アナテマの花(2)
アウロラに見送られて初めての外商に旅立ったノヴァは馬車の中、笑みを浮かべる。
車窓から流れる景色に目をやることなく、彼女が餞に渡してくれたバラの花に目を落として。
「随分と嬉しそうだなぁ、ノヴァ。口がだらしなく緩んでるぞ?」
いつの間にか姿を現していたシアナスが彼の向かいに座って冷やかし口調で声をかけてきた。
指摘されて口元を押さえながら言う。
「…あんたこそ、最近はずっとおとなしかったな」
この青年魔術師は元々頻繁に姿を見せることはなかったが、エニシダの墓所から戻って以降、ぱたりと姿を見せなくなっていた。
「…ぁあ〜…ちょっと障りがあってな…」
まさか、アウロラがルベウスの魔女の霊魂全てを引き連れて戻ってくるとは思わなかったのだ。役目を終えた彼女たちは昇華し、輪廻の輪に向かうと考えていたのだが…見込みが甘かった。筆頭のアイテールは黒猫に転化して自由に動き回っているので彼女に(彼女らに)存在を気取られぬようにせねばならず、シアナスは気が抜けなくなった。
「…まぁ、この旅でしばらくはお前と小さき姫に距離ができる分、俺も心置きなく過ごせるよ」
実体でもないくせに、人間臭いことを言う。
「アウロラがそばにいたら、問題があるのか?」
怪訝に問い返すノヴァにシアナスは自身の三つ編みを弄びながら答える。
「……お前は近すぎて気づかないだろうが、今の小さき姫はカルブンクルスとは別に、優にこの世界を滅ぼせるだけの『戦力』を持ってるんだよ。階層を隔ててはいるが、感性の鋭い奴は迂闊に近づけないくらいの脅威だ」
彼女の背後には魔女たちの無数の白い手が蠢いている。罠を張り巡らす蜘蛛のように、深淵からアウロラに仇なす獲物を狙い続けている。彼女はとんでもない守護を手に入れてしまったものだ。
「脅威なんて言い方はやめろよ」
ノヴァの眼差しに険が帯びる。
「あくまでも人間にとっては、だよ。………まあ、いい。いずれお前にもわかるだろうし」
「…?」
不思議そうなノヴァは無視して、彼が手にする花を指差した。
「ところでその花、小さき姫がくれたものだろ?」
「……あぁ、今回の旅の餞にもらった」
瑞々しくほのかに発光するバラの花。
「ご機嫌な理由はそれだな。アナテマの花か…懐かしいな」
シアナスは目を細める。
「アナテマの花?…そういう名前なのか?」
「あぁ、名前の通りそいつは『強い呪いの花』だ。美しき呪物だな」
「呪物…」
「あぁ、俺の姪が作り出した術式で、己の髪を土台にして魔力を注ぎ、花を作り出す。手渡された男に、強力な呪いをかける仕様だ。…先に忠告しておいてやるが、女には触らせるなよ」
「……どう言う意味だ?」
怪訝に問いかけると、シアナスは足を組み替えて続ける。
「お前自身に害はない。ただ、お前に気がある女がお前に触れようとすると衝撃が走って最悪、気絶する。すなわち、ノヴァに言いよる女を一網打尽にし、術者が独占するという束縛呪だ。あらかじめ花を遠ざけておけば被害は防げるけどな」
「……独占…束縛…」
ノヴァは顔を赤らめる。
「…そこに反応するか」
シアナスは苦笑いを浮かべた。
「……アウロラは…そのつもりで俺に渡したのか…?いや…彼女らしくないな…それは…」
別れ際にも『ノヴァが各地のご令嬢たちからモテモテになりますように』などと呟いていた。言動に矛盾が生じるし、不特定多数を害するような呪いをかけるなど温和なアウロラらしくもない。
「小さき姫としては純粋な餞で、お前を束縛する意図はまったくないだろうさ。…唆されたんだよ」
「誰に?」
「黒猫に」
ノヴァは一寸黙り、白けた目をシアナスに向けた。
「現実的じゃないな。あれが隠り世の存在でも、アウロラを唆すほどの力はないだろ。きっとルベウスの魔女が考案した魔法が記された虎の巻を参考にしたんだ。ルベウスらしく、肝心な説明が抜け落ちてそうじゃないか」
ルベウスの魔女は揃いも揃って大雑把だからな…。
