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【コミカライズ第2巻6/27発売】ルベウスの魔女とアルスマグナ 〜乙女ゲームのアンチヒロインは世界の滅亡を回避したい〜  作者: 阪 美黎
第2章 眩惑蝶の皇子

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眩惑蝶の皇子(9)

 東と西をつなぐ砂漠の交易都市、フューシャ国。

 そのフューシャ国にノヴァたちが入ったのはアダマントを発ってから3日目のことだった。

 商人のキャラバン隊に扮して一行は人種や文化の坩堝に紛れた。

 都市の門番や市中を守る兵士は必要以上に旅人に警戒をしておらず、都市機能に変化がないことを彼らに知らせる。

 諜報のため何世代もその土地で暮らし、溶け込むことに成功したサフィルス一門の者に提供された隠れ家に身を寄せて、差し向けていた斥候と合流する。

 斥候の話では、ヘレルとアウロラは王都から外れた廃城から離れる様子はないという。

 各地に放っていた密偵がフューシャ国内にヘレルとアウロラの気配を嗅ぎつけ、知らせてきたのは4日前。

 支度を済ませ直ちに行動を開始した。魔法転送を用いることを避けたのは細心の注意を払うためだった。陸路での移動により、3日を要したわけだ。

 ノヴァたちより先んじてフューシャ国入りをしたウィスタリアがラトナラジュ王との会談の場を持ち、今回の件に王家の関与は一切なく、遺憾の意を告げられ、また、民の安全と皇子の生命を保証するという条件で公の行動の許可を取り付ける。

 ノヴァに知らされたのはそれだけだ。実のところ、もっと別の高度な交渉もなされているのかもしれないが、ウィスタリアが得意の腹芸を披露することだろう。



 砂よけの外套をはためかせ、風と砂に晒される古都を遥かに見やる。

 かつての栄華はその火を落とし、歴史を残すのみ。

 時折激しく風塵が渦巻き霞む。枯れた都は自然の要塞だ。

 霞む視界の先にある廃城に、アウロラはいる。

 一刻も早くアウロラを助けに行きたいノヴァは焦れる心を逃すように息を吐く。

 もうすぐだ、アウロラ。もうすぐ行く。…この手は届く。

「若様、準備はよろしいですか」

 フランツに話しかけられてノヴァはそちらに顔を向けた。

「…あぁ、いつでもいける」

 頷く彼に、フランツの背後に立つ別の青年がノヴァに話しかける。

御曹司サイオン、よろしいか」

 サイオン、とはノヴァのことだ。御曹司とは程遠い気がするが、慣例で特に一門の年長者からはそう呼ばれる。

「…なんだ?」

 斥候を除き、ノヴァにはフランツの他に、ウィスタリアの指示で4人の男たちがつけられていた。

 サフィルスには『サイファー』と呼ばれる組織がある。サフィルスの中でも影の存在として生きる彼らは諜報、煽動、暗殺にとどまらず必要とあらば国家転覆も行う。傭兵とは異なるのが、彼らはどこまでもルベウスの尖兵であるという点だろうか。

 しかし常に闇に身を浸しているわけでもなく、表の顔はホテル・サフィレットのホテルマンだ。ノヴァの家令となったフランツもかつてはサフィレットのホテルマンであり、今でも尖兵のひとりである。ノヴァに剣術、体術、隠密行動を教え、鍛えたのはフランツをはじめ、サイファーに属する者たちだ。

「あなたはこれがはじめての実戦です。我々の役目は姫様の救出を『助ける』こと。ですから、行動を開始したら我々への気配りは無用です」

「その通り。我々は姫様の下僕であり、取り替えのきく寡兵にすぎません。姫様の騎士は、サイオン、あなただけなのですから」

 別の男が頷いて言葉を付け足す。

「ええ。サイオンはまっすぐに姫様の元へ駆けつけてあげてください」

「ですが、手に負えないと感じたらすぐに合図を。サイオンをお守りするのも我らの役目ですから」

「そしてフォローは私にお任せください、若様」

 最後にフランツが家令らしく礼をする。

 美丈夫な精鋭たちの視線がノヴァに集まる。思わず肩をすくめた。

「まったく…随分と甘やかしてくれるんだな。俺はあんたたちを替えのきく寡兵だとは思ってない。……だが、今はありがたく申し出を受けるよ。皆の心遣いに感謝する」

 まだまだ子供扱いをされている。俺は守られる側なのだ。

 しかし、今は素直に未熟さを認め、その現状を受け入れて前に進むしかない。つまらないプライドにこだわれば、我が身ばかりか彼らまで危険に晒してしまうかもしれない。結果、アウロラの命を危うくする。

