お茶会への誘い(5)
得意顔でお茶会の場に現れた少年、ユリアンを前に呆気にとられたのはアウロラだけではなく、その場にいたクラリスやグロリア、使用人達も同様の表情を浮かべていた。
しかし真っ先に正気に返ったクラリスが立ち上がり、少年に歩み寄る。
「ユリアン……?!なぜここに…?!」
彼女は身を屈ませてユリアンの顔を覗き込む。
「あにうえとあねうえの学校がお休みに入ったと爺やから聞きました。だから遊びに来てあげたのですよ?ぼくに会えてうれしいでしょう、あねうえ」
歓迎を疑わない笑顔を浮かべるユリアン。クラリスは彼の着衣や髪から小枝や木の葉を取り除きながらなんとか笑顔を作った。
「…えっ、ええ…!そ、それはもう…!……ねぇ?お兄様!」
「…あ、ああ…そうだな」
平静を装っているが何故かふたりに若干の焦りが見える。ユリアンは彼らの血縁者であることは間違いなさそうだが……?
「先に王都の屋敷へ行ったのですよ?そうしたら、おじうえがオルテンシアにいると教えてくれたのです。ずるいのです!ぼくをさしおいて遊びに出かけるなんて!」
ぷくっと頬を膨らませる様がなんとも可愛い。
……と、そこでユリアンはお茶会のテーブルの上に釣り下がっている豪奢なシャンデリアに気づく。魔法陣の下で日の光に晒されてキラキラと乱反射するそれに感動する。
「……うわぁ!とても綺麗なシャンデリアなのです!これはあにうえかあねうえの魔法なのですか?」
「えっ」
フロストシャンデリアに興味を示してしまったことにビクッと肩を震わせるクラリス。
「いや……これは……我々ではなく…」
グロリアは歯切れ悪く、アウロラを一瞥する。その視線を追ってユリアンは成り行きを見守っていたアウロラを見つけた。
彼の眼差しに気づいてアウロラはにっこり微笑んだ。惜しみなく。
ユリアンはアウロラの蠱惑する微笑みをまっすぐに受け取ってしまい、幼心にも胸に迫る美しさに瞳を奪われ、息を飲む。
揺れるルビー色の瞳とぶつかって、今までに感じたことがない胸騒ぎにユリアンは戸惑った。そして、その面差しはとある魔女を想起させた。
「あ、ユリアン…!」
ユリアンはクラリスの手をすり抜けて、引き寄せられるようにアウロラの元へ駆ける。
「わたしはユリアンという。そなた、名は?」
少年は王族に類する者らしく、命じることになれた尊大さを滲ませ問いかけた。
アウロラは椅子から静かに立ち上がり王族に対する最大の礼を示しながら答える。
「はじめてお目にかかります、ユリアン様。わたくしはアウロラ・ルベウス・コランダムと申します。どうぞお見知り置きくださいませ」
「……ルベウス…」
ユリアンは小さく呟き、ぱっと顔を明るくさせる。
「そなた、アレクシアの縁者か?」
「!……はい、アレクシアはわたくしの母でございます。……母をご存知なのですか?」
アウロラは目を見開く。
「うむ、存じておるぞ。口うるさい教育係から逃げるときはアレクシアの執務室にかくまってもらうのだ。アレクシアは逃げ込んでも見て見ぬふりをしてくれるし、たまにお菓子をくれたりするぞ!」
「……まぁ、そうなのですか」
アレクシアは小さな彼に優しいようだ。アウロラの知らない母の横顔を垣間見た気分になった。
お母様は宮廷で恐れられているばかりではないのね。なんだか安心したわ。
ユリアンはにこにこしながら続ける。
「そなたがアレクシアの娘であるのなら、いずれはわたしの……」
「ユリアン」
グロリアが嗜めるように名を呼び、遮る。
尊敬するグロリアに冷静に見据えられ、彼はっとして口を噤み、小さく俯く。
