呪いか護符かは気持ち次第
アウロラに遅れること約三月後、ノヴァも誕生日を迎えた。
朝一番にアウロラが駆け寄って来て彼へお祝いの言葉を口にした。
「お誕生日おめでとう、ノヴァ」
「あぁ。ありがとう」
家庭的な空気に慣れてきた彼も素直に礼を述べた。
「それでね……はい!わたしからのプレゼント!」
柔らかそうな生地で作られた小さな巾着袋を差し出す。受け取って彼女を見る。
「中を見てもいいか?」
「ええ。少し恥ずかしいけど」
はにかむ彼女を見届けて、ノヴァは袋の中にあるものを取り出す。と、それはブレスレットだった。
組紐状のブレスレットは、原始の魔女が得意としていたタリスマンのそれに近い。ところどころにルビーとサファイアのビーズが一緒に編み込まれた、丁寧な仕事のものだった。ノヴァも細工を学ぶ立場だから、その手間暇がどれほどかかっているかくらいは想像がつく。
「アウロラが作ったのか?」
彼女の顔を見る。
「ええ。わたしが手作りできるものはこれしか思いつかなくて。……あ、材料については伯父様から調達はしているけど」
この手のアクセサリーづくりには実は慣れがあった。かつての『わたし』が母から教わり、趣味のひとつとして習得していたスキルで、それを思い出しながら作ったのだ。
「これは、時間がかかっただろ」
「あ、やっぱりわかる?でも、ほら、わたしにはたくさん時間があったから。サイズも調節可能にしてあるわ」
ノヴァは週に何日かは工房で修行をしているが、アウロラは敷地から出ることがまだゆるされていない。
「ノヴァの得意分野のものを渡すのはなかなか勇気が必要な挑戦だったんだけど」
「俺は真鍮とか金銀細工の方だから、こういうのは門外漢だよ」
「そう?あなた器用だから、すぐに出来ちゃいそうだわ」
「……アウロラは俺を万能だと思いすぎてないか」
「?でも本当になんでもできるから、ノヴァは」
疑いのない目で見つめられ、ノヴァは口を閉ざす。覚えは悪い方ではないと思う。が、彼女の中で自分はどういう人間の扱いになっているのか。この信頼度の高さには時々戸惑いを覚える。
「ノヴァの道行きのお守りになったいいなと思いながら作ったの。髪飾りのお礼も兼ねて」
と当初の言葉通り毎日身につけられているノヴァが作った髪飾りを指差す。
「ありがとう、アウロラ。大事にするよ」
「ええ。今日はお茶の時間にお祝いのケーキを作ってもらえるように頼んだのよ。一緒にいただきましょうね」
「あぁ」
ノヴァは軽く笑顔を作って、彼女の気持ちがこもったブレスレットを手首につける。
異変は、数日後にやってきた。
※
夢を見る。
暗闇の中に仄白く揺らめく陽炎のようなものを。
それは日々変化していく。
次第に陽炎は何かの形へ進化を始める。
自分はただそれと向かいあっているだけで、何をすることもできない。
しかし、起き上がると決まって強い疲労感に襲われる。まるで自分の魔力を大量に消費しているような感覚だ。
その状態がはじまって5日が過ぎたとき、夢の中の陽炎は視認可能な幻の物体へと変異していた。
波打つ青い毛並み、真っ赤な瞳をこちらに向けた、狼だ。
はじめは犬かと思ったが、体躯はもちろん、眼差しの鋭さがその可能性を否定させた。
狼はただじっとこっちを見ている。ノヴァに何かを求めているようだが、彼にはその異形の狼が求めるものに考えが及ばない。それ以前になぜ、狼が夢に出てくるのかさえも。
翌日、その夜はもう狼を夢に見なかった。ここのところすっきり眠れていなかったので、彼はたまった疲労を癒すように深い眠りについた。はずだった。
眠るノヴァの袖を引っ張るものがいたのだ。ぐいぐいと遠慮のない力で。
「……う…ん……」
せっかく気持ちよく眠れると思ったのに、誰だよこんな時間に……。
不満を露わに何度か落ちてしまいそうになる瞼を無理やりに開く。
引っ張られていた袖口の延長上に、青い子犬がいた。赤い目がノヴァを捉えて離さない。
「………」
太く短い足をベッドで踏ん張らせてこちらを見ている子犬とノヴァはそのままの姿勢でしばらく無言で見つめ合っていたが、次第に尋常でないことに気づいて起き上がった。
「……な、なんだお前…」
ぎょっとしてその子犬と向かい合う。
小さいながらに波打つ青い毛並み、赤い瞳…。見覚えがある。というより、記憶に残っている。
ノヴァはまさか、と思う。
夢に現れていたあの狼が、夢から現実に現れたのではないかと。
「……いや…まさか…」
そんなことがあるものなのか?