 思い上がるなと、アークメイジにも叱られたことだしな。

 自分の中で折り合いをつけると傍の家令を見やる。

「……それにしても、フランツ…お前はそれで戦えるのか?」

 ノヴァを始め、サイファーの男たちは外套の下はサフィルスが実戦から得た情報を元に、研究を重ね作り出した対魔法攻撃・物理攻撃から身を守る戦闘服なのに対し、フランツのみ、いつもの執事服なのである。

 魔術師らしいローブは最小限にとどめ、戦闘に特化し、防御力と機動力を高める新たなスタイルをサフィルスは獲得したのだが、この家令は全く普段通りだった。

「私は若様の家令でございますから。執事服こそが私に相応しい装備なのです」

 至極当然の顔をしているので、ノヴァは二の句が継げない。

「それより若様、ウィスタリア様からのご指示だけは必ずお守りください。事後の交渉を優位にすすめるために…ひいてはルベウスのため、国王陛下との密約を果たすことが肝要です」

「…わかってる。皇子の命の保証だろ。…無傷で確保できればいいが」

「皇子が無抵抗で降伏することは考えにくい状況です。ご無理はなさらず、お嬢様を救出したら直ちに離脱もお考えください。あとは我々だけで皇子を『保護』致しますから」

 その保護は荒事になるのだろうが、彼らならば上手くやるだろう。怪我を負わせても治癒魔法で『無傷』に戻すのであろうし。

御曹司サイオン

 物見に出ていた斥候が素早く走り寄ってくる。

「城下は皇子が放ったとみられる兵士の姿が複数確認できました」

「兵士?人間か?」

 兵士といえども、王には民である。彼らの安全の保証も密約には含まれている。

「いえ、あれは生者ではありません。砂で作られた傀儡です。傀儡の数には揺らぎがあり、正確な数までは把握できておりません。ですが、ここのところ活発な動きを見せております。…何かの前兆かもしれません」

「……傀儡…魔力で動いているのか」

 ノヴァは瞳を細める。

 複数の傀儡を操るには、大量のリソースを消費する。その技量がヘレルにはあるということか。

「サイオン、フューシャが大商人であった頃、交易のためゴーレムに荷運びをさせていたと聞いています。つまり彼らは土属性。砂で兵士を作るのはお手の物でしょう。活発な動きを見せているというのが気になりますが、人間の兵士がいないのであれば我々の行動にさして支障はございますまい」