調子に乗って話しすぎてしまったようだ。
「ご、ごめんなさい、あにうえ」
なんとも気まずい沈黙が訪れたが、ユリアンはすぐに立ち直り、親しみのある口調に戻してクラリスに問いかける。
「あねうえ、ぼくもお茶会にご一緒してよろしいですか?」
「えっ……あ、ええ。……構わないかしら、アウロラ」
「もちろんです」
アウロラは頷いた。
彼女は断る立場にはないし、ユリアンは年齢相応の愛らしさでアウロラの心を和ませた。
さらに宮廷内のアレクシアを知る者として、彼に親近感を抱いた。
執事が席をひとつ用意するが「ぼくはアウロラの隣です」と主張し、それを通させた。
一時中断したお茶会はユリアンを含めて続行する。
「あの、アウロラ……予定外のことばかりでごめんなさい」
クラリスは声を潜めて詫びる。
「いいえ、お茶会が賑やかになってわたくしは大歓迎ですわ」
「この子は……、ユリアンはわたくしの従兄弟で、たまにこうして、こっそりと遊びにきてくれるのですわ」
クリラスは目を泳がせ、具体的な家柄の説明を避ける。
「あねうえ、ぼくがいたほうがアウロラも楽しいのですよ。そうですよね、アウロラ」
ユリアンはアウロラの顔を覗き込んで人懐こく笑いかける。
「…ふふ、はい。ユリアン様」
ユリアンの調子に合わせてアウロラも微笑む。
それからのユリアンは嬉々としてアウロラにだけに話しかけ、愛想を振りまいている。
「………」
クラリスは内心焦っていた。
これはよくない展開よ、クラリス!
計画が、お兄様とアウロラを近づけるこの計画が崩れはじめているわ……!
寸前までは完璧だったはず。そう、目眩がするほどに。
しかし、ユリアンの闖入によって計画の見直しが必要となってしまった。
ユリアンはその愛くるしさと人懐こさで、大人の警戒心を薄れさせ要求を飲ませることに長けている。普段はクラリスもそのようにして甘え上手な彼に転がされてしまう中のひとりなのだが、ユリアンの興味がアウロラに向いてしまうのはまずいのだ。大変まずい。
ユリアンは明らかにアウロラを気に入り始めている。
じっとアウロラを見つめながら、ユリアンは呼びかける。
「アウロラ」
「はい」
「アウロラはもう婚約はしているですか」
「?!……こ、婚約、ですか?」
「うん」
脈絡のない問いかけに驚いたのはアウロラだけではなく、クラリスはお茶を吹き出しそうになり、グロリアは噎せそうになった。
「ごめんなさいアウロラ。……ユ、ユリアン?!唐突に何を言い出すのです!彼女に失礼ですよ?!」
クラリスが慌てて口出しするが、ユリアンは凛々しい顔を見せる。
「これはだいじな話なのです、あねうえ」
何が?!とクラリスは目を剥く。
「い、いえ……まだ、そのような方はおりません」
苦笑を浮かべるアウロラにユリアンは頬を染めて嬉しそうにする。
「なら、問題ないのです」
「はい?」
「アウロラは、ぼくの妃になるといいのです」
満面の笑みを浮かべて、彼は彼の中で最良のひらめきを口にした。
「え?」
「は?」
「……何を…」
突拍子もない提案にユリアン以外は固まる。
絶句するアウロラたちを置き去りに、ユリアンはお菓子を頬張りながら指折り数える。
「……今ぼくは7歳なので、あと7年くらいアウロラに待ってもらえばいいのです。あ、その前に婚約の儀式をせねばいけません。その場合はぼくが12歳のときに執り行うとして……」
すっかり彼の中で、アウロラとのバラ色の婚約生活が計画されている。
クラリスは口を引きつらせた。
ああ、やっぱり!
嫌な予感、的中。
この子ったら、すっかりアウロラの魅力にのぼせてあがって……!