しっかりと呪いの効能が記されていたのなら、彼女は花を作成しなかっただろう。…それはそれで切ないが…。
「がっかりするなよ、ノヴァ」
心情を読んだように慰めにかかるシアナスに眉を寄せる。
「勝手に察するな、がっかりなんかしてない。……むしろ、嬉しいんだよ俺は」
そう、嬉しいのだ。バラの花がアウロラの髪から作られていると知って、嬉しかった。無意識にノヴァを絡め取る彼女の呪いの数々が。
「彼女の護符、血石、そして髪の花。お前は3つのアナテマを手にしたわけだ。とくに血と髪を用いた呪いは強力だ。小さき姫は無意識にお前を呪い尽くしたことになるな。これだけの呪いを受けてお前が健やかであれるのはサフィルスだからだけじゃなく、全てが『祝福』だからだ。まあ、お前は呪いだろうが祝福だろうが、どちらでも快いんだろうけどな」
これらの呪いは、唯一無二の刻印。彼女の特別であるという自負と自信を与えてくれる。
アウロラにとっては家族の証であったとしても、俺を支える力になる。いずれ、彼女が人生の伴侶を得た後も…きっと。
「とはいえ、お前が一番欲しい呪いを彼女は与えてはくれないか」
「………」
本心を見透かされた言葉にノヴァは黙る。
今更シアナスに気持ちを誤魔化しても意味はないが、普段目をそらしている感情を詳らかにするのも気がひける。
だがシアナス自身もノヴァにそれを望んでいるわけでもなく別の指摘をする。
「それで?お前はお前で小さき姫にしっかり呪いの品を置いてきたんだろう?」
「…あぁ。でも、呪いではないよ」
「いやいや呪いだろ、あれは」
呆れた口調でシアナスは述べた。
そんなつもりはない。そんなつもりはなかったのだが……よく考えれば確かに『呪い』の類なのかもしれなかった。
※
ノヴァを送り出し、アウロラはいつもより早い朝食を済ませ部屋に戻ると、マーガレットに声をかけられる。
「お嬢様、若様から贈り物でございます」
「え?」
驚いて振り返ると、マーガレットが手にしているトレイの上に小さな小箱と手紙が乗せられていた。
「ノヴァが?」
「はい。若様が出立したら、お嬢様にお渡しするようにと言付かっておりました」
「……何かしら」
見送りに出た時には何も言っていなかったのに。
まずは手紙を開くと、短く文字が綴られていた。
『以前、相談していた指輪が仕上がった。マスターデザインはアウロラが持っていてくれ』と。
「…指輪…もしかして」
小箱を手に取り、蓋を取り除くとリングケースがおさまっていた。サフィルスを象徴するロイヤルブルー色のベルベッドで作られたケースだ。
ゆっくりリングケースを開き、アウロラは6色のカラーストーンが並ぶフェミニンな指輪と対面する。
予想通りのものだった。
「あぁ、やっぱり!ノヴァに提案したディアレストリングだわ!」
「ディアレスト、リング…ですか?」
初耳とばかりにマーガレットの横で首をひねるローズにアウロラは説明する。
「そうよ、『最愛』を意味するディアレストの綴りと、宝石の頭文字を掛け合わせた指輪なの」
Dはダイヤモンド、Eはエメラルド、Aはアメジスト、Rはルビー、Eはエメラルド、Sはサファイア、Tはターコイズを左から順番に並べた指輪だ。
「なるほどです!なぞらえているのですね!」
「ええ、ノヴァに相談されていたの。外商に出る前に新作を用意しておきたいって。王都で卸しているお店にも新作を望まれていたから。それでね、とくに婚約や結婚を意識した女性に贈る前提の品物をお店から依頼されていて、わたしからノヴァに提案してみたのよ」
リングケースから指輪を抜き取り、アウロラはそっと自身の左手薬指にはめる。
細身の指輪に合わせてルースも小さめに配されているので、嫌味な主張は一切ない。窓からの日差しを集めて、繊細な指輪はキラキラと輝き、アウロラの頬を緩ませる。
「シンプルな意匠だから装いも選ばないし、何よりとても可愛いわ」
