眩惑蝶の皇子(11)
それが元来た道なのかはわからない。
カンテラを持つアイギスの小さな手が導くままに、暗闇を走った。
『目を覚ましてくれアウロラ。頼むから、目を開けてくれ』
どこから響くのか、ノヴァの怯えと懇願が伝わる。
「……ノヴァ…そこにいるの…?わたしの傍に…」
見渡せども、闇ばかり。
「かれはいるよ、ひめさまのすぐちかく」
『お前が目を覚ましてくれるなら、俺はこのまま魔力を失ってしまっても構わない』
「…ノヴァ…」
『お前が死ぬくらいなら、俺が先に死ぬ。そう決めて生きてきたんだ』
「………なんてことを言うの!……そんなの駄目よ。絶対に駄目…!」
不甲斐ないわたしの所為で、あなたが犠牲になるなんて。
声を張り上げてみても、闇に吸い込まれていく。
この言葉は、彼に伝わらない。
『返ってきてくれ、アウロラ。お願いだ』
「ええ、ええ…!今すぐ行くから…!」
あなたをひとりに、しないから。
言葉から伝わるノヴァの震える心に嘘はなかった。
掛け値無しに、彼はアウロラを大切に思ってくれている。
胸が熱くなった。
今のわたしは実体ではないというのに、泣きたくなる。
この気持ちをなんと表現すればいいのか、まだわからないけれど…。
でも。待っててノヴァ。すぐに目を覚ますから。
起きなければ、内側からアウロラを張り倒してでも起き上がるから。
「……ひめさまのまりょく、もどってきたよ!…みて!」
アイギスは闇の中に小さな光を見出し、指差した。
「……あれは…」
「かれがてだすけしてくれる。あそこをめざしてはしって。そこに、かれはいるから」
「…アイギス、あなたはどうするの?」
「ぼくはここでおわかれ」
「………」
「そんなかおしないで、ひめさま。だいじょうぶだよ、ぼくはいつでもひめさまといっしょだから」
ペンダントとして、いつも傍に。
そっと手を離し、にっこり笑うアイギスに、アウロラも微笑み返した。
「…ええ。…ええ、そうね。そうだったわ。…ありがとう、わたしの小さな騎士様。…またね!」
肩越しに手を振り、再び走り出す。
そこにノヴァがいるのなら、何も考えず、前を向いて、まっすぐ走るだけよ。
そうして、たくさんお小言を頂戴。わたしより先に死ぬなんて、言わないで。
そんな悲壮な決意、嬉しくなんてないのだから。
針の穴ほどの光は、近くほどに強さを増し、闇を遠ざけアウロラを前へ前へと押し出した。
凍てついていた手足に血が通い出す。
次第に現実的な感覚を取り戻して行き、夢の中を走るようなもどかしさを薄れさせる。
一番強い光に手が届いたとき、アウロラは唇は小さく彼の名を呼んだ。
ノヴァ、と。
※
瞼を震わせ瞳を開く。
眩しさを覚えて何度も瞬きを繰り返しながら、目をこすった。
すると、すぐ傍で声がする。
「お嬢様!お嬢様、お目覚めですか?!」
メイドのマーガレットだ。横になっているアウロラを覗き込み、笑みを浮かべた。
「…ああ…!よかった、お嬢様!」
安堵に満ちた笑みを浮かべる彼女をアウロラは不思議な気持ちで見つめる。
「……マーガレット……?」
「はい、わたくしでございますお嬢様」
「…マーガレット……お水を、くれる?」
身を起こしながら喉の渇きを伝えると、マーガレットは「只今」と無駄のない動きで色ガラスの水差しから、同じ色のグラスに水を注いでアウロラに持たせた。