生活環境の特殊さから、ユリアンは実年齢よりませた思考を持っている子供ではあったが、まさかここまで飛躍してしまうとは。
アウロラは子供の言うことだからと呑気に構えているが、甘い。ユリアンの意思は、いずれ国家の意志となるほどに重いのだ。
本来ならば、しかるべき段取りを経て顔合わせしなければならない間柄なのである。
うっかり宮廷内でユリアンがアウロラの名前を口にしようものならば、スキャンダルに発展しかねない。噂は肥大化し、歪んで伝わる。間違いなく、アウロラがユリアンをたぶらかしたと一方的な糾弾が待っているだろう。ルベウスを政治的に転覆させ、追放したい一派からすれば思う壺だ。
クラリスは青ざめる。
……スキャンダルだけはダメよ。絶対ダメ!これからのルーキス・アダマス、ルベウス両家の関係発展のため、アウロラの立場を悪くしてしまうわけにはいかないわ!
何より、お兄様とアウロラのために!!今ここで、わたしが悪者になっても食い止めます!
「なりません、ユリアン。アウロラだけは絶対になりません!」
クラリスはユリアンの提案を強く否定した。あまりの剣幕に彼は驚き、そして眉を寄せて悲しげに彼女を見やる。
「……なぜですか?アウロラはいずれぼくの伴侶になるのです。ならばいっそうのこと、妃になってもらえばいいのです」
は、伴侶……?
アウロアは首をひねる。
「いいですか、ユリアン。妃以前に、アウロラはあなたの伴侶ではありませんよ?王佐は王配ではありません!……それに…それにですね……、」
一旦言葉を区切り、クラリスは息を吸って勢いよく告げる。
「アウロラは、お、お兄様と秘めたる恋仲なのです!あなたはグロリアお兄様の大切な女性を奪うおつもりですか?!」
クラリスの口から飛び出した爆弾発言に、アウロラとグロリアはぎょっと互いを顔を見合わせて同時に「え?」と戸惑いの声をあげた。
初耳だ。そんな事実は一片もない。
さすがの使用人達もわずかに表情が崩れている。
「……恋仲……あにうえとアウロラは、恋人同士なのですか…?」
訝しむ眼差しで彼らを眺めるユリアン。
クラリスは必死のアイコンタクトで困惑する兄に訴える。
『お兄様、わたくしに調子を合わせて芝居をうってくださいませ!ユリアンにアウロラを諦めさせなくては!大変なことになります!』
『……いやしかし…それではアウロラ殿の名誉が……』
『その時はお兄様が責任を取ってしまえばよろしいのです!これはアウロラとユリアンの将来のためなのですよ?!』
『……。致し方がないか……』
長年培った兄妹同士の無言のやりとりは、妹に押し切られる形になってグロリアは頷いた。心苦しくも。
「……そうだ、ユリアン。私とアウロラ殿は、実は恋仲なのだ」
「…グ、グロリア様……?!」
まさかの肯定にアウロラはあんぐりと口を開けた。使用人達もいよいよ目を剥く。
驚愕するアウロラの表情や周囲の反応に、ユリアンはさらに疑いの目を向ける。
「……本当の本当に恋仲なのです?皆でぼくをだまそうとしているのではありませんか?」
平時にこそ猜疑を養え、と常に教育係に諭されているユリアンは簡単に騙されることはない。
そこでグロリアは覚悟を決めて立ち上がり、アウロラの横に立つ。戸惑う彼女の手を取り立たせると、腰に腕を回してぐいっと自らへ強く引き寄せた。
「?!」
「あぁ、私の愛しいアウロラ……私の美しき女神。あなたがいなければ私の夜は明けない。今は秘めたるあなたへの想いはいずれ公にして、世間に恥じぬ仲として取り計らうと誓う。どうか、私を信じて待っていてほしい……」
切なげに懇願され、アウロラはただただ混乱し、瞬きを繰り返した。
い、愛しい?女神?
