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【コミカライズ第2巻6/27発売】ルベウスの魔女とアルスマグナ 〜乙女ゲームのアンチヒロインは世界の滅亡を回避したい〜  作者: 阪 美黎
第2章 眩惑蝶の皇子

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眩惑蝶の皇子(3)

 屋外に出て庭園の入り口にあるバラのアーチの根元まで来ると、アウロラは一息ついた。

 人間が多いところは苦手だ。もともと社交的ではなかったが、何年も限られた空間にいた弊害か、すぐに息が詰まってしまう。それに、魔女故か、人間が集まる場所は様々な欲望の色や臭いが渦巻き、疲れてしまう。これらを寄せ付けないように気を張っていることにも。

 舞踏会という単純に華やかな場への憧れはあったものの、様々な思惑が絡んだ視線を露骨に向けられ、囁かれると想像以上に精神は疲弊する。場合によっては四方敵だらけの中、笑顔の鎧を纏って戦い続けなければならないわけで…。

「…上流社会って大変」

 ぽつり呟いた。

 爵位を持たない魔女でよかった、と安堵する反面、しかし王佐になれば宮廷の貴族たちとも渡り合っていかねばならないのだと考えると気が重い。『わたし』は社会人だったのでそれなりに処世術は身についているが、アレクシアほどの精神的な強さが自分にあるかといえば、自信がない。向き不向きという意味では、後者である。

 お母様の補佐に伯父様がいるように、わたしにはノヴァがいる。でも、頼り切ってしまうわけにもいかない。

 強くなるというのは、どういうことだろう。政治は魔力を必要としない。決定権を持たないとはいえ、王佐を目の敵にする者もあれば、王府を批判するための材料になったり、また王を守るために矢面に立たなければならない場面にも出くわすだろう。

「学生時代は『長』のつくことからは無縁だったのに…」

 きらめく優等生であったことはない。教師に期待されるようなポジションだったこともない。平均的で凡庸な学生時代しか知らない。本来のアウロラが有していた尊大さを今は少し分けてもらえれば、気後れせずに済んだかもしれない。

 しかし元を正せば、なぜルベウスの魔女は王佐になったのか。かつての大戦以前は王宮に魔術師はいても、表舞台には出ず完全なる隠者であった。しかし、大戦以降、魔術師は隠れ潜むことをやめたように世の中に溢れた。

 ルベウスは大戦における第一功績者として王宮に迎えられ、アダマント王の王佐となった。そこから400年以上、国は続き、この関係も変化していない。

「冷静に考えて、400年以上この国が続いているということに驚くわね」

 これほど長く国が続いていながらも、目立って傾いたことがない。歴史を見る限り、比較的安定し続けていた。

 その大きな要因は、この国に『明夷めいいの門』と呼ばれる大戦の戦場跡が残っていることだった。禁足地になっているので直に目にしたわけではないが、『明夷の門』は巨大な岩山。その巨大な岩山が二つに裂け、魔物が吹き出してきたのだという。裂け目は『ゼノ』と呼ばれる異界につながっているが、今は封じられている。

 大戦後、岩山にはゼノから漏れ出した混沌が結晶化し、『魔導石』の鉱床となった。魔導石はそれそのものに力が宿っており、これをエネルギー炉に転換させる方法がアルケミーや魔術師たちよって編み出された。結果、人間の社会活動は大幅に向上し、こうして世界は一段階上の文明を手に入れるに至った。

『わたし』の世界に置き換えれば、魔導石は発電機であり、電気エネルギーである。

 当初『明夷の門』はゼノに繋がる厄介な嫌われ者であったが、魔導石の鉱床となって以降、エネルギー供給源としてもてはやされるようになった。我が国は『明夷の門』という負債と同時に、魔導石の福音を手にしたのである。そして、魔導石は時を隔ててもなお絶えず結晶化していた。

 魔導石の採掘から管理・分配を担うことで、我が国『アダマント』は豊かになり、世界の中心的国家となった。だが、その豊かな国の王位を簒奪する者や、我が物にせんと侵略しようとする者が現れなかったのは不自然である。宗教や人種にイデオロギー、そして領土やエネルギーは戦争の火種となる。が、ルベウスの魔女が王佐におさまったことで、何人たりとも手出しできぬ国になった。大戦の第一功労者というだけでは理由にならない。もっと別の、何かがあったはず。