グラスを受け取り、水を口に含むといくらか渇きは癒える。
随分と長く眠っていたようだが、状況がはっきりしない。
注がれた水を飲み干し、もう一度水をもらうとグラスをマーガレットに向けた瞬間、アウロラは『異世界』にいることに気づいた。
広すぎる部屋は、幾何学模様が描かれたタイルで敷き詰められ、窓には大きなステンドグラスが並び、ドーム型の天井からはクリスタルガラスのシャンデリアがいくつも吊り下げられていた。
アウロラが寝かされていた天蓋ベッドも、宝石が散りばめられ、虫除けの仕切りカーテンには真珠が無数に縫い付けられ、寝具は絹。そして金襴。
マーガレットにグラスを渡しながら、ベッドから降りて部屋を見渡す。部屋の中央は一段低く作られ、色とりどり花を浮かべた円形の噴水が絶えることなく水を湛えていた。
なんて非常識な空間なのか。
瞬きを忘れ、ポカンと口を開けてこの見覚えのない別世界をぐるりと一周して、マーガレットを見る。
「お、お嬢様、お身体はもう大丈夫なのですか?!」
尋ねる彼女にアウロラは頷き、戸惑いながら部屋全体を指差す。
「わたしは大丈夫。……というか、あの…ここは、どこ?」
まったく見覚えのない豪奢な部屋の誂えと世界観だった。言うなれば、砂漠の国のお姫様の居室だ。
「フューシャ国の国賓滞在用の離宮だそうですわ。お嬢様の療養にと国王陛下が便宜をはかってくださったそうです」
「……フューシャ…」
その言葉を呟いた瞬間、記憶が脳裏を巡った。
ヘレルの従者に呼ばれて、皇子と対話した。だが、彼は『ヘレル』ではなかった。ヘレルを装った何者か、そして始祖ルベウスを欲する者。
夢のような空間で、アレクシアに似た女性に出会った。あれが、始祖ルベウス。…彼女はアリザと名乗ったが。
『明夷の門が開く時、我もまた生まれる。すなわち、ゼノが攻め入ってくるぞ』
蘇った言葉の途方もなさに、足元がふらついた。
「お嬢様!」
「あ…だ、大丈夫よ」
しっかりしなきゃ。今は、まず状況を把握しないと。
「…わたしは、どうしてここに?もしかして、攫われたの?」
「はい、公表されてはいませんが」
「あれから、何日過ぎたの?」
「6日程になります」
「もう、そんなに…。……誰が助けてくれたのかしら…」
自力でどうにかできれば、この部屋に寝かされてはいなかっただろう。
「お嬢様を直接お助けしたのは、若様ですわ。ウィスタリア様は交渉を。その他にはサフィルスの精鋭が若様をお助けしたと聞き及んでおります」
アウロラははっと顔を上げた。
「……そうよ…ノヴァが…ノヴァが来てくれたのだったわ。……ノヴァはここにいるの?!」
すっかり惚けていた。すぐにノヴァが思い浮かばないとは。
「はい、1日に何度もお嬢様の様子を確認にいらしてましたわ。今は離宮内のお部屋にいらっしゃいます」
「……!」
ノヴァに会いに行こうと扉を探すアウロラをマーガレットは慌てて、押しとどめる。
「い、いけません、お嬢様」
「ノヴァに会いたいの。お部屋はどこ?」
「若様へのお取り次ぎはわたくしにお任せくださいませ」
「早く会いたいの」
「ですがお嬢様、さすがにそのお姿では…」
「…え?」
遠慮がちに指摘され、自分の姿を確認すると……薄手の夜着1枚だった。体の輪郭も凹凸も隠しきれないほどの…。
「…!!」
見せられない。異性には、とても。
いや、そもそも、誰が着せてくれたの…?
