術師であり、次代の当主という立場の違いもあって、容易に彼を頼ることには躊躇いもある。しかしいつもノヴァが快く引き受けてくれることでつい彼に甘えてしまう。いけないとは思いつつも。
「ありがとうノヴァくん。すごく助かったよ」
ノヴァにアドバイスをもらいながら魔法の練習をした。魔術師ではないセディルは杖のみが頼り。教える側のノヴァも工夫を要した。
「いや、俺も『教える』という意味で勉強になったよ、ありがとな」
彼の謙虚さに、好感度がまた上がる。
「……ノヴァくんは本当にいい人だね」
片田舎から王都に出てきた当初、魔術師はみな陰険で何の力も持たない人間を小馬鹿にしているという偏見を持ち、怯えていた。相手の立場で態度を変えないノヴァのおかげでその思い込みからは早々に解放されているが。
「俺程度がいい人なら、世の中ほとんどの人間がいい人になるな」
ノヴァは苦笑する。
「あ!そういえば、ロビーに姫様とノヴァくんの肖像画が飾られていたね。姫様が美しいのは天地が創造されたときから定められていた唯一絶対の真理だけど、ノヴァくんも痺れるほどかっこよくてずっと眺めていたいと思ったよ!」
事実、肖像画の前には人が集まり、麗しい一対に瞳を震わせ、ため息を漏らす者も少なくなかった。
「……あれに気づいたのか」
「気づくよ!当然でしょ!素晴らしい絵画だよ!目に焼き付けて帰るよ!」
身を乗り出して力説するセディルの気迫に、ノヴァは複雑な気持ちになる。
「アウロラはいいんだ……夜会のドレスはよく似合っていたし。あの画家の腕も確かだと思う。でも俺はあそこまでいい男じゃないだろ。アウロラと釣り合いを取らせるためだろうが……盛り過ぎだ」
「え?何言ってるの。ノヴァくん、あのままだよ?夜会服で煌めき度合いはアップしてはいるけど」
「セディル……気を遣わなくていい」
ふうとノヴァはやるせなく息を漏らす。
……気なんて遣ってないのに。
「問題は、アウロラや俺の許可をとらず、黙ってマスターがあそこに飾らせたことなんだ」
知らぬまに掲げられていたふたりの肖像画を前に、ノヴァは絶句したものである。
複製を含めて3枚描かれた肖像画は、カントリーハウス、王都の屋敷、そしてこのホテル・サフィレットに飾られるに至った。
「まったく、マスターの嫌がらせは徹底してる」
「……そうかなぁ、ウィスタリア様は純粋に姫様とノヴァくんの麗しさをたくさんの人に見て欲しいだけだと思うけどなぁ」
「……。セディルはあの人の本性を知らないからな」
ノヴァの居室を出て、玄関フロアに続く居間の扉の前まで進むと、丁度別の部屋から使用人を連れてひとりの少女がやってきた。
自然とノヴァから彼女の名がこぼれる。
「アウロラ」
ノヴァとセディルの姿を見とめ、アウロラはふわっと笑みを浮かべた。
「まあ、セディル!ノヴァのところへ遊びに来てくれていたのね」
髪を揺らし、魅惑的な香りを漂わせながら、彼女は軽やかにふたりに近づく。
薄紅色のドレスを纏って微笑むアウロラは、春の女神そのもので、セディルは目を眩ませた。
セディルは全身に緊張が走る。
「ご、ごごごご、ごきげんようでございます、ひ、ひひひ、姫様……!」
声をうわずらせ、水飲み鳥のようにぺこぺこと頭を下げるセディルにアウロラはふふと微笑む。
「ええ、ごきげんよう」
傍までやってきた彼女にノヴァは軽く手を差し伸べると、アウロラも自らの手を預けて繋がる。
「ひどいわ、ノヴァ。セディルが来てるのなら、わたしにも声をかけてくれたらよかったのに」
お互いに、こうしてふたりが暮らす部屋まで訪ねてくれる友人は稀なのだ。アウロラとしても、ノヴァの友人は大切にしたいと思っている。
少し拗ねた顔を見せるアウロラを新鮮に思いながら、同時に飾らないアウロラを可愛らしくも感じてセディルは頬を染める。
「別に除け者にしてたわけじゃないさ」
アウロラが視界に入ると、緊張で岩になってしまうセディルを気遣って声をかけなかったのだ。岩になっていては、魔法の練習にならないではないか。
「ふぅん?ならいいのだけど。……ああ、そうだわ」
アウロラは名案を閃いたとばかりに瞬きを繰り返す。
「これからお茶にするのだけれど、セディルもご一緒に如何?」
「えっ」
「ノヴァの大事なお友達だもの。おもてなししたいわ」
アウロラの提案にセディルの肩が震える。
ひ、姫様と、お茶……?!そんな、お、恐れ多い……!お茶がうまく飲み込めず、溺れむせて息絶えるかもしれない……!