 そうか、とノヴァは相槌をうち、続ける。

「皇子はおそらく幻術も得意だ。方法はわからないが、あのアウロラを絡め取ったくらいだ。皆も惑わされないように注意してくれ」

 彼らは表情を引き締め、一様に頷いてみせる。

「懸念材料は多いが、時期を逃せばアウロラが危うい。……そろそろ、行こう」

 ノヴァの言葉を合図に、一同外套を目深に被って素早く風塵に紛れ、一路廃城を目指すのだ。



 ※



 廃城の城下に配していた砂の傀儡たちの異変に気付いたフューシャは不満げに「来たか」とつぶやいた。

 あれから、アウロラの防御壁の破壊、そしてルーン文字の解読を試みたが、徒労に終わった。

 彼女の身柄を移すにしても、触れられなければ実行できない。防御壁はアウロラが横わたる階下にも及び、一切の手出しを許さなかった。

 ペンダントは澄んだ光を放ち続け、彼女を守っている。

 フューシャには苛立ちの対象でしかないが、ヘレルは素直に感嘆した。

 本来、圧倒的強者であるルベウスを守るための回路など不要である。それでもなお、彼女に盾を持たせた。こうなることを見越していたかのように。

 これはサフィルスの……ノヴァ・サフィルス・コランダムのアウロラを必ず守るという強い意志表明だ。

 フューシャ様とは異なる、情熱の証。純粋な。

 羨ましい、とヘレルは思った。

 自分には何もない。彼らのような必死さも、こみ上げる情熱も。

『ヘレル、私は外を確認してくる。お前はここで紅玉を見張れ』

 どうやら敵に攻め込まれ始めたらしい。さすがのフューシャも焦っている。

 表立って国内で行動しているのならば、父王の許可を取り付けたのだ。サフィルスは精鋭を揃えて事態に臨んでいるはず。こちらに勝ち目があるかといえば、フューシャ次第だろう。

 父上は、一体どんな顔をしておられることやら。不遜なる父上が、己が不徳の致すところ、などと殊勝なことは言いますまいな。

 想像すると、少々胸が空く。

「はい、お任せください」

 頷くヘレルを見届けることなく、影は消えた。

 騒動が届かない壁の中のアウロラに変化はない。

「…あなたの騎士が迎えに来ましたよ、ルベウスの姫」

 話しかけても答えはない。

 私はもう少し、あなたと話がしてみたかった。

 けれどそれはもう、叶わないかもしれませんね。



 ※



 枯れた都に踏み込むと、砂の兵士たちは異変を察知し、サフィルスの精鋭『サイファー』に襲いかかってくる。属性でいえば、サフィルスは風。土属性とは相性がいい。しかし、一面砂とあっては分が悪い。