 だが実のところ、アウロラはあまりルベウスの歴史に明るくない。当事者の家柄にも関わらず、ルベウスばかりか、サフィルス…つまり、コランダム家の過去を詳しく浚う資料が残されていないのだ。始祖についてもほとんど何もわからないまま。アダマントの歴史書にも記述が少なく、先祖についてうかがい知ることはできない。まるで、故意に明記を避けたように。

「……アウロラがアンチヒロインとして世界を滅ぼすことばかりに目を向けていたけれど、よくよく考えれみれば、そんな邪悪な少女を生み出すに至った血の先祖……ルベウスの魔女は、一体何者だったのかしら」

 始祖の負の側面を強く受け継いだのがアウロラだ。始祖は善と悪とを公平に持ち合わせていたから邪悪ではなかったのか。いやもしかしたら単に…。

「善悪の境界が存在していなかったのかも…」

 口に出すと、空恐ろしくなった。

 この身は始祖の再来とまで言われた魔力を有しているのだ。

 少なくとも、わたしは『小心』だから、アウロラのように世界を滅ぼそうなどという考えには至らない。でも、何かのきっかけ次第では邪悪に転ばないとも言えない。

 長じるほどに『絶対』といえるほどの強固な意志が持てなくなっている。なぜなら、この身はまだ魔力が安定していないから。ノヴァが呉れたペンダントのおかげで随分と改善されはいるのだが、それでも『何か』が邪魔しているかのように不意に不安定になる。

 安定しない力で誰かを傷つけてしまったら?とんでもない惨事を引き起こしてしまったら?取り返しのつかないことになってしまったら…。

 断罪されるのはわたしだけではない。わたしだけでは済まない。王佐であるアレクシアは国内外で立場をなくすし、家族は罪を引っかぶる。さらにはサフィルス一門が路頭に迷うことにもなる。

 誰かを傷つけること、社会的信用を失うこと。それが、とても怖い。

 不安と恐怖はわたしを萎縮させ、自信を奪う。

 自信、そうだ。わたしに圧倒的に足りないのは、自分を信じる力だ。自分の心を信じる、力。

「……何にも揺さぶられない強い心が欲しい…」

 心に見合わない大きな力を持て余すように、深く息をつく。

 胸元に手を当てて無意識にサファイアのペンダントに触れようとするも、今夜は身につけていないことを思い出す。装いに馴染まなかったため、仕方がなく外してきたのだ。考え事をするときや、気持ちが不安に傾いた時はあれに触れると落ち着けるのだが。依存しているつもりはないが、心の支えになっているのは確か。