「……は、はい……?」
な、ななな、なんなの、この状況は……?!
どどどど、どうしてこんなに密着して……?!それに腕、グロリア様の腕がわたしの腰に……!
息がかかるほど近い距離で見つめ合う。
その神がかりした美貌を目の当たりにしてアウロラは思考停止に陥り、石化した。
季節の花々が咲き乱れる庭園を背にグロリアとアウロラが絡み合う様はあたかも一枚の麗しい絵画のようでクラリスを大いにときめかせた。この場に絵師がいないことが悔やまれる。
「……そ、そんな……グロリア様…」
展開に理解が追いつかないアウロラがなんとか絞り出せた言葉はこの程度。
美貌の眩しさに耐えかねて瞳を伏せる様が、世間に秘めたる恋仲の切なさや、愛を囁かれ恥じらう娘のそれと一致し、ユリアンはショックを受ける。
「……アウロラがあにうえと恋仲だなんて…」
「そ、そうなのですよ、ユリアン。ですから、こうやってわたくしが彼女を誘うことで、口実だてをして密かに逢瀬を重ねているのです。でも両家の事情は理解していますね?もちろんこのことは秘密ですよ、ユリアン」
クラリスはしたり顔で大きく頷いて、だめ押しとする。
ユリアンは手にしていたお菓子を皿に戻し、膝の上でぎゅっと小さな拳を握る。
「……あにうえとアウロラはお似合いなのです。……ぼくは…ぼくは、アウロラをあきらめるのです。あにうえは、ぼくが生まれたから王宮を出て臣下となり魔術師になったのです。ぼくよりずっとずっとあにうえの方が優れているのに。……だから、今度はぼくがガマンする番なのです…あにうえのために……あにうえの幸せのために……」
大きな瞳に涙が浮かぶ。
「……でも、でも……ぼくは悲しいのです……うわーん、あねうえー」
こらきれずユリアンは泣き出す。
甘えるようにぎゅっとクラリスに抱きついて泣きじゃくる。
「ええ、ええ、ユリアンあなたは偉いですよ。とても我慢強くて偉い子です」
クラリスはユリアンを抱きしめて、背をさすり宥める。
「…あ、あの…」
これは一体……?
どうしてユリアン様は泣いているの?もしかして、わたしを伴侶にするって……本気だったのかしら?
完全にアウロアを置き去りにして話が進んでいる。
「お兄様、ユリアンはわたくしに任せて……行ってくださいませ」
「……あぁ、すまない……ユリアン」
グロリアは石化が解けないままのアウロラから体を離し、彼女の手を引いて庭園の奥へと消えていく。
その後ろ姿に、クラリスは安堵の息をつく。
災い転じて福となす。
お兄様とアウロラを二人きりにすることができたわ!