恐る恐る手を伸ばす。が、子犬に触れようとするとそれは煙のように実体のないものとなって歪む。
「……お前、幻か…?……だが…」
不可解すぎる状況に思い悩む暇を子犬は与えない。
声は届かないが小さく吠えて、こちらに何かを要求してくる。
「?……そういえば、お前…夢の中でも俺に何かしてほしそうだったな……」
戸惑うノヴァを急かすように、子犬は何度も吠えてくる。
「……ああ、わかったわかった…そんなに吠えるなよ……って、」
ふと、自分の腕にアウロラからもらったブレスレットがないことに気づいて、周囲を見渡す。無くさないように常に身につけていたし、眠る前も確かに手首にあった。……外れてしまって、落としたのか?
周辺を探るが、手に当たるものはない。
「……一体どこに…」
無くしたといえば、アウロラを悲しませるだろう。それだけは勘弁だ。
焦る気持ちのノヴァをよそに、子犬はやはりまた吠える。
「ああ、わかったよ。わかったからちょっと………あれ?」
幻のような青い子犬の首に、きらめくものが。
近づいて覗き込むと、そこにはアウロラのブレスレットがはまっている。まるで、最初からそこにあったように、子犬の首に。
「………まさか…お前…」
その可能性に、ノヴァの指が震える。
「……魔法獣、か…?」
存在することは知っているが、彼は実際にまだ目にしたことがない。そもそも彼らは高位な存在で精霊界から召喚し、契約することで実体化させ、従属させることが出来ると聞く。ここが大魔女家系のルベウスの家であっても、召喚装置もないこの部屋に、ぽっと出現するわけがないのだ。
もちろん、これはノヴァが召喚させたわけではない。おそらく、召喚したのではなく、ブレスレットを媒介に無から生み出された……アウロラの術式。ブレスレットにアウロラの魔力が練りこまれていたのだ。
無から生み出すなどと、こんなことは老練の魔術師でも不可能だ。理を超えている。
「……あいつ、とんでもないだろ…」
強すぎる魔力ゆえにこの屋敷に封じられ、間違えば厄災の魔女になるかもしれない、という彼女の懸念を今更ながら実感した。何が恐ろしいって、おそらく彼女はこれを意図せずに作り上げたということだ。にわかに戦慄を覚える。
ここのところずっと夢見が悪く、強い疲労度に晒されていたのは、目の前の子犬が彼の魔力を吸収していたからだ。そしていよいよ現界した。
……こいつが魔法獣だとしたら、求めていることは、たったひとつだ。
実体をとるために契約の証を求めている。それはつまり…。
「…名前が欲しいのか」
こうなったら、名付けるまでずっと彼を悩ませ続けることになるだろう。しかし、名付けてしまえば彼(?)を従属させるということになり、ずっとノヴァの魔力を消費し続けることになる。
俺にそれだけの魔力があるのか?こいつに食いつぶされやしないか?