「お嬢様、よくお似合いですわ」
マーガレットが褒めてくれる。
「ふふ、ありがとう。さすがはノヴァのお仕事ね」
指輪でなくともよかったとは思うのだが、アウロラの人差し指にある初代サフィルスが作ったというアリザとアイテールの名前が刻印された指輪に何かしら触発されたらしく、彼の強い要望により指輪になった。
こちらの世界にも婚約指輪や結婚指輪は存在しているのだが、取り交すにあたり、はめる指に決まりはない。薬指のサイズにしてもらったのは、『わたし』の世界の基準に則ったからだった。
ディアエストリングは『わたし』の世界ではどちらかといえばステディリングの扱いだが、古くは婚約指輪として貴族たちに重宝されていたことを思い出し、提案した。
アウロラが身につけているマスターデザインは全て高品質の宝石で作られているが、市井の若年層に向けては宝石のグレードを落として流通させることになる。
「あら、かわいい指輪。若様からね」
遅れてやってきたローレンスが主人の指を覗き、笑みを浮かべる。
「ええ。ノヴァのブランドはわたしが広告塔みたいなものだもの。これから身につけてさりげなく営業するわ!ノヴァもそのあたりを考慮して置いていったのでしょうから」
ブランディグし、富ませるのも姉の役目。
ふふんとアウロラは鼻を鳴らし、意気揚々と胸を張る。
「……えっと…そうでしょうか?」
ローズが戸惑い気味に呟くが、マーガレットとローレンスは「口出し無用」と小さく首を振って応える。
実質的な広告塔の役割を果たしているのは間違いではないが…指輪の意図をアウロラは見事に勘違いしている。が、ノヴァはその勘違いを予測し、逆手にとって『アウロラには(実は隠れた)恋人がいる』と匂わせ、彼が不在の間、彼女に言いよる男を静かに弾く布石を敷いていったのだ。アウロラの指におさまっていればとりあえず彼の目論見は成功と言える。アウロラに対する彼の感情も含め、これらの指摘は野暮でしかない。
「…さて。ノヴァがいない間は剣術のお稽古に励むわ!彼が帰ってきたらびっくりさせてあげるの。ローリー、お相手をしてくれるわよね?」
ウィスタリアとノヴァの師弟の手によって、即死効果をもたらす刺突剣『ミセリコルディア』は華麗な細工が散りばめられた銀の鞘と柄を得た。最恐最悪を内包した美しい装いの貴婦人が誕生したのだ。使い手はもちろん、アウロラ。
人間相手に鞘が抜かれることがないように、魔法による鍵がかけられている。アウロラの意思ひとつで解放することが可能な仕様だが、あえて物理的な封印方法にしなかったのは己の意識を強く律するためだった。
強い力には、それに見合うだけの精神力が必要だと彼女は考えていた。
そのためにも、鍛錬は必須。
「ええ、もちろんよマイプリンセス。でも、私は若様と違って手加減はしなくてよ。お覚悟なさってね」
わずかに挑発的な笑みを浮かべるローレンスにアウロラは頷く。
「ええ、もちろんよ。あなたにはそれを期待してるのだもの」
ピジョンブラッドの瞳を艶やかに光らせて、アウロラは家令に微笑み返した。
前回から一ヶ月も更新が開いてしまいました。更新を楽しみにしていた方がいらしたら申し訳ございません。
2021年はこれが最後の更新になります(大晦日なので今日が。笑)。
彼女の背後でうごうごしてるお姉様方の手は……千手観音みたいな感じだと思っていただければ(泳ぐ目)。
霊魂なので、存在している階層が異なるためほとんどの人間は感じることはないし、目にすることもありません(意図的にお姉様方が霊圧をかけていない限り)。シアナスさんは似たようなものなので、ばっちり見えちゃうだけ。
指輪の一件は、触発されたのではなく圧倒的に対抗意識です。
「なんで俺以外のやつが作った指輪がはまってるんだ?」という…そういう感じの…(苦笑)。
アルファベットの概念については…そしらぬ顔をしておきます(汗)。ただの御都合主義です(汗)。