一時はどうなることかと思ったけれど、これはユリアンのおかげでもあるわね。
少々大人気ないことをしてしまった自覚はある。
だから。わたしがたくさんたくさん慰めてあげますからね、ユリアン。
お茶会の場から離れ、庭園の端までやってくるとグロリアは足を止めた。
「……この辺りでいいか…」
素直に手を引かれていたアウロラは状況が飲み込めず、混乱した表情のまま固まっている。
「アウロラ殿、下手な芝居に付き合わせて申し訳なかった」
「……し、芝居……?」
「ユリアンが本気であなたを妃に望む前に、諦めさせるべく妹に合わせて一芝居うったのだが……、あなたを振り回す羽目になってしまった」
申し訳なさそうに眉を寄せるグロリアに、アウロラはやっと合点がいき、「あ、ああ…!」と大きく何度も頷いた。
「そ、そうだったのですか!……いえでも、ユリアン様はわたくしと会ったばかりでしたので、その……本気で婚姻を考えていたとは思わず呑気に構えておりました……」
ふたりが咄嗟に機転を利かせてくれたのだ。さすがは兄妹、以心伝心というわけだ。
「もしかしてわたくし、思わせぶりな態度で、ユリアン様を傷つけてしまったのでしょうか…」
クラリスにすがって泣きじゃくっていた姿を思い出し、胸が痛む。
「いや、あなたは何も悪くはない。あの子は少しませた考え方をするところがあって……それに、」
「?」
「アダマントの男は、どうにもルベウスに惹かれてしまう性があるようだ。……私も同様に」
「え?」
繋がったままの手をそっと握られ、グロリアはアウロラの指先に唇に押し当てる。
「私もかつてはアダマントであった身。例外ではないのですよ、私の愛しいルベウスの姫」
魅惑的な笑みを浮かべ、うっとりと彼女を見つめる。
どこまでが芝居で、どこまでが本気かわからない。
鼓動が跳ね上がり、アウロラは頬を紅潮させ小さく震えた。
「な…なななな……ご、ご冗談を……!」
アウロラは慌てて彼の手からすり抜けて、身を引いた。指先に残る唇の感覚を持て余しながら。
「……からかわないでくださいませ!わたくし、こ、こういったやりとりに慣れていないのですから…!」
「実は、私も女性を口説くことには不慣れなもので」
微苦笑を浮かべるグロリアにアウロアは目一杯突っ込みを入れたくなった。
どこが?!……と。
「ただ、あなたを前にしていると、不思議と言葉が溢れ出そうだ」
「わ、わたくしを練習台になさるおつもりですか」
「……あぁ、それはいい。あなたにだけ囁いていられる」
楽しげに微笑まれて、アウロラは赤面絶句する。
「……っ!」
なん、なの……?!
グロリア様ってば、本当に、本当に天然が過ぎる……!
い、いくら相手がわたしだからといって、言っていいことと、悪いことがありますからね……?!
さすがのわたしも勘違いしてしまうでしょう、こんなことばかり言われてしまっては……!
ああ、ダメダメ!落ち着いて、わたしの心臓……!
勘違いしてはいけないと高鳴る胸に叱咤して、なんとか立ち直ろうとする。
首まで赤くして狼狽えるアウロラの姿にグロリアは瞳を細めて呟く。
「……どうやら、私も全く脈なしというわけではなさそうだ……」
とはいえ。愛を囁く関係に至るには、彼女の義弟に認めてもらわねばならない。彼の存在が最大の難関となるだろうが。
「…え?何かおっしゃいました…?」
アウロラの胸元で揺れるサファイアのペンダントがキラリと光る。彼女に近づく異性を弾くように。
「いや……それよりも、本日は本当に申し訳なかった。オルテンシアまでクラリスを訪ねてくれたというのに。この埋め合わせは私の方から責任を持って必ずさせていただく」
「そのようにお気遣いいただくほどのことでは……」
「これは、クラリスも同意していることではあるが」
「?」
「あなたとは、成人後も政治的な立場をこえて懇意であり続けたいと思っている。時間がかかるかもしれないが、それを表に示したい。いつまでも王侯だの、魔術師だのと宮廷で角を突き合わせている場合ではない。先の大戦以降、我らは長く平和を享受しすぎたのかもしれない」