顔を真っ赤にしてマーガレットを見やると、彼女は曖昧に微笑んだ。
どうやら、意識がない間、マーガレットが体の世話をしてくれていたようだ。
「お嬢様、若様にお会いになるのは、湯浴みをなさってからでも遅くはありませんわ」
「え、ええ……そうね」
身だしなみを整えないままでは、呆れられそうだ。
マーガレットの提案にこくこくと頷いて従い、アウロラは部屋続きになっていた、こちらも豪華すぎる浴場で小さくなりながら湯を使わせてもらい、一息つく。
マーガレットの話では、ノヴァやサフィルスの男たちに助けられたのは3日前。アウロラを確保したことを知ったアレクシアの長距離転送によってマーガレットはフューシャ国までやってきたという。用意された見知らぬ侍女たちが意識のないアウロラの世話をすることに消極的だったサフィルス側の要望を通した形だ。しかし、何人も使用人送り込めないため、直接的な世話係は彼女ひとりになった。
「ローズはもちろん、ホテルサフィレットの者を含め使用人一同、お嬢様の無事を祈っておりました。わたくしと一緒にローズもお嬢様のお世話をしたいと泣いて大変でしたわ」
苦笑するマーガレットに、アウロラは小さく息をついた。
「……たくさんの人に心配をかけてしまったわね。…ここまで来てわたしの世話をしてくれてありがとう、マーガレット。ひとりで大変だったでしょう」
「もったいないお言葉です。アレクシア様はオルキス様をなだめるのが大変だとぼやいていらっしゃいました」
「……ああ…不甲斐なくてごめんなさい。お父様、お母様」
今回の件は、反省しかない。
お母様は口頭注意する程度かもしれないけれど、その分、お父様には……泣かれる。間違いなく、泣かれる…。
マーガレットに着替えを手伝ってもらいながら、ため息をついた。
鏡に姿をうつして、ドレスを確認する。
アウロラ好みのフリルにレース、リボンで彩られた上品で愛らしいデザインだった。これは。
「サイズもぴったり。ノヴァが選んでくれたのかしら」
「はい。その通りですわ、お嬢様」
マーガレットは微笑んで頷いた。
「国王陛下が仕立て人をよこしてくださいまして、何着でもドレスを仕立てて構わないとのご下知をいただきましたので、若様とウィスタリア様が競うように発注を…」
「……伯父様ったら、またノヴァと張り合って…。…そういえば、伯父様は?」
「昨日まではこちらに滞在されていたのですが、今はアダマントにお戻りです」
「あまり長くあちらを不在にするわけにはいかないものね。長距離転送は魔力消費も大きいし頻繁に行き来するのは難しいわ」
ブルーサファイアのネックレスを身につけながら、ふと手を止める。
このネックレスは、わたしの魔力を制御しているだけではなかった。……アイギス…人格を有した彼は、ノヴァに似た面差しの、小さな男の子の姿をしていた。わたしの小さな騎士様。
ありがとう、アイギス。これからも、よろしくね。
小さく笑って、そっと口付ける。
それから、習慣で髪飾りがあるはずの髪に触れて、はっとする。
「……髪飾りが…」
そういえば、どこにも見当たらない。
思わずマーガレットを見やると、彼女は少し困った表情を浮かべた。
…彼女も、持っていないのだ。
騒動で、落としてしまったのだろうか。
「…ああ…どうしよう。…ノヴァに、あやまらないと…」
髪飾りを紛失してしまったかもしれないという事実が一番アウロラを落ち込ませた。
ノヴァが作ってくれた大切なものなのに。
全部全部、これはアウロラが悪いのだが。
落ち込んでばかりも、いられないわね。
「…マーガレット、ノヴァのお部屋に案内してくれる?」
「はい、お嬢様」
マーガレットが先導し、アウロラは彼女の後に続いて部屋を出た。
※
サフィルスの隠れ家から賓客用の離宮へ居を移してから2日。
アウロラはまだ目覚める気配はない。
顔色は以前のそれを取り戻していたが、魔力が完全に満ちるまでは目覚めないのかもしれない。
ノヴァは与えられた居室の窓辺に腰掛けて、部屋から続く中庭を眺める。
ラトナラジュ王側からアウロラの様子を伺う使者は定期的に訪れるが、明確なことは何も述べられない。
ノヴァも1日何度か彼女の部屋を訪れて、しばらく枕元で過ごす。アウロラの居室と行き来するだけの状態だ。