宵闇の部屋の中で、発光する小さな魔法獣と、キラキラと光るブレスレット。
…あの箱入り娘が作ったものが、邪悪なわけはないか。
『ノヴァの道行きのお守りになったいいなと思いながら作ったの』
あの言葉に嘘はないだろう。これは彼女がくれた『護符』なのだ。彼女の『願い』によって出現したのならば、受け入れないわけにはいかない。
「まったく、力強いお守りだよ…。魔力を食いつぶされないように鍛錬を積むしかないな……」
諦めるように笑って、改めて小さな魔法獣と見つめ合う。
「……青い毛並みはサファイアから来てて、瞳はルビーか?…お前の核はアウロラの『願い』なのか?」
アウロラが生み出したのならば、彼女にちなんだ名前をつけるべきだろうか。
アウロラ……その意味は『夜明け』。だったら。
「……じゃあ、お前の名前は『ルシファー(明けの明星)』だ」
その言葉を名前と認識した子犬は瞬間、ぼっとひときわ大きく燃え上がり、青い火柱となった。そしてそれが消えると、いやそれすら纏って子犬の姿から成犬程度の大きさの狼の姿になる。
手を伸ばすと、今度はしっかりとした感触があった。まるで本当に狼がいるような温かみまでも。
ノヴァの手に頬を摺り寄せ、懐く仕草を見せた。
「……お前、これからもっとでかくなるんだろうな…。俺も、うかうかしてられないか…」
サフィルス・コランダムの名前を継ぐことになるまでは、魔術師としての素養を伸ばそうとは思ってこなかったが、本当にもうそんなことは言っていられなくなった。
こんなものを出現させるだけの素養を持つアウロラに添うには生半可なことでは釣り合いがとれない。それに、厄災の魔女以前に、彼女の能力を悟られ利用せんとするものが現れた時に自分が無力であってはならない。
「……アウロラを巡って……もしくは怖れて、争いが起こる可能性だってあるんだ…。……本当に厄介な女だな…」
争いのない時代に強すぎる力を持って生まれることは不幸だ。アウロラがこの一帯の土地から出ることができないのは、彼女の能力を秘匿するためでもあったのか。
そして、フラテルとしてノヴァもまた彼女を守っていかねばならない。だとすれば。
「……お前がいるのは心強いかもしれないな。…アウロラは真にお守りをくれたわけだ」
無から『願い』のみで生み出された魔法獣の狼の毛並みを撫で付けながら小さく呟く。
「……この、『アルス・マグナ(偉大なる魔術)』を」
※
朝目覚めると、魔法獣の狼・ルシファーの姿は消えており、ブレスレットは腕に戻っていた。
朝食を終えて、散歩がてら庭と森との境界の木陰に立ち、これからのことを考えた。
ノヴァの魔力消費を抑えるためにルシファーの大きさは今はあの程度なのだろうが、ある意味、ルシファーの体躯は魔力成長の指標となる。
体ももっと鍛えた方がいいかもしれない。基本的な体術や剣術は教わったが、もっとそちらも鍛錬を積むべきか。
「アウロラと俺が公に出るのは魔法学校に入るときだから…あと4年程度か…」
その間にできることはなんでもやっておいた方がいい。オルキスやウィスタリアに相談した方がいいだろう。忙しくなりそうだ…。
「…出てこい、ルシファー」
試しに狼を呼び出してみる。と、ブレスレットがするりと解けて青い陽炎が揺らめき、小型の狼が姿をあらわす。ノヴァを見上げて命令を待っている。
「……やっぱり、夢じゃないよな…」
ブレスレットはもう首輪にはできないのか、彼の中に埋まっているようだ。やはり、この術の核となっているのだろう。
よしよしと頭を撫でていると、ルシファーは弾かれたように振り返る。
「…ノヴァー!そろそろ勉強の時間よー!」
ノヴァへを見つけて駆けてくるアウロラは、すぐに彼の足元にいる存在を凝視した。
「……そ、その子何?」
ノヴァに近づきながらアウロラは目を見張る。
青い毛並みは波打ち、赤い瞳はアウロラをじっと見つめる。
当然の疑問だ。昨日までは存在しないものだったのだから。
「…あ、あー……」
なんと説明したものかと考えるノヴァに「まさかっ」とハッと彼の顔を見る。
「ね、ねぇ、この子、もしかして魔法獣じゃない?!お父様に図鑑を見せてもらったこがあるわ!狼よね!狼の魔法獣!」
興奮気味に訴えてくるアウロラを他所に、「なるほど図鑑…」と納得する。
図鑑で見たから、その姿形を模して(?)作り出したのか。狼は魔女の眷属でもある。相性もよかったか。
もしくは、ふたりで遊びを兼ねて訓練していた『魔法しりとり』を極めた結果なのか。どっちにしろ、とんでもない話だが。
「この子、触ってみてもいい??」
「え、あ、うん。大丈夫なんじゃないか」
術者がアウロラなのだから、拒否することはないだろう。
アウロラはしゃがみこんで首の毛並みに触れる。
感触があるばかりか、熱量すらある。
「…す、すごい!この子、感触があるわ!…あ、この子のお名前はなんていうの?」
「ルシファーだ」
「ルシファーちゃん!」
ルシファー、ちゃん?