危機感は薄れ、風通しは悪くなり、欺瞞が満ちて政治は腐敗し、貧富の差は広がるばかりだ。
この国は、どこへ向かおうとしているのか。
「それに……なぜか時折、妙な胸騒ぎに襲われる。この先、何か…不穏なことが起こりそうな気がしてならない。……私の杞憂で済めばいいのだが」
「……グロリア様」
もしや、グロリアはこれから降りかかるであろう、ゼノの災禍を予感しているのだろうか。
王位を継いでいたかもしれないグロリア様の直感力は侮れないわ。
でも今はまだ全容を語るときではない。
アウロラは口を噤む。
「不安を煽って申し訳ない。だが、私の胸騒ぎは別にしても、ルーキス・アダマスとルベウスが共に手を携えて歩んでいければと思っている。政治的にも、魔術師的にも……あなたが許してくれるなら、恋人としても」
微笑みを浮かべるグロリアの、最後の部分は聞かなかったことにした。
冗談を真に受けてこれ以上心を揺らされるのは、悔しいので。
※
再びクラリスと合流した頃には、ユリアンは落ち着きを取り戻しており、そのままアウロラとの別れを惜しみながら早めに居城へと戻っていった。
その後クラリスの提案によりカードゲームに興じ、日が暮れる前に使用人達に見送られアウロラはオルテンシア城からの帰路につく。
馬車の中、アウロラは背もたれにぐったりともたれかかり、瞳を閉じて大きな息をつく。
「……あーー……疲れた…」
なんと目まぐるしい一日だったことか。
「はしたなくてよ、プリンセス」
向かいに座る家令は呆れた視線をよこす。
「まったく……プリンセスったら、元王子様に口説かれたくらいであんなに動揺して」
「……っ…!…ロ、ローリー?!あなた、見てたの?!」
ぎょっとして身を起こし、目を見開く。
「この私が間抜け面を晒してぼうっとしていると思って?……とりあえず浮ついた侍女たちが言い寄ってきたものだから、これ幸いとさり気なく情報収拾をしたり、それとなく城の内部を探ってみたりしたわよ」
「さすがローリーだわ。ちゃっかりしてるわね」
「それから小さな王子様がお忍びで来訪して城内が慌ただしくなったものだから、プリンセスの反応が気になって庭園で隠密を」
「……そ、そうなの?……気づかなかったわ…」
「失態よプリンセス。周囲にもっと気を配らないと。できないわけじゃないでしょう?」
「…ええ。注意を怠っていました」
とはいえ、簡単に気配を悟らせるローレンスではないだろうが。
「その様子では、プリンセスはあの小さな王子様の正体にも気づいてはいないようね」
「…?…ユリアン様は王族なのでしょう?耳にしないご芳名ではあるけど…」
「人目を憚る身分の方が本名を名乗るわけがないでしょう。ユリアンというのはごくごく親しい間柄で使われている愛称。彼の真名はユリアヌス。ユリアヌス・ルーキス・アダマント皇太子殿下、よ」
さらりと明かされたユリアンの正体に、アウロラは目を見張る。
「……ええ?!彼、ユリアヌス皇太子殿下だったの…?!」
咄嗟に腰を浮かし、馬車の天井に頭をぶつけそうになる。
当然、皇太子の名前は知っている。国民として皇太子の名も知らぬとは不敬である。
「そうよ、鈍感なプリンセス。あなたが将来、王佐となってお仕えすることになる予定のお方。小さな王子様は王佐と王配を混同しているようではあったけれど……まあ、その辺りのトラブルの芽は元お姫様と元王子様が取り除いてくれたようね」
彼の年恰好や口ぶりで察するべきであった。今更ながら、嫌な汗を背中に感じる。
「……だからユリアン様は『伴侶』と言ってらしたのね」
「その迂闊さはルベウス家の跡取り娘としては問題ですけれど、彼らからすれば、プリンセスの鈍さに助けられたわね」
おしゃべりなユリアンを危惧し、クラリスは事情を強く言い含めて彼を帰城させた。