 隠密ではなく、あえて正面突破を演出するのは、陽動のためである。別行動であるノヴァとフランツを隠すための。

「いやぁ、久々に堂々と暴れられるのは気分がいいなぁ」

「派手に魔法が使えることは稀だからな」

「砂まみれにはなるけど」

「サイオン付きに抜擢されてよかった。他の連中は出撃できなくて悔しがってたもんな」

「本来なら全員で攻め入ってもいいくらいだった。姫様の救出だからな」

「……さすがに支配人ボスがそれは許さないだろ」

「ホテルの休業はありえないってね」

「まぁ、休業は戦争する時だけさ」

 軽口を叩き合いながら襲いくる砂の兵士を刻み飛ばす。

 砂の海とあっては、文字通りきりがないのだが、彼らは清々しい表情でその波を砕いていく。

 その様子を隠れ見るノヴァは呆れた。

「…なんであんなに楽しそうなんだ、あいつらは…」

「滅多とありませんので。隠密以外の行動は」

「……まぁ…いいけどな」

「彼らが注意を引いている間に、先へ参りましょう若様」

「あぁ」

 気配を消し、身を低くして朽ち果てている家屋の間を駆ける。斥候が要所に点在し、ノヴァを導く。

 崩れた塀を抜け、庭を駆け抜けると窓枠を飛び越えて廃城へと潜入を果たした。

「ここまでは順調か」

 外套のフードを下げると精神を集中させ、魔力探知を展開する。

「最上階か、強い魔力反応があるな。…この魔力は…アウロラ、か?」

 近しいが、完全一致とは言えない。

 だが、居場所は把握できた。

「いくぞフランツ」

「はい」

 砂に半分侵された廃城の廊下を走り、崩れかけた階段を飛び越え軽やかに上る。

 そこに、罠があった。

 侵入者を拒むように、より強固な砂の傀儡……ゴーレムが現れたのである。

 頑強な岩山のような巨体にノヴァは目を見張る。

「……ゴーレム!これが」

 じかに見るのは初めてだ。

 身構えるノヴァの前に立ち、フランツは制する。

「若様、ここは私が」

「だが、」

「お忘れなきよう。若様のお役目は戦うことではなく、お嬢様の救出です。何をおいても優先されるべきこと。…ご心配には及びません。私もすぐに合流いたします」

 いつも通りの表情と姿のフランツに、ノヴァは戸惑う気持ちを捨てた。

「……わかった。無理はしないでくれ」

「そっくりそのままお返しいたします、若様」

「………。減らず口を叩けるなら大丈夫だな。ここは任せた」

「はい」

 家令は執事の礼をして駆け出したノヴァを見送った。

「……さて、掃除にとりかかりましょうか」

 ゴーレムを見据える彼の口元に笑みが浮かんでいた。



 フランツを振り返ることなく駆けるノヴァの目の前に廊下や部屋に溜まった砂が兵士となって群をなす。だが、構ってはいられない。

 ブレスレットを外し、前へ放ると名前を呼ぶ。

「ルシファー!」

 ブレスレットはすぐさま狼を生み出し、しなやかに着地しノヴァと並走する。

「蹴散らせ。俺をアウロラのところへ導いてくれ」

 ルシファーは了解するようにひとつ吠えると彼の前を走り、兵士たちに体当たりする。砂が大きく崩れるとその隙をすり抜けてノヴァは進む。足止を食っている場合ではないのだ。

 次々に砂の兵士を蹴散らし、勢いよく駆け抜けるルシファーに遅れを取らぬように脚力強化を自らに施し、その部屋までたどり着く。なんとか残る扉をルシファーは破壊して踏み込んだ。

 かつての栄華を壁の色彩にのみ残す王族の居室に彼女はいた。

 無数のルーン文字で文様化され構成された半透明の防御壁。…アイギスに守られて。

 アイギスから放たれる魔力を探知していたようだ。

「……ようこそ、ノヴァ・サフィルス・コランダム」

 防御壁の前に立ち、アウロラをさらった張本人であるヘレルは恭しく礼をする。

「……ヘレル皇子」

 彼は顔を上げると薄笑みを浮かべた。

「砂の傀儡では、あなたの相手にはならなかったようですね」

 悪びれないヘレルの様子にノヴァは不快感を露わに尋ねる。

「あんた、何故こんなことをした」

「申し訳ありません。先祖の妄執です」

「妄執?…どういう意味だ」

 怪訝に問い返すノヴァを受け流し、彼の視線は足元のルシファーに及ぶ。

「……狼の魔法獣を従えているのですか。それにこの防御壁、あなたの仕事なので?」

 世間話でもするように会話を振るヘレルにノヴァは戸惑った。

 彼の印象は、もっと内気な少年だった。しかし、ここにいるのは不気味なほど動じない冷めた目をした男だ。…これが彼の本性か?

 ノヴァが黙っていることに気を悪くするでもなく、ヘレルは続けた。

「そちらの魔法獣も見事ですが、この防御壁を生み出しているペンダント……とても素晴らしい仕事です。魔法、物理…あらゆる方法で破壊を試みましたが、ことごとく失敗に終わりました。こんなものが巷に溢れていてはたまらない。この技術を外に出さないのは正解ですね」

「………」

 アイギスが発動しているとこを見るのは、ノヴァですら初めてのことである。壁はひとつだけだが、魔力消費を抑えるためだろう。

「2日前からこの状態を保っています。この壁のおかげで、彼女は魂を奪われずに済みましたよ」

 まるで他人事のように話すヘレルの言葉にノヴァは青ざめる。

 つまり、アイギスが発動しなければ、アウロラは今頃……。

 魂を奪う、だと…?

「…ふざけやがって…」

 吐き捨てるように呟く。

 そして部屋の四隅に置かれた大型の魔香炉を視界にとらえて、ノヴァは眉を寄せた。

 微粒な粉塵が舞っている。彼の魔術回路が不快を示している。…これは、あの舞踏会の夜と同じ感覚だ。

「アウロラの力を弱めているのは、香炉が…塵が原因か」

「さすがは選ばれしサフィルス。その慧眼感服いたします。理屈はわかりませんが、彼女にだけ作用するようです。私やあなたには害はありません」

 やはり他人事の物言いだ。

 苛立ちながら、ノヴァは香炉を壊していく。

「……俺はあんたをなるべく無傷で確保しろと言われている。…手向たむかう気はあるか」

 砂の兵士やゴーレムを次々に作り出すほどの魔力をヘレルが有しているのなら簡単な戦いにはならないだろう。

「いいえ。私はここでアウロラ殿を見張れと命じられているだけです。戦え、とは言われておりませんので」

「……命じられて…?……黒幕は別にいるのか」

 周囲に従者の姿は見えないが(そもそも巧妙な傀儡だった可能性もある)、ウィスタリアによって王家の関与はないと確認済みである。さらに密偵の調べで第三者(または第三国)が関わった形跡もないとなれば、大胆不敵にもヘレル単独の拐かしと判断し、黒幕の可能性について考えてこなかった。