「習慣は抜けないわね。…やっぱりあの子を連れてくるべきだったかしら」

 小さく呟く。

 …と、視界の端に青いきらめきを捉える。

「…?」

 気になって顔をそちらに向けると、青くきらめく蝶が庭園のバラの花で羽を休めていた。しかしすぐ舞い上がると、ふわふわと移動をはじめる。

「綺麗な蝶。モルフォ蝶みたい。…魔法かしら」

 ルーキス・アダマス家の庭園。魔法の蝶が放たれていてもおかしくはない。

 アウロラはその蝶に誘われるように後についていく。

 蝶に導かれた先には豪華な噴水が。すると蝶は噴水のヘリに腰掛けている人物の元へと向かう。先客がいたようだ。

 蝶は一頭だけではなかった。何頭もの青い蝶が、その人物を囲むようにして舞っている。暗い夜の中に在って、とても幻想的な光景だった。

 月は雲で影になり、その人物の正体をつかませない。

 アウロラを導いた蝶がその人物の指にとまる。

「あの…」

 声をかけようとした瞬間、無言の圧力、そして複数の殺気を向けられる。

 何者たちかの間合いに入りかけている。

 手練れが周囲に隠れ潜んでいるのか。

 アウロラが素早く後ずさると、その人物が口を開いた。

「やめよ」

 あらぬ方向に命じる声は少年のもの。厳格な立場にあるものの重い声音だ。

 彼が発すると同時、殺気は搔き消える。彼は小さく嘆息した。

「……あなたに殺気を向けるなどと。身の程もわきまえず、私の護衛の者が失礼いたしました」

 彼は噴水のヘリから立ち上がり、たくさんの蝶をまとわせながらアウロラへと歩み寄る。

「どうも国元を出て以来、神経質になっているようで誰彼構わずあの調子なのです。私に免じて許していただきたい。ご令嬢、…いえ」

 雲の切れ間から月が顔を出す。月光は少年の姿を露わにさせた。

「麗しきスカーレット。…紅玉の君」

 柔らかく微笑む神秘的な異国の美少年は、フューシャの皇子、ヘレル・ラトナラジュその人だった。



 今夜の主賓に気づけなかったアウロラは慌てて身を屈ませ礼を示す。

「…これは、大変失礼いたしました。ヘレル皇太子殿下。わたくしはアウロラ・ルベウス・コランダムと申します。ご無礼をおゆるしください」

「顔を上げてください。あなたは何も悪いことなどしていませんよ。ルベウスの…紅玉の君」

 それに、と続ける。

「あなたが私にへりくだる必要などひとつもない。魔術師の世界では、あなたの方が格上なのだから」

 そういうわけにもいかないが、とりあえず、姿勢を戻すと口を開いた。

「殿下は、わたくしをご存知で?」

「ええもちろん。舞踏会でもあなたはとても目立っていましたよ。それに、先ほどはグロリア殿とも踊っていましたしね」

 彼はうっすら微笑む。…しっかり見られていたようだ。

「グロリア殿とは幼少期から面識があるのです。彼は…元王族であるという影響を鑑みて、能動的に行動することを避けているように見えていましたが、あなたのことは別らしい。事実、彼の積極性に妹君も驚いていましたしね。クラリス殿は理由を察していたようですが……」

「グロリア様に他意はございませんわ。…グロリア様は、単にわたくしがクラリス様と親しくさせていただいていることで、その…親しみのようなものを向けてくださっているだけですから」

「ルベウスはあらゆる意味で特別ですからね。同世代とあっては、彼が意識するのも無理はない。あなたの母君とも昨日王宮で見えましたが……あなたの方が、より()()いますね」

「……どなたに、ですか」

「……ああ、いえ。こちらの話です」

 追及を避けるように微笑まれてしまう。…そんなことを言われたら、なおさら気になるではないか。

 しかし、それにしても。

 アウロラが感じた第一印象とは随分と異なっているように思った。大人しめの少年だと感じていたのだが、今こうして対面しているヘレルは王族らしい堂々とした振る舞いに口調である。

 遠目にしているだけじゃ、人の本質まではわからないものよね。

「私はどうも、ああいった華やかな場が苦手な質でして、少し息抜きをしていたところなのです。紅玉の君、あなたも?」

 紅玉の君、というのがもうアウロラの呼び名になってしまっているらしい。なんとも気恥ずかしいが、彼は王族である。やめてくれてとは言いづらい。

「…はい、お恥ずかしながら、わたくしも得意ではないようです」

「とても堂々としておられたのに」

「そう見えていたのなら成功ですね」

「ふふ、でしたらここでの会話はふたりだけの秘密にしておきましょうか」

「ありがとうございます」

 苦笑いを浮かべて答える。

 存外、話しやすい人だ。身構えず話せていることに我ながら驚く。

 彼はグロリアと同い年、つまりひとつ年上であるが、もっと年長の男性と話しているような安心感がある。出自を考えれば老成していてもおかしくはない。

 ヘレルの周囲を取り巻く蝶たちに目をやる。

「…とても美しい蝶ですね。……幻術ですか?」

 無礼かとも思ったが、尋ねてみる。と、彼はあっさり頷いた。

「ええ、子供の頃に身につけてた手慰みですが……」

 と、ヘレルは何かを思いついたように、ふわりと手を動かして自身の蝶をアウロラに纏わせる。

 蝶たちはアウロラの周りを緩やかに舞ながら戯れる。

 軽く触れてみるが、もちろん感触はなく、指先をすり抜けていく。

 先ほども感じたが、やはり幻想的だ。

「素敵な術ですね」

「………」

 微笑むと、なぜか彼は複雑そうに口をとざす。

「…あ、あの…わたくし、何か失礼なことを…」

「……あぁ、いえ。違うのです。私の父は……王は『これ』を嫌っているのです。…次期王たる者にふさわしくない矮小でくだらぬ術だと。ですから、人目に晒すことも稀で…あなたの言葉に、少し戸惑ってしまっただけです」