といっても、ノヴァもヘレルに取り憑いていた影、フューシャに始末をつけた翌日は、力尽きて寝込むことになった。一足先に隠れ家にて介抱されていたアウロラの様子を確認して安堵したら、気が抜けてしまったのだ。……情けない。
小さく息をついて立ち上がり、部屋に控えている家令のフランツに声をかける。
「アウロラのところに行ってくる」
「かしこまりました」
フランツが頭を下げた時、扉がノックされる。
ノヴァとフランツは顔見合わせ、そして家令は「はい」と返事をして軽く扉を開いた。
「マーガレットでございます」
瞬間、ノヴァの顔が上がる。
「若様、お嬢様がお目覚めになられました」
丁寧に頭を下げるメイドの後ろから、ひょこっと顔を出して、ノヴァを覗き込む少女が髪を揺らして微笑んだ。
冷たく、人形ように横たわっていた彼女が生気を取り戻し、ノヴァを見つめていた。
「ノヴァ」
「…アウロラ」
涼やかに名前を呼ばれ、矢も盾もたまらず大股に歩み寄り、衝動のままに両手を伸ばす。
「ノヴァ、助けに来てくれて」
ありがとう、とアウロラが伝え終わる前に、ノヴァは彼女を引き寄せて抱きしめた。攫うように、強く。
「……ノ、ノヴァ…ごめんなさい、心配させて…」
「…あぁ、…まったくだ…!」
アウロラの熱や髪の香りに吐息……その手で、肌で、確かめるように何度も抱きしめ直す。
生ある彼女の温もりを感じて、心の底から安堵の息を漏らし、呟く。
「……よかった……」
ようやく彼女を取り戻した実感を得た気がした。
されるがままになっているアウロラを見かねて、フランツが声をかけた。
「……若様、お嬢様がもみくちゃになっております」
「……?!……あっ…!」
家令に指摘され、アウロラを思うままにしていたことに気づき、ノヴァは顔を赤くして彼女から身を離す。
「す、すまない…痛かったか…?」
舞い上がりすぎた。アウロラを力任せに抱きすくめるなどと、自分の理性はどうかしている。
「大丈夫よ」
アウロラは微笑み、そして、今度は自分から手を伸ばしてノヴァにもたれかかった。
暖かい。ノヴァに香りがする。やっと、ノヴァに会えたのだわ。
「……ありがとうノヴァ。助けに来てくれて。……わたし、あなたが来てくれてとても嬉しいわ」
「……俺が助けに来るのは当然だろ。動いて大丈夫なのか?」
「もう平気よ。…お腹が空いてるくらいに」
ふたりの間に笑いがもれる。
少し乱れたアウロラの髪を指で梳きながら、ノヴァは呟く。
「…傍を離れるべきじゃなかった。ごめんな」
「いいえ、今回のことは……全部、わたしの責任だわ。それに、ごめんなさいノヴァ、髪飾りをどこかで無くしてしまったみたいなの…」
眉を寄せてあやまると、ノヴァは「ああ…」と懐から無くしたはずの髪飾りを取り出す。
「それ…!よかった!どこにあったの?」
「あの日学校に残っていたステラが見つけてくれたんだ。アウロラが皇子といるところをステラが目撃して、俺に伝えに来てくれた。おかげで早く対処ができた」
「ステラが…!そうだったの。……彼女にもお礼を言わないといけないわね」
「そうだな」
ノヴァはその手で髪飾りを差し込み、アウロラの手を引いて中庭へと導き、ガーデンベンチに座らせた。
「ノヴァ。今回のこと、全部教えて欲しいの。わたし、何もわかっていないから」
「……今か?」
「ええ。意識を失ってから、何度か目を覚ましてはいたのだけど、でもまたすぐに気を失ってしまって…よく覚えていないの。心細かったことだけは…なんとなく覚えてる」
「………」
アウロラの置かれていた状況や、身勝手なフューシャの欲望を思い出して、ノヴァは数日前の怒りが蘇る。
「ノヴァ?どうしたの?」
黙り込んだノヴァを不思議に思ったのか、アウロラが呼びかけて来る。
怒りは腹に収めながら、「なんでもない」と小さく笑った。
「教えて、ノヴァ。お願い」
目覚めたばかりの彼女に無理はさせたくなかたったが、アウロラの意志はかたいようで、ならばと説明をはじめた。
「…今回のことは、建国の王、フューシャ・ラトナラジュがルベウスの始祖…スカーレットへの懸想と妄執に端を発した出来事……事変だ」