 だが、ヘレルの他人事のような物言いを考えれば、腑に落ちる。

「…そいつは、一体」

「…来ましたよ。彼女を連れて逃げるなら、こちらに不利な屋根上をおすすめする」

 ヘレルの視線の先に、黒い影が現れる。

 目にした途端、ノヴァはざわりとした嫌悪感に襲われる。

『我の城で好き勝手に暴れまわりおって青玉め!!何をしておるヘレル!!そやつを排除せぬか!!』

「……なるほど、あんたが黒幕か」

 まるで無数のハエがたかっているような不快なざわめきだ。黒魔術の邪法の臭い。自由意志は持っているようだが、ろくなものではない。

 何者かは知らないが、こんな腐れた影にアウロラが絡め取られたかと思うと、不愉快でたまらない。

「……なぁ、ヘレル皇子。あいつはあんたを守るか?」

 問いかけの意図が掴めないまでも、ヘレルは答えた。

「ええ。都合のよい依り代を失うのは彼にとっても損失でしょうから」

「そうか。でももし大怪我を負ったら、俺が直接治癒してやるよ」

「…?」

 首をかしげるヘレルを捨て置いて、ノヴァはニヤリと笑った。

「あんたたち忘れてないか?この部屋は粉塵まみれだ。…こうしたら、どうなるかな…?」

 ノヴァは指を弾いて小さな火種を放った。

 それはとても小さな火で、地面に落ちればすぐにかき消えてしまう程度の威力でしかない。

 だが、この部屋では最大の脅威となる。

 粉塵爆発だ。

 はっとしたヘレルが受け身を取るより前に、大爆発を引き起こすのだ。

 ノヴァは素早くアイギスの内側に入り込み、ルシファーもそれに続く。アウロラを庇うように抱えると爆風に乗って屋外へ飛び出した。飛び散る瓦礫からアウロラとノヴァをアイギスは守る。アイギスは作り手であるノヴァを拒まない。

 身を翻して屋根に着地すると、跡形もなく吹き飛んだ部屋から遠ざかる。脅威が去ったと判断したのか、アイギスは緩やかにその防御を解き、ただのペンダントに戻った。死角を探して滑り込み、身を屈めてアウロラを片手で支えて状態を確かめる。

 着衣は制服のまま。砂で少々薄汚れてはいるももの、さほど乱れはない。

 頬に触れて、顔を覗き込む。

「……アウロラ…」

 離れていたのは数日だ。だがもう何年も離れていたような気持ちがこみ上げてくる。

 やっと、触れることができた。

 喜びもつかの間。アウロラからは生気が失われていた。血色を失った頬や指は冷たく、表情はぴくりとも動かない。

 呼吸はほとんどしておらず、魔術回路もほぼ機能していなかった。……瀕死に近い。

「……そんな…アウロラ…」

 知らず震える腕の中でアウロラを抱きしめて、温めるように頬を撫でる。

「……駄目だアウロラ。…目を覚ましてくれ…」

 一体、どれほどの魔力を奪われ続けたのだ。苦しかったに違いない。

 もっと早く来るべきだった。もっと早く攻め入ればよかったのだ。そうすれば…こんなことにはなっていなかったかもしれない。やっと、この手は届いたのに…!