「…そんな…」

「ああ、お許しください。あなたの顔を曇らせるつもりはなかったのですが…安易に身内のことを話してしまうなど、それこそ王たる者にふさわしくありませんね。言い訳になるかもしれませんが、あなたはとても話しやすい方だ」

「…ご心配なく。ここでの会話は、秘密、ですから」

「…ええ、そうでしたね」

 ヘレルは柔らかく微笑むと、次に息をつく。

「…さて、名残惜しいですが私はそろそろ戻らねば。主賓がいつまでも不在ではルーキス・アダマス家の面目を潰してしまいますから。この蝶はあなたの元に残していきましょう。もう少し時間が経てば自然に消えますので、それまでの間お楽しみください」

「あ、ありがとうございます」

「いえ、私の話に付き合ってくださってありがとう、紅玉の君。我がラトナラジュ家とも、今後懇意にしていただけると嬉しいのですが」

「はい殿下。両家と両国の事情が許す限りは」

「正直ですね。ええ、それで結構。魔法学校にも少しの間、仮で籍を置きますので、そこでまたお会い致しましょう」

 ヘレルはそのまま肩越しの一瞥を残して去っていく。アウロラは礼を尽くして見送る。

 ヘレルが去ると、周囲にあった護衛の気配も消えた。

 彼が衣装に燻らせていた香りも薄れ、残されたのは蝶ばかり。

「……これ、どうしようかしら」

 この幻はあらゆる者の目に見える術。この蝶たちを纏わせて屋敷内に戻れば、注目を浴び、妙な噂の餌食になりかねない。増して、ヘレルはこの術をあまり他者に晒したくもないだろう。

 アウロラ自身で消すことは容易い。意思を込めて手を振るだけでいい。

 しかし、せっかくの美しい蝶をあっさり消してしまうのは些か勿体無いようにも思う。

 思案しつつ、目を楽しませつつ、庭園の小径を抜けテラスが見えた頃、ノヴァと出くわす。

「…アウロラ!」

「ノヴァ、探しに来てくれたの?」

 広間にアウロラが姿がないことに焦り、魔力探知を用いて庭園へと探しに出た。その矢先、ふたりは鉢合わせしたのだ。

 アウロラの姿が見えて安堵したノヴァだったが、彼女の周囲に群れる青い蝶に、一寸足が止まった。

「蝶…?」

「…あ、ええ、綺麗でしょう?」

 幻術だ。だがこれは、彼女の術ではない。

 自身の魔術回路がわずかな不愉快さと嫌悪感を彼に伝える。

 苦々しい気持ちでアウロラに近づき、彼女の肩を引き寄せると、とりまく蝶を追い払う。

「消えろ」

「…あっ…」

 ノヴァの言葉のままに、幻蝶は輝きを失い霧散する。

 アウロラは夢から醒めた気持ちでため息を漏らし、ノヴァを見上げた。

「勝手なことをして」

「小言を言いたいのはこちらだ。誰の幻術か知らないが、安易に他人の術を纏わせるべきじゃない。何か仕込まれていたらどうするつもりだ」

 アウロラは天才だ。それゆえに、油断が過ぎるところがある。

「そ、そんな大げさな…。あの幻術は、ヘレル殿下のもので、悪意はなかったわ」

「ヘレル殿下?ヘレル・ラトナラジュ皇子と会ってたのか」

 ぎょっとするノヴァに、アウロラは気まずく頷いた。

「え、ええ…風に当たりたくて庭園に出たら、たまたま皇子と出会ってしまって…少しお話を」

「話って?」

「…ごめんなさい。…会話の内容は、秘密なの」

 ヘレルの個人的な事情を含む会話だった。彼の、皇太子としての威厳を守る必要があるので、ノヴァには伝えられない。

 挨拶程度だと述べておけばよかったのだが、ノヴァの剣幕におされて咄嗟に誤魔化しを口にできなかった。

「………」

 困って眉を寄せるアウロラの表情に、ノヴァは静かに焦れる。

 きっとこうやって、自分に知らされない秘密は増えていく。

「その……案外話しやすい方だったわ。気取ったところもなくて。グロリア様とお話する方が緊張するくらい。踊った時も、足を踏むんじゃないかと気が気でなかったわ。周りのご令嬢たちの目も刺すように冷たくて…」