アウロラの前でとんでもない醜態を晒すところを想像し青ざめる。
「今日はね、ノヴァが作ってくれた新しいお菓子があるの。ぜひ、セディルにもご賞味いただきたいわ」
嬉しそうに微笑むアウロラの美しさに見とれつつ、ノヴァ手製の菓子という情報に鋭く反応する。
ノヴァくんの、お菓子?!……それは、気になる!
「は、はいぃー!不肖セディル、姫様のお供をいたします……!末席も末席、部屋の隅っこで構いませんので、ぜひ、よ、よろしくお願いいたしますぅー!」
ノヴァくんのお菓子が食べられるなら、お茶で溺れ死んでも本望!
「……お前……」
アウロラと同席することの緊張感より、ノヴァの菓子を味わいたいという欲望に負けたセディルにノヴァは少々引いた。
「決まりね!……マーガレット、客間にお茶の用意をお願いできる?」
「はい、お嬢様」
マーガレットはお辞儀をすると、素早く対応を始める。
てきぱきと無駄のない動きで使用人達は客間にお茶の支度を済ませた。もちろん、しっかりセディルの席ももうけられている。
部屋を移動するだけでもノヴァがアウロラの手を引き、学校で見せる仲睦まじい姿のままでセディルはときめく。
姉をエスコートして先にソファに座らせると、ノヴァはセディルに目配せする。部屋の隅ではなく、対面に腰かけろと。
セディルはうなずいて恐る恐るアウロラたちの向かいに座る。上質なソファに身を縮こまらせながら。
ノヴァもアウロラの横に腰を落ち着かせると、使用人たちが流れるように給仕をはじめる。
「ノヴァ、今日はセディルと何をしていたの?」
問われたノヴァは素直に答える。
「魔法試験の対策だよ。練習だな」
「ええっと、メレのクラスはどんな試験内容なのかしら」
次にアウロラはセディルに尋ねる。
「ひ、ひひひ、氷結魔法です……!丸い氷の塊を作る課題です…!」
「丸い、氷?」
小さく首をかしげるアウロラにノヴァが解説する。
「あぁ、氷結魔法で球形の氷を作る試験だ。手のひら大で、限りなく正球形に近いものを作り出すほど評価が高い。ただし、透明度は問わない」
「魔力を一定に保つというのが僕にはとても難しくて、集中を保つコツをノヴァくんに教えてもらいました」
「そうなのね。……そういえば、わたしも昔ノヴァにコツを教えてもらったわ」
「えっ、姫様もノヴァくんに……?!」
意外な過去だ。
「ええ」
ノヴァを屋敷に迎え、ようやく魔法の基礎鍛錬をはじめた頃の話ではあるが。
ノヴァの家系は魔術師が絶えてはいたが、古びた魔道書が地下室で埃をかぶって積まれていた。時間だけはあったので放置されていたそれを摘み読み、ノヴァは独学で基礎を習得していた。魔術師になるつもりはなかったが、知識が邪魔になることもないだろうという自分なりの判断で。その後、アウロラのフラテル選別試験という形で発揮されることになったのだが。
「……その話はやめろよ、恥ずかしい…」
天才のアウロラにコツを教えていた自身を省みて恥じ入る。
「いいじゃない。あの頃は、あなたが魔法の先輩だったのだもの」
姉弟でありながら幼馴染でもあるふたりだけの思い出に、彼らの歴史を感じてセディルはほんわかした気持ちになる。
「うーん、なるほど。氷の正球形ね。……試したことはないけど、こんな感じかしら」
アウロラは左手を受け皿にするようにして、右手の指をその上でくるくると泳がせる。
すると大気中の目に見えぬ水分が集まり、冷気へと変換されみるみるうちに一個の塊を作り出す。表面に霜のざらつきは一切なく、凍てついているとは思えないほどつるんと透明度の高い氷の球形が彼女の手のひらにすとんと落ちる。
水晶玉のようなそれをアウロラは彼らの前にかざす。杖もなく、呪文も唱えずに。
「これなら合格をいただける?」
あっさりと、あまりに高等な球形を作りだしてしまったアウロラにセディルはあんぐりと口を開けて仕上がった氷塊を食い入るように凝視した。
「す、すすす、すごいです、姫様……!つるつるです…!ど、どどど、どうしたらそんなことに……?!」
「空気や不純物を取り除いているだけよ。あとは、綺麗な丸になーれーと念じるだけでいいの。セディルもやってみてね」
アウロラは氷を霧散させながら、にっこり微笑んだ。
え、ええと、空気や不純物はどうやって取り除けば?……あとは、念じる?…念じるって……?……え?