 傍にいるルシファーが悲しげに鼻を鳴らす。

「……どうすればいい……」

 途方に暮れるノヴァの元にフランツが参じた。

「遅れて申し訳ありませんでした若様。…お嬢様は…」

「フランツ!アウロラが……アウロラが死にそうなんだ。息をほとんどしてない。魔力も奪われすぎて回路も機能してない。……俺は、どうしたらいい?…アウロラを失ってしまったら…俺は…」

 幼い子供のように頼りなく縋る目を向けるノヴァにフランツは言いかけた言葉をおさめ、アウロラを見る。

 血色を失ってぐったりとノヴァにもたれかかっているアウロアから生気は皆無である。

 しかし、最強を冠してきたルベウスがこの程度で死するだろうか…?その身に竜を宿すとされる魔女が。きっかけさえあれば、息を吹き返すはず。

「……お嬢様は魔力を奪われてこの状態に陥っているのであれば、魔力を注ぎ込めばよいのです。お嬢様の魔術回路が力を取り戻せばあとは時間を有しても自然に回復するはず」

「……そんなことが、可能なのか?…」

「常の方法ではございませんが、緊急事態とあらば話は別です。それに、若様とお嬢様なら可能でしょう」

「どうすればいい?」

「お嬢様の回路を強く意識して、直接口移しで若様の魔力を分けるように吹き注ぐのです。お嬢様の回路が動き出せば、呼吸も取り戻すはずです」

「わかった」

 ノヴァは頷くと、アウロラの頬を取り、上を向かせる。

 躊躇いはなかった。

 自身の魔力を漲らせると、彼女の乾いた唇に自らのそれを割り込ませてアウロラの中に魔力を注ぐ。

 何度も何度も強く念じながら。

 目を覚ましてくれアウロラ。頼むから、目を開けてくれ。

 お前が目を覚ましてくれるなら、俺はこのまま魔力を失ってしまっても構わない。お前が死ぬくらいなら、俺が先に死ぬ。そう決めて生きてきたんだ。

 返ってきてくれ、アウロラ。お願いだ。

「…若様、それ以上は」

 魔力を注ぎ続けるノヴァの顔色が悪くなりはじめ、フランツは止めようとする。

「……いいんだ。アウロラが目を開けないなら、俺がいても仕方がない」

 ノヴァの危うさを垣間見て、フランツは眉を寄せた。

 再び魔力を注ごうとノヴァが吐息をついたとき、小さなうめき声が上がった。

「……っ…ん……」

 瞼を震わせて、凍っていたアウロアの表情はとける。顔色もわずかに取り戻したようだった。つっかえがとれたように、呼吸もはじまる。

 戻ってきてくれた。

「……っ…アウロラ…!」

 彼女はわずかに瞼を開いて、ぼんやりとした目でノヴァを見た。

 かすかに、その唇が動く。ノヴァ、と。

 だがアウロラはすぐにまた瞼を閉じてしまう。

 ノヴァは表情を崩してアウロラを抱きしめた。

「若様、ここにとどまるのは危険です。ひとまず、お嬢様を安全な場所へ」

「……あ、ああ…、そうだな」

 アウロラの体温を確かめるように彼女の額に頬を寄せ、ノヴァは頷いた。

「ここにいたか、青玉の小僧め!!私の紅玉に気安く触れるな!!紅玉を…私のスカーレットを返してもらおうか!!」

 怒りに満ちたヘレルの声音が背後から響く。

 だが、これはヘレルではないだろう。あの黒い影、黒幕。

 さらに不快な影は数を増やしている。禁術のレイスか。

 ノヴァは無表情ままその言葉を無視し、自身の外套を取り外してアウロラを包む。

「……フランツ」

「はい」

「アウロラを頼む」

「ですが…」

「…やはり、奴のことは俺が決着をつけるべきだ。アウロラのフラテルである、この俺が」

 揺るがない眼差しで告げられ、フランツは押し黙った後、静かに頷いた。

「……かしこまりました。お嬢様のことは私が命に代えてもお守りいたします」

「…あぁ、頼んだ」

 アウロラを委ねると、ノヴァはゆらりと立ち上がった。

「行ってくれ」

 一瞥してフランツに告げると彼は黙礼し、アウロラを抱え上げ素早く屋根をかけて下っていく。フランツは必ずアウロラを守る。

「追え!!」

 ヘレルは、いや、ヘレルを操っている影は自らの周囲に召喚したレイスをフランツに差し向ける。だが、ノヴァが行く手を阻むように手をかざすと、レイス内側から破裂して散る。