 ノヴァはしばらく無言だったが、嘆息交じりに口を開いた。

「異性としての興味はないと言ってたが、やはり…その話しやすい皇子が気に入ったのか?」

「…え?」

「…もしそうなら、俺からアークメイジやマスターに話してもいい。お前の夫の候補として…。相手が皇太子だろうが王族だろうが関係ない。アウロラが望むなら俺が引っ張って来てやる。既婚者でもない限り有無を言わせない」

「?!…ま、待って待って、そんなこと考えてないわ。結婚を視野にいれるとか、そういう相手ではないから!先走りすぎよ!……あなた、そんなにはやくわたしを結婚させたいの?!」

 驚いて見上げると、ノヴァは複雑そうにアウロラを見下ろしている。

「…言ってみただけだ」

「……ノヴァ…あなた…」

 根っこが真面目なノヴァは、この手の冗談を言うようなタイプではない。…ということは。

「…ノヴァ、拗ねてるの?」

「…は?」

「拗ねてるのね!わたしがひとりでうろうろしていたものだから…」

 さらにヘレルと遭遇し、その上会話を秘密にされたので、フラテルとしては面白くないのだろう。だから、少し意地悪が言いたくなったに違いない。

 ……なんだかんだ言っても、ノヴァもまだ16歳だものね。

 ノヴァはなぜそうなると絶句したが、すぐに我にかえり「違う」と首を振る。

「拗ねてるわけじゃない」

「いいえ、拗ねてるわ。意地悪なこと言ったりして」

「………」

 決まり悪く瞳をそらしたノヴァに、アウロラも反省する。

「…幻術の件は、ごめんなさい。相手が誰であれ、あなたのいう通り、呑気に楽しむべきじゃなかったわ。わたしも、この舞踏会の空気に浮き足立ってたのね…」

 ノヴァの胸にそっと手を置いて詫びる。

 非を認めて素直に頭を下げることができるアウロラは大人だ。逆に、ムキになってしまった子供っぽい自分を恥じる。ラウルスに余裕のあるそぶりを見せておいて、彼女に男の影がちらつけば…これだ。

 もっと大人になれば、平然としていられるのだろうか。

 小さく息をついて、ノヴァはアウロラの髪飾りの僅かなずれを直す。

「…言いすぎた。ごめんな」

「…いいえ、あなたは悪くなかったわ。ひとりでうろうろして、心配かけたのは本当のことだもの。ただちょっとノヴァが意地悪だっただけで」

 ふふと微笑むと、そのままもたれかかる。

「殿下とは、色っぽい会話なんて何もなかったわ」

 彼の護衛に殺気を向けられたことはノヴァには言わないでおく。さらに心配をさせてしまいかねない。

「口説かれたわけじゃないのか」

「ええ、勿論よ。それに、わたしにそんな気持ちのゆとりがないこと…あなたはよく知っているじゃない」

「………」

 ノヴァの目からはその兆しは見えていないが、アウロラは自分の力を…厄災の魔女とやらになることを怖れている。恋愛や結婚など考える余裕もないほどに。

 頭では理解している。けれど、感情は簡単に裏切る。まだまだ未熟だ。

「……本当に悪かった」

「もうあやまらないで。…というか、あなたはどうだったの?」

「?何が?」

「ほら、さっきラウルスと一緒にご令嬢たちに囲まれていたでしょう」

「…?!見てたのか?」

「ええ、邪魔してはいけないと思って、庭園に出たの。…大広間にいると、なぜか殿方に囲まれてしまって…気が休まらないから」

「………」

 つまり、この状況を作り出したのは、ノヴァがアウロラのそばをはなれたことが原因。が、諸悪の根源(?)はノヴァを連れ出したラウルスにではないか?