セディルはぽかんとしている。……天才の感覚など理解できなくて当然だ。
「セディル、気にするな。アウロラの見本は参考にならない。別物だと思ってくれ」
「どういう意味?……もしかして、わたしはものすごくアドバイスが下手なの?」
アウロラは勘違いをして頼りなく軽く眉を寄せた。
「そうじゃない。そうじゃないんだが……」
念じるだけでどうにかなるのは、アウロラだけだ。
返答に困るノヴァを見かねてセディルは口を開く。
「あ、あの、姫様の魔法を拝見できただけで、ぼくは故郷の母や兄弟に自慢の手紙を書けます。ありがとうございます……!」
これは本当だ。寮に戻ったらさっそくこの驚きと感動を手紙にしたためなければ。
「アドバイスが下手なわたしを気遣ってくれるのね。セディルは優しいわ」
「あぁ、そうだな。セディルはいいやつなんだ」
「いっ?!いいえ、そんな、そんなことはけして……!やめてよ、ノヴァくんも…!」
慣れない称賛にセディルは焦り、両手で顔を覆う。
そこへアウロラの家令が宝石箱を模した器をテーブルに運んでくる。
「お持ちいたしましたわ、プリセンス。ご所望の焼き菓子はこちらでよろしいのよね?」
「ええ、ありがとう。ローリー」
華やかな容姿と女言葉で、独特な雰囲気を醸している美青年にアウロラは微笑む。
ノヴァの家令は表情の薄い冴えた雰囲気の美青年だが、アウロラの家令は彼とは真逆に位置する美形だ。ふたりの家令と同じく、ホテル・サフィレットの男性たちは異様に美丈夫が多いため、セディルはノヴァを訪ねて来る度に気後れする。
運ばれてきた器の蓋をアウロラ自ら取り外し、中身を晒す。
「これがノヴァにお願いして作ってもらったお菓子よ。名付けて、ブローチクッキー」
丸いジュエリーのブローチのように立体的な作りのクッキーは、チョコレートやジャムにクリーム、メレンゲやナッツに彩られている。
ひとつひとつ形の違うものを小皿に盛り、アウロラはセディルの前に置く。
「さぁ、召し上がれ」
はじめて目にする造形のクッキーを前に、セディルは息を飲む。
なんだろう、この尋常でなく美しい焼き菓子は……。
震える指で取り上げて、そっと口に運び噛み締めると……甘さと美味さが口いっぱいに広がって幸福感に満ちる。
菓子ひとつで感動をもたらすノヴァの技量を改めて尊敬する。
「……すごい、すごいよノヴァくん。……君はやっぱり天才だ……」
セディルの感想に、アウロラも嬉しくなって賛同する。
「そうなの、ノヴァはすごいの」
アウロラはぎゅっとノヴァの腕にひっついて微笑む。
『わたし』の世界に存在していたロシアンクッキー(ロシアケーキ)が恋しくなり、イラストを描いて示し、こういうものが欲しいのだとノヴァにお願いをした。
ノヴァなりに想像を膨らませて試行錯誤を重ねた菓子は、彼女の想像の域を超えて食べてしまうのが惜しいほどの仕上がりとなった。もはやノヴァの作り出す菓子は、食べる芸術だ。
手放しで褒められているノヴァは、アウロラをひっつけたまま居心地悪そうに眉を寄せる。
「……そんなに大したことはしてないだろ。それに……まだ完成形じゃないんだ。もう少し改良が必要で……」
自らが作り出したクッキーに目を落とす。
このクッキーの要は二度焼きすることにあると閃きを得てからはスムーズに作業が進んだが、まだ納得の粋には達していない。
アウロラが欲することは最善を尽くして応えたいと思っているが、彼自身も凝り性な一面があるため、ディティールや味への妥協を許さない。
「あなた、こういうところは完璧主義なのよね」
「アウロラの口に入るものだからな、下手なものは作れない。俺の……フラテルとしての矜持でもある。当然だろ」
ノヴァの言葉にアウロラではなく、セディルがときめく(ラウルスかクロードがいれば「なんだその謎矜持」と真顔で指摘が入るところだが)。
姫様への思いやりが溢れてる……!尊い!尊いよノヴァくん……!