「行かせるかよ」

 手をかざしたままの姿勢で吐き捨てる。

「こんなに腹を立てるのはマスターに謀られた時以来だ。私の紅玉?返せ?…はは、アウロラをあんな目に合わせておいて、何言ってんだお前。アウロラはお前のモノじゃない。覚悟は出来てんだろうなぁ?」

 冷静なふりはもう必要ない。

 鋭く見据え、指をさすノヴァに影は鼻で笑う。

「小僧が意気がりおって!見たところ随分と弱っておるではないか。魔力を消費しておるようだな。立ってるのもやっとといったところであろう。それで私に勝とうなどと!侮られたものだ。この数の差が見えぬのか!魔法獣を従えておるからって、図に乗るでないわ!」

 見る限りではレイスは10体。全て魔術師の成れの果てであろう。影はヘレルの魔力を使い、さらにその肉体を盾にしてくるに違いない。分は悪い。だが、やるしかない。

「数の優位ねぇ……そんなもんクソだ。気にするなノヴァ」

 ここで第三者の声が両者の間に割り込んだ。影は怪訝に、ノヴァははっとして足元のルシファーに視線を向ける。

 狼の魔法獣は姿を燻らせ、人間の形を作り出す。

 色彩は魔法獣のまま、古の魔術師のローブをまとった青年だ。肩にかかる長い三つ編みを払いのけながら言った。

「このまま黙って見てるべきかと思ったが、あいつが相手なら、やっぱり無理だったわ」

 と砕けた口調で告げてノヴァを唖然とさせる。青年はそのままの表情でヘレル越しに影を見た。

「よぉ〜〜〜フューシャ、やっぱりお前かよ。そんな姿になってもまだ性懲りも無くルベウスに執着してんのか、気持ち悪いこの老害ジジィが!」

「……フューシャ…?」

 口の悪い青年が呼びかけた名前をノヴァは呟く。フューシャは国名だが、それは建国の王の真名だ。ヘレルも先ほど「先祖の妄執」だと言っていなかったか。…ということは、ヘレルに取り憑いているという影というのは。

「初代の王なのか」

「正解だ、ノヴァ」

 当のヘレルに取り憑く影、フューシャは青年の姿を凝視し、表情を戦慄かせる。

「…げぇ!…き、ききき、貴様、その顔、その声……シアナス!!なぜ、なぜそこにいる?!!」

 シアナスと呼ばれた青年は嫌な笑いを浮かべた。

「耄碌せずに俺を覚えてたか、えらいえらい。まさかこれほど時を隔ててお前とまた見えるとはなぁ。これはきっと姉さんの導きにちがいない。…よし、殺そう」

 さらっと物騒なことを言う青年、シアナスにノヴァは問いかける。

「知り合いなのか、奴と」

 因縁があるとは言っていたが。

「あぁ、フューシャはコランダムの始祖となったスカーレットと同時代の魔術師だ。当時の奴は知らぬ者はいないと言われた大商人でな、やつの財力と人脈は非常に魅力的だった。大戦に備えて協力を仰いだスカーレットを一目見て、奴はその瞬間に跪いて求婚した」

「は、はぁ?求婚?」

「そうだ。もちろん婚姻は実現しなかったがな」

「貴様が邪魔をしたのだシアナス!!貴様がいなければ、スカーレットは私の求愛を受け入れた!!」

 喚くフューシャにシアナスは肩をすくめる。

「なんだ、やっぱり耄碌してたか。記憶の改竄が甚だしいぞ。受け入れるわけねぇだろ、勘違いジジィめ。てめぇはすでに嫁と愛妾だけでひとつ村が作れるような状態だったじゃねぇか。それに、どのツラさげて齢18のスカーレットに求婚するんだよ。恥を知れ恥を!俺でなくても阻止するわ」