「ラウルスに騙されて連れて行かれただけだ。…声をかけてくれればよかった」

 アウロラが登場すれば、令嬢たちは蜘蛛の子を散らすように立ち去ってくれただろうに。彼女らは勝ち目のない戦いはしないはず。

「気になるご令嬢はいなかったの?」

「いないよ。…それに、俺は誰かさんの世話で手一杯だからな」

「………その誰かさんって…、もしかしてわたしのこと?」

「なんだ、自覚はあったのか」

「?!…ひ、ひどいわ!そんなに世話のかかる女じゃ……ない…と思うのだけど……思うのだけど…?」

 語尾が頼りなく弱まる。常日頃、迷惑をかけている自覚はあるので、世話のかかる件も…否定できない。

 考え込むアウロラの様子にノヴァは軽く吹き出す。

「…いいんだよ。アウロラの世話を焼くのは俺の特権だろ?……それに、この際だからはっきり言っておく」

「?」

「俺からアウロラの手を離すことはない。離したりしない」

 ノヴァは自身の胸に添えられているアウロラの手を握りこむ。

「離す時が来るとしたら、それは…アウロラからだ。俺からは決して離さない」

 今はまだ彼女自身に考えるゆとりがなくとも、アウロラに特別な男ができたとき、この手は離されていくだろう。

「……ノヴァ…」

 まっすぐ見つめるその眼差しに、アウロラの胸は揺れる。

 彼の言葉は、まるで愛の告白のよう。

 ノヴァは偽りを口にしない。

 アウロラとずっと向かい合っていてくれると約束を結んでいてくれる。

 情が深くて、優しい彼。

 わたしのことを大切に思ってくれる気持ちが嬉しい。とても嬉しい。けれど……それは、彼の『幸せ』なの?

 姉弟の関係は生涯続く。彼から人生の選択権を奪っておいて、その上、心まで縛ってしまいたくない。

 厄災の魔女になる未来を無事回避できたとしても、彼が幸せになってくれるまで、わたしは自分の幸せなんて求めたりしない。

「…わたしもよ、ノヴァ」

「アウロラ…?」

「わたしから、あなたの手を離したりしないわ。あなたが離してもいいと思えるまで」

 生涯、彼の一番の味方でいると誓った。わたしもその言葉に嘘はないから。

「………言っただろ。俺からは離さないって」

 微笑まれて、アウロラは切なくなる。彼に愛される女性は、とても幸せな人だ。彼の愛に嘘はない。

 その愛は本来、ヒロインだけものだった。そしてアウロラは、踏みにじろうとする者。

 今は、筋書きが異なってしまっていても、この先どう転ぶかなんてわからない。でもそれまでは、わたしの手は彼と繋がっていられる。

「じゃあ、お互いが手を離さない限り、わたしたちずっと一緒ね」

「そうなるな」

「……なんだか…」

「?」

「まるで両想いみたいだわ」

 ふふっと気恥ずかしくなりながら告げると、ノヴァは目を見開く。

「な…」

「だって、そういうことになるでしょう…?」

 アウロラは茶化しているつもりなのだろうが、ノヴァはそれどころではなかった。

 どうしてこう、アウロラは動揺させるようなことをさらりと吹きかけてくるのか。世間知らずというのは本当におそろしい。

 ああ、ここが暗がりでよかった。

 でなければ、この赤面に説明がつかない。

「……ああ…、広間にワルツが流れ出したわ。ねぇノヴァ踊りましょうよ。舞踏会はまだ終わりじゃないのだもの。ここならわたしたちのことなんて誰も気にとめないし、やっぱりあなたと踊るのが一番楽しいってことがよくわかったの」

 かすかに耳に届くワルツの音色。

 アウロラの興味はもうそちらに向かっている。だが、それでいい。

「…どうぞお好きに、お姫様」

 ノヴァは頷いてアウロラをリードする。

 気取る必要なんてない。子供の頃のように、ただ楽しめばいいのだ。このふたりだけの時間を。

蝶は「匹」や「羽」ではなく正式には「頭」で数えます。

会話なら匹や羽でもいいのですが、そうでない部分は「頭」がいいだろうと思いました。

ので、会話文では表記が異なるようになるかもしれませんが、間違いではないので。はい。

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