なんだその呼び方はと首を捻るノヴァなど気にすることなく、「もふもふしてる!」と大喜びで撫で付けている。
ルシファーの方もやはり術者は特別なのだろう。次第にアウロラの周りをくるくると回りだして甘える。
…簡単に懐きすぎだろう。
「すごいわ、ノヴァ!この子、どうやって召喚したの?」
「俺はこいつの回路に魔力を提供しただけだ。流れで名前も俺がつけたけど……こいつを作ったのはお前だよアウロラ」
「……え?」
これについては自覚を促すため、隠すべきでないと思った。
「ここのところ、夢見の悪い日が続いてたんだ。そしたら、昨晩、こいつが現れた。…アウロラがくれたブレスレットを媒介にしてな」
「……?」
「今もこいつの核はアウロラのブレスレットだ。……つまり、アウロラが生み出した魔法獣なんだよ」
「………っ?!ええ?!」
後ずさる彼女は異形の狼とノヴァとを交互に見やる。
駄目押しとばかりに彼が頷くと、アウロラは愕然した。
「……ま、まさかそんな…だって、わたし魔法はほとんど使えないのよ?」
「魔法は関係ないさ。ブレスレットにを作った時に大量の魔力を注ぎ込んだんだよ。無意識に。……一体、どんな術式なんだ、これは?」
「……どんなって…」
術式というのはいわば設計図のことである。術を発動させるための。
そんなもの、わかるわけがない。そんなつもりは一切ない。
あったすれば、夜な夜なノヴァのことを考えて組紐を編み、ブレスレットを作り込んでいたくらいか。
ここでアウロラははたと気づく。
まるで……まるで重たい念のこもったセーターを(意中の男性に渡すために)編む女性のようなことをしていたのではないか?
わたしの重たい念が、魔法獣を生み出してしまった……と?
それに、本来のアウロラはノヴァを呪縛し、従属させるかわりに魔法獣を与えていた。監視も兼ねて。
これではまるで設定通りではないか。
さすがに、青ざめた。
「ち、違うの!これは呪いとかそういうのじゃなくて!」
「?…あぁ、呪いとは思ってない。アウロラのブレスレットは太古の魔女が得意としていたタリスマンに近い形だ。だから、お守りで、こいつが宿ったんだろう」
ルシファーを撫でるノヴァ。
「お、お守り?」
太古の魔女が得意としていたタリスマンに近い、というのは初耳なのだが。
「違うのか」
「ええ、そ、そうよ!この子の誕生は想定外だけど、気持ちは間違ってないと思う」
「うん。…でもまあ、しばらくはアクセサリー作りは禁止な。ぽんぽん生み出していいものじゃないからさ、こいつらは」
この術がアルス・マグナの域に達していることは告げずに注意する。
「装身具で欲しいものがあったら言ってくれ。俺が作るから」
「……は…はーい…」
確かに、こんな想定外なことばかり起こったらノヴァにも家族にも迷惑をかけてしまう。
昼夜問わずアクセサリーを作っただけで魔法獣を誕生させてしまうとか……ありえない。やっぱりこの身体、チートすぎるわ…。
少々意気消沈しながら、屈んでルシファーと向かい合う。
「…ルシファーちゃん…ノヴァのことお願いね」
従属の証ではなく、彼のよき友達として。
彼女の言葉に応えるようにルシファーはアウロラに頬ずりをした。
ルシファーと聞くと堕天した方のルシファーさんを想起するかもしれませんが、そっちじゃないルシファーという神様もいます…ということをとりあえず記しておきます。
最終的にルシファーは、大型のダイアウルフくらいのサイズになります(某ファンタジードラマに出てくるあの大きさで想像していただければ)。
本来の魔法獣は、召喚装置(魔力をエネルギーとする装置)を用いて、熟練の魔術師が宝石を媒介にして呼び出すものですが、これと契約して自我を押さえ込んで使役するには相当な魔力が必要になるで、実質は小型動物(鳥、リス、ウサギなど)が精々です。狼は契約する以前に召喚した者が逆に食われかねません。それくらいの危険度です。なので、常時使役するという使い方ではなく、ワンポイントリリーフ的な使用方法が主となっています(時間制限で消える)。
彼女の場合は召喚ではなく、魔法獣を生み出してしまっているので、自我は彼女の『願い』に依存する形となっています。厳密にいえば魔法獣亜種という扱いになりますが、見た目にはどっちも変わりがないのだと思います(図鑑を見て記憶したものなので)。