「……ちょっと待ってくれ。…当時のフューシャは、いくつだったんだ?」

「あー、70は過ぎてたな。…なぁ、ノヴァ、お前は小さき姫が嫁と愛妾まみれでひ孫までいた70過ぎた色ボケジジィに求婚されたら黙って見守るか?」

 問いかけられて想像すると、申し訳ないが…もしアウロラが望んだとしても。

「全力で阻止する」

「そうだノヴァ、お前が正しい」

 深く頷くシアナスとノヴァの間に妙な連帯感が生まれた。そんな場合ではないのだが。

 ノヴァはこの青年…シアナスの正体について、あえて追及してこなかった。しかし、ここでの会話を聞いてしまうと、知らぬ顔をし続けることは難しくなる。

「……シアナス、貴様がいなければ万事うまくいったのだ。それを、ゼノを押し戻した後、空白地帯となっていたこの土地を私に治めさせるべきだと紅玉に吹き込んで私を王などに封じた!そして知らぬ間に紅玉は娘を産み、姿を消した。…どれほど私が口惜しかったことか」

「うるせぇ、知るかよ。だが、ここで会えてよかったよフューシャ。姉さんが()()お前の存在が必要になるって言ってなきゃ、さっさと始末してたところだぞ」

 シアナスはノヴァの横顔を流し見る。

 アウロラに大半の魔力を注いでしまった彼は、もはやまともに戦える状態ではなかった。さらに怒りの感情で魔力を無為に消費しかけない状態であったため、見かねて姿を現したが。

 俺が始末してもいいが、それではノヴァが納得しないだろう。俺がノヴァの立場でも自分の手で始末をつけたいと思うはずだ。……なら、丁度いいか。

「話はここまでだフューシャ。俺はお前と旧交(なんて言いたくないが本当は)を温めるために出てきたわけじゃない。今回の件、はしゃぎすぎたお前に罰を下してやるためだ」

「ほざけ!私こそお前に復讐する機会を得て狂喜しておるわ!目障りな青玉どもめ!まとめて始末してくれる!!」

「ほお、そうかい。…ノヴァ、ちょっとは冷静になったか?」

 唐突に始まったこの不毛な言い合い。半分置いてけぼりになって、怒りの持って行き場を失っていたノヴァにシアナスは問いかける。

「………あぁ、おかげさまで」

 嘆息する。

 なるほど。頭に血がのぼったままでは、危険だと判断されてしまったのだ、シアナスに。

 こっちはこっちで、子供扱いしてくれる。

「なら、ノヴァ…『あれ』を出せ」

「……?!…あれって、まさか、『あれ』か?だが…」

「構わないから出せ。あれならお前の魔力消費を抑えられる」

 ノヴァは戸惑ったが、しかしすぐに覚悟を決めて横に手を伸ばし、呼びかける。

「ランチャーオープン」

 すると彼の手元に何本かの剣が横並びになって現れる。その中から一本を取り出すと、他は消える。感覚を確かめるように振った。

 その剣は鮮やかなルビー色の剣身を持ち、繊細な彫刻とサファイアが散りばめられた柄が印象的な美しい魔法剣。

 圧倒的存在感を放ち、見るものを魅了する。

 ノヴァの手におさまっている剣を目にした瞬間、フューシャは目を見開き、狼狽える。

「なぜ、それが…!アダマントの王宮に封印されているのではなかったのか…?!いや、いや…この私が見間違えるわけがない…!なぜ、なぜ…その剣を…『聖グラディウス』をお前が持っているーーー?!!!」

 フューシャは絶叫した。

 そう。ノヴァが構えたその剣は、かつての大戦で用いられたアルス・マグナ。

 退魔のクレイモア、魔法剣『聖グラディウス』だったのだ。

いよいよクライマックスなのですが、今回だけじゃおさまりきりませんでした。

例のお兄さんは、実はとても口が悪いです。前は一応大人ぶってただけです。

グラディウスっていうのは、そのまま「剣」という意味です。本来の大きさはクレイモアとは異なっているのですが、あくまでも名前が『グラディウス』と付いているだけです。由来は後に説明します。

次回、決着です。

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