フューシャはスカーレットへの懸想から黒魔術に染まり、肉体を捨てた。彼女を絡め取るために子孫の肉体を借りて研究を続けたが、いつしか疎まれ、封印され、そして忘れ去られた。時が経ち、廃城の隠し部屋に日記ごと封印されていたフューシャをヘレルが解き放ってしまい、彼はヘレルの肉体を借りて再び己が欲望を満たすため、計画を実行に移した。アウロラをスカーレットの身代わりにするべく。
「始祖のかわりにアウロラから魂と取り出して、自分の手元に置くつもりだったらしい。でも、それは俺が阻止した。奴は消滅したから、もう安心していい」
知らない間に、争いがあったようだ。
「わたしが意識を失う直前に話をしていたのは、やっぱりヘレル皇子ではなかったのね。…あなたに怪我はない?」
「俺は大丈夫だよ」
力尽きて倒れたことは、格好が悪いので彼女には言えないが。
「よかった」
ほっとしたアウロラの表情に後ろめたさを感じつつ。
「……それで、ヘレル皇子は無事なの」
「あぁ、皇子は心配ない。フューシャに体を使われていただけで、俺たちへの悪意はなかったように思う。だが今は、謹慎中らしい。表向きは、療養だがな」
「療養?」
「国王とマスターの茶番だ。皇子が急病に伏し、たまたま居合わせたアウロラが介抱したんだが、急遽帰国を決めた皇子の長距離転送にアウロラがうっかり巻き込まれてこの国に来てしまった……ということになってる」
「………たまたま……うっかり……?」
「あぁ。そして実は皇子の病は悪しきものに取り憑かれていることが原因だとわかった。……で、アウロラを迎えに来た俺たちがその悪しきものと偶然遭遇し、流れで成敗した。めでたし、めでたし。……という筋書きだ。子供騙しの内容だが、案外まかり通るものなんだな…。すでに正式な文章として申し送りされて、事実になった」
ノヴァは呆れ顔で肩をすくめる。
「マスターの話じゃ、国王は『悪しきもの』への心当たりがはじめからあったようだ。以前から水面下で問題が起こっていたのかもしれないな。俺の説明を聞いて、マスターは合点がいったようだった。とりあえず両家に傷がつかない、穏便な物語で騒動に決着をつけた形だな」
「………わたし、恥ずかしいわ」
あらましを聞き、ドレスのスカートをぎゅっと握って、アウロラは呟いた。
「情けなくて、恥ずかしい結末だわ。わたしは、何もできず攫われてただ気を失っていただけ。わたしのあずかり知らぬところで、全部終わってた。公衆の面前で不甲斐なさを責められた方が、ずっとましなくらいに」
「……アウロラを絡め取ったのは幻術ではなく、400年にも及ぶ妄執の産物で、お前が悪いわけじゃ…」
「いいえ。いいえ、ノヴァ。わたし、わたしは危険を察知してたの。わたしの体は警告してた。あの時の皇子に近づいてはいけないと。でも、わたしは呑気にそれを無視した。そしてこの体たらく。たくさんの人に迷惑をかけて、心配もかけた……お母様の顔に泥を塗りかけたわ。でも、伯父様がルベウスの名誉を守ってくださった。わたしはその茶番に守られたのよ」
「……アウロラ…」
「わたし、すっかり油断してたわ。自分が攫われるなんてこと、考えたこともなかったから。夢にも思わなかった」
ヒロインであるクラリスならばありえたかもしれない。だが、自身はアンチヒロインである。誰が攫うというのだ。厄介ごとの種であるはずのアウロラを。
トラブルに巻き込まれるはずはないと、高を括っていたのだ。
「自分の間抜けさが腹立たしいわ。……でも、だからこそ、罰として受け入れなければいけないのだわ。この恥ずかしさを。不甲斐なさゆえの影響力を。……戒めとして」
強い自責の念に唇を噛むアウロラの姿に、ノヴァは小さく息をつく。
「………。…そこまで理解してるなら、俺が小言をいうまでもないな」
「……言わなくていいの?」
「もう充分、反省してるんだろ」
「あなたのお小言が恋しかったわ」
「なんだよそれ」
微苦笑しながらノヴァはアウロラの横に腰掛けて、彼女の頭を撫でた。
「俺も、あまりアウロラのことを言えた義理じゃないんだ。今回のことで、俺自身の未熟さもよくわかった」
ひとりでアウロラを守れるなどいう驕りがあった。アレクシアに指摘された通りだ。