皇后との間にユリアン、いやユリアヌスが誕生するまでは現・国王、唯一の男児として王位継承権を有し、暫定的に後継と見なされていたグロリアを慮って、彼は沈黙を通すだろう。
まあ、クラリス姫の思惑は別にあるようだけど。プリンセスはまったく気づいてないのでしょうけどね。
「それにしても……、小さな王子様と元王子様、双方を魅了するなんてプリンセスの家令として私、鼻が高いですわ」
家令の冷やかす視線に、アウロラは顔をしかめる。
「やめてちょうだい。ユリアン様はともかく、グロリア様は……ものすごく天然で本気ではないのだから。先ほども、ほとんどお芝居よ」
「プリンセスに本気かもしれないでしょう?」
「……まあ、ローリーったら。そんなことあるわけないわ」
アウロラは小さく吹き出した。
「あら、随分とはっきり言い切るのね」
「それはそうよ。だってわたしはア……あ…っ、いえ、なんでもないわ」
アンチヒロインなのだから、と言いかけて慌てて誤魔化した。
攻略対象者たちの愛情など、ヒロインのクラリスだけが持ち得ている可能性であって、アンチヒロインのアウロラにその可能性が欠片ほども存在するとは思えなかった。世界の理として、グロリアが本気でアウロラを口説くはずがないのだ。
……それなのに、必要以上に動揺してしまった自分が恥ずかしいわ。
でも仕方がないでしょう?彼の美貌は画面の中の人だったから直視できていたのよ。現実として目の前にあの眩しい美貌を晒け出されたら、平静を保つことは難しいのよ。引き寄せられて見つめられた時、気絶していてもおかしくはなかったわ。
実際、よく耐えたと自分を褒めたいほどだ。
「とにかく、一度しっかり考えてごらんなさいプリンセス。グロリア様があなたに本気だったら、どうするつもりなの?」
ありえないと思いながらも、一拍置いて家令の問いに答える。
「それは、困るわ」
「どうして?政治的な立場が邪魔をするのかしら。彼はそんなもの飛び越える気満々な様子でしたけれど」
「…わたしも、できれば両家の立場を超えて仲良くしていけたらと思うわ。ただ……」
脳裏にノヴァの顔が浮かぶ。
ノヴァを差し置いて、誰かと恋愛する気持ちにはなれない。
主人の浮かない表情を前に、ローレンスは察する。
「今、若様のことを考えていたでしょう、プリンセス」
「……っ…」
「あら図星。本当に義弟想いの姉君ね。でもおかしな話よ、プリンセス」
「え?」
「なぜ若様の顔色を伺い、意思を確認する必要があるのかしら。弟に恋愛の許可を取るなんてナンセンスよ。本来、あなたと若様は対等ではないわ。若様の気持ちなど尊重せず、思うままに振る舞えばいいのよ」
「……。……それは、そうかもしれないわ。でもわたしはノヴァが大切だから。これは、いけないことかしら」
「家令としては越権になってもよろしくて?」
ローレンスは一旦断りを入れ、アウロラは頷く。
「構わないわ、言って」
「では。大人の立場から言わせてもらえば、若様とばかり戯れていないで、プリンセスはもっと外に目を向けた方がいいわね」
「外に?」
「ええ、遊びを覚えなさいってこと。今まで見えなかったことも、たくさん見えるようになるわ。人の心もね」
兎角、アウロラは異性の好意に疎すぎる。
本人は無自覚だが、意図せず男を惹きつけ翻弄する悪女の資質がアウロラには備わっている。このままでは彼女の成長に合わせて、言動に勘違いし一方的に熱をあげる男たちが群れと化す。もう少し、影響力を意識させなければ。
閉鎖空間で長く暮らし、ウィスタリアやノヴァに徹底的に過保護にされて育ってしまったアウロラは、男が常に紳士であることを疑っていない。
世の中には彼女の周囲にいる男たちのように、自制心の強い者ばかりではないのだ。無防備さが災いして、どんな罠を仕掛けられるかわかったものではない。
その都度、ノヴァやローレンス(その他サイファーたち)が不埒者を処していてはきりがないわけで。
一度盛大に拐われておきながら、まだこの調子だものね。彼女が私を家令に指名したのは、正解かもしれないわ。ある種の再教育が必要だもの。