「ふふ、ありがとうノヴァ。今日はわたしが食べさせてあげるわね。はい、ノヴァ、あーーんして?」
アウロラはノヴァににじりよって、指につまむブローチックッキーを彼の口元に近づける。
「……ちょ…、お、おいアウロラ、よせ。自分で食べられるから……」
「あら。あなたいつもは拒まないし、わたしの口にもお菓子を詰め込んでくるのにどうしたの?……ほら、ノヴァ、あーん」
「……いや、今は、ちょっと……」
ノヴァはまさかの展開に顔を赤らめて動揺し、遠回しに拒否する。
向かいに座るセディルの目を気にしているのだ。
……なんてことだ……ノヴァくん……。いつもはって……まさか君、ふたりきりになると姫様に「あーん」してもらう習慣が……?
魔法学校や工房ではけして見せない彼の意外性に、セディルは愕然とする。
同時に、激しいときめきが襲いかかった。
くうっ……!胸が苦しい……!!
……いい!いいよ!すごくいい!姫様にお菓子を「あーん」されてるノヴァくん、すごくいい……!!
ああああ!!ご、ごめんよノヴァくん。ぼくのことが気になるよね!邪魔だよね!!でも、ダイジョーブ!ぼくは空気みたいなものだから!置物だから!ただの壁だから!!
友人の羞恥心を察して、セディルは気配を消し、なるべく見ないようにしながらも、意識だけは冴えさせる。
正常な感覚を持った男であれば、仲睦まじいふたりに辟易するはずだ。が、幸か不幸かセディルの理性はすっかり壊れている。
ぼくに見せつけてくれるなんて!なんというご褒美!ノヴァくんのお菓子を味わいながら、かぶりつきで姫様とノヴァくんのやりとりを鑑賞できるなんて!夢の空間でしかないよ!(ああ、夢ならさめないで!)
アウロラに迫られ、恥じらうノヴァは貴重だ。見逃してはならない。
「……アウロラ、よせって!セディルの前だぞ……!」
平時とは状況が異なることを知らせるべく、友人の名前を出すと、アウロラは不思議そうにする。
「……あら。セディルはあなたのお友達じゃない。何か不都合があるの?」
「あるだろ、さすがに!」
これは友人の前ですべき行為ではないはずだ。なぜアウロラは平気なのか。鈍感にも程がある。
「……そう?仕方がないわね……あなたが嫌なら、セディルに食べさせてあげるわ。それならいいのよね」
「は?!」
「えっ?!」
どうしてそうなる?!
ノヴァとセディルが同時に声を上げる。
「はい、セディル。あーん…」
アウロラの腰が浮きかけたとき、ノヴァが慌てて彼女の腕を引く。
「いい、わかった!俺でいい。頼む、俺にしてくれ」
セディルの口にアウロラが菓子を送り込んだ途端、彼は喉に詰まらせ窒息死する可能性もある。
それより何より、他の男にしてもらっては困る。
「……もう、ノヴァったら。素直じゃないのだから」
苦笑しながらノヴァの口に改めてクッキーを寄せる。そこからは観念したのか、アウロラの気がすむまでノヴァは羞恥心をこらえて菓子を喰む。友人からは目を逸らしながら。
セディルも気にしていないことをアピールするように次々と菓子を口を運んだ。
「ノヴァ、美味しいでしょう?」
「……あ、ああ…うん……」
たぶん、もう味などわかっていないはずだ。
嬉々として親鳥のように菓子を食べさせ、ノヴァを翻弄するアウロラは魔女でなくても最強だとセディルは思った。
使用人しか知らないアウロラとの秘めたるやりとりを友人に晒してしまい、酷く気まずいノヴァは大量の菓子を手渡して口止め料とした。
ノヴァのためにも、セディルはこの口止め料をありがたく受け取る。
ただ、もう二度とアウロラとのお茶会には呼ばれないはずだ。ノヴァに阻止される形になって。
了
このお話は、ピクシブにおける『いいね』1000個↑達成記念&お礼短編としてアップしました(ピクシブ先行公開です)。
1000個自体は早い段階で達成していたのですが、ちょっとゴタゴタしていたもので更新が後ろ倒しになってしまっておりました(汗)。
このお話の時間軸は3章番外編以降、4章突入未満になります。※次回連載更新時にこのお話は3章の最後の部分に付け足す形で挿入したいと思っております。
2章で描いてもらっていた肖像画のその後、4章で手土産にしたクッキーの件も絡めてあります。
わたしは物語にこういった風情で枝葉をつけて、広げていくのが好きなタイプです。