ウィスタリアはもちろんだが、フランツやサイファーの男たち……ルシファーに、シアナス。
彼らの手助けがあり、さらに自分もその中のひとつの歯車として機能しなければ、アウロラを助けられなかった。
ひとりでは何もできないのだと、身に沁みた。
アウロラのフラテルとして、将来のことを考える上で、今回の件はいい勉強にもなった。ウィスタリアのようにいずれ上に立つ立場となるのだから、自分の使い方、そして人の使い方を覚えていかなければならない。
「……アウロラの『弟』としては、まだまだ力不足だ。努力しないとな。…ただ、アウロラ…俺はもう、こんな思いは二度とごめんだ」
「…ええ、ノヴァ。二度はないわ」
頷くアウロラに、強い意志を感じてノヴァは少し眩しさを覚えた。
アウロラに向ける眼差しに、わずかな疲労の色を感じて、彼女はそっと彼の頬に触れた。
「…?…どうしたんだ」
「あなた、少し顔色がよくない気がして」
「……あぁ、まだ完全に魔力が戻ってないんだ」
「魔力が?そんなに魔法を使ったの?」
「いや、魔法自体はさほど使ってない。アウロラに俺の魔力を分けたもんだから」
「ええ?!そ、そうなの?!……ああ、だからわたしの回復が早かったのね!……でも、どうやって魔力を分けてくれたの?」
「それは、く…」
口移しで、と言いかけて止まる。
そう、口移し。
アウロラの血色の良い艶めく唇に目線を落として、ノヴァはあれが一体どういう類の行為であったかを今更自覚し、意識した瞬間、顔から火が吹いた。
「…〜〜〜〜っ…!」
突如、耳や首まで真っ赤になって震えながら立ち上がり、アウロラから顔を背けてしまったノヴァの姿に呆気にとられる。
が、すぐに我に返ってアウロラも立ち上がった。
「…ノ、ノヴァ?どうしたの…?!体調が悪いの?」
「……な、なんでもない…なんでもないんだ…!…気にしないでくれ…!頼むから…!」
あの時は。フランツに提案されるまま実行に移したが、彼女を失うかもしれない恐怖と必死さとで、躊躇わなかった。一刻を争うと思っていたからだ。邪な気持ちは一切なかった。
…が、今の今まで、無自覚で過ごしていたことが信じられない。
口移しで直接魔力を注いだなどと、アウロラに言えるわけがない。一度だけではない。何度も、何度も深く重ねた。
アウロラからすれば、不本意なはずだ。彼女に意識はなかったのだから、ノーカウントだ。
ああ、だから、思い出すな。アウロラの唇の感触を思い出そうとするな俺!自虐的すぎるぞ…!
あれは、キ……などというものではなかったのだから!
何やらひどく狼狽えているノヴァが心配で、少し離れたところに待機していたフランツを振り返る。
「フランツ、ノヴァが…!ノヴァ、大変なの…!」
「ご心配には及びません、お嬢様」
「で、でも…!」
「若様のそれは、今頃になって押し寄せてきた思春期における葛藤と羞恥の悶えですから」
フランツは涼しい顔で告げた。
「?…思春期の、葛藤と羞恥…も、悶え?…って…何のこと?フランツは原因を知ってるの?」
首をひねるアウロラに「フランツ!黙ってろ!余計なことを言ったら絶対許さないからな!」とノヴァが声を震わせて喚いた。
「……申し訳ございません、お嬢様。主人の名誉のため…具体的なことはお伝えできません」
「………」
つまり、どういうこと?
わたし、一体どんな恥ずかしいことをノヴァにさせてしまったの?
彼がこんなに動揺するなんて。フランツに口止めまでさせて。
わたしは…何も、覚えていないのだけれど。
赤面しているノヴァとは反対に青ざめるアウロラ。
年頃を迎えた主人たちの微笑ましい(?)再会劇に、フランツとマーガレットは小さく笑みを浮かべていた。
後日、アウロラはラトナラジュ王と特別に対面し、直接言葉を交わした。
アウロラは離宮での歓待の礼を述べる。
ヘレルとの対面は『療養』を理由に叶わず、アダマントへ戻る前夜、アウロラは手紙をしたため、託した。
わだかまりなく、また彼と会える日を願って。
再会できました。。。(イチャイチャはともかく…笑)。
ノーカウントということになってますが、それは彼女における回数であって、彼の中では果たして…?笑
次回で2章終了です。