個人的には、意識的に数多の男たちを惑わし、破滅へ導く麗しき悪女に育て上げてみたくもあるけれど……その過程で処されるのは私の方になるわね(その殺伐さも楽しめそうだけど)。
家令の邪なる企み(仮)を想像すらしていないアウロラは神妙な顔を見せる。
「……あなたが言うと重みが違うわね」
「プリンセスは真面目すぎるのよ。気持ちのゆとりは努力だけではなく、遊びから得るものでもあるのだから。……ただ、誰もが羨む美神のような男に口説かれた矢先、別の顔がはっきり浮かぶようなら……プリンセスの心はもう決まってるってことになるかもしれないわね」
軽く片目をつぶってみせる家令に、アウロラは頬を膨らます。
「もう、ローリー?あなたまでわたしをからかわないで!」
ぷいと顔を背けて車窓から外に目をやる。ローレンスの追求を避けるためだ。
家令にノヴァの顔色を伺っていると指摘された時、正直どきりとした。
思い返せば、わたしはいつもどこかでノヴァの意思や価値観を意識していたように思う。彼が大切で、望まないことはしたくないから、自然と身についてしまった癖。
依存しているつもりはないけれど、ノヴァと一緒にいると、触れ合っていると……とても落ち着くし、心地いいから。
もし。先ほどのグロリア様のようにノヴァに口説かれたとしたら、わたしは……どう感じるのかしら。
夢想しかけて、既の所ではたと正気に返り、アウロラは己を恥じた。
比べてどうするの?ノヴァは恋人ではないのよ。わたしたちは『姉弟』なのに!
彼に好きな女性ができたら応援すると決めているのだし、しっかり弟離れしなくてはいけないのよ……!もっとしっかりしなきゃ……!
「……ローリー」
「はい?」
「あなたの言うことも一理あるわ。あなたの助言通り、もっと外に目を向けることにします。……帰り際にクラリス様からまたお誘いを受けたからこれを機にお休みの間、積極的にお出かけしてみるわ。クラリス様の伝で、社交界や財界のお友達も増えるかもしれないし」
頑なにならず他者の意見を聞き入れる素直さは、彼女の美点と捉えていいだろう。
ローレンスは主人を快く感じ、頷いた。
「ええ、それがいいわね。プリンセスは今が春。もっと人生を謳歌しなきゃ」
その分、若様はうかうかしていられなくなるわね。
クラリスの誘いには、もれなく彼の美神も同行していることをローレンスは一切疑わなかった。
展開を前後で区切ってもよかったのですが、久々に1万字超での更新になります。
スマホ版で見ている方はそもそも少ないのですが、一応配慮しておりました。しかし今回はまあいいか、、、と投げやりな気持ちで(おい)アップです。
次回のエピソードからノヴァさんの方の場面に移ります。
どろどろした王家の内部事情は場違いなので作中では匂わせる程度でしか書いていませんが、グロリア様はユリアンくん(皇太子)が誕生するまで、様々なものに板挟みになりながら、肩身も狭かったはずです。
彼に能力がなければまだよかったのですが、天に二物も三物も与えられ、王位を継ぐにふさわしい資質を兼ね備えすぎていたので、まあ生きづらいこと生きづらいこと。汗
国王と皇后様との間になかなか子供ができなかったのは、このあたりのこともストレス(プレッシャー)になっていたからかもしれません。
待望の嫡出ユリアンくん誕生によってグロリア様はやっと肩の荷が下りたのと同時に、お母様の立場を憂慮しつつ、自分の存在が後継争い、政争の火種になってはいけないからと早々に臣籍降下を申し出て、ルーキス・アダマス家の養子になったというわけです(魔術師の素養もあったから)。
グロリア様はその高い資質からカリスマ性のある高潔な王様になっていたと思いますが、ユリアンくんは臣下をうまく転がす社交的で狡猾な王様(良い意味でね)になりそう。結果的にはユリアンくんも優れた王様というわけです。17歳くらいになったら、息をするような自然さでアウロラさん(26歳)を口説いてるかもしれませんね(苦笑)。




